運命の出会い 5
「レイ兄様ぁ〜!」
プロムスとアミーが終わるのを待っていたら、少し前に聞いたばかりの声がしてウンザリした気持ちになる。
フィーギス殿下と話していたレイザール殿下にパタパタと近寄っていったのは、案の定ルルスだった。ソフィアリア達はそれを、少し離れたところから見守る。
「……なんだ?」
「今度こそ紹介させてくださいませ! はじめまして、フィーギス殿下。わたくしはルルス・ミゼーディアと申します。何度か遠目で見た事はございましたが、こうしてご挨拶出来て嬉しいですわ」
「ルルス、許可も得ていないうちから話しかけてはいけないわ」
「お義姉様は邪魔しないで」
やってみせたカーテシーは綺麗だったものの、振る舞いは褒められたものではない。レイザール殿下の傍に居たリスティスが嗜めるも一蹴し、そう言われただけでリスティスは口を噤んでしまうのだから、関係性は察してしまう。正直、何もかも上のリスティスがルルスに遠慮する理由がまったくわからないのだが。
疑問に思っている間にも、ルルスの勝手は止まらない。
「フィーギス殿下、レイ兄様の次にわたくしと踊ってくださいませ」
熱視線を送りながら言い放った言葉はわからない事だらけだなと思い、会場内もあちらに注目が向き、シーンと静まりかえっている。
フィーギス殿下は蔑みの表情を向けるばかりで、口を開こうとしないのは、賢明な判断だ。
「ルルス、試験内容を聞いていたか? 他位の人間と踊る機会は一度きりだ」
「まあ! わかっていますわ、レイ兄様。ご安心くださいませ、わたくしはまだ同位の者とは踊っておりませんの」
「……どういう事だ?」
「我がコンバラリヤ王国とフィーギス殿下のいるビドゥア聖島では、国力の差がございますでしょう? 大国の筆頭公爵家であるわたくしの家と、小国の王太子なら、充分釣り合いが取れていると思いますもの」
胸を張って言い切ったルルスのあまりにも無礼な言葉に会場がざわめき、ひっと小さな悲鳴まであがる。
彼女の中で――いや、もしかしたら他にも、そういう認識の人が多いのかもしれない。フィーギス殿下の後ろ盾があろうとソフィアリア達の事を見下す人が多かった理由も、その発言のおかげでなんとなく察しがついた。
それを堂々と本人の前で口にするルルスの心境は、まったく理解出来ないけれど。
「いくらなんでも言葉が過ぎる。今すぐ退場を」
目を吊り上げたレイザール殿下にそう促されるも、そのレイザール殿下すら侮っているかのように、ルルスはせせら笑う。
「あら、そうですか? では、わたくしは一度実家に帰らせていただきますわ。悲しくなったので、思わずお父様に泣きついてしまうかもしれませんね?」
その言葉になんの効力があるのかはわからないが、レイザール殿下は眉根を寄せ、ぐっと押し黙ってしまう。
それではあまりにも情けないのではないか。内心呆れつつも事の成り行きを見守っている時だった。
「フィーギス殿下、予定通り、わたくしと踊っていただけますか?」
フィーギス殿下の前に立ち、誘ったのはリスティスだったので驚いた。
おそらくこの国でも、公衆の面前で女性から男性を誘うのはマナー違反だ。誘いたい場合は会場入りする前に誘って会場では声を掛けてもらうか、間に人を挟む。だから先程、イリーチアはプロムスではなく、アミーに声を掛けてきたのだ。
リスティスも苦肉の策なのだろう。予防線を張りながら、同じ公爵家の人間であるリスティスがフィーギス殿下と踊る事で、ルルスとの踊りを妨害しようとしている。
「はあっ⁉︎ ちょっと待ちなさいよ、お義姉様っ‼︎」
――たとえその事で、ルルスに目をつけられたリスティスがあとで大変な思いをしようとも、国際問題にするよりはずっとマシだと判断して。
正直話に乗ってしまうのは、ルルスの発言を認めたも同義になりそうだが、リスティスが他国の王太子を侮っているという悪評はともかく、フィーギス殿下が他の誰とも踊らない事で、こちらは認めていないとギリギリ言い逃れは出来るはず。
レイザール殿下すら頼りにならない現状で、一刻も早くルルスを回避する為には、差し伸べられたリスティスの手を取るしかなかったのだろう。
「ああ、そういう話だったからね。では、行こうか?」
「待ちなさいってば!」
「ルルス、フィーギス殿下の御前に立ちはだかるな。そんな事をされれば、もう庇ってやれない。それに、俺と踊るんだろ?」
レイザール殿下に手を取られたルルスは悔しそうな表情で、行ってしまった二人の背中を見送る。
けれどニコリと可愛らしく微笑んで、ギュッとレイザール殿下の手を取った。
「ええ、そんな事しませんわ! あんな女放っておいて、楽しく踊りましょう、レイ兄様!」
レイザール殿下は小さく頷くと、踊りの輪の中に入っていく。
嵐のような一幕だったなと思う。一曲終わったら、もう一波乱起こるのだろうけど。
「姉……ソフィ」
「あら、ロディ」
先程のくだらない応酬を見ていたのか、妙に不機嫌そうな顔をしたプロディージがメルローゼと腕を組んで戻ってきた。それなりに社交に勤しみながら、課題を終えてきたらしい。
「なんなの、あれ」
メルローゼもルルスの態度には腹に据えかねているらしい。口元を隠した扇子の下は、きっと膨れっ面なのだろう。
ソフィアリアも肩を竦める事しか出来ない。
「うちって、相当下に見られているのねぇ」
「まあ大鳥がいるとはいえ、小さな島国である事は事実だしな。外交もせず内にこもっているんだから、当然の結果じゃないか?」
「リムは他所の味方する訳?」
「味方というか、仕事で他国によく足を運ぶからこそ、どういう評価を受けているかくらい正しく理解してるだけだ」
「へぇ〜、意外。あなたってそういうの、ちゃんと理解してる人だったんだ」
「どういう意味だ」
メルローゼが否定しないという事は、オーリムの言った事は事実なのだろう。この中でオーリムと並ぶくらい外国の事を理解しているのは、実家が貿易をしているメルローゼだけなのだから。
そんな話を周りに聞かれない声量で話し、曲が終わった時だった。
「っ! ルルスッ」
悲鳴とも言えない小さな声にはっと反応したオーリムを、ソフィアリアは黙って見ていた。
視線を辿ると、フィーギス殿下と踊り終えたリスティスのスカートに、ぶどうらしきジュースのシミがついている。
ルルスは笑みを浮かべたまま、ニンマリと目を細めた。その手には空のグラスが握られているのだから、何があったかなんて考えるまでもない。
「嫌だわ、お義姉様ったら。せっかく親切心で飲み物を持ってきてあげたのに、ちゃんと受け取ってくれなきゃ悲しいじゃない」
「ルルス、あなたは」
「でも、困ったわね? お義姉様、まだ位違いのテストを受けていないのでしょう? 今から着替えて間に合うかしら?」
そう言ってくすくす笑うルルスを、リスティスはどこか途方に暮れた表情で見ていた。
「なんの騒ぎかしら」
「あら、マヤリス王女殿下、ごきげんよう。身内の者が粗相をしてお騒がせしてしまい、申し訳ございません」
「元凶はあなたでしょう?」
「まさか。わたくしはお義姉様に飲み物を持ってきただけですわ」
まだそんな事を言い募るルルスに、駆けつけたマヤリス王女が呆れたように溜息を吐く。
「そう。なら、いいわ。二人とも、退場を命じます。これ以上他国のお客様の前で無礼を働かないでちょうだい」
「マヤリス王女殿下、わたくし、これを受けなければ単位が……」
そう訴えて悔しそうに俯いたリスティスに、マヤリス王女の眉間に皺が寄る。どうやら途方に暮れていた理由は、今日のテストは絶対に合格しなければならなかったからだったようだ。
とはいえ、スカートを汚したリスティスを誘う人はいないだろう。同じ汚れを被る事は恥となるし、筆頭公爵家に目をつけられるのだから、リスクが高過ぎる。
授業は残り五分。もう少しで最後の一曲だ。
先生に掛け合って、王太子の婚約者権限で別途テストを受けるのが無難かと見ていたら、ソフィアリアの隣に立っていたオーリムが引き寄せられるようにリスティスの方に歩いて行ったから、表情を強張らせた。
思わず引き止めるように手を伸ばしたが、その手は宙を掻く。オーリムは、そんなソフィアリアの様子には気が付かなかった。
「ミゼーディア嬢、私と踊っていただけますか?」
「え」
優しく差し伸べられた手に顔を上げ、リスティスはオーリムと見つめ合う。
おずおずと上げた手を、オーリムは無理矢理掬い上げて、安心させるように微笑みかけていた。
そんな様子を、皆は信じられないとばかりに呆然と見ている。
「……何のつもり?」
ぼそっと聞こえたプロディージの声にはっとして、ソフィアリアは首を振って無理矢理笑みを張り付けた。不自然かもしれないが、これが限界だ。
「そんな事言わないの。最適解だわ」
たしかにこの場で誘うのならば、他国の人間であり表向きは準男爵位のオーリムが最適だろう。どういう評価を受けても、そもそも準男爵位のリムなんて人間は存在しないのだから、何も問題はない。
理屈は通っている……はずだ。
「……本気で言ってる?」
「ええ、もちろん」
探るように顔を覗き込んでくるプロディージに笑みを返す。すっと目を細められたが、溜息とともに観察目標をオーリムに変更したようだ。その目はソフィアリアを見るよりも、ずっと厳しい。
「ぷっ。あら、そう。よかったわね? お義姉様」
正体を知らず、他の人から見ればパッとしないらしいオーリムを見て、ルルスは嘲るように笑うのだから、マヤリス王女は無表情のまま睨み付ける。
「あなたは先に退場なさい」
「ええ、今日は引き下がりますわ。では、まだお会いしましょう?」
ずっと静観していたフィーギス殿下にルルスはカーテシーをしてみせたが、フィーギス殿下はさっと顔を逸らして無反応を決め込んだ。
ルルスは一瞬顔を顰めたが、諦めたように去っていく。
今度こそ大きな嵐は去っただろうと判断して、色々な気持ちに蓋をしたソフィアリアは、プロディージ達から離れる。メルローゼの心配そうな視線を背中に感じながら、フィーギス殿下達のところに歩いていった。
「フィーギス殿下」
「ソフィ……」
フィーギス殿下とマヤリス王女、その後ろに控えている皆からの心配そうな表情には、なんでもないような笑みを返しておく。
「わたくし、まだ位違いの殿方とは踊っておりませんの。よろしければどなたか、ご紹介いただけませんか?」
そう言いながら、まだ一度も踊っていないマーニュに視線を向けたから、察してくれたのだろう。
フィーギス殿下は少しの沈黙の後、優しい笑みで頷いた。
「わかったよ。……マーニュ卿、よければソフィの相手を頼めないかな? 君だってテストはまだだろう?」
「……光栄です。よろしくお願いいたします」
「まあ、光栄だなんて。ただの準男爵夫人が相手で申し訳ございません。どうかわたくしに、マーニュ卿とのお時間を分け与えてくださいませ」
留学生の一人であるソフィアリアと踊れば悪目立ちしてしまう事を詫び、話を聞きたい事を仄めかしてにっこり笑うと、察してくれたのか頷く。
マーニュと手を取り合って、踊りの輪の中に紛れ込んだ。




