夢幻の恋 6
「……ラズくん」
笑おうとして、失敗した。おそらく不恰好な笑みを浮かべて、あきらかに強張った顔をしてしまったのだろう。
オーリムは傷付いた顔をして、俯いた。だいぶ距離があるその場所で立ち止まる。
そんな顔をさせたかったわけではない……いや、させたのはソフィアリアだ。だから一度深呼吸をして自ら歩み寄ると、その両手を取った。
「……フィア」
「いつまでもそんな所で立っていないで、いつもみたいに一緒に座りましょう?」
「無理、しなくていい……から」
「聞いてあげないわ」
手を引いて無理矢理ベンチに引き連れてくる。オーリムを悲しませるくらいなら無理でもなんでもしよう。気持ちはぐちゃぐちゃでも、間違いなくソフィアリアはオーリムの事が好きなのだから。
いつものように三人で身を寄せ合って、今日は空々しい沈黙が流れた。昨日まではあんなに幸せで満ち溢れていた時間だったのに、たった一日で随分と変わったものだ。
その事が、こんなにも寂しい。
「……みんなに聞いた?」
「ああ。原因はリス……ミゼーディア嬢かもしれないと」
その名前を呼ぶだけで表情が幾分か優しくなった事に心が軋む。その気持ちに蓋をして、気付かないふりをした。だってそれは、オーリムの本意ではないはずだから。
「まだ決まったわけではないけどね」
「決定だろ。でなければ俺はこうなってない」
「ミゼーディア嬢に好かれる理由に心当たりがあるの?」
「……多分遠目でしか会った事はない。俺が代行人って地位だけで、充分だろ」
本当にそうなのだろうかとじっと目を見つめる。居心地が悪かったのか、ふいっと逸らされてしまったが。
とりあえずオーリム側には理由はないと見て大丈夫そうだ。だからいつものように、ふわりと微笑んでみせた。
「そっか」
「好きだ」
突然顔をこちらに向け、脈絡なく告白されたから目を丸くした。でも嬉しかったから笑みを深め、オーリムの胸に飛び込む。オーリムも抱き返してくれた。
だから気付いてしまった。いつもは心配になるくらい早くなる鼓動が、今日は一定な事に――告白した目には、いつもの熱がなかった現実に。
泣きそうになる気持ちを引き締める。それで嘆けるのは、オーリムの心変わりではない。事件解決の為の時間のなさだけだ。
「わたくしも、ずっと恋をしているわ」
「……恋」
「今はちょっとおかしいけれど、大丈夫。すぐにいつもみたいな時間に戻してあげるから、待っていてくださいな」
自分に言い聞かせるように縋り付くと、よりギュッと囲われる。ふわふわと柔らかいものも背中を撫でるから、オーリムの上から王鳥も羽で囲んでくれているのかもしれない。
二人の腕の中にいるソフィアリアは、世界で一番の幸せ者だ――そんな事を心に刷り込んでいたのを感じてくれたのか、オーリムはふっと寂しそうに笑った気がした。
「……戻ったら指輪のサイズ直しを頼まないとな」
「ええ、でもあまり怒ってあげないでくださいな。担当者さんが大変な事になってしまわ」
「注意はするけど、それくらいで怒ったりしない。試着を怠った俺も悪かった。――――ああ、そうだな。チェンバロも買わないと。どうせならオーダーでもするか? 王が意匠の凝ったものがいいって言ってる」
「もう、かなりお高いのよ?」
「使ってない金なら有り余ってるからちょうどいいだろ。……リコーダーとピッコロは貰ったけど、あとバイオリンも欲しいな。他に何があればいい?」
「そうねぇ。王様は何がいい?」
「ピ」
「――――ハープとかどうだってさ。それなら、王も魔法で弾いてやれるんだと」
「まあ、楽しみ!」
そんな話しながら、くすくすと三人で笑い合った。何を使うにしてもたくさん練習しなければならないオーリムは大変かもしれないが、三人で演奏するのは楽しそうだ。
「音楽室が必要かしらね?」
「ビー」
「温室でいいだろ。大鳥達は最近セイドベリー畑に入り浸りで、放置気味らしいし」
「そう? なら、そうしましょうか。あとリアポニアの衣装で肖像画も描いてもらわないといけないわね。最優先なのはこれかしら?」
「結婚後でいいんじゃないか?」
「まあ、ダメよ! 婚約期間最後の肖像画だもの。結婚したら婚礼衣装が最初がいいわ」
「それもそうだな」
「ピー」
そうやって、なんて事ない未来の話に花を咲かせた。それを実現させるように……幻となって消えてしまわないように、お互いの心に深く刻んで。
「帰ってからも……楽しみだな」
そう言ったオーリムは泣きそうな声をしていたから顔を上げて……上げなければよかったと後悔した。
だって楽しみだと言ったその目は虚ろで、何も映していない。本心ではないのが丸わかりな態度は、ソフィアリアの心を無遠慮に傷付ける。
それを表に出さないように気を張って、安心させるように無理矢理微笑んだ。本当に、たった一日で随分と歪な関係になってしまったなと、心の悲鳴に気付かないフリをながら。
「ピー……」
それを感じたのか王鳥が二人まとめてスリっと頬擦りしてくれたから、少しだけ気分が落ち着いた。
大丈夫、まだ笑える。
「……フィア」
頰に手を添えられたいつもの合図に笑って目を瞑り、口付けを受ける。押し当てられる時間はいつもより長かったけれど、名残惜しそうに食まれる事はなかった。
こんな取り繕ったような時間にとうとう堪えきれなくなったのか、オーリムはくしゃりと表情を歪ませる。
「っ、フィア!」
その身に染み込ませるような強い抱擁を、今度こそ受け止めてあげられた。ソフィアリアも抱き返して、胸に顔を埋める。
心音が聞こえた。キスを交わしてももうドキドキすらしないんだなと打ちのめされる。態度と言葉が伴わないのが、こんなに苦痛をもたらすものだとは知らなかった。
「嫌だ……いやだ、俺はフィアが好きなんだっ、ごめんな、フィア、でも俺はフィアが好きでっ……!」
「謝られたら、余計に悲しくなってしまうわ。大丈夫、ラズくんが恋をした相手はわたくしだって、ちゃんと知っているもの」
オーリムの頰を包み込んで顔を引き寄せ、少し考えて、コツリと額を合わせる。
「ねえ、ラズくん。覚えていてね? わたくしの恋は綺麗なものではないわ。他の誰にも譲ってなんかあげない。目移りなんかしたら、無理矢理こちらに引き寄せて、二度と動かせないようにぐるぐると縛り付けてしまうから」
まるで言い聞かせるように親指で唇をなぞり、じっくりと目を見て妖艶に微笑んだ。何も言わず目が虚ろなままなのは、ただぼんやりしているのか、少しでも見惚れてくれているのか――後者だったらいいのに。
「幸せなんて願ってあげない。ラズくんと王様はわたくしと幸せになるのよ? わたくしに恋を仕込んだのだから、どうかその事だけは、忘れないでくださいな」
ふっと額から離れると、強い目で訴えた。
「ラズくんは、わたくしのものよ」
奪うように唇を深く重ねて、オーリムにされなかった分存分に食んでやる。
ここまでしても、いつものように赤くなりすらしないのだから、泣きそうだ。その苛立ちを唇に乗せた。やんわり返してくれるだけじゃ全然足りないのだから、自分からするしかないではないか。
出来ないと分かっていても、いつものようにオーリムの身も心も、ソフィアリアを求めてほしかったのに。
舌を絡める事こそ出来なかったが、そろそろ息苦しくなって唇を離すと、オーリムは目を見開いたまま呆然としていた。ソフィアリアの行動に驚いているのか……何も反応出来ない自分に、ひどく失望しているのか。
そんな顔を見ているのも苦しくて、首筋に顔を埋めた。
「……好きだ、本当に好きなんだ……」
「……ええ、知っているわ」
「そっか……よかっ……た……」
くらりと横に倒れ込んだから驚いて、思わずその身を抱き抱える。
覗き込んだオーリムは気を失っていた。その顔が傾いた拍子に一筋だけ、涙が頰を伝っていく。
「……ラズくん?」
気を失ったオーリムに顔が強張るのは仕方ない。だってそうやって見た夢は、二人の仲をより深く引き裂くのだ。
嫌だと、心が痛む。
思わず起こそうと身体を揺すれば、ふっと目を開けた。
「ラズくんっ……!」
が、苛立たしげに顔を顰めると、一瞬全身が夜空色に光る。まるで何かを振り払うように、乱暴に髪を払った。その拍子に髪色が、見慣れた夜空色に変わる。
目を細めてソフィアリアを見る目は明るいオレンジ色が真ん中に走る黄金色。それが暴力的な光を宿していた。
「ラズく」
「すまぬな、余だ。ラズの意識は無理矢理引き摺り込まれた。余の力すら及ばぬとは、ほんに腹立たしい」
ソフィアリアを膝に抱えながら、ガシガシと自身の髪を混ぜる。王鳥も相当苛立っているようだ。
ソフィアリアは信じられない気持ちで王鳥の言葉を聞いていた。強制的に引き摺り込まれてしまうなら、寝ないという手は取れないのだろう。
早くどうにかしたくて気が急いてしまうソフィアリアを、王鳥はぽんぽんと頭を撫でて宥めてくれる。
「っ! 王様っ……‼︎」
本日二回目だなと頭の片隅で理解しながら、優しくしてくれる王鳥に泣き付いた。上辺だけにしか見えなくなったオーリムの態度に、短時間で心がズタズタだ。
でも、ソフィアリアよりもっと傷付いているのがオーリムだから、今はオーリムの前で弱音は吐けない。優しくしても返ってこない恋情に、どうしようもなく心が擦り減っていく。
もう、どうすればいいのかわからなかった。
王鳥はギュッと抱き締めて、そんなソフィアリアを慰めてくれる。
「……辛いな」
「はいっ……はいっ! だって今頃ラズくんはっ……!」
「すまぬな、不甲斐ない神で。どうしようもないと放置した歪みがこうなるとは思わなかった。ラズではなく、余を恨め」
「いや、嫌ですっ……! だってわたくしにはもう、王様しか居ないのにっ……!」
ギュッと縋り付く。この温もりすら失ってしまえば、ソフィアリアは本当に何もかもを失くしてしまいそうな恐怖に駆られる。それだけは、どうしても嫌だった。
王鳥にすらどうしようもなかったのはわかっている。ただ今は嘆いて、また明日頑張る為の活力にしたいだけだ。
だから、今だけは。
「……なあ、妃――フィアよ」
「……はい」
「余は問題が解決するまで、ラズの身体を借りぬ。余まで同調する訳にはいかぬからな」
「……身体を借りず、繋がりを切っていれば、王様は心変わりはしないのですか?」
「さてな。そうかもしれぬし、いつか変わってしまうかもしれぬ」
「そう……ですか……」
結局、そんな事では何も解決出来ないらしい。わかっていたが、落胆してしまった。
落ち込むソフィアリアを少し離し、王鳥はコツリと額を合わせる。
「フィア。酷な事だが、ラズを諦めないでやってくれぬか?」
「そんな事っ……! 当たり前ですわっ!」
「今は虚勢を張っておるからそう言えるが、そのうちそれも難しくなろう。その時になっても余はこうして直接声をかけてやれぬからな」
そんな事ない……とは言えなかった。だって心はソフィアリアに残した状態の今ですらこれなのだ。色恋沙汰が絡むと愚かになるソフィアリアが、これから間違えないとは思えない。
自分の弱さを自覚して俯くソフィアリアの髪を、王鳥は優しく撫でる。
「ラズは昔からフィアが好きなのだ。余が見初めてしまうくらいまっすぐに、ずっとフィアだけを求めておるよ」
「……本当ですか?」
「フィアが一番よくわかっておるはずだがなぁ?」
そう言ってくつくつ笑う王鳥に、むっと頰を膨らませる。そんなソフィアリアを愛おしそうな目で、王鳥は見ていた。
その視線が欲しかったソフィアリアの心が癒えていく。束の間の事だとしても、まだもう少し頑張れそうだと思ってしまうソフィアリアの恋心は、なんと単純なのか。
涙を拭うと、決意を宿した目でふわりと微笑んだ。
「わかりました。たとえ好きじゃなくなってしまっても、わたくしはラズくんに宣言した通り、いつまでも執着しますわ」
「うむ、良いな。さすが余の妃だ」
「ふふ、ええ。王様とラズくんのお妃さまですもの。醜く縋り付く姿に、幻滅しないでくださいませね」
「するはずなかろう? 徹底的にするがよい。どんな過程を踏もうと余が許す。存分にやって見せよ」
「ええ!」
ギュッと抱き付くと愛おしそうに頰を擦り合わせ、しばらく出来ない分のキスもたくさんもらったから、元気満タンだ。
――大丈夫、まだやれる。ソフィアリアは王鳥に後押しされたこの恋を、何があっても手放さない事に決めた。




