愛と勝利を捧げる剣術大会 4
また何度か宣言はあったものの、ラトゥスとマーニュは順調に勝ち進んでいった。
もうすぐで三回戦も終わるという頃、会場に現れた次の対戦者に目を丸くする。
「おいおい、リムとレイザール殿下はここで当たんのかよ」
プロムスの言った通り、次の対戦者はオーリムとレイザール殿下のようだ。
「はは、いずれ当たるとは思っていたけれど、思っていたより早かったね?」
「そうですね。少し配置ミスな気がします」
そう言ったマヤリス王女にチラリとこちらを見られたから、困ったように笑い返しておいた。この二人が戦うとなると少し引っ掛かりを感じる胸の内を察して、心配してくれたようだ。
気を取り直して、会場に視線を向ける。双方向かい合って剣を構えると、観客席からわっと歓声があがった。
お互いに宿る敵対心が、ここからでもひしひしと感じ取れる。その光景を見たソフィアリアは、両者の心にいる相手を察して、チリチリとした嫌な感情を抱いてしまった。
「レイ義兄さま〜〜‼︎」
ソフィアリアが複雑な感情を持て余していると、観客席の方から聞き覚えのある黄色い声援が聞こえてきた。
気を紛らわせるようにそちらを見ると、キラキラした表情のルルスが居た。最前列で手をブンブンと大きく振り、レイザール殿下に期待の眼差しを投げかけている。
リスティスが先程言っていた通り、ルルスも学園に戻ってきていたらしい。ここに突撃してこなかったのは、警備の人間に止められたからだろうか。
リスティスもルルスを見つけ、すっと目から光が消える。そんな様子を、ソフィアリアはじっと見ていた。
会場に視線を戻すと、ルルスに名前を呼ばれたレイザール殿下は渋面を作り、心底嫌そうな表情をしていた。迷惑に思っているのは明白なのに、何故リスティスはいつまでも誤解し続けているのか――夢での逢瀬を正当化したいのではないか、なんて意地の悪い見方をしてしまう。
ふと、レイザール殿下はこちらを――正しくはリスティスの方を見て、キュッと口元を引き結んで剣を掲げる。
何か意を決したのかのような表情とポーズに自然と歓声が止み、注目が集まっていた。
「私は誓おう。これから共に歩む君への誠実なる愛と、これからの安寧を護る事を。この勝利をもって、必ずや成し遂げてみせると!」
王族らしい威厳を含んだ通る声での宣誓を終えると、剣を振り下ろし、まっすぐオーリムへと剣先を向ける。その瞳には絶対に負けないという強い意志が宿っているようで、激しい闘志が垣間見えた。
王太子の熱い言葉を聞き、静まり返っていた観客席からわっと今日一番の歓声があがる。挑発を受けたオーリムは宣誓こそしなかったものの、レイザール殿下に向ける視線をより鋭くしていた。高らかに何か言う事はなく歓声に紛れてしまったが、口が動いているので、レイザール殿下に直接何かを言っているらしい。
目を凝らして唇を読み、この時初めて、その技術を身に付けた事を心底後悔した。
『リスティはおまえなんかに相応しくない』
間違いなくそう、言っていたのだから。
首を振り、見なかったフリをする。両頬を手で包んで、幸せそうな笑顔を浮かべた。
「まあ、素敵! リム様も堂々とわたくしへの愛を叫んでくれてもいいのに!」
「……そうですね」
今までで一番沈んだような声音で返事が返ってきて、ついそちらに視線を向ける。
リスティスから、あらゆる感情がごっそりと抜け落ちてしまっていた。あれほどレイザール殿下からの熱烈な想いをぶつけられたのに何故……いや。
「ルルスと歩むと決めたレイザール殿下のように、愛を誓ってくださればよかったのですが」
そう言って見つめた先には、はしゃいでいるルルスが友人らしき人達に祝われている姿があった。
どうやらリスティス――ついでにルルスも――は、レイザール殿下の誓いの相手をルルスと誤解したようだ。素直に聞けばこれから共に歩む相手はリスティスであり、生まれ以外は恵まれているルルスに安寧を護ると誓う理由がないと思うのだが、どういう訳かルルスと共に歩むという宣言に聞こえたらしい。
こうなってくると照れだかなんだか知らないが、肝心の相手の名前をぼかして言ったレイザール殿下にガックリと肩を落とす。せめてここでリスティスの名前をしっかりと読み上げてくれていれば、こうしてリスティスが誤解する事もなく、これからの話し合いだって円滑に進めただろうに。
気を取り直して、首を横に振った。今ここでレイザール殿下への恨みつらみなんて思っていても仕方ない。
「リム様は照れ屋さんだから仕方ないわね。口下手だけれど、毎日のように目で、表情で、わたくしへの恋心を示してくれるから、ロマンチックな掛け合いは諦める事にするわ」
「……そう、ですか」
「今日は勇気を振り絞ったけれど、レイザール殿下もそうではなくって? あの御方もリム様と同じくらい言葉が足りなくて、でも行動も表情もとても誠実で、素直に見えるの。そんなレイザール殿下がリスティス様に何も言わないままルルス様との未来を誓うなんて、不誠実な行動に出るかしら?」
「ソフィアリア様?」
少し不自然だっただろうか? 昨日はレイザール殿下はルルスが好きだという話に同意したくせに、今日になって意見を覆すだなんて。
目を丸くするリスティスにふっと笑いかけた時に、試合開始の合図が鳴ったから、ソフィアリアは会場の方に視線を向けた。リスティスもそれに倣う。
剣技に関しては素人だが、オーリムはレイザール殿下の剣を紙一重で躱せているし、レイザール殿下はオーリムのスピードになんとかついていけている。オーリムが代行人としての力を抑えられているというのもあるが、両者の技量は拮抗しているように見えた。
剣を交わらせ、お互い弾き飛ばす。レイザール殿下がオーリムの隙を突いて剣を払うも、オーリムはその技を避けながら一撃を入れようと振り下ろす。レイザール殿下はそれをさらりと避けて、また激しい攻防が始まった。
これだけ見応えのある勝負だ。観客席は今日一番の盛り上がりを見せ、闘技場全体が熱気に包まれていた。
「レイザール殿下、本当にお強いのねぇ」
そこまで剣術大会に興味がなくついていけないのか、気のない口調でしみじみとメルローゼが言えば、プロディージははっと鼻で笑う。
「リムがへなちょこ過ぎるんじゃなんじゃないの?」
「最初の一撃で勝敗が決まりそうな坊ちゃんがへなちょこって言ってもねぇ」
「……一回くらいなら、意地でも耐えてやるから」
なんて、プロディージとプロムスが言い争っていたのを耳で聞いていた。
「……ソフィアリア様は」
「うん?」
「自分が間違いなく代行人様に愛されていると、自信がおありなのですか?」
そう問うた声音は、ソフィアリアに対する猜疑心が混ざっていた。どうやら不自然な問いかけはリスティスの心に波紋を広げてしまったらしい。
チラリと横目でリスティスを見ると、リスティスは二人の試合を見ていたので、ソフィアリアも視線を戻す。ふわりと笑みを浮かべ、当然だとわかるように大きく頷いた。
「ええ、もちろん。リム様はずっとわたくしが好きだわ」
「何故そう言い切れるのです?」
「あら、簡単な話じゃない。わたくしは王様とリム様の事を誰よりも信頼していて、そんなリム様が言葉と態度でわたくしの事を愛していると教えてくれるから、わたくしはそれを信じているの」
「信頼だけですか?」
「充分じゃない」
「……ではもし言葉と態度とは裏腹に、本当の心が別の方に向いているとしても、まだ信じていられますか?」
随分と突拍子もなくおかしな事を聞いてくるが、それこそが今の状況だと思わず苦笑する。何も知らないくせに、痛いところをついてくるものだ。
どうにか八つ当たりしてやりたくなったけれど、一瞬で取り繕って余裕の笑みを浮かべると、リスティスのせいだと責めたくなる気持ちに蓋をし、言った。
「わたくしね、可愛げがないの」
「え?」
「これでも察しがいい方で、人から向けられる気持ちに鈍感になれるほど、可愛くいられないのよ。最近までたった一人だけ誤解していたかった人が居たけれど、そうやって特別扱いするのはもうやめたわ」
そう言ってチラリとプロディージを見ると、プロディージにジトリと睨まれる。そんなプロディージに笑いかけると、また視線を元に戻した。
「そんなわたくしが、王様とリム様の気持ちだけは絶対に間違うはずがないわ。誰よりも見つめて、誰よりも気にかけているんだもの」
「だからありえないと、そうおっしゃるのですか?」
「もちろん」
「……自分に自信がおありなのですね」
そうポツリと呟いた言葉にどこか棘が含まれているのは、察しがいいと言い切ったソフィアリアが何かを察するのを厭うて遠ざけようとしているのか、リスティスの自分への自信のなさからくる妬みか。
その棘には気付かないフリをして、笑顔で答えた。
「だってわたくしを形作るものは、周りから与えられたものばかりだもの。与えられたものだからこそ、最大限の成果を出して、それがいかに素晴らしいものかをみんなに自慢したいわ」
「周りから、与えられたもの……」
「容姿や知識、愛情だってそうね。与えられたものなのだから目を背けたり、卑下にするような真似は出来ないでしょう? 正しく受け止めて、正しく返すわ。それが自分に自信があるように見えているのなら、そうかもしれないわね」
その実受動的で、自分がどうしたいのかという意思は誰よりも希薄なのかもしれないが、とは言わないでおいた。リスティスにそんな弱味を晒す必要はないだろう。
ソフィアリアの言葉を聞いて己を振り返り、素直に物事を見てみようと考えを改めてくれないだろうか――なんて、ソフィアリアだけに都合の良過ぎる願いだけれど。
「ソフィアリア様はそう思えるほど、周りの方に愛されておられるのですね」
そう言った声は冷たくて、案の定余計な煽りとして受け取られてしまったらしいと苦笑する。たしかに周りから蔑ろにされ生きてきたリスティスにとっては、自慢に聞こえたのかもしれない。
「……ええ、愛情だけは、たくさん注いでもらったわ」
セイドをソフィアリア一人の為に荒廃させ、王鳥妃という新たな地位を誕生させてビドゥア聖島を震撼させるくらい、過剰な愛情を受けてきたのは間違いない。それを望んでいたとは言わないけれど、愛されていないなんて、口が裂けても言えないだろう。
「なら――」
リスティスが何か言葉を紡ごうとしたところで、コンコンコンと扉を叩く音が響いたので、口を噤んでいた。結局ろくに説得も出来ないまま、話し合いは終わってしまったようだ。何も言えないまま感情的になって、無意識に嫌味だけを言っていた自分に幻滅する。
ソフィアリアが自己嫌悪している間にフィーギス殿下が許可を出したので、警戒の為にプロムスが扉を開けると。
「観覧中失礼いたします。フィーギス殿下、そろそろ対戦の準備の為に、控え室にお越しください」
そう言いに来てくれたのは学園長だった。後ろに引き連れているたくさんの警備兵は、オーリム不在のままここを離れるプロムスの代わりに、ここを護っているとアピールする為に連れてきたのだろうか。昨日大鳥が出現したと噂が出回っているだろうから、襲ってくる命知らずはいないと思いたいが、念には念を入れてくれたらしい。
「ああ、もうそんな時間なのだね。なら、向かわせてもらうよ。レイザール殿とリムの試合の結末を見届けられないのは残念だけど」
「配慮に欠け、申し訳ございません」
「こればかりは仕方ないから、気にしないでくれたまえ」
そう言ってフィーギス殿下は笑顔で立ち上がると、隣に座っていたマヤリス王女の正面に立ち、両手を掬い取っていた。
「リムとの激戦で疲弊したレイザール殿に勝ってくるよ」
そう悪戯っぽく片目を瞑ったフィーギス殿下を見て、マヤリス王女はふんわりと笑うと、同じく立ち上がる。
「ふふ、万全の状態でもギース様ならきっと勝てました。この場からご武運をお祈りさせていただきます」
そう言って手を伸ばすと顔を引き寄せて、フィーギス殿下の額に口付けを贈っていた。絶世の美男美女のその光景はどこか神秘的で、実に眼福である。
微かにニヤけ顔になったフィーギス殿下も同じように口付けを返すと、いい笑顔でソフィアリア達にも視線を向けた。プルプルと眉根を寄せて堪えているメルローゼに一瞬勝ち誇った顔をしていたのは、見間違いではないだろう。
「では、行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ、フィー殿下。お怪我だけはなさらないでくださいませ」
「出来るだけ気を付けるよ。これ以上帰った時の言い訳を考えるのは御免だからね」
それだけ言うとフィーギス殿下はプロムスを引き連れて、ここから出て行った。そんな後ろ姿を、手を振って見送る。
「わたくしもご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
警備兵に室外での警護を命じた学園長がこの場に残ったので、笑みを浮かべて頷く。チラリとアミーに視線を向けたから、きっと昨日の謝罪でもしたいのだろう。
「ええ、構いませんわ。アミーの隣でよろしいでしょうか?」
「ありがとうございます。お邪魔しますわね、アミーさん」
「は、はい……」
なんとなくアミーもそれを察したのか、どこか恐縮していた。




