すれ違う婚約者達 5
「あれ、姫さん居ねぇな?」
近い将来を恐れて感傷に浸っていたら、バルコニーの方からそう声がする。ソフィアリアは今の気持ちを振り払って、上を見上げた。
「プロムスかしら?」
「ん?」
そう声を掛けるとバルコニーからこちらを覗き込んできたのは、やはりプロムスだった。就寝前なのか髪もおろしているし、随分とラフな格好だ。
「ああ、そちらでしたか」
そう言ってニッと笑うと手すりに足を掛け、楽々と飛び降りてくるから苦笑する。先程のフィーギス殿下といい、簡単に超常的な身体能力を見せられるから、ソフィアリアも頑張ればそのくらい出来るのではないか、なんて考えてしまう。実際は出来ないどころか、みんなにこっぴどく叱られる気しかしないが。
「ふふ、珍しいお客様ね。どうかしたの?」
「あー、いえ。リムが死ぬほど落ち込んでるんで、今夜はアミー共々お借りします」
だいぶ端的に説明され目を瞬かせたものの、ふっと微笑んだ。
「あらあら。三人でどこかにお出掛けかしら?」
「いや、さすがにこんな時間に今のアミーを連れ回しませんって。今夜は山小屋で三人並んで寝てやろうかと思いましてね」
「まあ! 楽しそうね」
どうやら最古参の昔馴染み三人でお泊まり会をするらしい。オーリムの心配もだが、そろそろ別々に寝ているアミーが恋しいのだろうなと察した。
今日はオーリムと夜デートが出来ないと思うと寂しいが、そういう事なら仕方ない。今はソフィアリアの側よりも二人の側の方が気持ち的に楽だろうから、任せる事にする。
そう思ってニコニコ笑っていたソフィアリアの目を、プロムスは心配そうな表情で見ていた。
「昔……ほんとに昔ですが、リムが大屋敷に来たばっかの頃は、そうやって寝ていたんです」
「ええ、聞いているわ」
「昔を思い出すような事をやって……リムの気持ちも、昔に戻ればいいんですがね」
そう言って寂しそうな顔をするから、珍しいなと思う。まさかプロムスに弱音を吐かれる日が来るとは思わなかった。
ずっとソフィアリアを想っていてくれたオーリムを見ていたから、心変わりをしてしまいそうになっている今の様子に耐えられないのだろう。
ソフィアリアは慰めるようにふっと笑った。
「大丈――」
「あー、それはなしで。オレの事までそうやって甘やかそうとしないでくださいよ。どう反応すればいいか、わからないじゃないですか」
「あら、そう?」
困ったように頭を掻くプロムスを、くすくす笑う。薄々察していたが、どうやら内に溜め込めないだけで、アミーと同じように甘え下手なようだ。
でも、このままでは良くない気がする。少しお節介を焼こうと、わざとらしく頰に手を当て、溜息を吐いた。
「これからアミーはお母さんになるのに大変だから、代わりに愚痴聞きくらいはしようと思ったのに、残念だわ」
「別にいいですよ、適当に隊長やリムあたりに愚痴りますんで」
「同性も必要だけれど、異性の意見も必要になるわ。自分から話しかけられる女性の友人はいないでしょう?」
それを聞くと肩を竦めるから、図星らしい。まあ、プロムスから親しくして惚れられでもしたら面倒な事になるので、それは仕方ないと思う。
「多分これからアミーは不安定になって、プロムスでもどうしようもなくなってしまう日が来るわ」
「はは、まさか」
「もう、そういう事を言うから心配なのよ。たしかにアミーの事を一番理解しているのはプロムスとキャル様だけれど、二人ともお母さんの気持ちなんて全くわからないのではないかしら?」
「お母さんの前にアミーですよ? アミーの気持ちならすぐわかります」
「そのアミーがお母さんになるのよ? ……まあ、この話は終わらなくなりそうだから、今はいいわ」
プロムスもやはり、アミーと同じく親というものを知らない人だなと思った。むしろ誰かの庇護下に入る事をよしとしない分、アミーよりよほど厄介かもしれない。
親になると、どうしても意識を変えざるを得なくなるのだ。おそらく父親よりも、母親の方が早めに。気持ちと体調の変化によって不安定になるアミーに、プロムスも上手く対応出来ればいいのだが。
「覚えておいてね、プロムス。これからアミーの気持ちがわからなくなったら、まずわたくしに相談しなさい。同性である隊長さんやリム様ではおそらく的外れな解答しか返ってこないでしょうし、アミーに尋ねるのはもっとダメよ? アミーはしばらくプロムスの奥様より、お母さんをするのに手一杯なのだから」
そう言っても目を瞬かせるだけだから、やっぱり不安だなと思う。多分わかっているようでわかっていない。特にプロムスはアミーを溺愛しているから、意識を上手く変えられず、そのままの気持ちで子供に嫉妬心を向けたりしないだろうかと心配していた。
思わずジトリと睨んで、ダメ押しとばかりに念を押す。
「……忘れないでね」
「はあ、まあ、一応?」
呑気な返事をされて心配であるが、今言っても仕方ないかと諦める事にする。これから二人の様子を注意深く見て、柔軟に対応してあげればいいだろう。
ふっと笑みを浮かべ、山小屋を見つめる。
「そろそろ寝支度でも始める?」
「ええ、そうします。リムが幸せそうな顔して寝ていたら叩き起こしますんで」
「別にいいし、多分起きないわよ。そういうものだってわかっているから大丈夫」
「大丈夫な訳ないでしょう」
すっと真面目な顔を向けられるから、困ってしまった。先程のプロムスもこんな気持ちだったのだろうか?
「ソフィアリア様こそ、そうやって平気な顔でヘラヘラしたり、色々押し込めてリムの世話を無理矢理焼こうとしないでくださいよ。顔を合わせればそうやって無理させるとわかっているから、会わない方がマシだってうじうじするんです」
「あらあら、手厳しいわね」
「茶化さないでください」
「聞いてあげないわ」
きっぱり切り捨てるとプロムスが眉を吊り上げて、苛立たしげな顔をする。そんな顔をされても考えを改める気も、か弱く怯える気もないけれど。
「……オレ達はそんなに頼りないですか? 甘えられるほど、信用ないですか?」
「まさか。間違えてばかりのわたくしなんかよりずっと頼りになると思っているし、誰よりも信頼を寄せているつもりよ」
「ならっ‼︎」
「わたくしが今まで心から素直に甘えられた人は、王様とリム様だけなの」
まっすぐプロムスの目を見てそう言い張れば、虚を突かれた顔をするから、ふっと困ったように微笑んで、首を横に振った。
「もちろん、周りの言動に勝手に甘えたり、その場の空気でわざとらしく甘える事はあるわ。でもね、辛いから慰めてほしいって自分から甘えられるのは、王様とリム様だけだわ」
「……ご両親とか居たじゃないですか。周りにも大勢、いつも人が集まっていますし」
「わたくしがみんなを護らなきゃって思ってね。生意気でしょう?」
「それは……」
「だからね、わたくしから甘えるという行為は、何よりも特別だって思っているの。その特別は王様とリム様のもので、最後の砦でもあるわ。わたくしはまだ、それを崩す事は出来ない」
思わず表情に寂しさが乗ってしまい、それを見たプロムスはぐっと眉根を寄せる。甘える事が特別であると言われれば、もう何も言えないらしい。
空気を和らげるようにいつもの笑みを浮かべ、後ろで手を組んだ。
「わがままを言ってごめんなさいね。そのせいで余計に周りに気を遣わせてしまっている事はわかっているの。リム様にも、酷い事をしているわ」
「……オレから言っておきますよ。ソフィアリア様を避けるなって」
「あら、ありがとう。お願いね」
そうやって笑えば、諦めたようにふっと笑ったから、これでいい。
色々な気持ちを無理矢理押し込めて、くるりと背を向ける。
「そろそろ部屋に戻るわ」
「ええ。おやすみなさいませ、ソフィアリア様」
「あ、そうそう。王様がね、山小屋の中に大鳥様も入れるよう改装してくださったの。キャル様と王様も招待してみてはいかがかしら?」
振り向かないままそれだけ教えておくと、後ろから呆れたような溜息が聞こえる。
「何で今更改装なんかしたんですか……。もう使わないでしょうに」
「ふふ、こうなる事を見越していたのかもね。さすが王様だわ」
「ピ」
違うけれど、そういう事にしておこう。まさか先程までレイザール殿下達を呼んでいたなんて、知らないのだから。
「おやすみなさい。良い夢を」
それだけ言うとプロムスから離れ、王鳥ともサロンでおやすみのキスを交わして別れた。オーリムを迎えに行くのだろう。
二階に上がる階段を登りながら思う。明日のオーリムはどうなってしまっているのだろうと……今日ですら、周りが言えばソフィアリアに関心が向く程度に変わってしまっていたのに。
「ふふ、もう見向きもしなくなってしまうのかしらね? ラズくんったら、そんなに他人に無関心になる事ないじゃない」
自分で言っておいて、明日には他人になるかもしれない事実に戦慄する。もしかしたら今夜が、多少気持ちを持ったまま夜デートが出来る、最後のチャンスだったのではないだろうか。
ぐっと強く握りしめた手の痛みで、少しでも心の痛みが打ち消される事を願っていた。結局、何の意味もなかったけれど。




