届かなくなった想い 4
「無理だとわかっていたけれど、なんとかアミーさんを救出出来ないか試したの。結果は散々で、進展があったのはアメリアが亡くなってから四年も経った頃だったわ」
「え……?」
学園長がずっとアミーを連れ戻そうとしていたと知ったアミーは驚き、呆然と学園長を見つめていた。孤児院でプロムスと出会った後ならともかく、まさかペットのように扱われていた自分の事を、そこまでして求めてくれている人がいるとは夢にも思わなかったのだろう。
学園長はそんな様子のアミーの頭を撫でて、悲痛な顔をする。そう思う前に救出してあげたかったと、その瞳が訴えていた。
「男爵の家はいつの間にか取り潰されて、その家から保護された子供が一人いたとの情報を得たの。とはいえ島都の孤児院なんてたくさんあるし、名前も容姿も、性別すらわからなかったから、探すのに時間がかかってしまったわ」
それはそうだろう。ましてやその頃になると国中が荒れていて、没落した貴族やそこから保護された子供だって山のように居たはずだ。その中からたった一人を探し出すなんて、並大抵のものではない執念がなければ不可能だ。
「私を、探してくださっていたのですか?」
「ええ。養子として迎えるつもりでいたわ」
「養子……」
「何年もかかったけれどようやく見つけて、孤児院の先生と話まではついていたんだけれどね。顔を合わせる直前に、男の子と二人で孤児院から出て行ったって言われてしまったのよ」
初めて知る真実の山に、アミーは狼狽えていた。ずっと人として扱われなかった辛い幼少期の裏で、そんな事になっているとはと、困惑しているようだ。
学園長は目に浮かんでいた涙を拭って、くすくすとおかしそうに笑う。
「当時は驚いて連れ戻そうとしたけれど、大屋敷で働いてるって言われたら、もうどうしようもなかったわ。一度会いに行こうとしたけれど、中に入れもしなかった」
「申し訳ございません。大屋敷は大鳥様に認められた人しか入れない事になっているのです……」
ソフィアリアのせいではないが、王鳥妃として謝罪しておく。学園長の人柄なら問題ないように思うが、どうしたって貴族だ。よほどの事がなければ、大鳥は許可しないだろう。
それに、アミーを連れて行くとなるとキャルが許さなかっただろうから、どのみち入れる事はなかったように思う。
複雑な表情をしていたら、学園長にふっと寂しそうに微笑まれた。
「聞きましたわ。だからもう、縁がなかったと諦めてしまいました。わたくしも立場的に、ずっとアミーさんにかかりきりになる事は出来ませんでしたので」
彼女には学園長としての仕事のほかに、侯爵夫人としての仕事もあり、ただでさえ多忙を極めていたはずだ。そんな学園長が微かな時間を割いてまでアミーを気にかけ続けていただけで、充分過ぎるくらいだと思う。
学園長は精一杯やれる事はやったけれど、結局縁がなかった。結果が結び付かなかったのは残念だけど、アミーはアミーで大屋敷で幸せに暮らしていたのだから、どうしようもない。ただ、全てを知った今は、切なさを感じるだけ。
「そしたらほんの少し前、フィーギス殿下から手紙が届きましたの。まさかビドゥア聖島の王太子殿下から手紙が届くなんて、驚き過ぎて目を疑ってしまいましたわ」
そう言ってまたくすくす笑うから、ソフィアリアもつられて笑ってしまった。そこから先は、なんとなく想像がつく。
本当に、情に厚い王太子殿下だ。そういう人に育ってくれてよかったと、つい親目線で思っていた。
「ギース様、アミー様の素性もお調べになっていたそうです。男爵の庶子という所まではすぐに見つけられたそうですが、愛人が誰かわからず……。そしたら一度、アミーさんに養子の話があった事を見つけられて、そこから学園長の存在に気付いたのだとお聞きしました。まさかコンバラリヤ王国に関係するとは思わなかったそうです」
「ふふ、そうでしたか。……アミーさんの事を知っているかと聞かれたから事情をお話しすれば、一度連れて行くから待って欲しいと言われ、こうして本当に連れてきてくれたのよ。だからようやく、わたくしはアミーさんに会う事が出来たわ」
「……ありがとう、ございます」
産まれた時からずっと探し求められて、ずっと会いたかったと言われて、照れくさいのだろう。頰を赤くしながら俯いて、どう反応すればいいのかと、ウロウロと視線を彷徨わせていた。
そんなアミーを優しい目で見る学園長は、そっと頭を撫でる。愛おしそうに、まるで我が子を撫でる母親のように。
「孤児院を一緒に飛び出した男の子と結婚したのね」
「は、はい」
「そう、幸せそうでよかったわ。結婚して、友達に囲まれて幸せそうだったから、その姿を見れただけでもよしとしようと思ったの。わざわざ預かり知らぬ過去を背負う必要はないし、アメリアもそんな事は望まないだろうからって」
だから躊躇っていた様子だったのかと納得する。でもそれは、正しくないのではないだろうか。
アミーもそう思ったのか、首を横に振った。
「私は、知れてよかったです。お母さんの事も、学園長がずっと探していてくれた事も」
「アメリアの生き写しなアミーさんが幸せになった姿を見られただけでなく、腕を組みながら一緒に学園を歩いて、ピッコロを教えてあげられて、それだけでもよかったのよ?」
「私は欲張りだから、それだけでは足りません」
「あらあら。……ありがとう。アメリアの事も伝えられて、わたくしの事も話せて、一緒に過ごす事も出来て。もう思い残す事は、何もないわ」
そう言って学園長は最後にギュッと抱き締めると、アミーも学園長にギュッと縋り付く。
もう一人の母のように思っているのかもしれない。そうだといい。お母さんになる前に、自分を想ってくれていた母の存在を二人も知る事が出来ただなんて、この上なく幸せな事ではないか。
お母さんを知らないと泣いていたアミーが、無性の愛を注いでくれていた二人の母の存在を知り、少しでも自分に自信をつけられればいいのだが。ソフィアリアはただ、そんなアミーをそっとサポートするだけだ。
「だからさ、アミーは学園長に遠慮なく寄り掛かっておいてもいいと思うけど?」
「ディーったら、たったそれだけの事を言う為だけに、とんでもない暴露をさせたわね……」
「知っておくべき事だったんだから、いいじゃん」
しれっと悪びれもなくそんな事を言うものだから、撫でくりまわしてやろうかとニマニマしながら、手をワキワキとさせた。敵を見るより冷たい目でジトリと睨まれたせいで、それは叶わなかったけれど。
「えっと、でしたら、失礼します……」
「ええ、遠慮なくどうぞ」
そう言って寄り添う二人を微笑ましげに見て、そろそろヴィリックや私兵が戻ってくるかもしれないからと、縛られたフリをして待っていた。
それにしても、随分と時間が掛かっているのは何故だろう?
ふと会場の方を見ると、逃げられずに捕まった生徒を一箇所に固める為だろうか、観客席から会場の方に生徒が寄せ集められていて、それを見張るように私兵が囲っていた。
ざっと見た感じ、オーリム達男性陣の姿は誰一人見当たらない。だからきっと、ここに向かおうと必死になってくれているはずだ。
――オーリムが誰を救出する為に必死になっているのかなんて、考えないようにする。
「ラズくん……」
ままならない状況を思って、小さな声でポツリと切なげな声で名前を呼ぶ。ソフィアリアと王鳥にのみ許されたその名前を口にするだけで幸せな気持ちになれるから、不思議なものだ。
今は少し、苦しみも感じてしまうけれど。
その声を拾ったのか、静かにこちらを見る視線に気が付いて、一度目を伏せて深呼吸すると、笑みを浮かべて振り向いた。
「リスティス様も、お疲れではないかしら? よければ肩に寄り掛ってもいいのよ?」
「いえ、結構です」
「そう? 何かあったら、遠慮なく頼ってね」
「……ありがとうございます」
そういうわりに、表情はソフィアリアを射殺さんばかりに冷たいけれど、今は気付かないフリをする。恋しい人の名前を呼んだだけで、責められる謂れはない。
「……直接話してみないとわからない事って、あるものよね」
そう言って身を寄せ合っているアミーと学園長を見て、柔らかく微笑む。リスティスもチラリと二人を見たが、また視線を戻し、続きを促すよう、じっと見つめてくる。
「アミーはずっとお母様の事を、子供を置いて出て行った酷い人だって思い込んでいたの。でも実際は引き離されて心を壊してしまうくらい、アミーの事を深く愛していた」
「……そんな事、知りようがありませんもの」
「ええ、そうね。お母様は亡くなってしまっているから、学園長が教えてくださらなければ、ずっと誤解したままだったわ。そうなれば誤解したアミーも誤解されたままのお母様も、誰も報われない。そんなの悲し過ぎるじゃない」
「誤解したアミー様は、何も知らなくても幸せに生きていけました。報われないのは母君ただ一人ではないでしょうか?」
「そうかもしれないけれど、二人とも幸せになる道が残されているなら、痛みを伴ってもぶつかってみるべきよ」
「……痛いだけで、幸せな結末になれるとは限りません。もっと残酷な真実に、打ちのめされる可能性もありました。なら、一人を犠牲にして知らない幸せを選ぶ方が、ずっといいと考えます」
こればかりは相容れない考え方だと、ソフィアリアもまっすぐリスティスと対峙する。お互いに宿る敵対心を、もう隠しもしない。
「わたくしは、誰かを犠牲にして幸せになりたいとは思えないわ。自分や大切な人を傷付ける事になっても、お互いが幸せになる可能性を模索してしまうでしょうね」
――そう言いながら、気が付けば取り返しがつかなくなるほど、誰かを傷付け続けている事が多いのだけれど。今だってたった一つの懸念を振り払えないが故にオーリムに苦痛を強いて、ソフィアリアも傷付いて、周りに心配ばかりかけているのだから、救えない性質だ。
「わたくしは、そこまで強くなれません。知らない事が穏やかな幸せの維持に繋がるのならば、見ないフリをし続けるでしょう」
――だから何も知らないまま、レイザール殿下を切り捨ててオーリムとの未来を選ぶと、案にそう仄めかされているような気がした。
何故こうも保守的で頑なになってしまったのかと考えて、やはりソフィアリアが多くの人に愛されて育ち、まるで苦労を知らないかのような振る舞いがいけなかったのだろうなと内心苦笑する。
その生き様は、孤軍奮闘して生きてきたリスティスにとって、眩しくも羨ましく、そして妬ましいという気持ちを植え付けてしまったようだ。だから反発して、想い合っているオーリム一人くらいいいではないかと考えてしまったのかもしれない。
――羨ましがられるほど幸せで順風満帆な人生を歩んできたつもりはないが、不幸自慢する気なんかさらさらない。ソフィアリアはいつだって恵まれた場所にいる偽善的な加害者で、リスティスは理不尽に晒された被害者だった。
それだけは、揺るぎない事実だ。
「あの、お姉様、リスティス」
不穏な空気を察したマヤリス王女が宥めようと二人の間に入り、口を開こうとした時、バンッと乱暴に扉が開かれたから、口を噤む。
とりあえずマヤリス王女には目線だけでごめんねと伝え、乱入者の方を向いた。
「この場を制圧して、少しでも満足出来たかしら?」
「するわけないだろうっ‼︎」
ヴィリックに怒鳴られてもソフィアリアは怖くはないけれど、他の女性陣は怯え、プロディージは腰を浮かして警戒心を強くしていたから、いらない挑発をしてしまったようだ。
「学園にもミウムは収監されていないってわかったのでしょう? いい加減諦めなさい」
「黙れ、黙れっ! 今更っ……今更、どうしろってんだよっ‼︎」
マヤリス王女の言葉を聞いて、ヴィリックはミウムはまだ学園内に捕まっているのだと誤解していたのかと今更察する。何故学園を占拠するような真似をしたのかと思っていたが、王城内にいないならここだと思い込んでいたようだ。
けれど、実際にはどこにもいなかったとの報告を受けた。そんなはずはないと調べさせて、やはり既に追放した後だと知った。その報告を聞く為に、こんなにも時間が掛かっていたのだろう。
そう思うのも無理はないが、これでいよいよ収拾がつかなくなったなと渋面を作る。
「で、これからどうしたい訳? 逃げ出せた生徒が外部に助けを求めるのは時間の問題だろうし、そうなればあんた達の命はないよ。応援が駆け付ける前に、さっさと逃げ出せば?」
「逃げられると思っているのかっ⁉︎」
「さあ? あんた達の努力次第じゃないの」
そう突き放されて、その顔が絶望に染まるのを見ていた。
その追い詰められた様子に、なんだかすごく、嫌な予感がする。




