決まった覚悟 4
「王鳥妃様に突然何を言い出すの?」
「笑えない冗談はやめてくれたまえ」
マヤリス王女とフィーギス殿下から咎めるような視線を向けられても、発言を撤回する気のないレイザール殿下は頭を下げたままだ。
ソフィアリアは黙りこみ、レイザール殿下のつむじを睨みつけていた。そうしながら、内心冷や汗がとまらない。
――闘技場でソフィアリアが投げ捨てられた時、実はもう一つ、目についたものがある。
リスティスの『ラズ様』という言葉に反応し、表情を強張らせてそちらを見た、レイザール殿下の姿だ。
その反応を見ると、どうやらレイザール殿下は『ラズ様』を知っていたらしい。リスティスが代行人であるオーリムという存在に救いを求める理由にピンとくるところはなくても、『ラズ様』と言われれば心当たりがあったとは、完全に盲点だった。
何故ラズというソフィアリアが付けたオーリムの名前を、遠く離れた他国の王太子が知っていたのか――いや。
「理由を聞かせてもらってもいいかしら?」
今はそんな事よりも、レイザール殿下の説得が急務だ。理由を知れば、自ずとそれも見えてくるはずだと信じて。
レイザール殿下はソフィアリアの言葉に顔を上げる。その目には光がないが、誰よりも強い意志が宿っていて、厄介だなと思ってしまった。
「俺の家系ではもう、王位を継ぐ事は不可能だろう。だからリスティに王位を継がせたい」
「王家の……王配殿下から続く血統に、信用がなくなってしまったものね。正当な血統を継ぐ者に王位を戻してほしいと世論が願うのは時間の問題だって、理解出来るわ。……でもね」
すっと目を細め、少しばかりの威圧を込めながら、冷ややかな視線を投げかける。王鳥妃の威厳を示せるよう――否、ソフィアリア個人が、レイザール殿下の発言を断固拒否したいが為に。
「それはコンバラリヤ王国の問題であって、我々ビドゥア聖島の人間には……王鳥様が選んだ代行人様には、無関係だわ」
そう、強く言い切った。
ソフィアリアの威圧感をまっすぐ受けたレイザール殿下は歯を食いしばったものの、決して怯まなかった。それだけ本気という事なのだろうが、ソフィアリアだって引いてあげるつもりはない。
オーリムを横から掻っ攫おうとする人間に、容赦なんてしない。
レイザール殿下は反論しようとしたが、結局言葉を呑み込み、ふっと皮肉げに口角を上げるに留める。
「代行人様は必要ない」
「なんですって?」
「リスティに必要なのは、王鳥様に選ばれた代行人様ではなく、リスティに救いをもたらす事の出来る『ラズ様』個人だ。これから荒れた大国の王位という重荷を背負う事になるリスティがそう願い、望むなら……せめてそれを叶えてあげたいと思う。それが俺がリスティに捧げられる、唯一の愛の証だ」
それだけ吐き捨てると、もう何も言う事がないとばかりに踵を返そうとする。
「代行人様……いえ、ラズくんの意思はどうでもいいというの?」
ここで逃げられるわけにはいかないと引き留めるも、レイザール殿下は背中を向けたままだ。その背中が、撤回は絶対にしないと告げているようで、キュッとくちびるを噛んだ。
「『ラズ様』の気持ちなら、既にリスティに向いているだろう?」
「それは、世界の歪みがリスティス様の願いを叶えた結果であって、ラズくんの意思ではないわ。本意ではない人間に愛されて、はたしてそれがリスティス様の幸せだと言えるのかしら?」
「何も知らなければ済む話であり、世界がリスティを選んだ結果だ。神である王鳥様ですら抗えない、絶対的な存在である世界がリスティを選び、リスティの隣に『ラズ様』を添えると決めたんだ。……世界に認められたなんて、なんとも運命的な結びつきではないか」
そう冷笑を含んだ声音で言ったところを見ると、レイザール殿下もこの結果に嘆いているように見える。それでもこうなってしまった現実と、リスティスの為を思って自分の気持ちを押さえ込んだようだ。
「……そんな運命、認めないわ」
――どうやらソフィアリアも、相当動揺しているらしい。他にいくらでも説得出来る材料があるはずなのに、上手く頭が働かず、出てきたのはそんな情けない反論一つだった。
レイザール殿下は肩越しに振り返り、いよいよ感情的な反論しか出来なくなったソフィアリアを、冷ややかに見つめる。
「リスティには『ラズ様』しかいないけれど、王鳥妃様には王鳥様もいて、大勢の人に慕われている。だったら代行人様一人くらい、いいだろう?」
その言い草はさすがに我慢ならないと思ってカッとなったのに、思いのほかショックが大きかったのか、口が空回って、今度こそ何も言い返す事が出来なかった。
そんな自分が情けなくて、くしゃりと表情を歪ませる。
「心底軽蔑したわ、レイザール。相思相愛の婚約者の仲を、そんな身勝手な理由で引き裂こうとするだなんて。さすがくだらない恋情で王位を乗っ取った卑しい血統を継いだ人間だと、評価を改めるべきかしらね?」
黙ってしまったソフィアリアの代わりに強い言葉で言い返してくれたのが、よりによってマヤリス王女だった。何もかも無茶苦茶になりそうな予感に、身も心もますます強張る。
ソフィアリアが今日この日まで決断を先延ばしにしていた事が、無駄になっていく……。
「事実なのだから、なんとでも蔑めばいい。そんな俺が唯一してやれる事が、リスティの求める幸せを叶えてやる事だけだという話なのだからな」
そう言うとレイザール殿下はマーニュを従えて、今度こそこの場から立ち去ってしまった。
ソフィアリア達に完全に背を向けて――それが意思表示だと言わんばかりに。
殺気だった重苦しい沈黙が流れる。いつもならソフィアリアがどうにかするところだが、今はそんな余裕はない。
「……ああ、そういう事ね」
と、ガサリと音がして、今まで居なかったはずの人物の声がしたから振り返ると、木の陰に隠れてこちらを伺っていたらしいプロディージと、怒った表情を隠しもしないメルローゼが居た。
二人は情報収集がてら、剣術大会前に交わした約束通り、学園内の商業区でデートをすると言って出掛けていたのだ。デートを終えて屋敷に戻る前に、まだここにいるのかと様子を見に来たのだろうか。
そんな二人を見て、ラトゥスが静かに問いかける。
「そういう事とは?」
「それは屋敷に帰った後にでもお話させていただきます。リム以外の全員が知っておいた方がいいでしょうから」
という事は、何か確信をつく話なのだろうかとぼんやり考える。
「それより、評判は予想通りでしたよ。ヴィリック元殿下の失態で王家の不信感が高まり、このままレイザール殿下を王太子に据えたままでいいのかと不安が広がっている様子でした。ここまで下がってしまえば、もう何をやっても揚げ足を取られるばかりで、回復は難しいでしょうね」
「……やはりか」
プロディージの世論調査の結果を聞いて、ますます重苦しい空気が流れる。この程度の事は簡単に推測出来た事だが、それでも実際にそうなっていると知ってしまうと、溜息が漏れるのは仕方ない。
今日は学園内で済んでいても、そう遠くないうちに勝手に尾ひれがついて、外にも広まっていくだろう。陛下達が貴族から糾弾されるのも、時間の問題だ。
「そんな事より、レイザール殿下はどういうつもりなのよ! オーリム一人くらい寄越せって、なんて言い草なの⁉︎」
メルローゼにとっては他国の世論よりも、身近な事こそ重要なようで、そう言ってぷりぷり怒っていた。
そんなメルローゼに同調するよう、フィーギス殿下も大きく頷く。
「まったくだよ。レイザール殿下があそこまで浅慮だとは思わなかった」
珍しくメルローゼと意気投合し、怒りを抑えるよう腕を組むフィーギス殿下の様子はなかなか珍しい。いつも絶やす事のない笑みも今は取り繕えないようで、眉間に皺が寄っている。
「リムと代行人を切り離したような物言いをしていたけど、どうあってもリムは世界で唯一無二の代行人だ。我が国からその代行人を奪えば、コンバラリヤ王国にも大鳥の加護ありと周りに知らしめる事になるし、ビドゥア聖島の権威にまで関わるだろう。そのあたりの事は、どう考えているのやら」
「そんな難しい話ではなく、お義姉様の事よ!」
同意は得たものの理由はそこにはなかったのか言葉を遮ると、ジワリと目に涙を溜め、こちらに走ってきてギュッと抱きしめてくれる。
同情のこもった視線が集まってしまったが、今は上手く返す余裕がない為、どこか他人事のようにこの光景を見ていた。
「せっかく……せっかくお義姉様も幸せになれるはずだったのに、こんなのってあんまりじゃない!」
そう言ってすんすん鼻をすするメルローゼの肩に手を乗せ、自分は今、そう言われるようなひどい状況に晒されているのだろうかと、ふわふわ定まらない思考のまま考えてみる。
いくら考えた所で可哀想なのはソフィアリアではなく、意思も何もかも奪われそうになっているオーリムではないかと、思ってしまうのだけれど。
むしろソフィアリアは……。
「まあ旦那が二人って状況が健全じゃないのは、その通りだけどね」
「ディーは誰の味方なのっ⁉︎」
「少なくともこの国では絶対ないかな。ビドゥア聖島の行き過ぎた血統主義もどうかなとこの国を見ていたら思い始めていたけれど、やっぱり血統も大事だよねって再確認する羽目になるとは思わなかった」
プロディージが苛立たしげに後頭部を掻きながらこちらに歩み寄ってきてメルローゼを回収すると、ついでとばかりにぼんやりしていたソフィアリアの背中に腕を回し、肩を支えてくれる。
「一度屋敷に帰りましょう。使い物にならない姉上は王鳥様に任せておいて、今後の対策を練らなくてはなりませんので」
「ああ、そうだね。ソフィは気にせず、今はゆっくりと休んでくれたまえ」
「おそらく明日の修了パーティで、何か大きな行動に出るつもりなのだろう。それに備えておいてくれ」
「対策はわたし達にお任せください! 決してレイザールの思い通りになんて、させませんから」
そう言って思い詰めたような表情をするマヤリス王女から、ソフィアリアはずっと目が離せなかった。
――そのせいで背後で一人、殺気を飛ばし続けていたプロムスの覚悟を決めたような表情にも、気付かなかったのだ。




