まるで卵のように 2
このページには嘔吐描写があります。苦手な方はご注意ください。
「なっ⁉︎」
「メル」
こちらから見れば死活問題だが、詳細を知らない彼女らにとっては揚げ足取りの材料でしかない。過剰反応はかえって余計な憶測を与えかねないので悪手だ。
そう思って制止したが、当然遅かったらしい。格好の餌を見つけたとばかりにソノンや取り巻きまで笑って便乗し、より混迷を極める事態に発展する予感をひしひしと感じた。
まあ、アミーに矛先が向くよりか、ずっといいのだが。
「そういえばソフィの夫、昨日は随分とご活躍だったわね」
「ええ、本当に。フィーギス殿下よりリスティス様をお助け出来る栄誉を賜り、大変光栄でしたわ。おかげ様で生涯胸に刻める功績までお土産にする事が出来そうです」
あれはフィーギス殿下の指示だったと、勝手に名前を使わせてもらう。この件に関しての言い訳ばかり考えているなと、チクチクと胸を痛めた。
「あら、本当かしら? あんなにお幸せそうに踊っていらしたのに、あれがただの仕事だなんて、旦那様は芸達者ね」
「プロムス様を介してですが、フィーギス殿下にお仕えしているようなものですもの。それなり以上の実力がなければお話になりません。まだ見習いですが、とても優秀だと評価をいただいておりますわ」
「そう、よかったわね。私達から見てもそう感じたもの。まるで本物の恋人同士のような甘い雰囲気だと、思わず胸を高鳴らせてしまったわ」
「優雅に踊りながら顔を寄せて微笑みあって……時折交わされる会話は睦言のよう」
「運命の恋人達というのは、ああいう二人の事を指す言葉なのかしらね? ああ、深い意味はないのよ? だって本当の妻はソフィ様だもの」
「まるで運命の二人を引き裂こうとする悪役のようだなんて全く思っていないから、安心してちょうだい」
「それにしても、リスティス様が和らいだ表情を初めて拝見いたしました」
「ふふ、レイザール殿下でも出来なかった偉業ですもの。誇りね?」
「……ええ、本当に」
畳み掛けるような彼女達の言葉を聞いて、まだ上手く笑えているだろうか? そんな光景を見たくなかったから、同じタイミングでマーニュと踊り、情報収集に専念していたのに。結局こうして詳細を聞かされ、当時の状況を知って吐き気すら覚えている。
でも、ここで崩れる訳にはいかない。そんな事をすれば二人の仲に真実味が増してしまうだろうし、この場に集まった人達なら学園中に吹聴するだろう。この国に滞在するのはあと二日しかないとしても、そんな事許せない。
だってオーリムが真実好きなのはソフィアリアで、ソフィアリアもオーリムが好きなのだから。
彼女達は敵なのだ。派手に脚色しているに違いない。そう自分に言い聞かせて、平静を装った。
「あら、この国ではあの程度をお褒めになりますの? 私から見れば演技の範疇としか思えませんでしたが、コンバラリヤ王国の民は随分と寛大でいらっしゃいますのね」
とうとう耐えきれなくなったらしいメルローゼが淑女の仮面を張り付けて、小馬鹿にしたような声音で口を挟む。くすくす笑っていた二人と取り巻きは、次はメルローゼに注目した。
「まあ! メルローゼ様はそれほどまでに、演技に対して目利きでいらっしゃいますの?」
「目利きという程のものではございませんが、最低限嗜んでおりますわ。我が国ですとサウルス歌劇にファーヌ劇団、ルーチェット大劇場の新公演は毎回欠かさず見ておりますし、この国でも皆様がご覧になられているヌーメウ・ルス劇場にオープティハウス……ああ、そうそう、最近台頭してきた劇団D・ROLLがとても素晴らしい演劇でしたわね? まだまだ新興劇団のようですが、よろしければ語り合いませんこと?」
にっこり笑って羅列した名前に、なかなか意地が悪いなと内心苦笑する。
我が国であげた劇場は全て有名な劇場で、この辺りの新公演の観劇は貴族の嗜みであるというのは本当の話だ。特に女性の場合は社交の際に話題にのぼりやすい。
問題はコンバラリヤ王国にある劇場の方。名前を上げたどれもが人気過ぎてチケットの入手が困難、会員制で選ばれた者でないと観劇不可能、平民劇団でありながら実力一つで名を広め、また客を選ばない為、人気のある劇場以上にチケットが取れないという、どれも見るだけで大変苦労する特殊な劇場だった。
それらを最低限の嗜みだと豪語し、他国の子爵令嬢であるメルローゼが見たのだという。当然、彼女達にとって面白い話ではなかったのだろう。ピクリと眉を動かした。
「……メルローゼ様が?」
「まあ! どうやってですの? 特にD・ROLLのチケットなんて他国の人間が取れるものではなくってよ」
「冗談を言う場所くらい弁えてくださらないと、国の品位が疑われますわ」
取り巻き連中が侮蔑と嫉妬、嘘であってほしいという醜い足掻きを口にする。
そんな視線を物ともせず、メルローゼは余裕の表情で首を傾げた。
「この場で提示できる証拠は公演内容くらいですが、劇団D・ROLLだけは我がペクーニア商会が最初にパトロンとなった関係で、仲良くさせていただいておりますの」
「は?」
「あら、皆様だってご存知でしょう? かの劇団は元はビドゥア聖島で活躍していた劇団なんですもの。その経緯に興味を引かれた兄が気に入って、劇団長と懇意にしておりますの。新公演の際は必ずご招待していただいているわ」
うふふと得意げに話すメルローゼに、知らなかったソフィアリアもそうだったのかと驚く。活動拠点を他国に移すなんて、珍しい事もあるものだ。
メルローゼの言葉を聞き、取り入ろうか悩む人が半分。より激しく嫉妬の炎を燃え上がらせる人が半分。すっかり話の内容がすり替わったので、メルローゼには頭が上がらない思いである。後でたくさんお礼をしなければ。
そう安心したのが間違いだったのだろうか。
「あら、そう。ビドゥア聖島では芸能方面の造詣がそれほどまでに深いのね。アミーもかしら?」
どうしてもアミーが気に入らないイリーチアが、再度矛先をアミーに向けたので、一瞬眉根を寄せた。すぐに取り繕ったけれど。
「いえ、私は準男爵夫人でしかありませんので、造詣が深くなれるほど嗜んでおりません。たまに夫とデートに行くくらいです」
アミーが淡々とそう答えると、イリーチアは夫とデートという単語に頰を引き攣らせた。
「あら、ごめんなさい。私ったらうっかりしていたわ」
「お気になさらないでください。夫共々その程度の身分でしかありませんので、イリーチア様ほどの方に気にかけていただける理由は何もございません。どうぞお捨て置きください」
意外に言うものだなと目を瞬かせた。準男爵位程度の人間を……プロムスを、伯爵令嬢であるイリーチアがいつまでも気にするなと釘を刺したのだ。元々頭のいい子なので、この短期間で貴族らしい言い回しも学習したようだ。
が、やはり初めての嫌味に緊張したらしく、アミーは今日初めて紅茶に手を伸ばす。
それを見たイリーチアと彼女の取り巻き達が喜色を浮かべたから、嫌な予感がした。
「アミー、待っ」
「けほっ‼︎」
手を伸ばしてカップを払い落とそうとしたが、反応が遅かったらしい。
アミーは紅茶を口に含んだ途端激しく咳き込み、一瞬で顔色を悪くして、床に崩れ落ちてしまった。
「アミー⁉︎」
「ちょっ、嘘でしょっ⁉︎」
その様子を呑気にもくすくす笑うイリーチア達の事は拘束する為に駆け寄ったオーリムに任せ、放心しそうになる心を叱咤してアミーを介抱する。
アミーは苦しそうに咳き込み続け、すっかり血の気が引いていた。唇が青く染まり、苦しそうに喉を掻く様子にソフィアリアも激しく動揺する。側でへたり込んだメルローゼも混乱して、ポロポロ泣いていた。
「ごめんなさい、アミー!」
とりあえず飲んでしまった分を吐き出させようと、苦しんでいるアミーに下を向かせ、喉奥に無理矢理指を突っ込む。本当なら水も含ませたいところだが、この場にある水は信用出来ない。
「何やったかわかってんのかっ!」
「いっ⁉︎ ちょっと、やめなさいよっ⁉︎」
オーリムに拘束されたイリーチアの様子はなんとも悠長だ。周りの人間はこの事態をようやく自覚したのか、青褪めたり逃げ出したりしている。
指を突っ込まれて苦しそうに吐くアミーを励まし、心臓をバクバクさせながらも必死に頭を働かせる。
まさかこんなところで堂々と毒殺なんてしないはずだ。だから毒だとしても即死性のあるものではないはず。おそらく脅し程度だ。
が、弱くてもアミーに毒の耐性なんて一切なく、運悪く慢性的に体調不良が続いていた。そのせいでより強く作用してしまったおそれがある。それに、この即効性も気になっていた。この国で出回っているものなのだろうか。
全てではないだろうが、あらかた吐き出させたようなので、指を抜く。目の焦点が合わないままヒューヒューと息を荒くしたアミーは、そのままふっと意識を失ってしまった。
「アミー⁉︎」
「ピピー⁉︎」
――ああ、最悪だと心に暗い影を落とす。
慌てたような鳴き声がして側に着地したのは、もちろんキャルだ。気を失ったアミーの側に寄ってその姿を覗き込むと、静かにイリーチア達の方を睨む。
イリーチア達は突然現れた大鳥に、今度こそ顔面蒼白となった。
「ピギャーーーーーーッッ‼︎」
突然響いた鳴き声とも言えない大音量と威圧感に晒されたソフィアリアは、アミーだけは傷付かないよう胸に抱え込んだまま、地面に倒れ込んだ。
一瞬意識が飛ばされるほどの耳をつんざく悲痛な鳴き声。その鳴き声は魔法の風に乗って、この辺り一帯どころか学園中……いや、王都にも響いたかもしれない。
直接向けられた訳ではないものの、その音を誰よりも近くで聞いてしまい、耳がまともに機能しなくなった。けれどソフィアリアは真っ先にアミーの耳を塞ぐ。
「やめろ、キャル⁉︎ っ! 王っ‼︎」
慌てたようにオーリムが制止するも、キャルが聞く耳を持つ筈もなく。二波、三波と衝撃が鳴り響き、頭すらどうにかなりそうだ。けれど自分の耳を塞ぐ事よりもアミーの方が大事なので、自分を防ぐ手段がない。
オーリムだけは苦悶の表情を浮かべつつも堂々と立っていて、キョロキョロと辺りを見回して王鳥の姿を探していた。その姿はどこにも見当たらないけれど、キャルはその場で必死にもがいて身体の周りには火花が散っていたので、止めてくれてはいるようだ。音の衝撃と威圧感は死なない程度なので、甘んじて受けろという事なのだろう。
大鳥から殺意とも呼べる攻撃をまっすぐ向けられたイリーチア達はすっかり怯え、震えが止まらなくなっていた。一部の人は失神すらしている。
「何事かねっ⁉︎」
「っ⁉︎ おいっ、アミー‼︎」
と、騒ぎを聞きつけたのかキャルが呼んだのか、別れていた男性陣が慌てた様子でこちらに駆けつけてきてくれる。
特にプロムスはソフィアリアが抱え込んでいるのがアミーだとわかると、フィーギス殿下達を置いて一気に距離を詰めてきた。
よく見れば遠巻きに生徒達が集まってきている。中庭で激しく鳴く大鳥がいるせいか、近寄ってくる気はないらしい。
ソフィアリアは頭の痛みを耐えて、側で膝をついたプロムスに視線を向ける。
「ごめんなさい、プロムス。紅茶に何か盛られていたみたいなの。それに寸前まで気付けずに、口にするのを見逃してしまったわ」
「なっ……!」
「ある程度吐き出させたけど、早く医務室に!」
「っ! くそっ! キャル、そんな奴らどうでもいいから来いっ!」
「ピピー⁉︎」
アミーを抱えて駆け出したプロムスの後を、キャルはそのまま走ってついて行った。三人の道を妨害しないよう、その進路にいた人並みがはけていく。
騒ぎの元となったキャルはいなくなったが、この場は騒然となり、何があったのかと徐々に人が集まってくる。近くにいたらしい警備兵が数人、オーリムの助太刀をする為に近寄っていた。
彼らに拘束されているこの学園の女子生徒達。彼女達を知る者はその名前を呼ぶ。おかげで顔と名前は覚えられてしまっただろう。
実在するかすら不明だった大鳥の姿を見た生徒はその興奮を周りに吹聴し、意識のない留学生を心配して走り去る姿まで広めていた。
話を聞き、状況を見て察した聡明な生徒は、青褪めてすらいる。
「ギース様!」
「フィーギス殿下、ソフィ様」
フィーギス殿下達が側に着いた頃、ようやくマヤリス王女と学園長も騒ぎを聞きつけた大勢の警備兵を引き連れてやってくる。先程キャルが引き起こした騒ぎとこの状況に困惑しているようだ。
「ちょうどいい。ソフィ、状況は?」
「……ソノン様とイリーチア様達に招待され、お茶会をしておりました。アミーが紅茶を口につけたところ激しく咳き込んで苦しみ出し、キャル様が駆け寄って来てくださったところですわ」
先程の鳴き声で耳をやられたのか、聞き取りが困難だ。口と表情を読んで答えたが、多分合っている。
「ある程度吐き出させましたが、目の焦点が合わないまま気を失ってしまいましたので、プロムスとキャル様に医務室に連れて行くよう指示を出しました。わたくしがついていながらこのような事態を招いてしまい、申し訳ございません」
そう最後まで説明を終えると、あまりの大事にマヤリス王女は青褪め、学園長はフラフラと気を失いそうになっていた。近くに来た教員が、そんな彼女を支えている。
フィーギス殿下は眉根を寄せ、行ってしまったアミー達の方向に心配そうな視線を向けたが、溜息を吐いて気を引き締めると、イリーチア達を無表情で見つめた。
「学園内で毒を盛るなんて、正気かい?」
「毒っ⁉︎ ちっ、違いますわ、毒なんて盛っておりません! アミーが当てつけのように、大袈裟にしただけなのですっ……!」
「黙りなさい。それ以上の侮辱は許さないわ。……早急な連行と尋問を」
冷たい目をして発言を一蹴したマヤリス王女が命令を出すと、半数の警備兵はなおも喚くイリーチア達を連行し、もう半数は現場検証を開始した。
なんだかソフィアリア達が来てから彼等の顔を見ない日はないなと溜息を吐きながら、色々な気持ちを押し込めて、ひとまずアミーの所へ向かう事にした。




