少女は救いを夢見る 3
「ミゼーディア公爵家といえば、リスティス様は昨日あれからルルス様に、何かされなかったかしら?」
「……はい、あのまま本当に実家に帰ってしまったようですので。昨日は義妹が、大変失礼をいたしました」
そう言って頭を下げるリスティスに曖昧に微笑む事しか出来なかった。たしかに無礼を働かれたが、一番被害を受けたのはリスティスなので、強く出る気にはなれない。
「わたくし達はなにも。困った妹さんがいて、大変ね」
「お見苦しい所をお見せしてしまいましたね。普段はあそこまでではないのですが……」
「あら、そうなの?」
「ええ」
リスティスから見ても人が変わったように見えていたのかと、探るような視線を投げかけた。そのあたりの事も聞いてみたかったので、ちょうどいい。
ソフィアリアの視線に気付く事はなかったリスティスは、ふっと自嘲気味な笑みを浮かべる。
「わたくしに恥をかかせて、レイザール殿下の婚約者の座から引き摺り下ろしたいのかもしれませんね。そんな事をしなくても、わたくしをお飾りの王妃に据え置いて、今まで通りレイザール殿下に囲われている方が、確実ですのに」
「えっ、ちょっと待ってくださいませ。レイザール殿下がルルス……様を囲っているって、どういう事ですの?」
「……どうかこの場の戯言として、内緒にしてくださいませ。あの二人は恋人同士なのです」
混乱したメルローゼの問いの答えに、昨日集めてきてくれた情報は真実だったのかと、ソフィアリア達は困惑した。
本当に、何故リスティスはそんな思い込みをしているのだろうか。ソフィアリアはルルスを心底嫌がっているレイザール殿下しか知らないので、まったく話についていけない。
「ああ……やはりそうなのね」
ついていけないので、とりあえず考えを探る為に乗ってみる事にした。みんなにギョッとされたが、頷いて合わせるようお願いする。理解してくれたのか、とりあえず静観してくれるようだ。
「……ソフィ様もお気付きになられましたか?」
「なかなか、ただらならない関係なのだとお見受けしたわ」
恋仲という意味ではなく、あそこまで嫌うのは相当だろうという意味で、と心の中でこっそり付け加える。
「わたしも驚きだわ。まさかレイザールが……。いつからかしら?」
何も知らないフリをして、マヤリス王女も乗ってくれた。
目を丸くするマヤリス王女の視線を受けたリスティスは、昔を思い出すようにカップの中に映る自分を、ぼんやりと見つめている。
「十歳くらいだったでしょうか。父が再婚し、義母と義妹が屋敷に来た頃には、レイザール殿下の我が家への定期訪問の理由は、婚約者としてわたくしと交流する義務よりも、ルルスとの逢瀬になっておりましたから」
「まあ、そんなにすぐに……。一目惚れなのかしら?」
「そこまでは。ただ、気が付いたらわたくしに訪問を知らせず、ルルスと二人きりで庭を散策する仲になっておりました。……昔はそれなりにレイザール殿下と仲良くさせていただいておりましたが、恋に落ちたのなら、諦める他ありませんね」
最後の言葉はソフィアリアに深く刺さったが、首を振って気を取り直す。庭を散策という言葉で今日見たというオーリムの夢を思い出したが、何か関係があるのかもしれない。
なんだか派手な誤解をしていそうだなと漠然と思いながら、もう少しだけ探りを入れてみる事にした。
「あらあら、知らせる事すら怠るだなんて、レイザール殿下にも困ったものね。でも、そんなに何度も見かけたの?」
「わたくしも当時はあまり庭に出る事は出来ませんでしたので、実際に目にしたのは二度ほどですが。定期訪問はずっとされていたはずですので、その間はわたくしに会わず、ルルスと二人きりで会っていたのでしょう。義母からもそう何度も聞かされましたし」
実際に目にした訳ではなく、義母に言い含められた。リスティスはそれを、素直に信じてしまったらしい。おそらく一度見た時のショックを引き摺ってしまい、そう思い込んだのだろうなと思った。
なんとなく真相が読めてきたが、訂正はレイザール殿下の言葉を聞いてからの方がよさそうだ。憶測を語っても長年の思い込みを正すだけの説得力がない為、この場は一旦流す事にして、別方面から攻めてみる。
「……そう。ルルス様も義姉の婚約者の訪問を横入りして二人きりで会うだなんて、大胆な事をするのね」
頰に手を当てて溜息を吐けば、リスティスは目を瞬かせ、首を横に振った。
「おそらくお誘いしたのは、レイザール殿下の方からではないかと」
「あら、何故?」
「ルルスは引っ込み思案な子ですので、自分から言い出せるとは思えません」
「はあっ⁉︎ ……あら、失礼」
メルローゼがうふふと笑って誤魔化したが、ソフィアリアもアミーも、マヤリス王女だって、その発言には呆気に取られていた。今朝のマヤリス王女の言葉を聞いても、とてもそうだとは思えなかったからだ。
「……えっと、リスティス? 引っ込み思案な子は他国の王太子殿下に無礼を働かないし、あんな目立つ事はしないと思うわよ?」
「それは先程も申し上げた通り、わたくしを王太子妃の座から引き摺り下ろす為の苦肉の策だったのでしょう」
「そんな策を練って実行する人間が、引っ込み思案だと言うのは無理があるわ」
マヤリス王女の指摘に、リスティスは少し考えて、微かに首を傾けた。
「……少し前まではレイザール殿下の後ろをついてまわるだけの、大人しい子だったのですが」
「義姉の婚約者についてまわるのをお許しになっていたんですの?」
「レイザール殿下がお許しになっておりましたので、わたくしからは何も申し上げる事が出来ません」
メルローゼが少々不機嫌そうに疑問を呈しても、リスティスは取り付く島もない。
ふと、もしかしたらと思い、ソフィアリアは口を開いた。
「だからリスティス様は、レイザール殿下とルルス様の邪魔をしないよう、二人の事は遠くから見守っていたのかしら?」
「ええ。昨日のダンスの授業のように、同伴を求められる時以外は、二人に遠慮しておりました」
やっぱりかとこっそり表情を引き攣らせる。でなければ、レイザール殿下を脅すように付き纏っていたらしいルルスを、自分の意志で侍らせているような物言いはしないだろう。基本的に関わりを持とうとしていなかったマヤリス王女ですら一度注意をするくらい、ルルスの態度は酷いものだったようだから。
「そう……。まあ恋仲の二人の間に居ても、気まずいだけだものね」
「はい」
この件に関しては、今は何も言えない為、そう締め括る事しか出来なかった。
なんとも面倒な事になっているなと溜息を吐く。おそらくレイザール殿下に裏切られたと思い込んで傷付いたのだろうリスティスはともかく、何故レイザール殿下もリスティスと話し合って誤解を解こうとしないのか。これは、夜にきっちりと問いたださねば。
二人が話し合ってくれてさえいれば、今回の世界の歪みの事すらなかったのではないか――なんて思うのは、さすがに都合が良すぎるかと首を横に振った。
とりあえず、リスティスの事情についてはこのくらい集めておけば充分だろう。王家や公爵家からはいいように扱われ、婚約者であるレイザール殿下は義妹と恋仲だと誤解し、そんななか、たった一人で必死に戦っていた不遇の美少女。
思わず夢で救いを求めてしまうわけだ。現実で安らぐ場所のないリスティスの唯一安らげる場所。誰も助けてくれない現実では居ない、絶対的な自分の味方。その相手に何故、よりによってオーリムを選んでしまったのか、結局わからないけれど。
とりあえずそう結論付けていたら、ずっとカップの中を凝視していたリスティスは顔を上げて、まっすぐソフィアリアを見る。
そこに一瞬敵対心が見えた気がしたから、ソフィアリアは反射的に人好きのする微笑みを浮かべていた。
なんとなくオーリムの話になる。そんな予感がした。




