幸福な未来 1
「今日は久々に三人で寝るぞー」
何も考えたくなくて、無心で仕事を片付けている最中にプロムスから突然そんな事を宣言され、気がつけばリアポニア自治区に行った際に使用した山小屋に居た。抵抗もなくここに来たのは、バルコニーでニンマリ笑っていた王鳥に身体を操られたせいだ。
オーリムは三台くっ付けられたベッドの左側で、二人に背を向けて腰掛けていた。この状況を拒絶するように腕を組み、ぶすっと仏頂面をしている。
「もうこっち見てもいいぞー」
「帰る」
「リム、もう夜も遅いわ。外は暗いから出歩いてはダメ」
「俺は子供かっ⁉︎」
そう言って目尻を吊り上げて振り返ると、片肘をつきながら寝転んでこちらを見ているニヤけ顔のプロムスと、その後ろには上掛けにくるまって顔だけ出しているアミーがいた。
ちなみにアミーの後ろにはオーリムに睨みを効かせているキャルもいるし、オーリムの側にはこの状況を楽しんでいるかのように目を三日月型に細めている王鳥もいる。本当に、なんだこの状況はと頭を抱えずにはいられない。
「まあまあ。せっかく家族が増えたってわかったんだし、今日くらいは親子水入らずでもいいだろ」
「俺は二人の息子じゃない!」
「わーってるわ、んな事。親のような兄貴分と子分、略せば親子って言うだろ?」
「……そうなのか?」
「おうよ」
「リム……」
そうだったのかと新しい知識を頭に入れて納得すれば、アミーからは残念な子を見る目で見つめられ、王鳥にツンツンと頭を突かれた。地味に痛いので押し除けたが。
だったらもういいかと諦めて、極力アミーの方を見ないように、仰向けで寝転がる。今は魔法が使えない為、護身用のナイフを枕元に置くのも忘れない。
王鳥が魔法の灯りを消したのか、カーテンの開いた窓から入ってくる月明かりだけが、この部屋を青白く照らしていた。
「懐かしいなー。こうやって寝るのっていつ以来だ?」
「ロムが身長伸び始めてベッドが狭くなってきた頃だったから、ロムが十二歳頃だった記憶があるが」
「六、七年くらい前か」
そのくらいだったかもなと頷けば、プロムスが何か考え込んでいた様子だったが、結局まとまらなかったのか、言葉を発する事はなかった。
「あの時のリムは十一歳を自称していたけれど、本当は九歳だったのよね。今となっては納得だわ」
「どういう意味だ」
「私も小さかった方なのに、そんな私より小さかったじゃない」
「な? 食ってたし鍛えてたのに、アミーよりチビで不思議だったんだよなー」
「悪かったな」
そういえばそんな時期もあったなと懐かしい気持ちが湧く。気が付けばアミーの身長を追い越し、随分と見下ろさなくてはならなくなった。こうなってようやく、アミーが小柄だという評価に納得したものだ。
「そんなリムが兄貴になるんだ。楽しみだな」
「義弟も義妹も、もういるけどな」
「そっちは義理だろ? こっちは実の弟妹だぞ」
まあそうだなと納得しかけ、何かおかしいような気がしたが、深く考えるのをやめた。二人がそれでいいと言ってるなら、それでいいだろう。
「リムは弟と妹、どっちが嬉しい?」
アミーに問われ、ほんの少し考える。自分の子供ならどちらかといえば娘が欲しい気がするが、兄弟だとどちらが嬉しいだろうか。
「……女なら、ロムがうるさそうだな。特にアミー似だと」
「男親なんてそんなもんだろ。まっ、どんな子でも間違いなく可愛がるけどよ」
「ピエ!」
「ああ、うん。キャルも、多分離そうとしないんだろうな……」
当たり前のようにキャルにも返事をされ、思わず遠い目をする。甲斐甲斐しく世話を焼き、空を飛ばないまでも背中から離そうとしない光景が目に浮かぶようだ。
まあ、子育ての負担が軽くなるなら、それも悪い話ではない。そうやって三人――将来的にもっと増えるかもしれないが――力を合わせてやっていけるなら、幸せな事だ。もちろんオーリムだって兄なのだから、未来の弟妹の面倒は見る所存である。
「男なら、ロムみたいにモテるのか?」
「アミー似の可愛い息子だといいな。それでもモテる事間違いなしだが、オレほど悲惨な事にはならねーだろ」
「そんなに嫌だったの?」
「アミーだけはわかってくれよぉ」
そう言ってアミーに抱き付いてじゃれ始めたので、そちらを見ないようにしながら、本気で帰ってやろうかと眉根を寄せる。本当にこの場にオーリムは必要だったのだろうか。
「弟なら、武術でも教えてやれるかな」
なんとなくそんな想像をすれば、案外楽しいのではないかと思い、つい頰を緩ませていた。それを考えれば妹よりは弟の方が嬉しいかもしれないなと、ぼんやり思う。
「あっ、ずりぃ! オレの方が強いから、オレが教えてやる!」
「ロムの教え方は感覚的過ぎるから、無理だろ」
「お勉強を教えてもらった事があるから言わせてもらうけど、リムも大概よ」
「……先にロディを教える事になってるから、それで教える練習しとく」
そう言って目を逸らした。勉強を教えていた年月も含めると人に教えていた期間は相当長いような気がするが、今からだって上達するだろう……きっと。
そんな思惑を見透かされたのか、アミーから溜息を吐かれたが。
「娘でも息子でも、お勉強は私か……いっそソフィ様にお任せしようかしら?」
「すっげー優秀な子になりそうだな」
「なん――」
なんでフィアに?と言い掛けた自分が信じられなくて、慌てて手で口を塞いだ。自分が言いかけた言葉と頭に浮かんだ儚げなプラチナに背筋を凍らせて、顔色を悪くする。
王鳥に不満そうな顔でツンツン額を突かれても、プロムスに溜息を吐かれながらぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられても、今は押し除ける元気なんかなかった。
「そういや、いつ生まれるんだ?」
わざとらしく逸らされた話題に、ほっと胸を撫で下ろす。
「聞いてないけど、秋の季節になると思うわ」
「つー事は、フィー達が結婚した後だな! 来年は慶事が続くな、リム」
「あ、ああ、そうだな……」
そう、もうすぐ季節が変わって春になってからずっと、慶事が続くのだ。めでたいし、楽しみな事ばかりだ。
それからもずっと、幸福な未来が続いていくのだろう。最愛の人の隣で……その最愛の人は…………。
「……寝る」
頭に浮かんだ望んでいないはずの面影を振り払うように、頭まで寝具を被る。寝ると言ったが、そんなつもりはない。眠りはもう、地獄の未来を誘うものでしかないのだから。
「……ねぇ、まだリムは覚えてる? リムが来たばかりの頃。私達が初めて会った日」
静かな声音でアミーにそれを尋ねられて、望まない思考を振り払う為にも、必死に記憶を手繰り寄せる。
あの頃は何をしていただろうか? 王鳥に攫われ、王城で王侯貴族の見せ物にされ、そのまま大屋敷に連れてこられて……。
「なんか知らねーけど上半身裸で、中庭の茂みに隠れてベソベソ泣いてたよな」
「そんなリムをロムが担いで、私の頼みを聞いてもらって、洗い場に連れて行ってもらったのよね。洗濯中のロムのシャツを着せた事を覚えているわ」
「最初はアミーのを着せようとしてたよな」
「サイズ的に私の服の方が合いそうだったんだもの。結局ロムに阻止されたけど」
「当たり前だろうが。アミーの服を着ていいのはオレだけだ」
「入らないわよ。昔も今も、絶対」
馬鹿な事を話している二人の会話を聞いたけど、そのあたりの事はまるで記憶にない。多分そんな二人を気にせず、ずっと泣いていたんだと思う。何よりも大切なものを握り締めて……。
「まあ、んな話はどうでもいいよな。リムはずっと泣いてて、汚れたハンカチを握り締めててよ」
「汚れが落ちなくなるから洗う為に取り上げたら、もっと大泣きしたわね」
「そーそー。オレががっちりホールドしている間にアミーに洗ってもらってな」
「洗い終わったから干せば、ずっとハンカチから目を離さなくて、すぐ下で膝を抱えて見ていたのよ」
そう言って二人して微笑ましそうにくすくす笑うから、照れ臭くて寝具の中でむすっとしていた。多分、顔も赤いだろう。
そのあたりの事は今でもはっきり覚えている。当時は洗濯なんて知らなくて、大切なハンカチに乱暴な事をされていると思ったのだ。それに、干している間に風で飛ばされたり、誰かに盗まれるかもしれないと思うと怖くて、ずっと見張っていた。結局乾くまで何時間も、そうやってただハンカチを眺めていたのを、ちゃんと覚えている。
「なんかさー、今でもたまにその時の事思い出すんだわ」
「わかるわ。余計な事を言って泣かせちゃったりもしたけど、あの時のリムはちょっと可愛かった」
「あ?」
「ピエ⁉︎」
「なんでロムとキャルがそこで怒るの……」
ちょっと揉め始めたのを聞きながら、あんな情けない姿を可愛いと言うアミーの感性もなかなかだなと苦笑する。
可愛いものか。ただ、必死だっただけだ。大切なものを取り戻したくて……謝る為に、セイドに帰りたくて。
「まあ、何が言いたいかって言うとな、リム」
そう言って寝具の上からポンポンしてくれているのは、プロムスだろう。ちょっとだけ乱暴で、温かいのは昔から何も変わらない。
「変な夢見てようが、現実のリムは昔から、姫さんばっか見てたってオレらは知ってる」
「ソフィ様に謝りたいって泣いてた一年間も、お姫さまと結婚するんだって王子さまを目指してた三年間も、迎えられないって絶望した四年間も全部知ってるわ」
「デビュタントで見惚れてから結局ここに迎える事になって色々準備してた春も、せっかく迎える事が出来たのに遠慮して変な距離とってた夏から大舞踏会までも、両想いになってから毎日幸せそうにしてた秋から冬もな」
「ここに来てから同級生みたいに学園生活を楽しんでいるのも、リアポニア自治区の観光だって楽しんでいたわね」
今までの事を振り返って教えてくれる二人に気恥ずかしさと、今まで感じていた幸福感が同時に押し寄せる。最近まで手にしていたはずのそれを思い出し、不意に泣きたくなってしまった。
「リムは間違いなく、姫さんが好きなんだからさ。変な夢なんかに負けんなよ」
「俺は……フィアが好き…………」
ソフィアリアの顔を思い浮かべる。ほんの少し前まで思い出すだけで心臓が早鐘を打って、あんなに求めていたのに、今はなんとも思わない。
なんとも思わないはずがないのだ。オーリムはソフィアリアが好きで、何をしていても、目を惹かずにはいられない唯一無二の婚約者なのだから。こんなふうに無関心で、凪いだ気持ちでいられるはずがないのに――……。
心の中が無茶苦茶で、頭がおかしくなりそうだ。その恐怖心を堪える為に身体を丸め、ギュッと縮こまる。
『まったく。そうなるくらいなら、今夜も妃に会いに行けばよかったのに、くだらぬ遠慮なぞしおってからに』
「でも、俺の反応はフィアを傷付けるだろ。それだけは、どうしても嫌だったんだ……」
『それこそ今更よ。既に心は満身創痍なのだから、傷がいくつか増えたからって、気にせず立ち直ってくるわ。妃は儚くもなければ、護ってやらねばならぬ程、弱くもないからな』
「……元々お姫さまを護る兵士になりたかったのに」
『護らせてくれぬ妃に失望したか?』
「まさか。どんなフィアでも好きで、俺は側で、護った気でいられたら、それで……よかったんだ…………」
ふっと意識が飲み込まれる感覚がした。眠りたくないのに、ソフィアリアへの気持ちだけは手放したくないのに、手からポロポロと勝手にこぼれ落ちていく。
「……フィア…………ずっと、好き……だ…………」
目からつーっと涙が伝った感触を最後に、その言葉を残して、意識は完全に呑み込まれた。
『……知っておるよ。その気持ち一つでラズは余を動かしたのだ。だから、それだけは手放してくれるな』
「……リム……?」
「……寝ちゃったんだね……」
心配そうにそう呟いた三人の言葉は、眠ってしまったオーリムには届かなかった。




