届かなくなった想い 3
※このページには過去に虐待があった事を仄めかすセンシティブな話が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
私兵が状況を報告に来て、彼らは部屋から出て行ってしまった。とはいえ部屋の外で見張っているはずなので、逃げ出す事は不可能だろう。
「申し訳ございません。わたくしが敵を招き寄せたようなものですわね。本当に、何という事を……」
深々と頭を下げ、そう謝罪の言葉を口にする学園長の言葉を、首を横に振って否定する。
「鳥騎族のいなくなる隙を許してしまったのは、わたくし達もです。まさか警備が厳重な学園内でこんな事になるなんて予想も出来なかったのですから、気にしないでください」
「ですが」
「学園長は隙を埋めようと、大勢の警備兵を用意してくださった。その気持ちだけをいただいておきますわ」
話はそれでおしまいだと言うように笑顔で圧を掛け、ようやく縄を解けたソフィアリアは、目を丸くするみんなを安心させるよう微笑むと、今のうちに縄だけでも緩めておく。プロディージも手伝ってくれた。
「何があるかわからないから、縛られたフリをして大人しくしておいてね?」
「ありがとうございます、お姉様」
「どういたしまして。リース様、ヴィリック様の事を教えてくれるかしら? どうして捕まっているはずの彼がここにいるの?」
「はい、実は――――」
そこで初めてヴィリックが減刑され、今日幽閉地へ護送される予定だった事を聞かされた。けれど隙をついて逃げてきたのだろうと予想する。
そして彼は将来騎士団長になる為に邁進していたので、相当強いのだとも聞いた。
「そう、難しい状況ね」
王鳥が護ってくれるはずなので命の心配はしていないが、どうにも明るい未来が見えなくて溜息を吐く。ヴィリックが罪を重ねてまでやりたかった事はなんとなく察するところではあるが、このままでは後味の悪い結末を迎えるだろう。
彼も大鳥が作ってしまった世界の歪みの被害者だと言えるから、出来る事ならどうにかしてやりたいのだが。
「アミーさん、どうかわたくしの肩に寄りかかってちょうだいな」
「ですが……」
と、よく見れば初めて囚われの身になった事で緊張したのか、お腹の子を護らなければと強く意識してしまったのか、アミーの顔色が些か悪い。学園長は真っ先に見抜いてそう言うも、アミーは侯爵夫人でもある学園長に甘える事に抵抗があるようだ。
ソフィアリアもどうにか甘えるよう説得しようとしたら。
「学園長、あなたとアミーのお話をお聞かせ願えますか?」
定位置に戻ったプロディージが突拍子もなくそんな事を言うものだから、学園長は目を見開いている。
「……まさか、フィーギス殿下から何かお聞きしたのでしょうか?」
「僕が勝手に探り当てただけです。フィーギス殿下もフォルティス卿も、口を滑らせていませんよ」
「そう……でしたか」
この緊張を少しでも解きほぐす為か、いい機会とでも思ったのか、プロディージがそう提案するも、学園長は躊躇いがあるらしい。
でもチラチラとアミーを気にしているから、迷っている。そういうふうに見えた。
その隙をプロディージが見逃すはずもなく、遠慮なく畳み掛ける。
「アミーの負担を考えているようですが、別に隠す必要はないと思いますよ。今回の責任をとって辞任する気なら、今が伝えられる人生最後のチャンスでは?」
「えっ、辞任っ⁉︎」
ギョッとするメルローゼと同じく、ソフィアリア達も目を丸くして学園長を見る。
注目を浴びた学園長は、どこか寂しそうに微笑んでいた。それが答えなのだろう。
「……どうしてわかったのかしら?」
「隠し事を探り当てるのが少し得意なだけです。どのみちこれだけ大きな騒ぎが立て続けに起こってしまったのですから、誰かが責任を負わなくてはならない事くらい察するのは容易です。その役割を引き受ける気では?」
「その通りよ。まあそろそろ年だし、いい頃合いではあったのでしょうね。今期をもって領地に戻ろうと思っているの」
「そんな……」
その言葉を聞く限り、本当に責任を引っ提げて辞めてしまう気でいるらしい。吹っ切れた目をしているから、意志は固いようだ。
「申し訳ございません。わたくし達のせいですわ」
その責任を感じ、ギュッと眉根を寄せる。
ソフィアリア達が留学生としてやってきたその日から、騒ぎが起きなかった日はないというくらい、様々な事件が立て続けに起こっていた。
故意ではないのだが、きっかけとなってしまった事は確かだろう。ソフィアリア達がいなくてもいずれ起こっていただろう事件も中にはあったが、ソフィアリア達が来なければ起きなかった事件が多いのも事実だ。
ソフィアリア達がやってきた事が学園長の辞任に繋がってしまったのなら、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。だから、しょんぼりと気落ちしてしまう。
けれど学園長は気にするなと言わんばかりに、優しい表情で首を横に振った。
「謝る事は何もございませんわ。それに、皆様が来てくれたから、最後にこうしてアミーさんとお話出来たんだもの」
「私、ですか?」
「ええ」
先程から学園長との関係を匂わせる発言が繰り返され、心当たりがなく困惑している様子のアミーは、慈愛の表情を浮かべる学園長に、ギュッと両手の指先を握り締められる。
その手はかすかに震えていた。笑みを浮かべてアミーを覗き込む学園長の瞳は、だんだんと涙の幕が張っていく。
「あの、学園長……?」
「驚かないで聞いてね? わたくしはアミーさんの実のお母様とは、乳姉妹だったのよ」
アミーはビクリと肩を震わせる。目をじわじわと大きく見開いて、その表情は恐怖で強張っていた。
――アミーは孤児だが、生まれた時から孤児院で育ってきた訳ではない。男爵家の庶子として五歳頃まで人として扱われずに育ち、家が告発され没落した事がきっかけで、孤児院に引き取られたらしい。だから身内というものに、いい思い出がないのだと聞いた。
「母は、私を産んで、すぐに出て行ったのだとお聞きしました……いらない私を、捨てたのだと…………」
それが心の傷になっているのか、アミーはカタカタと震えていた。そんなアミーを宥めるように学園長はギュッと手を握り締め、首を横に振る。
「アミーさんを取り上げられて捨てられたのは、お母様の方よ」
「……え?」
「順番に話すわね。アミーさんのお母様――アメリアは、わたくしの実家の傍系だった男爵家のご令嬢で、乳姉妹として一緒に育ってきたの」
「母も、貴族だったのですか?」
「ええ。ところが、アメリアの両親が馬車の事故で同時に亡くなってしまってね。一人残されたアメリアをそのままうちで引き取って、侍女としてわたくしに仕えてくれていたの。そうやってずっと、一緒に育ってきたわ。この学園にも、一緒に通ったのよ?」
そう言った声には懐かしさが含まれていて、いい思い出なのだとよくわかる。きっとアミーの母は学園長の付き人として、この学園で一緒に生活もしていたのだろう。
「母が……」
「ふふ、そうなの。無口だけど真面目で素直で、それに、とても頭のいい子だったのよ? 成績では、わたくしでは敵わないくらい」
「アミーはお母様似なのねぇ」
「ええ。色合いはわたくしと同じ子だったけれど、小柄で、猫のような大きな瞳で、猫耳のような癖っ毛がコンプレックで……アミーさんそっくりの可愛い子だったわ」
色合い以外は本当に母似のようだ。学園長と同じ色合いのアミーを想像すれば、なんとなくどんな人か予想が付く。
「あと、ピッコロが誰よりも得意だったわ」
「……もしかして私にピッコロを教えてくださったのは」
「わたくしのわがままよ。アメリアが得意だったから、アミーさんにもどうかと思ったの。楽器初心者に渡すものではないのに、ごめんなさいね」
そう言って申し訳なさそうな顔をしていたが、アミーはゆるゆると首を横に振る。ソフィアリアも何故アミーにピッコロを渡したのか納得のいく理由が知れて、すっきりした気分だ。
「……これからたくさん、練習します」
「っ! ありがとう、アミーさんっ……!」
とうとう堪えきれなくなったのか、学園長は涙を流した。アミーはハンカチを取り出して、優しく拭う。
学園長はお礼を言って、ゆっくりと続きを語り始める。
「わたくしが結婚してからも侍女としてそのまま付いてきてくれて、新婚旅行にビドゥア聖島に行った時も付いてきてくれたの。――連れて行かなければよかったと、ずっと後悔しているわ」
微笑ましい気持ちが一転、掠れる声に気持ちが表れているようで、ギュッと心が痛む。聞きたくないと思ってしまっても、起きた悲劇は今更変わらないのだから、知る必要はあるだろう。
「島都のホテルに滞在中、アミーのお父様にあたるビドゥア聖島の男爵に見初められ、攫われるように連れて行かれてしまったのよ。何度も連れ戻そうとしたし、王家に抗議までしたけれど、他国の侯爵家だからって相手にもされなかった」
そう言ってふるふると震えているのは、怒りか悲しみか。アミーの生まれる少し前あたりだとフィーギス殿下が産まれる前後。国が荒れる寸前くらいだろうか――いや。
「ビドゥア聖島が排他的だからでしょうね。元が虐げられた移民の集まりのせいか、外の人間を厭う傾向にありました。今はだいぶ緩和しましたが、その頃はまだ、そこまで受け入れる体制になかった」
プロディージの言った通り、元からそういう傾向にあって、血統を重視する国なのだ。観光客を呼び込む癖に、定住する事は良しとしない。ましてや他国の貴族なんて、話も聞かなかっただろう。そこに国が不安定な状況も相俟って、そういう悲劇が起こってしまった。
ソフィアリアが産まれる前の話だし、差別なんて個人ではどうする事も出来ないが、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「……結局助けられないまま国に帰るしかなくて、何年も連絡すらつかなかったわ。生きているのかどうかすらわからなくて、心配で堪らなかった。そんなある日、たった一人で帰ってきたの」
悲痛な声でそう言っていたから、いい状況ではなかったのだろう。先程聞いた情報と合わせれば、嫌でも想像が付く。
「男爵は結婚していて、愛人として囲われていたんですって。男爵に粗雑に扱われ、夫人に辛くあたられ続けて……子供を産んだのに、そのまますぐに追い出されたんだって、ボロボロになって、帰ってきたのよっ……!」
涙声と共に、悔しそうな嗚咽が部屋に響く。側にいたリスティスが背中を撫で、母の真実に呆然としたままのアミーも、ゆるゆると肩を撫で、慰めていた。
「男爵は憎かったけれど、お腹の中ですくすくと育っていく子はね、不思議と愛おしかったんですって。なのに取り上げられて、引き離されて……帰ってきたアメリアは、そのまま心も身体も、病に犯されてしまったの……」
大切な子供を無理矢理取り上げられた母親の末路は、想像が付く。ソフィアリアとプロディージの母がそうだったから。産まれたばかりのソフィアリアを祖父に取り上げられた母は、最近まで精神的に不安定な人で、見ていて辛い事も何度もあった。きっかけがソフィアリアだったから、尚更だ。
同じ事を思ったらしいプロディージも顔を伏せて、メルローゼに慰められていた。ソフィアリアの事は、マヤリス王女が背中を撫でてくれた。
「産後すぐに放り出された無理が祟ったのね。回復しないまま三年だけ生きたけど、結局亡くなってしまったわ。最後までアミーさんを探して……アメリアはあなたの名前すら、知らないままだったわ」
「この名前はロム……夫がつけてくれたんです。孤児院に引き取られるまで私には名前もなくて……喋る事も出来ない、誰にも好かれていない、人間未満の愛玩動物で……」
「そんな事言わないで。……今更言っても重荷にしかならないでしょうけれど、アメリアはずっと、名前もわからないあなたを愛していたわ」
「……お母さん」
くしゃりと表情を崩したアミーは、そのまま学園長に泣きついていた。学園長はそんなアミーを嬉しそうに抱き締め、まるで母のような表情で頭を撫でている。きっとアミーの母、アメリアの代わりに。




