届かなくなった想い 1
オーリムとレイザール殿下の試合はまだ続いていた。
そろそろ本日最長記録ではないだろうか。お互い疲弊しているのか肩で息をして、滝のような汗が滴っている。
その様子を見て、いっそオーリムが負けて帰ってきてくれないかと思ってしまい、持ってきていたものに手を伸ばす。膝に置き、優しくひと撫でした。
これは大屋敷に初めて行商が来た時に買った、ラズ本来の瞳を彷彿とさせる明るいオレンジ色のタオルだ。手触りがふわふわで、隅にはORSという王鳥、ラズ、ソフィアリアのイニシャルと共に夜空色の猫とミルクティー色の垂れ耳うさぎ、そして王鳥が寄り添っている刺繍が入れられている。
この刺繍はソフィアリアがちまちま刺していて、完成したのがちょうど昨日だったのだ。今日の剣術大会を労う為に、終わったら渡そうと思っていた。今のオーリムからの反応は期待出来ず、やめた方がいいのはわかっていたが、それでも諦めきれなかったソフィアリアは、本当にどうしようもない。
――だから、はやく負けてしまえばいい。リスティスを巡るような戦いなんて。負けて、諦めて、ソフィアリアのもとに帰ってくればいいのに。
「昨日の事は全てお聞きしました。アミーさん、我が校の生徒が多大なご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。そして寛大な処置に感謝いたします」
そう黄昏ていたら、試合の勝敗はまだつかないと見たのか、アミーの隣に座る学園長が、穏やかさと痛ましさを孕んだ声音で謝罪の言葉を口にした。
大鳥に関わる事だと思ったソフィアリアは、埒があかない試合よりも、そちらに意識を向ける事にする。
座ったまま姿勢よく頭を下げた学園長に、アミーはオロオロしていた。でもなんとか表情を取り繕うと、緩く首を横に振る。
「頭をお上げください。私の方こそ、ただの悪戯に引っ掛かっただけで大騒ぎを起こしてしまい、申し訳ございませんでした。キャル……大鳥様が出てこなければ、あれほど事態が大きくならずに済んだのですが……」
「アミーさんが謝る事は何もございません。本人にとってはただの悪戯のつもりでも、他国からの貴賓ですもの。安易な気持ちで悪戯を仕掛けていい相手ではありませんでした。わたくしの指導不足ですわ」
「……でしたら、謝罪を受け入れます。終わった話ですから、これ以上はもうやめにしませんか? せっかくですから、もっと楽しい事をお話したいです」
「あなたは本当に……」
そう言って学園長は感極まったように目元を潤ませ、どこか懐かしいと言わんばかりの目でアミーを見ていたから、あら?と思った。
数日前の朝にフィーギス殿下達と話して、何か知っているらしいプロディージを見ると、プロディージはそんな様子をぼんやり見ているだけ。ソフィアリアからの視線に気付いているだろうに、教えてくれる気はないらしい。
ソフィアリアはう〜んと考え、アミーと学園長を細かく照らし合わせてみた。けれど、どこか似ていたり、ピンとくるところはない。ただ、二人は知り合い……いや、学園長がアミーを一方的に知っていたのではないだろうか。
ビドゥア聖島の孤児で大屋敷のメイドだったアミーと、コンバラリヤ王国の侯爵夫人で学園長でもある二人の接点は何か。可能性があるとすれば――……。
「お腹に、お子様がいるそうね」
思考の海を漂い始めていたソフィアリアは、話題が変わった事で現実に戻ってくる。どうやらその事も聞いていたらしい。
アミーは頬を染め、はにかみながら小さく頷く。
「は、はい」
その幸せそうな表情を見た学園長は目元を和ませて、優しく微笑んでいた。
「おめでとう。体調に問題はないかしら?」
「今のところは大丈夫みたいです」
「よかったわ。明日までだけれど、何かあったら遠慮なく頼ってくださいませね」
「ありがとうございます」
「……そう。アミーさんも、もうお母さんになるのね。幸せな結婚をして、こんなにも、大きくなってっ……」
そう言ってポロポロと涙を流すから、アミーは困惑していた。オロオロして、とりあえずハンカチを差し出し、肩に手を添え宥めようとしている。
この様子を見ると、アミーを知っていたのは確定だろう。それも最近ではなく、随分と昔からではないだろうか。
いくつか考えた仮説のうちのどれだとしても、アミーも知っておいた方がいいのではないかと思い、口を開こうとしたら。
突然バンッと扉が乱暴に開いて、ガチャガチャと武装した足音が鳴り響いたから、身を硬くして警戒心を強く持つ。
「全員大人しくしろっ‼︎」
「きゃあああっ‼︎」
突然の怒声に驚き、悲鳴を上げた女性陣を護るように、ソフィアリアが咄嗟に立ち上がった……のを、この部屋にいた唯一の男性であるプロディージが庇ってくれた。
つい反射的に動いてしまったが、王鳥妃であるソフィアリアが盾になるのはまずいと、そう判断してくれたのだろう。ソフィアリアなんかよりも、よく出来た弟だ。
「何、なんのつもり?」
眼光を鋭くしたプロディージが低い声でそう問いかけ、試合で使っていた剣を抜く。武術はからっきしだろうに、それを感じさせないように上手く牽制していた。
「武器を捨て、全員手を挙げろ! さもなくば弱いと判断した者から斬り捨てるっ!」
そう言われては抵抗は難しいと判断したのか、プロディージは渋々と剣を投げ捨て、手を挙げる。ソフィアリアは女性陣にも従うよう目配せし、同じように小さく手を上げた。
「ふんっ、最初からそうしていればいいんだ」
横暴な態度で部屋に押しかけてきたのは、警備兵達だった。廊下に倒れている警備兵達はソフィアリア達がここにくる前から立っていた人だったから、学園長が追加で連れてきた人達なのかもしれない。
「なっ、何事ですか!」
学園長もそれを察したのだろう。震えるアミーを背中に庇うように立ち、顔を青くしながらもそれを尋ねようとする。
だが警備兵は嘲るようにふっと鼻で笑うだけで、相手にする気はないらしい。
「おまえ達は人質になってもらうぞ」
「僕達を人質にしようなんて、自殺願望でもある訳?」
「どのみちもうすぐ終わる命だ。だからなんだってやってみせるさ」
そう言って警備兵を掻き分けるようにして現れた人物に、目を丸くする。
「あなたは――」
レイザール殿下と同じアッシュグレーの髪は艶をなくし、アメジストの瞳は仄暗く澱んでいる。顔はレイザール殿下よりも少しだけ幼いけれど、数日前に見た時よりも随分とやつれきっていた。
「……何故ここにいるの、ヴィリック」
すっと蔑んだ声音でマヤリス王女が言い放った通り、姿を現したのはヴィリック・サーティス・コンバラリヤ元第二王子殿下。ソフィアリア達の歓迎パーティで婚約破棄騒動を引き起こし、今は牢屋に幽閉されているはずの人物だった。
*
武器になりそうなものは全て取り上げられ、このスペースにいた全員が部屋の隅に固められる。後ろ手にキツく縛られ、解くのに少々時間がかかりそうだと溜息を吐いた。
チラリと見た客席も警備兵――に扮したヴィリックの私兵に制圧され、大変な騒ぎになっている。会場で戦っていたはずのオーリムとレイザール殿下の姿は、いつの間にか見当たらない。もしかしたら、ここに向かってくれているのかもしれないなと思った。
「で、要求は何かしら?」
爪を噛んでイライラしていたヴィリックにそう問いかける。大それた事をしでかした緊張なのか、ウロウロと部屋を動き回っていて落ち着きがない。
声を掛けられたヴィリックはキッとソフィアリアを睨み、喚いた。
「ミウムの身柄をこちらに引き渡せっ‼︎」
また厄介な要求をし始めたものだと、つい渋面を作る。
「彼女は国外追放処分をしたから、もうこの国にはいないわ。それくらい聞いたでしょう?」
マヤリス王女が静かにそれを伝えると、納得出来ないのか、鬼の形相で睨み付けていた。
「だったら探し出して、オレの元に連れて来いっ‼︎」
「行方不明だから無理よ」
そう断言されると、またイライラした様子で髪を掻きむしる。その尋常じゃない様子は少し心配だ。王城にいた私兵を警備兵に紛れ込ませてこんな事をしでかしているので、尋常じゃないのは今更だが。
それにしても、何故幽閉されているはずのヴィリックがここにいるのかは不明だが、よほどミウムに執着しているらしい。
「……そんなにあの女が好きだった訳?」
「違うっ‼︎」
プロディージもそう思ったのか、無礼も気にせずそれを問い掛けると、カッと目を見開いて食い気味に反論してくる。
「誰があんな……あんなっ……!」
呻くようにそうつぶやいた目は血走っていた。その瞳に宿る感情は激しい怒りと憎悪……そして、どこか泣きそうなのは後悔だろうか。
――なんだかとても嫌な予感がすると、そっと身構えた。
「だったらなんでミウムを探してるのよ?」
堂々と脱出出来ないかと身体をモゾモゾさせているメルローゼが、そう言ってヴィリックをキッと睨む。
「不敬だぞ⁉︎」
「はあっ⁉︎ 元王族でしかないヴィリック様よりも、子爵令嬢である私の方が立場は上よっ! しかもただの平民じゃなくて犯罪者じゃないっ‼︎」
「きっ、貴様っ……⁉︎」
「ローゼ、正論だけど、こんな時にやめて」
何故かヴィリックの私兵の一人と口喧嘩を始めたメルローゼにプロディージは溜息を吐きながら、軽くその身を引き寄せる。縛られているフリをしているが、あちらはもう縄抜けが終わったらしい。ソフィアリアも急がねば。




