少女は救いを夢見る 2
本日の授業は一、二限目に美術。三、四限目が選択授業だった為、ソフィアリア達は予定が空いている。この時間に、授業がないらしいリスティスとお茶会をする事になっていた。
登校して早々に美術室に移動したソフィアリア達は、立て掛けられたキャンバスの前に座る。
「本日の授業は静物デッサンを行います。こちらにあるものを自分なりのセンスを駆使し、お好きなように描いてみてください」
そう言った美術の先生がデッサン用に用意していたのは、机の上に無造作に置かれたフルーツと花、小物である。それをクラスのみんなで好きなように囲い――留学生組の近くが軽く争奪戦になっていたが――、思い思いに描いていく。
ソフィアリアは何の捻りもなく水彩画を選んだ。初めて本格的な絵画に挑戦するオーリム、プロムス、アミーの三人も、四苦八苦しながら思い思いに描いていた。
描きながら、オーリムがこっそりリスティスに熱い視線を向けていた事は、頭から精一杯追いやる。その分筆を動かし続けた。
――そうして時間が過ぎていき、美術の時間がもうすぐ終わりを迎える頃。
「……プロムスってば、絵も上手いのねぇ」
描き終えた全員の作品を並べて、簡易な展覧会のような事をした。プロムスの大胆なタッチで描かれた力強い作品を前に、頰に手を当てながらしみじみ思う。
「才能ありますかね?」
褒められたプロムスは口角を上げ、満更でもなさそうな顔をしていた。だからソフィアリアは笑みを返し、大きく頷く。
「充分よ。初めて触れたリコーダーも上手だったし、プロムスって天才肌なのかしら?」
「いつも雑で適当ですが」
「うるせーわ」
イチャイチャしている夫婦を目の保養にしながらそっと離れ、みんなの作品を眺めていく。
ソフィアリアとプロディージは実写に忠実で、マヤリス王女は全体的にふんわりしている。メルローゼとアミーはどこかポップで可愛らしく、オーリムはちょっと辿々しいのが微笑ましい。みんな性格が出ているなとほっこりした。
なお、フィーギス殿下とラトゥスの作品が、この世の悪を詰め込んだ禍々しい何かと評する仕上がりとなっていたので、見なかった事にする。といっても妙に脳裏にこびりついて離れないのだから、困ったものだ。この出来は先生はおろか、クラスメイトすら大いにざわつかせた。
他のクラスメイトの作品を眺め、時折会話も交わしながら、ぼんやりと一つのキャンバスを見惚れているオーリムの手を引いて、無理矢理こちらに誘導する。
「リム様の作品は可愛らしいわね?」
「気を遣わなくていい。……王に下手だって怒られそうだ」
「あらあら。この慣れていない感じが可愛らしいのに、王様ってば全然わかっていないわ」
頰に手を当てて溜息を吐くと苦笑を返される。とりあえず今は、先程まであった熱が目から消えていたので安心した。
そのままの勢いで、ソフィアリアの作品の前にも連れてきてみる。
「わたくしは見たままにしか描けないから面白味がないけれど、どうかしら?」
「上手い、と思う。……すまない。俺は絵の事はよくわからない」
「……そっか」
申し訳なさそうな顔をするオーリムから目を逸らし、絵を眺めながら後ろで手を組む。過剰な評価をしないのもそうだが、そもそもオーリムが真っ先にソフィアリアの作品を見に来ないのが不自然だ。
見たままを描くのは上手だけど、何も感じるものがないという欠点は、先生からも再三指摘された事だとなんとなく思い出す。ソフィアリアの描く絵は何も想いが込められていない。見せかけだけが綺麗だと。
だったら仕方ない。ソフィアリア自身がそういう人間なのだからと諦めて、こんな所で後悔する事になるとは思わなかった。オーリムの視線の先を忘れるようにがむしゃらに筆を動かした罰を、無反応という形で受けるとは。せめて恋心でも乗せていたら、また違ったのだろうか?
――絵の事はわからないと言ったオーリムを魅入らせたリスティスの絵は、どこまでも澄んでいて、少し寂しそうだった。目を惹き、傍に飾ってあげたくなるような繊細さは、ソフィアリアの絵にはない。
なんて、つい卑屈になってしまった考えを振り払い、笑みを貼り付ける。
「フィー殿下達の作品は見た?」
「ああ……この世の地獄だったな……夢に見そう」
「ふふ、それもいいかもしれないわね」
誰か別の人と幸せになる夢よりは、ずっと――そんな事を考えるソフィアリアという存在は、空っぽなくせにどこまでも図々しい。
*
中庭の一角を借り、女性陣四人と護衛のプロムスを入れた五人でお茶会の準備をする。みんなに心配そうな目で見られたが、大丈夫だと微笑んでおいた。
綺麗に並べ終わった頃、時間ぴったりにリスティスがやって来る。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
そう言って綺麗な所作でカーテシーをするも、声にも顔にも鷹揚と表情がない。おそらく呼び出しが嫌なのではなく、元からこういう表情の人……なのだろう。ソフィアリア達に挨拶に来た時も、こんな感じだったのだから。
気を取り直して、こちらも各々礼を返す。
「急に呼び出してごめんなさい。もうあまり日がないから、リスティスとも少しでも親睦を深められればと思ったの」
そう言って申し訳なさそうにこちらを見るマヤリス王女に頷き、ソフィアリアが一歩前に出る。なんとなくマヤリス王女はリスティスともあまり交流はないのかと思った。本当に、この国での地位は捨てているらしい。
「お越しいただきありがとうございます。この場は王鳥妃としてお話させていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、こうしてお話出来て大変光栄です。それと皆様、どうかわたくしの事は名前でお呼びください。敬称も敬語も不要です」
「では、リスティス様と呼ばせていただくわね。よければこの場にいるわたくし達の事も名前で呼んで、楽に話してくださいな」
小さく頷くリスティスを見て着席し、リスティスに許可を取ってから、給仕をしてくれたアミーにも同席するよう促す。護衛役のプロムスは少し離れて、全体を広く見渡せる場所で待機してくれていた。
「ところで、リスティス様は付き人がいらっしゃらないの?」
少し気になったのでそれを尋ねてみる。この学園では使用人を引き連れるのは禁止だが、代わりに同じ歳の付き人を引き連れている貴族が多いのだ。王太子の婚約者なのに、リスティスにはいないのだろうか? 少し不思議である。
「はい、特に必要に感じませんので。申し訳ございません、わたくしの付き人の分も用意してくださっておりましたのに」
「気にしないで。確認を怠ったわたくしが悪いもの」
ふわりと微笑みながら思案する。必要ないという事は、身の回りの世話は自分で出来るという事だ。生まれてから筆頭公爵家のご令嬢であり、王太子の婚約者でもあるリスティスが。家や王家からの扱いを察するには充分だが、確証がほしい。
学園生活やコンバラリヤ王国についての雑談で場を和ませて緊張を解きほぐしながら、そろそろいいかなと切り込む事にする。
「リスティス様は昨日挨拶に見えるまで、ミゼーディア領に居たのよね?」
なんて事ない顔をしながら笑みを浮かべてそう問うと、リスティスの表情が幾分か暗くなった気がした。
「はい。せっかく王立学園にお越しいただいたにもかかわらず、お出迎えもせずに申し訳ございませんでした」
「気にしないで。わたくし達も突然来てしまったもの。スケジュールを調整出来なくても仕方ないわ」
「……申し訳ございません」
そう言ってやや気まずそうに頭を下げるという事は、元々予定は空いていたんだなと思った。なのに直前になって家の人間に呼び出されたものの、大事があった訳ではなかったのだろう。だから気まずそうにしている。
もう少し、リスティスの状況について掘り下げてみる事にした。
「わたくしは驚いたのだけれど、コンバラリヤ王国では王妃教育の一環として、実家の領地経営もやらされるのですって?」
「はい。将来大国の国母となる者、自領くらい片手間で治められなくてはお話にならない、と王妃殿下は仰っておりました」
無表情で淡々と話すリスティスに、目を丸くする。
「まあ! 我が国とほぼ同じ広さのあるミゼーディア公爵領を片手間で?」
「はい」
「そう……。やはりコンバラリヤ王国のような大国となると、王妃に求められるものも、それだけ大きくなるのね。わたくし達、学園に来る前に王妃殿下にもお会いしたのだけれど、あの御方がそれほどの才女だったのなら、もっとお話を聞いてみればよかったわ」
頰に手を当ててしみじみそう言ってみれば、微かに眉根が寄ったのがわかった。そして、肯定も否定もしない……いや、否定の言葉を口に出来ないのだろう。
わざとらしくそう言ってみたものの、あの王妃殿下はやっていないし、出来ないだろうという事くらいわかっていた。だって彼女の実家は男爵位で、それも養子として迎えられた庶子だ。そんな人間が、ビドゥア聖島と同程度の広さの公爵領なんて治められる訳がない。実家の男爵領でも危ういと思う。
それでも、王妃にも出来ない事だとわかっていても、リスティスは王妃教育の一環だからと反発する事なくやっている。何か弱みでも握れているのかと探るように、すっと目を細めた。
「話には聞いていたけれど、本当にそんな事をしていたの?」
と、どうしても我慢ならなかったらしいマヤリス王女が真剣な顔で問いただす。リスティスは微かに俯き、小さく頷いた。
「……はい」
「わたしも習っていたからわかるのだけれど、王妃教育だけでも相当大変なのに、公爵領の領地経営なんてしている暇はないのではなくって?」
「その領地経営が王妃教育の一環ですので、やっている暇がないなんて泣き言は許されません」
「……領地経営に時間を取られていれば、王妃教育そのものが疎かになるわ。それでは本末転倒でしょう?」
「王妃教育の方はあらかた習得しておりますので、卒業までには完璧に仕上げます。……ですので婚姻の日までこのまま、わたくしが公爵領を治めたいと思います」
「何故そこまでして?」
「……領民の安寧の為に、です」
ギュッと口元を引き結び、余計な事をするなと懇願するような眼差しでマヤリス王女を見つめているのを見て、だいたい察して溜息を吐いた。
なんとなくそうではないかと思っていたが、どうやらリスティスの父、ミゼーディア公爵は、まともな領地経営が出来ない人のようだ。だったら何が出来る人なのかと気になるが、そのあたりの情報は不要なので、触れない事にする。
つまりリスティスは現在、王妃やミゼーディア公爵に、領民の命運を握られているようなものなのだろう。経営権がミゼーディア公爵にいくと大変な事になるとわかっているから逆らえないし、ミゼーディア公爵領は元は母の領地だったので、見捨てられない。それをわかっていて、ミゼーディア公爵家からもこき扱われている。
逆に言えばリスティスには、広大な公爵領の領地経営を、王妃教育と並行して出来るだけの手腕が備わっているという事だ。となると相当優秀な人という評価は間違いない。だったらレイザール殿下とルルスの誤解はどういう事なのかと、思わなくもないが。
そんなリスティスには、どうも味方がいないように見受けられる。実家である公爵家も使い物にならないだけでなく、リスティスの足を引っ張っている様子だし、こうなってくると味方どころか、もはや敵である。
唯一公爵家に反発出来る頼みの綱の王家にしても、陛下や王妃はリスティスに流れる正統な王族の血統が、気に入らなかったマヤリス王女の母と同じだからか、余計な圧を掛けてくるばかり。
婚約者であるレイザール殿下すら、陛下や王妃には逆らえず、今もどこか頼りない。それ以外の王子王女は除籍処分を受けるくらいなので論外だ。
孤軍奮闘とはこの事か。なんだか哀れに思えてきて、夢に安らぎを求めるのは仕方ないかと思えてくる。
だからといってオーリムは渡せないので、その考えはすぐに打ち消したが。ソフィアリアこそがリスティスの唯一の安らぎすら奪い去ろうとしているのだから、救いようがないなと目を伏せた。
マヤリス王女もリスティスの現状がそこまで酷いものだとは知らなかった――いや、知ろうともしなかった事を今更悔いてるようで、くしゃりと痛みを堪えたような表情をする。けれど今更謝って済む問題ではないし、マヤリス王女にしてもレイザール殿下以上に立場が弱く余所者扱いを受けている為、何も出来る事はなかっただろう。
「……わかっているのかしら? ミゼーディア公爵領はいずれ、公爵の手に返さなくてはならないわ。王太子妃になれば、公爵領を治める余裕はなくなるのよ?」
「はい、重々承知しております。ですがその日までは、どうかこのままで」
「解決策は考えているの?」
「……いいえ」
それでは問題の先送りにしかならないのではないかと渋面を作るものの、それを言ったところで部外者であるソフィアリアには何もしてやれないので、言葉を呑み込んだ。
マーニュがミゼーディア公爵周りの問題は、レイザール殿下がリスティスを王家に迎えてからなんとかすると言っていたので、それに任せるしかない。
せめてそれを伝えようかと思ったが、口を開く前にリスティスはレイザール殿下はルルスが好きと思い込んでいる事を思い出して、口を噤む。そのあたりの事情もルルスの事込みで聞いてみるべきか。
話も停滞して、なんとも言えない雰囲気が漂い始めていたので、こんなものでいいだろう。リスティスの現状は知れたので、ソフィアリアは話を変えるために、ふわりと微笑んだ。




