大鳥へのお披露目と鳥騎族 3
大屋敷本館の側面前の大広場は全面的に芝生になっているものの、ところどころ不思議な木が無造作に点在するだけで何もない、一見すると殺風景な場所だった。
温室の窓からこの場所は見えていたが、大鳥も何も居ないので不思議に思っていたのだ。けれど今はそうなだけで、普段は大鳥が自由に過ごしている場所の一つらしい。
そこに着くと、遠巻きに人が集まっていて驚いてしまった。この大屋敷の別館にいる鳥騎族やその家族、希望者や使用人だろうか。よく見れば本館の傍にも先程挨拶をしたばかりの使用人が集まっていたので、ソフィアリアの思っていた以上に大仰な催し物になるようだ。
「あら、王鳥様?」
そして広場にはいつもの王鳥も佇んでいた。頬に手を当てて王鳥とオーリムの姿をした王鳥を交互に見ていると、オーリムの姿をした王鳥が苦笑する。
「二つの身体を別々に行使するなど、造作もない事よ。――よいか、人間。それ以上近付くと安全は保障出来ぬぞ。中にはここに来た事がなく、人間に全く慣れておらぬ大鳥もおるからな」
後半は大声を出した訳でもないのに脳に直接王鳥の声が響く。遠くの方でも人のざわめきを感じるので、同じような体験をしたらしい。これは魔法なのだろうか。
不思議そうな顔をしていたからか、王鳥はニッと笑い普通の声で説明をしてくれた。
「こやつの身体を使えばこういう事も出来るのだ。王鳥の姿だと代行人や人の王みたいな契約者としか出来ぬのだがな。妃もいずれ、こやつの姿を借りなくてもこうして直接会話出来るようにしてやるから、気を馴染ませるまで待っておれ」
「まあ、そうでしたの。ええ、楽しみにしておきますわ」
「うむ。――さて、はじめようか」
王鳥は空を仰ぎ、すぅっと大きく息を吸い込む。
「――待たせたな、余の民である大鳥達よ。この者が余の妃であり、そなたらの王妃であるソフィアリアだ。さあ皆の者、その姿を現し、敬意を表するがよい」
上に立つ者特有の堂々としたその声が脳内に響く。思わずひれ伏したくそれを聞いた途端、広場に、空に、大屋敷の屋根の上にも、色とりどりの大鳥が次々と姿を現した。
どの大鳥も王鳥と同じ二股に割れた尾の長い鳥の姿を模しており、最大は王鳥と同じくらい、小さい子は抱えられるくらいと大きさもさまざまだ。
そしてなんと言っても色だ。全員違う色で一人として同じ色の子は居らず、単色の子もいれば複数混合も、そして王鳥と同じくグラデーションになっている子もいた。ここからだとはっきりとはわからないが、目の色だけは金色に輝く王鳥と違い、共通して黒っぽく、鳥類のように丸いようだ。
そんな大鳥が地に、空に、この大屋敷周辺に群がる様は、思わず慄くほどの迫力があった。だがギュッと拳を握り、笑みを崩さないように耐える。
遠巻きに集まる人や後ろでも、この光景に騒めいている人の声が聞こえるから、今頃聖都……いや、島都中が大騒ぎになっているのではないだろうか。こうも大掛かりな事になるなら、心の準備の為に言っておいてほしかった。
王鳥はソフィアリアを地面に降ろすと、そっと肩を前に押す。見れば悪戯な顔をして、顎で前をしゃくっていた。
「挨拶してやればよい。あれは、そなたの民でもある」
あまりの事にグッと息が詰まる。が、そう言われたら応えない訳にはいかない。
一度深呼吸をし、意を決するとお腹の前で手を重ね、微笑を湛えたまままっすぐ広場と空の間くらいを見つめる。瞳に精一杯の愛情を込めて――
「――我が王に選んでいただきましたソフィアリア……ソフィアリアです。あなた方の王鳥妃として、わたくしはあなた方を心から愛しましょう。どうか、仲良くしてくださいな」
セイドは付けない。ソフィアリアはもうただの男爵令嬢ではなく、半年もすればオーリムにも嫁ぐので姓も変わってしまう。ソフィアリアはこの瞬間からもう、大鳥に認められて王鳥妃になるのだ。
ふわりと笑い、見せつけるかのように大ぶりに、けれど何よりも優雅さを精一杯心掛けた綺麗なカーテシーをしてみせる。その姿に大鳥達は満足したのか、色々な声音でピィと祝福のような鳴き声が次々と上がった。
まるで歌のようなそれを聞いてゆっくりと顔を上げ、大鳥達を見渡して笑みを深める。
――全ての大鳥に認められた王鳥妃。その誕生の瞬間を目の当たりにしたフィーギス殿下やラトゥスは、少しの感嘆と、底知れぬ不安にゾクリと身体を震わせ、息を呑んだ。辛うじて表情は保てているが、口元はヒクつき、冷や汗が流れる。
素晴らしい事だと思う。めでたいと、そういう気持ちもある。けれど王鳥妃に選ばれた彼女は大鳥よりもずっと弱い、人間の少女でしかない。
堂々と挨拶をした彼女は王妃に相応しい、素晴らしい振る舞いをしてみせた。その事に疑問が湧くが、それどころではない現実が目の前に襲いかかってくる。
「――人間よ。これで我が妃は余の……余達の王鳥妃となり、余の民みなに認められた。実にめでたいであろう?」
そう言って王鳥は顎を逸らしながらフィーギス達を振り返る。王鳥は目を細め、優しさよりも人間を見下したような邪悪さの方が強い笑みを浮かべていた。姿形はオーリムでも、それはまさしく王鳥にしか出来ない、神の表情だ。
人間を代表して寿ぎを紡ごうと口を開いたフィーギス殿下を遮るように、王鳥は言葉を続ける。
「さて、そんな余の妃を害された時、余の民達はどういった行動に出るのであろうな?」
感情の乗っていない、冷たさを感じるその言葉はまさしく脅しと警告で、ぐっと言葉が詰まる。一番恐れている事を指摘され、フィーギス殿下はそうやって祝いの言葉を飲み込む事しか出来なかった。
その通りなのだ。王鳥に、大鳥に愛される妃の存在を正しく理解出来る人間は、はたしてどのくらい居るのだろうか。
決して触れてはならない禁忌の存在は、だが人間から見れば侮るのに充分な年若い娘で、立場の弱い末端貴族である男爵家の令嬢でしかない。
周知徹底をする暇も時間も与えられず、この日を迎えてしまった。もし今彼女に何かあればこの国どころか人間が、この世界が滅びかねない危険性を孕んでいる。
ずっと恐れていたその事実に、フィーギス殿下は何も言えず、立ち尽くす事しか出来なかった。
「……ねぇ、王様」
「ん? どうした?」
困ったように眉を下げ、王鳥の方を向いたソフィアリアに王鳥は、先程とは打って変わって甘さの乗った、柔らかな声音で応えた。
「わたくし、もう王鳥妃なのよね?」
「ああ、勿論」
「偉そうな事を言っても、大鳥様達に嫌われないかしら?」
場違いにも甘えるような声音でそう言うソフィアリアに、だが王鳥は嬉しそうに笑みを深め、頷いた。
「当然。そなたは余の妃だ。発言を許す。そなたの民に伝えてやれ」
「ふふっ、嬉しい! ありがとう、王様。大好きよ!」
重苦しい雰囲気を無視した、ソフィアリアらしくない無邪気な態度に王鳥を除く皆は目を白黒させ、ソフィアリアはフィーギス殿下を見て一瞬笑みを深めると、また大鳥達の方を向く。
どうも精神的に追い詰められると童心に帰るのか、甘えたな一面が表に出てきてしまう。だが今、甘える訳にはいかない。
目を閉じて、もう一度深呼吸。大丈夫。やれる。
ソフィアリアはやらなければならないのだ。恋しい二人の隣に立ち続ける為に――
目を開けたソフィアリアは、だが一転して無邪気さも優しさも取り払った、凛とした表情を浮かべていた。お腹の前で手を重ねて、悠然たる態度で大鳥達を臨む。
「――聞きなさい、わたくしの愛しい子達」
いつも穏やかなソフィアリアが、王鳥を前に甘えたような無邪気さを見せたソフィアリアが、強く、支配者然とした声音を発した事に王鳥以外の人は驚いたように目を見開く。ソフィアリアはそんな背後の様子に気付く事なく、言葉を続けた。
「わたくしはわたくしが害された時、あなた方が反撃の鉄槌を下す事を。いつ、如何なる場合でも、無断で人間を害する力を行使する事を許しません」
その言葉に抗議と言わんばかりに大鳥達が威圧感を出しながら低く鳴くが、ソフィアリアはグッと堪え、前だけを見据える。
「静まりなさい! ――報復の決行は必ずわたくしか、我が王に伺いを立てなさい。勝手な振る舞いを、わたくしは許さない」
不自然な強風が吹いて髪が、ドレスが靡いた。立っているのもやっとな風を叩きつけられても、ソフィアリアは表情も姿勢も崩さずに、ただ静かになった大鳥達を見据える。
しばらくそのまま時をやり過ごし、やがてふわりと優しげないつもの表情を浮かべると、抱っこをせがむ子供のように、大鳥達に向かって腕を上げた。
「――ありがとう、そんなにまでわたくしを心配してくれて。あなた達の大切な王様の、お妃さまだと認めてくれて。わたくしもみんなが大好きよ。だから……これからもたくさん、一緒に幸せになりましょうね」
――強気に言ってみたものの、本当は命令なんて、許さないなんて言える程、ソフィアリアは強くはないのだ。
基本的にふわふわしていてマイペースで、そんなのだから女王のような振る舞いなんて似合っていない。
だから最後くらいはソフィアリアらしく、そう締めくくる。これが初代王鳥妃の、真の姿なのだから。
風が止む。威圧感がなくなる。――鳴き声が聞こえる。
よかった。どうやら聞き入れてくれたみたいだ。安心すると力が抜け、ふっと膝から崩れ落ちそうになった。
「フィアっ‼︎」
だが倒れる前にお腹に自分よりも逞しい腕が回されて、後ろから抱き止められた。後ろを振り向くと、心配そうな目で見つめてくる王鳥と……いや、オーリムと視線が絡む。その表情にふっと笑みが浮かんだ。
「腰が抜けちゃった。慣れない事はするものではないわねぇ」
「その……カッコよかった。ありがとう」
「ふふっ。だって大好きなリム様と王様のお妃さまになる為だもの。カッコよくだって、なってみせるわ」
そう言えばオーリムは少し照れて、でもふわりと笑ってギュッと強く抱き締めてくれたから、ソフィアリアも満足だ。
そのまま横抱きにされ、フィーギス殿下達の所へ歩いていく。頭上で大鳥達が心配しているのか、こちらに視線を投げかけてきたので、笑顔で小さく手を振っておいた。ソフィアリアの民となったのは優しくて、可愛い子達だ。
「よくやった。さすが余の妃だ」
一瞬王鳥が乗り移ったのか、そう声が聞こえた。だが見上げたオーリムはオーリムのままだったので、彼も気付いていないのだろう。
どうやら王鳥にとっても満足のいく判断だったようだ。あの時の冷たい王鳥は人間を脅した訳ではなく、ソフィアリアに発破をかけて、大鳥達をソフィアリアの言葉で諌めてほしかったのかと納得がいく。
やがてフィーギス殿下のところに着くと、彼は優しい笑みを浮かべながら徐にソフィアリアの右手を取り、腰を折って恭しく自身の額に当てる。
「君の献身に感謝を」
「わたくしではあれが精一杯ですわ。これで少しでも、彼らの抑止力になればいいのですが」
「充分過ぎるくらいだとも。ありがとう、王鳥妃よ」
顔を上げたフィーギス殿下が晴れやかな表情を浮かべていたから、ソフィアリアもニコリと笑っておいた。
……口約束だ。なんの力もない人間で、王鳥妃になったばかりのソフィアリアの言葉を、本当に大鳥達が聞き入れてくれたのかは、まだわからない。
けれど、なんとなく大丈夫な気がした。だって大鳥達の瞳は、あんなにも優しいのだから。
「ピピ」
近寄ってきたいつもの王鳥はペシリと羽で器用にフィーギス殿下の手を叩き落とし、オーリムごと、抱えられたソフィアリアに引っ付いた。




