幸福な未来 4
このページには、やや背後注意な描写があります。
「……俺が、フィアの家族になりたいんだ」
「ラズくん?」
「結婚して、王と三人で家族になって、そのうち、子供が出来たりして……」
肩口に顔を寄せ、ますます腕に力がこもっていくのを静かに受け止めていた。そうやってソフィアリアの顔も上手く隠してくれるから、悲惨な顔をしている事も気付かれずにすんでよかったと、心から安堵した。
震えた声でそんな事を言われたら、今夜はどんな夢を見たかなんて想像が付く。泣き腫らした悲痛な表情も、その後押しをしていた。
――家族に憧れを持つオーリムが、ソフィアリア以外の女性と家庭を築き、子供までいる夢なのだろう、というくらい。
嫌だなと思った。今すぐには上書き出来ない事なのに。まだソフィアリアとだってしていない事だったのに。夢の事とはいえ、別の女性に先に越されたのだ。心中穏やかではいられない。
「……ええ、そうね。冬が終わって、年明けが過ぎ去って、春が来ればもうすぐそこだわ。毎日幸せを感じられる日が来るなんて、とても楽しみね」
そういう仄暗い気持ちを心の奥底に押し込めて、殊更優しい声音でそう言うと、顔に触れるオーリムの栗色の髪を頬擦りする。いつもの夜空色も神秘的で綺麗だけど、ほっくりと甘そうなこの色だって、大好きだ。
「フィア、どこにも行くな……夫になるのは俺と王だけで……子供は俺の子だけ、産んでくれ」
「ふふ、もちろんよ。わたくしの身も心も、王様とラズくんにしかあげないわ」
「フィア似の子供は、俺の子だ……」
縋り付くような言葉に、どんな夢を見たのかと苦笑する。もしかしたらオーリムだけではなく、ソフィアリアも別の男性と家庭を築いていた夢だったのかもしれない。
でも、そんな夢を見て、ここまで悲痛な顔をしてくれた事は、素直に嬉しかった。まだソフィアリアを好きだと思う気持ちは忘れていないという事なのだから。
――まだ、なんて心配をしなければいけない現状は、心苦しいけれど。大丈夫。きっと今日か明日には解決する事だ。そう自分に言い聞かせた。
「わたくし似の娘でも、ラズくん似の娘でも、もちろん息子だって。わたくしが産めるのは、ラズくんとの子供だけよ」
「……そっか」
「ええ、そうよ」
そう断言すると少し肩の力が抜けたのか顔を肩から離したから、顔を覗き込む。
そんな幸せな未来の話をしていたのに、オーリムの表情には何もない。照れも、喜びも、何もかも。
カッと血が頭にのぼる。いつもならわかりやすく表情に出ていたのにと思うと、激情を抑えきれなかった。荒ぶった気持ちのまま首筋に腕を回すと、強引に唇を奪う。
ソフィアリアは目を開けていて、オーリムも驚いて目を丸くしていたけど、それだけだ。いつも瞳に宿っていた熱も、近付いただけで赤くなる顔も、何もかも奪われてしまった。
足りないと飢餓感に苛まれたソフィアリアはそのままオーリムの肩を押して上に乗り上げ、気付けばオーリム押し倒すような体勢になっていた。
きょとんとした顔に、ふっと熱をぶつけてやりたくなる。なんだか八つ当たりじみているけれど、今夜はもう、止まらない。止めてなんかあげられない。
「……ねえ、ラズくん。そんなに子供が欲しいなら、早めに作ってしまいましょうか?」
「……え?」
「少しくらい誤魔化せるわ。だったらもう、我慢しなくていいじゃない」
何もわかっていない子供のような表情に、ふっと目を細めて、緩く開いていたオーリムの唇を指でなぞり、微笑む。
絡まった視線に熱が宿っているのはソフィアリアだけ。それがとても悔しかった。
「フィ――……」
「これ以上他の人に、ラズくんの初めてを、奪われたくないの」
くしゃりと表情を歪ませ、つい本音が出てしまった。こんな酷い顔を見られたくなくて、今度はソフィアリアがオーリムの肩口に顔を寄せる。
どんな夢を見たのかは大雑把にしかわからないけれど、それでも心はだいぶ堪え、悲鳴をあげていた。ソフィアリアが結婚して、オーリムの子供を産んであげるはずだったのに、先を越された事がこんなにも苦しい。
家族に憧れるオーリムがソフィアリアと結婚する日を楽しみにしていてくれて、もうすぐ本当に家族になれると笑い合っていたはずなのに。
悔しかった。許せなかった――その気持ちを、抑えきれない。
「ねえ、ラズくん? リスティス様の事を、もう抱いてしまった?」
「……まだ」
「……そう」
まだ、という返事に、チリチリと胸を焦がす。その言葉は本当だろうが、だったらいつかと考えているのかと、勝手に嫉妬の炎を燃え上がらせる。
顔を上げて、ふっと熱っぽく、どこか妖艶さを孕んだ危険な瞳で、組み敷いたオーリムに微笑みかけた。
「だったら、わたくしに先にくださ――」
ぐいっと手を引かれ、目を白黒させているうちに、視界が反転していた。
今ソフィアリアの前に広がる光景は、微かに見える綺麗な夜空と、視界いっぱいのオーリムの姿。その目には相変わらず何の感情も映っていないけれど、ソフィアリアは間違いなく、オーリムに押し倒されていた。
オーリムの姿を借りた王鳥にこうされた事は何度もあるが、オーリムには初めてだ。自分から誘ったくせに、だんだんと顔を赤くし、息苦しいくらい心臓が早鐘を打つ。
くらくらするのに、オーリムから視線を外す事は出来ない。しようとも思わない。だって――
「……俺も、フィアが欲しい」
「っ! ……ええ、あげるわ。わたくしの旦那様」
「フィアだけしか、いらないんだ」
そう言ってオーリムから降ってきたキスは、いつもよりもずっと強引で、噛み付くようなキスだった。
やわやわと唇を食まれる感触にドキドキしながら返し、お互い夢中で貪り合う。
ぬるりと唇に這った今までにない感触にピクリと身体を固くして、けれどおずおずと唇を開くと、迷っているように唇をしばらく舐められていたが、やがて口内に侵入してきて、お互いの舌が、初めて触れ合った。
心臓がどうにかなりそうだと意識すら朦朧とさせながら、口内を熱い舌が蹂躙していくのを、静かに受け入れる。ちょっとだけソフィアリアも頑張って……結局、オーリムにされるがままだったけれど。
初めての深いキスが終わったのは、随分と経ってから。唇が離れると、お互いの舌を名残惜しそうに銀の糸が繋いで、やがてふつりと消えてなくなった。
息を整え、とろとろになったソフィアリアとは違い、オーリムはいつも通りだ。いつもならソフィアリア以上に意識してくれていて、心地よい余韻を共有しているはずなのに。
オーリムは泣きそうな顔で笑いながら、そっとソフィアリアの髪を撫でる。
「……初めてがこんな俺で、すまない」
ソフィアリアはぼんやりしたまま、オーリムに手を伸ばし、そっと頰を撫でながら、優しく微笑んだ。
「ううん、嬉しい」
その言葉を合図にもう一度、今度は先程よりも深く、お互いの影が重なった。




