届かなくなった想い 8
「何故コンバラリヤ王国でそのような事が起こっているのですか?」
そう言って首を傾げるリスティスには、ソフィアリアも困ったように首を傾げる事しか出来ない。
「コンバラリヤ王国が選ばれた明確な理由はないと思うわ。自然災害のように、たまたまここで発生しただけだと考えていいのではないかしら」
「……人が豹変する事例は、ミウム様とその周辺以外でも確認されているのでしょうか?」
「ええ。……実を言うとね、豹変させてしまった元凶がいる所までは掴めているの。その元凶を中心に、ミウム様のように豹変してしまった人がいるのも、何人か把握しているわ」
そこまで説明した後、ふと思い立ってリスティスを見つめた。
「リスティス様は身に覚えがないかしら? 周りに突然人が変わった人がいるとか、何か違和感を感じている事はない?」
そう言ってじっと探るような視線を送ってみる。もしかしたらこれで何かを自覚してくれるのではないかと、そう願っていたけれど。
「わたくしの周りでは特に、違和感は感じないように思います」
リスティスは少し考えて首を横に振ったから、内心落胆した。
「……そっか。なら、いいの」
まあ、元はリスティスの思い込みや願いから来る事なのだから、その思い込みや願い自体に疑問を持たなければ、自分で気付くなんて難しいだろう。願いはともかく思い込みなんかは、自分ではなかなか撤回出来ないものなのだから。
「……状況はわかりました。元凶まで掴めているのなら、その元凶をどうにかすればいいだけではないでしょうか?」
そこまでわかっているのに何故動こうとしないのかと、少し責めるような目でそう問いただすリスティスに、困ったような笑みを返す。その原因は世界がリスティスを気に入って、心の内を叶えているせいだと本当に彼女に伝えていいのだろうかと、まだ迷いが捨てきれないからだ。
――ずっと憂いていた事は、結局こうなってしまったので、考える必要がなくなったも同然だけれど。
それでも話せないと思ってしまうのは、今日一日でソフィアリアがリスティスに対する気持ちが変わってしまったからだ。
だから……
「そうね。本当ならすぐにでも動くべきだったのだけれど……」
「っ! わかってたんなら、何故もっとはやく対処してくれなかったんだっ‼︎」
ずっと気落ちしていたヴィリックが、元凶もわかっているのに足踏みしている様子に激昂し、ソフィアリアの胸ぐらを掴んで軽く持ち上げた。
「うっ!」
足を伸ばせるほどではないけれど膝立ちも出来ない中途半端な位置まで持ち上げられたせいで、身動きが取れず首元が締め付けられる。先程よりもずっと苦しい体勢に、呻き声を上げてしまった。
「姉上っ‼︎」
「ソフィ様っ⁉︎」
「やめなさい、ヴィリック‼︎」
「動くなっ‼︎」
みんなからの悲鳴が上がるが、怒りで我を忘れてしまっているらしいヴィリックは、ソフィアリアをキツく睨み付けたままだ。ずっと囲まれているプロディージはもちろんの事、今度こそ助けに動いてくれた女性陣みんなの事も、私兵が剣で牽制し始めた。動いた事で、縄が解けていたのがバレたらしい。
事態はより最悪に。これは上手く言い含められず、怒るような隙を作ってしまったソフィアリアの自業自得だろう。怖がらせてしまったみんなには、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
――視界の端で、リスティスだけはヴィリックに共感しているらしく、冷めた目で睨まれているのが見える。
その瞳にふと、新たな疑念がわいた。
*
随分と遠回りをしたが、ようやく観覧スペースへの道のりが見えてきた。同時に私兵の密度も格段に上がっていて、鬱陶しい事この上ない。
あれからもう二時間近く経過しただろうか? 今も彼女が恐怖に晒されていると思うと、か細く震える華奢な身体を抱き締めるまで安心出来ない。だから気を抜かず、観覧スペースまでの道のりを急いで進んでいた。
「お待ちになって、王太子殿下!」
――ふと、知らない女性の声が聞こえた。
私兵の攻撃も止んだので、周りを牽制しつつ声の主の方へと視線を向ける。
「君は!」
声をかけられたレイザールも、ここで会うはずがない彼女の存在に驚いているのか、大きく目を見開いていた。
それを見ていたオーリムも、彼女の事を遠目だが一度だけ見た事があったなと思う。何故こんなところにいるのかは、全くわからないけれど。
*
ヴィリックの腕を掴んで脱出を試みるが、年下とはいえ騎士団長を志すような男性に力で敵うはずもなく。
その抵抗に苛立ったヴィリックは、そのまま爪先が辛うじて床に付く場所までソフィアリアを持ち上げ、先程とは逆向きの体勢で、腰壁から外に乗り上げさせられてしまう。
背中から落とされそうになるのは、先程のように前屈みで落とされそうになるよりも、より恐怖を感じるなとぼんやり思いながら、息苦しさを抑えて、必死に口を開いた。
「ヴィリック、さまっ、落ち着い、てっ」
「うるせー‼︎ おまえがっ、おまえらがもっと早くに対処してくれていれば、オレはこんな事にはならなかったんだぞっ……⁉︎」
そう言ってますます手に力が入るのを、甘んじて受けていた。ヴィリックの言い分も一理あるからだ。
とはいえ。
「わたくし、達が来る……ずっと前から……、ミウム様とのお付き合いはっ、はじまっていたじゃ、ないっ」
「っ! それはっ……!」
「それにっ、わたくし達だって、元凶まで、突き止められたのはっ、一昨日……なの! それも、たまたま見つけられただけで……見つけられなかった、可能性もっ、充分、あったわ!」
そう、この国の人が突然豹変する事までは王鳥から聞いていたが、元凶まで突き止められたのは、ミウムと接触し、オーリムがおかしくなり、不思議な夢の話を聞いた時だ。それがわからなければ結局この件に関していえば迷宮入りのまま、帰国する事になっていたかもしれない。
――王鳥もなんとか出来るならと曖昧な言い分だけで、必ずしも解決を求めていた訳ではなかった。そもそもこちらについてはついでのようなものなので、最悪放置して帰る事になっていたのだ。そうなればヴィリックは減刑すらされず、今も牢屋の中だっただろう。
「っ! くそっ‼︎」
どうあってもヴィリックはこうなっていた運命だと知り、やるせない表情を浮かべていた。それでも手を緩めようとしないのは、忘れているのか、不甲斐ない王鳥妃への罰か。
――まあ、王鳥がもっと早くに教えてくれて、早期解決の為に動いてくれていれば、可能性はあったかもしれないけれど。王鳥は人間好きとはいえ、少数の人間の不幸の為に動く事はなく、最悪世界の調和の為に国を滅ぼす事にも抵抗はない神様と知っているが、こんな事が続くのは少々居た堪れない。
王鳥が見過ごす事でヴィリック達のように人生が狂わされてしまった人が他にもいるかもしれないので、今度王鳥に他に放置している事がないか聞いてみようと、今更決意した。王鳥ですら手に余っている事をソフィアリアがどうにか出来るとは思わないけれど、それでも、知っておいて、結果を共に背負うべきだ。
一人だけ何も知らないまま平穏に過ごし、護られている訳にはいかない。だって王鳥と代行人の伴侶である王鳥妃なのだから。
それに、今のソフィアリアだから出来る事だって、まだ残されている。
「だから……今までの、事は、今更どうにもっ、してあげられ、ないけれどっ。これからの事は、助けて、あげられる、わっ」
それを伝えると、ヴィリックはくしゃりと泣きそうな顔をする。
「でもっ! もうオレはっ……!」
「わたくし、ねっ……こんな、だけど、どの国の王族よりもっ、立場は、上なの。だから……だからねっ……」
締め付けられたまま説得を試みて、いよいよ呼吸が苦しくなって意識が朦朧としてきた頃、ヴィリックの片方の手首をそっと両手で包み込む。
どうすればいいのかと途方に暮れたヴィリックの顔に、優しく微笑みかけた。
「どうかわたくしに、ヴィリック、様を……ヴィリック様達を、救わせて、くださいな」
最後の力を振り絞り、息も絶え絶えの中、そう小さな声で囁くのが精一杯だった。
――加害者側に立つソフィアリアが言うには偽善的だなと、そう自覚しながら。




