届かなくなった想い 6
「来い、王鳥妃っ‼︎」
「っ!」
そう言って腕を掴まれ、無理矢理立たされる。ここまでの行動に出るとは想定しておらず、縛られている風に装っていた縄が、はらりと床に落ちた。
「お義姉様っ⁉︎」
「姉上っ‼︎」
メルローゼが悲痛な叫び声を上げ、プロディージが瞬間的に立ち上がると、ソフィアリアを助けようと手を伸ば――そうとしたが、差異でヴィリックに蹴り飛ばされ、床に転がされた。
「うっ!」
「ディー⁉︎」
「勝手に抜け出すとはな。王鳥妃も縄を解いていたとは、小癪な」
ヴィリックは据えた目をして冷たくそう言い放つと、プロディージに向かって顎をしゃくる。
「その男を始末しろ」
命令を受けた私兵の一人が剣を抜き、躊躇いもなくプロディージの心臓めがけて一直線に突いた。
「いやあああああっ‼︎」
その光景を見たメルローゼの絶叫が響き渡る。みんなも息を呑み、ソフィアリアも何とか動こうとしたが、ヴィリックに強く腕を掴まれていて、抵抗出来なかった。
突き進んだ剣は、だがプロディージに当たる直前になって、壁にでもぶつかったようにキンッと弾かれる。
「何っ⁉︎」
「はっ、馬っ鹿じゃないの? 僕はビドゥア聖島の人間であり、大鳥様の加護を得ているんだよ? そんなの当たる訳ないよね」
剣を向けられた恐怖心を隠すためか、プロディージはハッタリをかまして鼻で笑ってみせると、挑発された私兵は怒りで顔を真っ赤にしていた。
「きっ、貴様っ⁉︎」
「やすい挑発にいちいち乗るな。おい、その男を抜き身の剣で囲っておけ。抵抗を封じるだけで充分だ。どうせ何も出来はしない」
そう命令を受けると数名の私兵が追加で歩み寄り、剣先を向ける。剣先に囲まれたプロディージは動きを封じられて、悔しそうに顔を顰めていた。刺される心配はないが、プロディージの身体能力ではそこから抜け出して、何か出来るほどの腕前はない。
「……これ以上何かしたら、わたくしだって黙っていないわよ」
「おまえに何が出来る?」
「わたくしは何も。けれどわたくしには、王様がついているわ」
余裕を見せるよう凪いだ表情でそう言うと、ソフィアリアを中心にぶわりと風が巻き起こり、ヴィリックと私兵がたたらを踏む。腕を掴まれたままのソフィアリアもつられたが、なんとか体勢を保つ事が出来た。
きっと言葉に信憑性を持たせる為に、王鳥が気を利かせてくれたのだろう。聞こえる事を願って小さな声で「ありがとう、王様」とお礼を言い、笑みを浮かべた。
――誰も助けないくせに自分だけは王鳥に護られるつもりかと、リスティスからの冷たい視線を感じたが。
「風を止ませろっ‼︎」
「みんなには何もしないと誓うのなら、お願いしてもいいわよ」
「王鳥妃次第だ」
「……王様、どうかしばらくは見守っていてくださいませ」
そう会場の上、空を見上げて言うと、風が止む。これで王鳥妃としての力を誇示出来たようで、私兵から怯えるような目で見られる事になった。捕まっているのはソフィアリアなのに、理不尽極まりない。
ヴィリックは苛立ったようにソフィアリアの腕を引き摺って歩き、観覧スペースの縁までやってくると、ソフィアリアの背中を押し、上半身だけ腰壁を乗り越えさせる。ここは三階にある為、もう少し力を入れられれば、下の一般席へと真っ逆さまだ。
「やめなさい、ヴィリックっ‼︎」
「うるせーなっ‼︎」
マヤリス王女が悲痛な声で怒っても、逆に怒鳴り返す始末。王鳥がついていると知ったばかりなのに、随分と度胸があるなと逆に感心してしまう。目的を遂行する為に捨て身も厭わないという意味なら、あまり笑えないけれど。
会場に集まっていた生徒もソフィアリアの姿を見つけたようで、どよめきが上がっていた。
「っ、本当に、何がしたいの、かしら?」
押さえつけられているせいで、腰壁がお腹に食い込んで、息が苦しい。息も絶え絶えにそう訴えれば、ヴィリックは光のない目で一睨みした後、すっと上空を見上げた。
「王鳥、この女を助けたければ、今すぐここにミウムを連れて来るがいいっ‼︎」
威勢よく訴えた声は、空に消える。爽やかな青空が広がっているだけで、何の変化もない。ただ静かに雲が流れていくだけ。
王鳥からの反応がない事に苛立ったヴィリックは舌打ちをし、より強い力でソフィアリアを押し出した。
「聞いていないのかっ⁉︎」
「聞こえている、わ。でもっ、聞いてくれるはずない、じゃない」
「何故だっ⁉︎」
「些事、だからよっ。これくらい、わたくし達だけ、で、どうにか出来るっ、て、信じてくれ、て、いるのっ」
グッグッと圧迫されるお腹の痛みに堪えるよう歯を食いしばりながら反論し、ふっと笑ってみせる。
どうやらヴィリックはソフィアリアを使ってミウムを呼び戻す気でいたらしいが、王鳥がそんな脅しに屈するはずがない。ソフィアリアならどうにか出来ると信じ、いざとなればどうとでも出来る力を持っているが故の余裕があるから、たとえソフィアリアがこうして痛めつけても、静観してくれているのだ。
なら、ソフィアリアはその期待に応えるだけ。こうしている間にも誰も犠牲にせずこの窮地から脱却する策を、慎重に練っていた。
「はっ、ここから一人で逃げ出すってのか? オレを舐めるなっ‼︎」
思惑通りにいかないと悟ったヴィリックはヤケになったのか、冷酷な笑みを浮かべ、今度はソフィアリアの後頭部の髪を掴んで、より外へと強く押し出した。
踵が上がり、先程の比ではない痛みから顔を顰める。みんなの心配してくれる声が聞こえたが、今はどう説得しようかで頭がいっぱいなので、気にしてあげられなくて申し訳なかった。
「おまえも王鳥に懇願しろよ! 王鳥に助けてほしいと……助かる為に、言う事を聞けとっ‼︎」
「お断り、よっ!」
「落とされたいのかっ⁉︎」
「落ちたらっ、怪我をする、前に、助けてくれるからっ……ヴィリック様から、解放される、だけじゃないっ」
「このっ……!」
「いい加減にしなさい、ヴィリック! お姉……王鳥妃様を痛めつけてもどうにもならないって、まだわからないの? それだけの事をやらかして、今生きていられるだけでも奇跡だわ」
これ以上見ていられないと考えてくれたのか、マヤリス王女は静かに立ち上がると、強い目でヴィリックを睨み付ける。
王女然としたマヤリス王女を見た事がなかったのか、ヴィリックは一瞬怯んだものの、妙案でも思い付いたかのような酷薄な笑みを浮かべると、会場に集められた生徒を見下ろす。
「ああ、そうかよ……。なら、頷くまでの間、五分に一人あいつらを始末する」
「っ! ヴィリックっ‼︎」
「王鳥妃を傷付けてもどうにもならないのなら、別の奴が代わりに罰を受けないとなぁっ‼︎」
そう言ってケタケタ笑って私兵達に指示を出すヴィリックは、どこまでも堕ちる覚悟があるらしい。追い詰められて捨て身で行動出来る人間ほど、タチの悪いものはない。
顔を強張らせたマヤリス王女が必死になって説得を試みるも、聞く耳持たずだ。
状況は最悪。空気は張り詰め、緊張感が漂っていた。
「……ソフィアリア様」
その静かな声が、ソフィアリアを射抜く。なんとか振り向くとリスティスが真剣な表情をして、ソフィアリアを見つめていた。
その瞳に宿るのは懇願。生徒を、自分の民を救ってほしいという、切実な願い。
けれどソフィアリアは薄く笑みを浮かべ、首を横に振る。こうなっても動こうとしないソフィアリアを、リスティスはどこか軽蔑したように見ていたけれど、その願いは聞いてあげられない。
ソフィアリアがするべき事は要求をのむ事ではない――ヴィリックを説得し、諦めさせる事なのだから。
「……ミウム様を、そこまで恨んで、しまうくら、いっ、ティティア侯爵令嬢のこ、と、好きだったのっ?」
色々と思考を張り巡らせた結果、遠回りする時間もないので、ストレートにそれをぶつける。彼の性格上反発される可能性もあるが、素直に気持ちをぶつけた方が、より反応が得られるのではないかと考えたのだ。
ピクリと、ソフィアリアを掴んでいたヴィリックの指が強張ったから、これで正解だったのだろう。ソフィアリアは髪が引っ張られるのも厭わずに、ヴィリックの方を振り向く。
ヴィリックは目を限界まで見開いて、驚愕していた。その瞳が悲しげに揺れていたから、やはりこんな事をされても責められないなと、自分の甘さに苦笑する。
「……ティティア嬢次第、だけれど、話し合いの場をっ、設けるわ」
「何……故」
「その前に、わたくしか、ら、ちゃんとっ、ティティア嬢に事情を、話して……ヴィリック様の、話を聞いてもらえるよう、説得、する」
「オレは……だがっ!」
「無罪放免は、難しい、でしょう、けど、どうにかして、私兵の方々も全員恩赦を与えてくれる、よう、レイザール殿下、とも、お話、してみるわ。だからっ……だから!」
思いっきり身を捩り、なんとかヴィリックの手から抜け出す。髪が数本引き千切られた痛みによろめいて、思わず腰壁に身を預けた。
息を整えて、ヴィリックを見上げる。ヴィリックはソフィアリアに逃げられても動かず、まだ固まっていた。ヴィリックの気持ちがバレた事を筆頭に悪くない折衷案まで提示されて、色々と理解が追いつかないのだろう。
なんだか迷子になった子供のような表情をしているから、ソフィアリアは安心させるように、ふっと柔らかく微笑んだ。
「こんな事、もうやめにしましょう?」
そう訴えると、くしゃりと表情を歪め、泣きそうな顔をしていた。絶望感を宿した目元を隠すように手で覆い隠すから、ますます泣いているような錯覚を覚える。
「でもっ‼︎ あの女はオレの人生をめちゃくちゃにしたんだっ! たとえ恩赦を与えられても、この手で始末をつけなければ、気が済まないっ……!」
そう苦しげに言ったから、ソフィアリアも貰い泣きしそうになってしまう。
話の断片を拾い表情を見る限り、何故こんな事になったのかわからず、その憤りをミウムにぶつけているのは明白だった。おかしくなったのはミウムと接触してからだったから、そこに原因があると考えたのだろう。そう思ってしまうのは当然だと思う。
とはいえ、ヴィリックは知りようがない事ではあるが、それは本当はミウムではなくリスティスの……いや、世界の歪みのせいなのだ。ミウムの言っていた恋愛小説の世界のヒーローという配役を与えられたせいで、自分の意思とは関係なく巻き込まれてしまった。ヴィリックもミウムを介した世界の歪みの被害者だ。
信じてくれるかは微妙だが、大鳥に関わる事はソフィアリアも背負うべき罪である。説明義務があるので口を開こうとしたが。
「めちゃくちゃもなにも、ミウム様にあれほどご執心だったのはヴィリック元殿下です。地位を剥奪されたからってミウム様を恨み、今度はアルファルテ様に擦り寄ろうだなんて、あまりにも身勝手ではございませんか?」
リスティスは、ヴィリックの元婚約者であるアルファルテと面識があったのか、冷たい声でそう責める。
アルファルテ、という名前を聞いたヴィリックは、どこか悲痛な顔をした。
「っ⁉︎ でもっ、違うっ……オレはっ……‼︎」
心と行動が乖離し、こうして元に戻されて混乱する姿を見て、息を詰まらせる。これがいつか遠くの未来、リスティスが天寿を全うしてから正気に返った未来のオーリムの姿なのではないかなんて、悪い想像してしまったから。
首を振ってその考えを打ち消すと、ヴィリックに集中する。今は他の事に気を取られている場合ではない。




