届かなくなった想い 5
ヴィリックが私兵達に指示を出している様子を、注意深く観察していた。これ以上過激になるのならば、なりふり構わず止めるべきだろう。
「……王鳥様には、頼れないのでしょうか」
ソフィアリアにだけ聞こえるよう、ポツリと小さく呟かれた言葉に目を丸くし、思わず振り向いてしまった。
そう言ったリスティスの目は真剣だ。事態を素早く解決する為の提案だった事は間違いない……けれど。
「ダメよ」
ソフィアリアもなりふり構わずと思っていたが、その提案は絶対に頷けないので、冷たい声でばっさり切り捨てる。
にべもなく断られたリスティスはすっと目を細め、不信感を露わにした。
「何故です? 王鳥妃様が巻き込まれていらっしゃるのですから、早期の解決を望まれるのでは?」
「たしかに王様なら、この程度早く解決して見せろとおっしゃられるでしょうね」
「でしたら」
「でもそれは、自分達の力だけで解決する事を望まれているのであって、王様の力をお借りしてではないわ」
こんな時に試すような行動をとる意味がわからないのか押し黙るリスティスに、ソフィアリアこそ恐怖を感じていた。代行人であるオーリムを通じて王鳥に――大鳥とも繋がる可能性を紙一重で食い止められている人物が、そんな意識である事は断じて許容出来ない。
だから言い聞かせるように、まっすぐリスティスの目を見て、説得を試みる。
「王様は……大鳥様は神様よ。人間なんかよりずっと大きな力を持っていて、人間では見通せない事も、簡単に察知出来てしまうわ。大鳥様にとって人間は、取るに足らない小さな生き物でしかないの」
「それだけ大きな力を持っているのであれば、この場を簡単に納めてしまえるのではないでしょうか? 現状どのくらいの被害が出ているのかはわかりませんが、これ以上被害を拡大させる訳にはまいりません。逃げ遅れた生徒がああして一箇所に固められているのも気掛かりですし、ここで被害を食い止めるべきです」
なんとも次代の王妃として立つのに相応しい考え方だ。有事の際は国民の命やこの場を平定する事を最優先に考え、その為に周りの助力を乞う事も厭わず、早期解決の為に全力を尽くす。
助けを求める相手を間違えてさえいなければ大いに賛同し、いずれ王族として立つ人間として敬意を払っていた事だろう。ただしその為に大鳥に手を伸ばすというならば、話は別だ。
だからソフィアリアは、首を横に振る。
「言い分はわかるわ。リスティス様がいずれ統治する国の民でもあるのだから、早く助けなければならない責務も重々承知しているつもりよ」
「ええ、そうです。正式な要請が必要なのでしたら、コンバラリヤ王国の次代の王妃として、王鳥妃様に要請します。この場を鎮める為の力をお貸しください」
「出来ないわ」
一瞬の隙も許さず一刀両断すると、納得が出来ないのか微かに眉根を寄せていた。
それでもソフィアリアは、決して頷いてあげられない。
「先程も言った通り、神様である大鳥様にとって人間は、取るに足らない小さな生き物でしかないの。逆に言えば人間にとって、大鳥様の力は強大だわ。そんな力を、人間同士の争いなんかに介入させるわけにはいかない」
「神様であらせられるのですから、救いを求める者に手を差し伸べてくださってもいいのではないでしょうか?」
「本気で言ってるの? 大鳥様が護ってくださっているのはこの世界であって、人間という存在ではないわ。人間は神様を救いの象徴のように扱うけれど、実際は神様なのだから、矮小な人間だけを救う為に動く事は決してない。人間如きが神様の救いを乞うだなんて、あまりにも傲慢だわ」
「ではビドゥア聖島という国を、どう説明するおつもりですか?」
そこを指摘される事は予想がついていたが、実際に指摘されると怯んでしまった自分の弱さを呪う。
その隙を、リスティスは見逃さない。
「ビドゥア聖島は元々大鳥様の住まう楽園で、迫害されて流れ着いた移民を保護したのが成り立ちだと伺いました。王家の祖先であるマクローラ王と契約された事がきっかけだそうですね」
「……ええ、そうよ。よくご存知ね?」
「そのお話を聞く限り、神様は人間だけを救う事は決してないという言葉と矛盾しているように思います。現に大鳥様は過去、マクローラ王を助け、現在もビドゥア聖島の人間を外敵から護っているではありませんか。ビドゥア聖島こそ、大鳥様の救いを独占してると言えるのでは?」
やはりそうくるかと苦笑し、それを見たリスティスから睨まれてしまう。
そう思うのも無理はないが、それは少し違うのだ。大鳥からの好意と、人間から救いを乞う事を一緒には出来ないと、首を横に振った。
「名誉の為に言わせてもらうけれど、初代マクローラ王は大鳥様に島で共存する許可を得たけれど、助けを求めた事は一度もないの。現に最初の頃は島への侵入を許し、自らの力だけで追い払っていたという文献が残されているわ」
大昔の事なので、どの程度信憑性があるのかは不明だが、ビドゥア聖島に流れ着いた移民は、最初から大鳥に護られていた訳ではないらしい。敵の侵入を許し、島内でいくつもの争いがあった事も記録として残されている。大鳥に護られた現在ではあり得ない事だ。
「ですが、今は護られているではありませんか」
「……大鳥様はね、迫害されてなお追い詰められて、それでも果敢に立ち向かう初代マクローラ王や人間の姿に感銘を受けて、自ら手を貸すと言ってくださったの。その時の好意が契約として今も続いているだけよ」
優しい神様でしょう?と微笑んでみせたが、共感は得られなかったようで、真顔で続きを促される。
ソフィアリアはそれに答えるだけだ。
「たしかに侵略者からは護ってくださるけど、内部で発生した争いには、大鳥様に関わっていたり、国を揺るがす大戦争でもしない限りは介入しない決まりになっているの」
「ビドゥア聖島の人間だったら誰でも救ってくれるわけではないという事でしょうか?」
「そうよ。また、他国への侵略行為は決して許さない。そんな事をすれば侵略に赴いた人間はビドゥア聖島への帰国を許さないし、国にいながら命令し、指揮をとっていたとしても、他国に放り出されてしまうわ。そういう事も過去幾度となく繰り返されてきた。そんな事、リスティス様は知らないでしょうけれどね」
「……存じ上げませんでした」
「我が国の醜聞だもの。広まる前に揉み消すのは当然でしょう?」
――そう、ビドゥア聖島の人間だって高潔ではない。むしろ神に護られた島に住まう事を許された、選ばれた民であると思い上がっている節がある。
与えられた厚意は長い年月を経てあって当たり前となり、当たり前となれば、もっと有利な条件を引き出そうと増長する。自分達は特別なのだと思い上がり、それ以外の人間を見下すようになる。
厚意があるだけでありがたいと思い留まれないのは、人間の悪いところだ。
「決められた箱庭の中で大人しくしている事が、我が国を護ってくださる条件よ。たとえビドゥア聖島の人間だとしても、大鳥様に物申す事は出来ないわ」
「だから、大鳥様は人間からの救いの声には応える事はないと、そうおっしゃるのですか?」
「ええ。ビドゥア聖島の人間は大鳥様の救いを独占されていると言われたけれど、実際はそんなものよ。縁あるビドゥア聖島ですらそうなのだから、無関係な他国からの要請に応えるはないでしょうね」
だから諦めてほしいと願ったが、探るような視線でじっと見つめられたから、ソフィアリアの隠し通そうとした事なんて、すぐに暴かれてしまうだろう。
案の定それに思い至ったらしいリスティスは、すっと目を細めた。
「人間からの救いの声に応えなくても、ソフィアリア様……王鳥妃様の声には、応えてくださるのではないでしょうか?」
――やはり隠し通せないかと、内心冷や汗が流れる。表情には決して出ないようにしたけれど、聡いリスティスの事だ。そのくらい見抜いてしまうだろう。
その問いに、ソフィアリアは無言を貫く事にした。肯定も否定もしない――嘘をついて誤魔化すのは、かえって悪手になると判断したから。それが何よりの答えだった。
真意に気付いたリスティスはここにきて初めて、怒りの表情を露わにする。ソフィアリアを射抜く視線は、心から軽蔑しきっていた。
「それらしい言い訳を並べておられましたが、ソフィアリア様にとっては他国事だから、たとえ巻き込まれていようとこの場を――生徒達を見捨てると、そうおっしゃるのですか?」
「言い訳なんてしていないわ。国も関係ない。たとえどのような状況下で、誰が巻き込まれていたとしても、わたくしは王様にも大鳥様にも、助けを求める事はしないでしょうね」
そう、ソフィアリアは王鳥妃になった時には、それを決めていた。一度でも許してしまえば、大鳥を動かすにはソフィアリアをどうにかすればいいと考え、躍起になってこの身を求める人間が後をたたなくなるだろうという事が目に見えていたから。
だからその一度を、ソフィアリアは決して許さない。たとえ家族や友人の命を盾に脅されても、絶対に頷かないだろう。その為に誰かが犠牲になってしまったとしても、ソフィアリアはこの意見を絶対に覆さない。
その誓いをこんなところで――こんな事で、破る訳にはいかないのだ。
「……ソフィアリア様の思う王鳥妃とは、そういうものでいいと考えておられるのですか?」
「そういうものって?」
「大鳥様に愛され、保護され、人間には格上の存在として崇め奉られる。けれど自身の受ける恩恵を、人間に還元する事はない。……救いを求める声にも、応える事はない。人間よりも高い地位で、唯一大鳥様の寵愛を得て囲われる権利を有する人間が、自分だけは安寧を貪り何も動こうとしない。それがソフィアリア様の考える王鳥妃としての在り方だと、そうおっしゃるのですかっ……!」
また随分な言い草だなと苦笑するものの、返答に困ってしまった。そこはかとなく悪意を感じるものの、あながち間違いでもないと思ったからだ。訂正しても、何が違うのかと言い返されて、無駄に終わるだけだろう。
だから、ソフィアリアは
「リスティス様が王鳥妃という存在に何を期待しているのかは知らないけれど、そもそも最初から居なかったはずの存在に、過分な期待を寄せないでくださいな」
――そう言うのが精一杯だった。
王鳥妃として大鳥と人間の架け橋となるつもりではあるが、ソフィアリアの立ち位置はあくまでも大鳥側だ。大鳥が王鳥妃と言っても矮小な存在でしかない人間であるソフィアリアに何か期待する事はないだろうが、逆に人間から期待を寄せられて、地位と恩恵を与える見返りに、人間の都合のいいように大鳥を操る駒になる気だってさらさらない。
言ってしまえば人間側から与えられる王鳥妃の地位も恩恵も、人間が教会で神に祈り、喜捨するかのごとく、人間側が勝手に与えているものだと思っている。王鳥妃として人間側にそれらをねだる事はないし、最悪なくてもいい。身一つで放り出され、人里離れた大鳥だけの楽園で囲われて暮らせと言われても、王鳥妃とはそういうものだと受け入れただろう。
とはいえ、与えられるからには相応の働きをしてこっそり還元しようと思っているが、後世の負担を軽くする為にも、王鳥妃の名前は使わない予定だ。だから表向き、ソフィアリアが何もしていないと思われるのは仕方ない。
そういった事情があるので、リスティスの批難を訂正出来ないなと思っていた。
「……わたくしが王鳥妃として彼の方の隣に立つならば、大鳥様と人間が共存し、助け合い、お互いが幸せになれるような道を模索したでしょうね」
ポツリと、辛うじて耳に入る小さな声音で呟かれた言葉に、身を硬直させる。
「リス――」
「騒がしいぞっ‼︎」
とうとうヴィリックに大声で怒鳴られてしまい、口を噤む。
結局何一つ説得出来ず、余計な理想を植え付けてしまった自分の不甲斐なさに苛立ちを感じるが、さすがにこの状況で話を続けるという選択肢はない。だから、この話はここまでだ。
後ろ髪を引かれる思いでリスティスから視線を逸らし、ヴィリックを見上げる。彼の表情はどこまでも暗く、剣呑な空気が漂っていた。




