まるで卵のように 1
お昼休みの話し合いもあらかた終わり、起きてきたアミーもすっきりしていた五時間目。アミーも楽しみだと言っていたのは、この国の古典文学の授業だ。
どうやらアミーは聞いていた以上に読書家だったらしい。ソフィアリアはどちらかというと実用的な教本や専門書の類ばかり読んでいたので、文芸書はそこそこ知っているだけだが、いつか語り合って、出来ればおすすめなんかも聞いてみたい。文芸書なら、ソフィアリアよりもメルローゼとの方が話しやすいかもしれないけれど。
六時間目の選択授業はマヤリス王女は授業があるが、ソフィアリア達はない。先に帰っているのもどうかと思い、校内で待つ事にした。
男性陣は引き続きカードゲームに誘われていたので、手を振って見送る。マヤリス王女を除いた女性陣と今回の護衛役のオーリムは、図書館でも行ってみようかと話していたら。
「ごきげんよう、ソフィ」
「またお会いしたわね、アミー」
そう声を掛けてきたのは、音楽の授業でソフィアリアを蔑んでいたソノンと、ダンスの授業でアミーに絡んできたイリーチアだった。
ここがタッグを組んだのかと一瞬遠い目になりながら、表向きは相手が侯爵令嬢と伯爵令嬢という格上の為、礼をする。
しかし、少々困った事になったなと苦々しく思っていた。
「ごきげんよう、ソノン様、イリーチア様。私達に何か御用でしょうか?」
そう対応してくれたのは、今いる中で表面上は一番格上のメルローゼだ。一番上が子爵令嬢であるメルローゼ、他は準男爵位しかいないという今の状況は、フィーギス殿下の後ろ盾があっても心許ない。ましてや相手はソフィアリアとアミーを目の敵にしている様子なのだから。
彼女達もこの状況を狙っていたのだろう。侮蔑を隠しもせず、獲物を捕らえたと言わんばかりにニンマリと目を細めた。
「今からお茶会を開こうと思っていたの。よかったらご一緒しましょう?」
もう、嫌な予感しかしなかった。
*
フィーギス殿下の後ろ盾をチラつかせて断ろうと思ったのだが、予定がないのも把握済みらしく、退路を断たれた。
ビドゥア聖島の留学生に非礼を働かれたと訴えられると困った事になるので、諦めて呼ばれる事にする。あまりにも酷ければなりふり構わず逃げ出してしまおう。大事になった場合の責任は、彼女達にきちんととってもらえばいいと割り切った。
お茶会会場はリスティスとした場所とは違う中庭の一角だ。そこに連れてこられると、彼女達の取り巻きらしい人まで集まっていてウンザリした。当然、表に出す事はしないけれど。
心配そうなオーリムの視線に――まだ態度で心配してくれるという状況に幾分か心を和ませながら、大丈夫と頷く。男性が女性の集まりに口出ししても事態がややこしくなるだけなので、側で控えていてもらう。
護衛がオーリムだったのを見て、プロムスじゃなくてガッカリと言わんばかりの落胆を数名から感じたが、この場でプロムスが来ても困るだろうにと溜息を吐く。ソフィアリア達はその方が助かるかもしれないが、堂々とプロムスに言い寄る可能性がないとは言えないのが、怖いところだ。
そんな様子を見ていたら、当然のように末席を案内された。少々気になるが、国力と爵位を考えれば間違いとも言い切れないので、そこに着席する。納得がいかないメルローゼが眉根を寄せていたが。
「音楽の授業は見事な腕前だったわ。ソフィは平民なのに、随分とお上手なのね」
席についた途端、さっそくソノンが仕掛けてきた。プロディージのバイオリンで誤魔化された不慣れなピアノの演奏を、音楽家の家系であるソノンが褒めるわけがない。
褒められているようで、あの程度で頭打ちなのだろうと馬鹿にしているんだなと感じながら、気付かないフリをして笑みを返す。
「ありがとうございます。これでも家は裕福でしたから、お勉強も習い事も好きなだけさせていただきましたの。ソノン様のような音楽の名家の方に褒められるだなんて、鼻が高いですわ」
色々と嘘を混ぜながら答えると、まさか実家の事を知られているとは思っていなかったのか、少々たじろいでいた。まあ、すぐ取り繕えるところは、さすが高位貴族だなと思うけれど。
「そう、でしたの。ところで、あなたはプロディージ様と少し雰囲気が似ているのね。仲もいいみたいだし、もしかして――」
ご姉弟?と小さく呟いたのを耳で拾った。正解なので大した観察眼だなと思うけれど、ソノンが言いたいのはソフィアリアはセイド男爵の隠し子――庶子ではないかという意味だろう。
なんとなくだが、この国では庶子に当たりが強いような気がした。政略結婚といえど恋愛感情を絡めるせいか、平民でいう不義の子扱いなのかもしれない。ビドゥア聖島の貴族社会では貴族とは認められないだけで、庶子は珍しくもないのだが。
真相を見抜いた自分の観察眼をひけらかし、ソフィアリアをコケにしたいのだろうが、その余波が父に及ぶ気がしてならない。ソフィアリアの事はともかく、母の事が大好きな父を、見ず知らずの人に浮気者と蔑まれるのは我慢ならなかった。
「姉弟ではありませんが、一応血縁関係にありますの。親戚付き合いもありましたし、多少似ているのかもしれませんね」
「ふーん、そうなの?」
「お疑いのようですが、ディーの婚約者である私が保証しますわ」
適当に誤魔化し、助け船を出してくれたメルローゼのおかげで、庶子疑惑を引っ張るのは諦めたらしい。残念そうに肩を竦めて、興味をなくしてしまったようで安心した。
「アミー、昨日は失礼したわね。プロムス様の大鳥様は、もうお怒りではないかしら?」
次はイリーチアが仕掛けてくるようだ。大鳥の怒りに触れたかもしれないというのに、随分と勇気があるなと内心溜息を吐く。
正直本調子ではなさそうなアミーを矢面に立たせたくないのだが、助け船を不要だと目で制されたので、諦めて成り行きを見守る事にする。
「私からは何とも申し上げられません。これから次第ではないでしょうか?」
「……そう。プロムスや大鳥様にも謝りたいのだけれど、どうにか取り次いでくれない?」
まだ話す事を諦めていないのかと目を細める。プロムスはともかくキャルにも会いたがっているのは、会えばアミーよりも自分を選ぶという自信があるからか。
キャルの事を知らないから仕方ないのかもしれないが、その根拠のない自信はどこから来るのだろうか。たしかにイリーチアは綺麗な人で伯爵令嬢という貴族ではあるが、それだけだ。タイプは違うが、アミーだって見た目は負けていないのに。
ソフィアリアはそうやって内心毒付いていたけれど、アミーは慣れた様子で淡々と首を横に振る。
「大鳥様は不可能です。認めた方としたお会いになりませんので、私の一存ではどうする事も出来ません」
「……役立たず」
ボソリと呟かれた声の先を辿る。声を発したのはイリーチアの取り巻きの誰かのようだ。扇子で口元を隠しているので、判別は出来ないけれど。
正直アミーを突くのはやめてほしい。何かあればキャルが飛んできてしまうので、内心ヒヤヒヤしていた。ましてやここは屋外である。姿は見えなくても、アミーの近く、もしくは上空にいない訳がないのだ。
アミーは呟かれた言葉に気付かないフリをして、無表情を貫いていた。こんな状況でなければ、随分と頼もしくなったなと撫でくりまわすのだが。
「夫の面会もご遠慮願います。フィーギス殿下のお側を離れる訳にはまいりませんので、御用がおありなのでしたら、ご自身で会いに行ってください」
「……本気で言っているの? あなたが、この私に?」
「ええ」
きっぱり言い切るその手は震えていた。
準男爵夫人という肩書をもらったが、所詮平民である事には変わりない。
平民が貴族に楯突く危険性は、侍女教育の時に再三言い聞かせている事だ。貴族によっては貴族以外を人間扱いせず、それが許されてしまうので、よほど強力な後ろ盾がない限り泣き寝入りし、従うしかないのだと。
その教育を受けた平民であるアミーが、伯爵令嬢に楯突いているのだ。平時なら報復を覚悟しなければならない。その重圧を耐えていると思うと、いくら不要と言われようと助けずにはいられない。アミーはソフィアリアが護るべき民なのだから。
「イリーチア様、それ以上はお控えくださいませ。それ以上詰め寄られれば、上に報告しなくてはならなくなりますわ」
ソフィアリアが口を挟もうとしたのを察したのか、先にメルローゼが口を開いた。一応準男爵夫人という設定は守ろうとしてくれているのだろう。
が、メルローゼも他国の子爵令嬢で、国力も爵位も格下にあたるのだ。今度はそう制止したメルローゼに怒りの目が向くのは、当然だったのだろう。
「私はただ謝罪をしたいと言っているのよ? 何故フィーギス殿下のお手を煩わせる必要があるのかしら?」
「先程のアミーの言葉を聞いていたらお分かりになるはずですわ。プロムスはフィーギス殿下専属の近衛騎士です。王太子殿下が重用する騎士を不用意に呼び出す意味くらい、ご理解いただけるでしょう? 有用な情報を引き抜きたいと言っているようなものですわよ」
「メル、よしなさい」
メルローゼが言っている事は正しいが、少々挑発が過ぎる。やり過ぎたと理解したメルローゼはグッと堪えて引き下がり、今度はソフィアリアに視線が向いたので、ふんわりと場を和ませるような笑みを浮かべた。
「謝罪なんてしなくても、大鳥様もプロムス様も寛容でいらっしゃいますので、過ぎた事をとやかく言ったりしませんわ。お呼び出しなんてされなくても、護衛の範疇に限られますが、お声掛けをすればお答えしていただけるはずです」
「だから、私に出向けと仰るの?」
「プロムス様はフィーギス殿下から離れられませんもの。仕方ありませんわ。ああ、どうしても呼び立てたい場合は、フィーギス殿下をお呼びした方が早いかもしれませんね?」
にっこり笑って不可能な言葉でとどめをさせば、押し黙った。クラスメイトでもない――つまりそれほど学がない伯爵令嬢が、他国の王太子を呼び出すなんて不可能だ。
そもそも呼び出そうとしなくても、まだいくらか接触の機会はあるだろうに。明日は剣術大会があるし、明後日は修了パーティなのだから。
押し黙ったイリーチアは、けれどまだ諦める事が出来なかったらしい。次はソフィアリアに狙いを定めたのか、ニンマリとした笑みを、より一層深めた。
「そう……あなたがそれを言うのね? 護衛を理由に側に押し留めておけるから……夫がリスティス様の側に行けないのだから、あなたにとっては安心ね?」
くすくす笑うイリーチアの言葉に、顔を強張らせてしまった。




