夢幻の恋 4
夕飯になってプロムスはおりてきたが、オーリムはおりてこなかった。寝ているのかと心配していたが、仕事に打ち込む事で気を紛らわせているらしい。
心配だが、ソフィアリアももう少しだけ心の準備期間が欲しかったのでちょうどいい。この日の夕飯は、砂を噛むように味がしなかったけれど。
寝る前の時間。いつもなら幸せいっぱいのデートをしていたが、今日は来てくれないかもしれないなと思えば胸を痛める。夕飯時はほっとした癖に、なんとも勝手な恋心だ。
それでも足は、バルコニーに向いていた。
「――とこしえの栄光が我らが主にも幸福をもたらすように」
バルコニーには遠い目をした王鳥の他に、両翼を広げて天を見上げるという謎のポーズを取るヴィルと、その前に跪き、今し方聖句を唱え終わったマヤリス王女が居た。摩訶不思議な光景に目が点になるのは仕方ない。
でも、なんだかその光景が面白くも微笑ましくて、くすくすと笑ってしまった。笑い声に反応して、マヤリス王女がハッとしながら立ち上がる。
「ふふ、お邪魔してしまってごめんなさい。リース様とヴィル様はすっかり仲良しさんですわね?」
「ピ」
「うう、わたし如きがヴィル様と懇意にするのはおこがましくもあるのですが、でも、これからも仲良く出来たらなって思ってます!」
決意表明と共に拳を握るマヤリス王女の事をヴィルは優しい目で見つめ、屈んですりっと頰を擦り合わせる。
「はうっ⁉︎」
マヤリス王女には効果は抜群だ。赤くなった両頬を押さえて身悶えている姿が可愛くて、またくすくすと笑ってしまうのだった。
「……お姉様、笑えていますか?」
頰の熱が冷めたのか、ふんわり笑うマヤリス王女は慈愛の天使のようだ。どうやらまだ心配してくれていたらしい。
「ふふ、ええ。だってお二人とも可愛いんだもの。つい和んでしまったわ」
「そうですか。ヴィル様のおかげですね」
「リース様もよ?」
マヤリス王女ははにかんで、ヴィルはどこか誇らしげに胸を逸らすのだから、すっかり名コンビである。
このまま並んでいればいい……何を知っても、ずっと。
マヤリス王女と並んでバルコニーの手すりに掴まりながら、四人で一緒に夜空を見上げた。まだ少し空には雲がかかっていて、時折月や星を隠してしまっている。
「リース様はビドゥア聖島に来たら、どんな王妃様になりたいの?」
せっかくなので、その意気込みを聞いてみる事にした。
その問いにマヤリス王女は目を細め、楽しそうに未来に想いを馳せ始める。
「王妃になる前に、まずは地盤を固める事からですね。わたしには後ろ盾がない分、国内にはないであろう膨大な知識がありますので、それを活かしながら自らの居場所を確立しようと思ってます」
「素晴らしい心構えだわ。知識って、例えばどんなものがあるのか教えてくれるかしら?」
好奇心に勝てずつい聞いてしまう。他国の知らない知識と思うとワクワクするのは、勉強が好きだったのだから仕方ない。
マヤリス王女はキラキラしながら、大きく頷いた。
「ええ、いくらでも! ギース様やラトゥス様、メルちゃんからの又聞きなので実際に自分の目で見てからになりますが、薬学や医学が数百年単位で遅れているのは由々しき事態なので、最優先で改善したいと思います」
知識を持ち込んだマヤリス王女のおかげで病気で苦しむ人が減るんだなと思うと眩しく思った。このあたりこそが、他国の人間を招き入れる一番のメリットだろう。
「あとは食生活ですね。王侯貴族は野菜を摂らないとお聞きしましたが、絶対ダメです。健康に悪影響を及ぼします」
「あら、そうだったの?」
「うう、お姉様すらそう言うだなんて、食学のおざなり感も捨ておけませんね。バランスのいい食事は健康や美容の基本なんですよ?」
そう言われて、確かに平民の方が健康的で肌艶がいい人が多いかもしれないなと思った。とはいえその分貴族は顔の造形がいい人が多いので、相殺されているが。
「あとやっぱりお料理のメニューを増やしたいですね」
「ええ、そうね。この国のお料理は見慣れなくて、とても美味しいもの」
「はい! あと結局こちらでは実現出来ませんでしたが、卵の生食を実現させたいです!」
ふんすと熱く語った言葉に目を丸くして、同時に首を傾げる。
「何故卵の生食を?」
「トロトロの半熟卵ってとっても美味しいんですよ? 半熟卵のオムレツにオムライス…… 。いつかお姉様にも食べさせてあげますので、お待ちください!」
「ええ、楽しみにしておくわ」
正直火が通っていない卵は衛生的に不安で魅力を感じられないが、そこまで熱弁するからにはとても美味しいのだろう。どこかで食べたのかなと微笑ましく見守る。
「あとは地学、工学、科学……ああ、生活用品の改善も重要ですね。そうやってビドゥア聖島で暮らす皆様の生活をより豊かにし、多くの民にわたしの名前が認められてから、王妃として君臨したいです」
そう言ってまっすぐ立つマヤリス王女は誰よりも王妃として戴くに相応しく、本当に眩しい人だ。目を細めて、思わず恭しく頭を下げていた。
それにギョッとしたのはマヤリス王女である。あわあわと手をバタつかせて、混乱していた。
「あのっ、ダメです、お姉様が頭を下げちゃ!」
「今だけはお許しくださいな。だってわたくし達の次代の王妃様が、こんなに立派で素敵な方なんですもの」
「うう、ありがとうございます。頑張りますっ!」
顔を上げて見つめ合うと、くすくすと笑い合っていた。フィーギス殿下とマヤリス王女の治世が、とても楽しみだ。
「あとは後ろ盾の為の第二王妃をお探ししなくてはなりませんね! 本当なら婚約当初の予定通り、お姉様とも一緒にギース様をお支え出来れば良かったのですが」
えへへと無邪気な顔で言った言葉に、身体がピシリと凍りつく。
この感覚はよく知っている。ソフィアリアの存在が、何か良くない事に作用していたと知る前触れだ。
まさか――……。
「ギース様に求婚した時、わたしが王妃になれば、お姉様を側妃にするのは簡単になるなって思いもあったんですよ?」
「リース様、それは」
「だからメルちゃんのお手紙でお姉様は側妃を諦めたって知って、本当にビックリしたんです」
「あの」
「でも諦めきれなくて、なんとかお誘い出来ればなって思っていたのですが、王鳥妃様になってしまわれたらどうしようもありませんね」
無邪気に笑う可愛らしい顔に、頰を引き攣らせる。どうやらソフィアリアの存在は、運命的な大恋愛に余計な打算を組み込ませてしまっていたらしい。
なんて事だ。こんな事ばかりしているから、巡り巡って今のような危機的状況を招いたのではないかとすら疑ってしまう。
それに、いい加減言っておくべきだろう。一度重苦しい息を吐いて姿勢を正し、まっすぐマヤリス王女を見据えた。
「……マヤリス王女殿下」
「はっ、はいいっ!」
急にかしこまったから少し萎縮させてしまったようだ。
だが、仕方ない。このタイミングで伝えるのは八つ当たりじみているが、いつか知らなければならない事だ。なら、今だっていいではないか。
「……フィーギス殿下がヴィル様と契約出来て嬉しい?」
「はい、もちろんです!」
「マヤリス王女殿下も、幸せかしら?」
「当然です! こうしてヴィル様と出会えた幸運を、生涯忘れる事はないでしょう」
胸に手を当てふわりと微笑んだマヤリス王女を、ヴィルも幸せそうな目で見ていた。
だから、王鳥妃として伝えなければならないのだ。ソフィアリアは真剣な表情をして、マヤリス王女に告げる事にした。
「大鳥様は一途で、想いを寄せた相手には精一杯の愛情を向ける事はご存知よね?」
「はい、もちろんです! 大鳥様は孤高の神様ですが、伴侶と選んだ鳥騎族の事はどこまでも深い愛情を注ぐのだと本で見ました」
「それは事実よ。そんな大鳥様と同調するから、鳥騎族は例外なく愛妻家で一途になるわ。それまで放蕩息子として名を馳せた方だって、そうやって心を入れ替える」
「……え?」
なんとなく何を言いたいのか察したのだろう。強張った表情に、それでもソフィアリアはマヤリス王女にとっては堪え難い事実を突きつけた。
「大鳥様も、選んだ鳥騎族が伴侶以外によそ見をする事を決して許さないの。だからね、リース様」
ゆるゆると首を横に振るマヤリス王女に、ソフィアリアは言った。
「フィー殿下はもう、第二王妃なんて迎えられないわ」
その言葉はマヤリス王女にとってよほどショックなのだろう。本来ならば嬉しいはずの一途さは、マヤリス王女にとっては心に負荷を掛けてしまったようだ。
一歩下がって、トンっとヴィルの胸元に背中が触れる。おそるおそる見上げたマヤリス王女の顔が強張っている理由をヴィルは理解出来ないようで、首を傾げながら、戯れるようにそっと額を擦り付ける。
痛々しい沈黙が流れても、ソフィアリアは黙ってマヤリス王女の返答を――決断を、待っていた。
「……どうしても、ですか……?」
「例外はないわ。大鳥様は理解出来ない人間の風習には、理解を示さない。だからわたくしはリム様とはまだ婚約中だけれど、王様とはもう伴侶なの。婚約する意味がわからないんですって」
王鳥妃であるソフィアリアですらそうなのだ。それより格下のマヤリス王女の説得を聞き入れられないのを、察したのだろう。
「そう……ですか…………」
青褪めて俯いてしまったけれど、ソフィアリアではどうもしてやれない。マヤリス王女が心に折り合いをつけなければいけない事なのだから。
そもそもフィーギス殿下は再三伝えているはずなのだ。マヤリス王女がいれば第二王妃を迎えない事も、外交を考えなくていいビドゥア聖島では第二王妃が必須ではない事も。
こんな方法になってしまったのは申し訳なく思うが、いつか揉める事になるのだから、いっそ大鳥の強制力は助かったのではないか。そう思わずにはいられない。
しかし、柔軟なマヤリス王女がそこまで他国の風習を受け入れず、自分の考えを押し通そうとした理由はなんなのか。聞いてみるべきだろうが、今は難しそうだ。
「わたし、えっと……今日は、失礼しますねっ! おやすみなさいませ、ヴィル様……お姉、様」
そう言ってペコリと頭を下げ、逃げるようにヨロヨロと部屋に戻って行った。
優雅な礼をして見送るヴィルの隣で自嘲する。傷付いた分だけ……大切な人を傷付けられた分だけ、同じだけの傷を返してやろうなんて考えてしまった自分は禍々しく、性格が悪い。
どうあってもマヤリス王女のように美しく生きる事は出来そうもないなと、背中に哀愁を漂わせた。




