少女は救いを夢見る 6
お昼休み。学食にて。社交の一環としてカードゲームに興じていた男性陣――プロムスが羨ましそうにしていた――と合流し、お互いに得た情報のすり合わせを行なった。
アミーは軽く食べた後すぐにソファで横になってしまったが、色々と心配である。そこまで弱らせて帰ってきたせいか、プロディージにギロリと睨まれてしまったが、その視線でのお咎めくらい甘んじて受けるべきだろう。
男性陣が得た新しい情報はというと、学園に入ってから過激な性格になった人が多少いるというくらいだった。それが婚約破棄騒動に繋がっている人もいるかもしれないが、学園という親の監視から離れた場所で羽目を外し、見聞を広げ、ただ価値観が変わっただけの人と判別がつかないので、なんとも言えない。
その過激な性格になった人の中には、当然彼女もいた。
「そうですか……。やはりルルス様があそこまで過激になったのは、ここ一年くらいのお話なのですね」
なら、ルルスも世界の歪みに当てられているのかもしれないなと溜息を吐く。幸いルルスの標的はレイザール殿下一人だけらしいので、ミウムのような処遇にはならないだろうが。
ソフィアリアがそんな事を考えていたのを察したらしいフィーギス殿下は、肩を竦める。
「まあでも、誰の目から見ても、以前からあまり褒められた性格ではなかったみたいだけどね」
「引っ込み思案のくせに厚かましい奴だったんだとさ。顔と身分はいいから男によく言い寄られてたみたいだけど、逃げ込む先が決まって王太子の所なんだと」
そう言ってオーリムが必要以上に怒っている様子なのは、リスティスに関係しているからか。ソフィアリアに過保護な様子と重なって見えるのが嫌で、見ないふりをした。
視線を逸らすと、冷たい目でオーリムを睨んでいるプロムスが視界に入る。昔からオーリムを知っているので、だんだんとリスティスに心を傾ける今の状況が気に入らないようだ。いつか喧嘩にならなければいいのだが。
「誰から見ても、リースと同じような感じに見えていたってわけですのね。リースが注意したタイミングで人が変わってしまったから、開き直っているように見えるのでしょうか?」
食後のデザートをつつきながら首を傾げるメルローゼから視線を向けられ、マヤリス王女は眉を下げる。
「おそらく、そうなのでしょうね。今更悔いても仕方ないのですが、いくらなんでも関心がなさ過ぎましたと反省しています。リスティスにも悪い事をしました」
申し訳ございませんとしょんぼりするマヤリス王女の頭を、フィーギス殿下が撫でて慰めていた。
ふと思う。
「ルルス様には婚約者はいないのかしら? 彼女はミゼーディア公爵家の血を継いでいないから、傍系から婿を取る必要があると思うのだけれど」
ミゼーディア公爵家の子供はリスティスとルルスだけなので、家を存続させる為にルルスが婿を迎える必要がある。血統を重視しないこの国だとこだわりはないのかもしれないが、ルルスはミゼーディア公爵家の血を継いでいないので、出来ればミゼーディア公爵家の傍系からが望ましいだろう。
ミゼーディア公爵家は筆頭公爵家なので、婿入りさせるなら相応の高等教育を受けさせ、身に付けてもらわなければならない。なので幼少期から決まっていて当然だと思う。
ソフィアリアが見たこの国の貴族名鑑には婚約関係までは載っていなかったので、そのあたりの事情を知っているだろうマヤリス王女にそれを尋ねてみたけれど、マヤリス王女は眉尻を下げ、首を横に振った。
「いません。そのあたりの事情はどうなっているんでしょうね?」
「普通に王家にミゼーディア公爵位を返還するつもりなのでは?」
「だが、ここに来た初日にレイザール殿下が国に返還する気はないと言っていた」
ソフィアリア的にもプロディージの返還する案が妥当だろうと思ったが、ラトゥスの言葉もそうだったなと思い出す。
そもそも現在領地経営をしているのはリスティスだ。ミゼーディア公爵には経営手腕はないらしいので、本当にどうなっているのか、どうしたいのか、謎が深まるばかりだなと思う。
「私なら、そもそも現ミゼーディア公爵が公爵位を継ぐ事から認めないけどね。まっ、そのあたりの事まで介入する義理はないから、深入りはよそうではないか」
「それもそうですね。……あとはレイザール殿下にもお話を聞ければいいのですが」
今夜会う事になっているのでソフィアリア的には不要だが、みんなはそれを知らないので、ここで話を持ち掛けておく。
「今日は公務があって帰ってしまったみたいだから、これ以上ここでわかる事は何もないかな。姉上は他にないの?」
じっと見つめてくるプロディージはどこまで察したのだろうかと苦笑する。密会する事を隠し通したい相手はオーリムくらいなので、知られても別にいいのだが。
一応密会という約束だったので、とりあえずこの場は伏せる事にして、オーリムに視線を向ける。
「ねえ、リム様」
「なんだ?」
「リム様は昔からよく夢を見る方かしら?」
突然そんな事を言い出したソフィアリアにきょとんとした表情を見せ、少し考えて頷いた。
「まあ、昔から眠りが浅いからな。そのせいか夢はよく見ていた気がする。どうしてだ?」
「リスティス様が夢の中でリム様と初めて会ったのは、十歳頃だったのですって」
感情を抑えてオーリムをまっすぐ見つめると、予想外だったのか目を丸くし、ふわりと目元を和らげた。
「そう、だったのか」
少し嬉しそうな表情はおそらく無意識で、本人の意思ではないとわかりつつも、どうしてもチクチク胸を痛めてしまう。帰ったらまた王鳥に慰めてもらおうと気を引き締め、話を続けた。
「心当たりはあるかしら?」
「昔の夢の内容なんか覚えてないからなんとも言えないが、最近の夢は子供の姿からだんだんと成長していったな。まあ、今日はまた子供に戻ったが」
「なら、夢の中の見た目の年齢は関係ないのでしょうか? ちなみにそれくらいの時期に現実でリスティスに会った、もしくはミゼーディア領に来た事はございましたか?」
祈るような体勢で問いかけるマヤリス王女の言葉を聞き、オーリムは腕を組んで深く考え込む。
「大体七年前だろ? その頃の俺は毎日必死で勉強していた頃だし、仕事で出向く先も王に言われるがままで、どこに行ったかなんて正直覚えてない。人だって、フィアとアミー以外の女なんて知らないし、関心もなかったからな」
その言葉だけで、もう少し頑張れそうと気持ちが浮上した。アミーはプロムスと一緒に姉貴分だと言っていたので、離れていてもソフィアリアだけを想ってくれていた。今はそれで充分だ。
とはいえ、オーリムも覚えていない夢の中で逢瀬を重ねていた可能性もない訳ではないだろう。夢は夢だけで終わらせてくれればよかったのだが、現実に侵食してきてしまっているのだから、放置していられない。
「リムが知らなくても、リスティス様が見かけた可能性はあるんじゃない?」
そんな事を悶々と考えている間にも、メルローゼがぷりぷり怒っていた。そもそもソフィアリアとセイドで暮らす未来を見据えていたのに、横から掻っ攫ったあげく夢で浮気している今の状況が気に入らないようで、オーリムへの態度が刺々しい。だったらセイドに返せと言いたげだ。
「ふむ? 私もそこまで前だとあやふやな記憶しかないが、何度か仕事でコンバラリヤ王国に出向いたという報告は受けていたはずだよ。ラスは何か覚えないかい?」
「一度ミゼーディア領に出向いた事があったと記憶しているが、もう少し後だった気がするんだがな」
「行った事はあったのですね……」
もしかしたらどこかで会った事があるかもしれない。その可能性が浮上しただけで、やはり心は沈んでいく。
なんだか気分の浮き沈みの激しさに酔いそうだ。周りにも心配を掛けるだけだし、いい加減気持ちを均さなければなと深呼吸をする。
「……たとえ昔会っていたとしても、夢で会っていたとしても、リムにとっては覚えていない程度の些事ですよ。リムは昔からソフィアリア様しか見えていないんですから、惑わされる必要はありません」
そんなソフィアリアの心中を察したのか、プロムスが殊更優しい声でそう言ってくれたから、珍しい事もあるものだと目を丸くする。
けれどその意図を察して、少し切なげに微笑んだ。
「ええ、わかっているわ。ありがとう、プロムス」
――こんなに近くにいながらソフィアリアの様子に気付こうともしない、オーリムの代わりに言ってくれた言葉だったらしい。
わかっている。今のオーリムにとって言葉だけが本心だ。けれどどうしてもいつものように、わかりやすい態度まで欲してしまう。貴族として育ったので、表面上の言葉よりも、態度や仕草から本心を探ろうとしてしまうので、尚更だ。
言葉と態度が比例しない事が、ここまで辛いとは思わなかった。
*
ラズと名乗る男の子と夢で会うようになってから、現実に期待を持つのは諦めた。周りに期待する事をやめると、思っていたよりもずっと楽になった。
粗末な食事も気にならない。夢で自分の為に食事を用意してくれたラズと一緒に食べた方が、ずっと美味しいから。
大変なばかりの王妃教育も、成果を上げるとラズは目を輝かせてすごいと褒めてくれた。時には一緒に勉強し、教え合う時間が楽しかった。
少女以外の家族が、祖父が母の為に建てた景色が綺麗な別荘に家族旅行に出掛けたと知っても、どうでもよかった。ラズと手を繋ぎながら二人きりで出掛け、同じ景色を見て共に時間を過ごす方が、ずっと幸せだ。
屋敷の庭園で婚約者と義妹がお茶会していたのを目撃したけれど、その様子を見て胸を痛める事はない。その日の夢でラズとお茶会をした時の甘い雰囲気の方が印象的で、完全に忘れた。
――それでも辛い現実に、どうしても耐えきれなかった事がある。
その時ばかりは夢で幸せな時間を過ごす事は出来なくて、とうとうラズに縋って泣いてしまった。理不尽を強いてくる家族も、そんな状況を知っていて、助けてくれないどころか増長させてくる王家ももう嫌だと、子供のように泣きついた。
ラズが助けてくれると言って憤ってくれたから、胸が温かくなる。何があっても自分の味方をしてくれる優しい男の子。こんな人が、現実でも側に居てくれたらいいのに。
そう願ったからか、夢が現実となって現れた時はとても驚いた。ラズも気付いてくれたみたいだけれど、挨拶するのに手一杯で、話しかける余裕はなかった事に落胆した。
それにもう、婚約をしていた。今までの辛い現実の比ではないくらい、とても胸が痛かった。
けれど、やっぱりラズは現実でも助けてくれた。現実で会った彼は夢とは違った見た目をしていたけれど、きっと変装でもしているのだろう。本当のラズは、とても目立つ容姿をしているのだから。安易にここに来れない立場の人間なのだから。
――また辛い事があれば、ラズは助けてくれるだろうか? たとえ婚約者からの指示だとしても、想いを込めて救い出してくれるだろうか?
そんな現実がくる日を少女は――リスティスは、夢見ていた。




