運命の出会い 2
色々あったが忘れる事にして、三限目と四限目は音楽の授業だ。
二クラス合同授業なので隣のクラスの人達からの異様な熱気を感じるが、気にしない事にする。
授業開始の鐘が鳴ってやって来た先生が、まさかの学園長なのはとても驚いた。教室もざわついているので、常勤ではなく特別講師らしい。
「それでは音楽の授業を始めます。今更かもしれませんがおさらいを兼ねて、三限目前半は楽譜の読み方から始めましょうか。後半から四限目の前半は実技を、最後はグループ発表会なんて出来たら素晴らしいですわね」
初めて音楽に触れるオーリム、プロムス、アミーの三人にもある程度勉強してもらっていたが、座学から始まってとても助かった。もしかしたら学園長が気を利かせてくれたのかもしれない。
座学が終わり、次は実技の時間だ。生徒全員がそれぞれ楽器を手にしてお決まりらしいチームごとに集まり、音合わせを開始している。
ソフィアリア達は学園長の側に寄った。レイザール殿下達もついてきてくれる。
「この中で楽器に触れた経験がない、または腕に自信のない御方はいらっしゃいますか?」
そう言われて手を挙げたのはオーリム、プロムス、アミーの三人。
「学園長、弾けるけど破壊音を鳴らす場合も手を挙げるべきかね?」
「……まさかフィーギス殿は、楽器が苦手なのか?」
「ははっ」
その反応こそが答えだろう。意外だったのか、レイザール殿下が目を丸くしている。
それはそうだ。見た目も実力も完璧なフィーギス殿下が、まさか楽器だけは苦手だとは思うまい。他にも美術がダメらしいが。
学園長はそんなフィーギス殿下に優しく微笑んだ。
「誰しも不得手はあるものですわ。では一度、試しに弾いてもらいましょうか。ああ、三人にはリコーダーを……アミーさんは小柄ですので、ピッコロをお渡ししますわね」
そう言ってオーリムとプロムスにはリコーダーを、アミーにはピッコロを渡す。
「では三人に演奏方法を教えている間に、他の方はお好きな楽器で一度演奏してみてくださいませ」
「学園長、わたくしは一通り出来ますので、こちらの楽器を触ってみてもよろしいでしょうか?」
ソフィアリアはワクワクした表情で誰も使っていない楽器を手で差すと、学園長は柔らかく目を細めて頷いてくれる。
「ピアノは初めてでしょうか?」
「ええ! チェンバロやオルガンは得意なのですが、ピアノは初めて見ました。鍵盤の色が逆なのですね」
「ええ。弾き方は大体同じですが、音の鳴り方に違いがございますので、どうぞ触って体験してみてください」
「ありがとうございます」
お礼を言って椅子に座り、実際に弾いてみる。オーリムからの期待の視線を感じて、その反応は今朝と違っていつも通りだと胸を撫でおろした。でも今は、リコーダーに集中してくれた方がいいと思う。
ピアノはビドゥア聖島ではマイナーな楽器だ。鍵盤楽器だとチェンバロやオルガンが主流で、ソフィアリアも知識としてピアノの存在は知っていたが、実物は初めて見た。
弾いてみると、音が一定のチェンバロやオルガンとは違い、弾くだけで音の強弱がつけられるようで目を丸くする。チェンバロの要領で弾いてみると音がヘロヘロになってしまった。コツを掴むのに時間が掛かりそうだ。
何度か鳴らすうちにようやくコツが掴め、だんだん楽しくなってくる。
なんだか途中途中で、フィーギス殿下達の方からものすごいバイオリンの音が聞こえてくるのが、とても気になるが。
「ソフィ、私も!」
「うふふ、いいわよ。ロディもどうかしら?」
「僕はいい。チェンバロだってあまり得意じゃないし」
「弾けない事はないのだから、ピアノもやってみればいいのに」
「無様は晒せないよ」
そう言いつつもピアノへの熱視線を隠しきれていないのだから、本心ではやりたいのだろう。それより一番得意なバイオリンを選んで見栄を張るあたり、プロディージらしい。
ピアノをメルローゼに譲って、ソフィアリアはアミーと同じピッコロを手に取る。一緒に演奏してあげれば、羞恥心が少しは紛れるかもしれない。
それにしても、学園長は何故アミーにだけピッコロを渡したのか気になった。小柄だからと言っていたが、ピッコロはリコーダーよりもずっと難しいのに。何か理由があるのだろうか?
あちらはまだ学園長から習っている最中なので、メルローゼの代わりにマヤリス王女の隣に座る。マヤリス王女はメルローゼとフルートを選んでいた。
「お姉様は木管楽器も出来るのですか?」
「一番得意なのは鍵盤楽器だけど、一通り出来るわよ」
「わっ、凄いですね! わたしは鍵盤楽器はなんとなく出来ますが、弦楽器があまり得意ではなく……ギース様達の事を笑えませんね」
そう言って先程から奇妙な音を鳴らし続けているフィーギス殿下とラトゥスの二人に視線を向ける。
おそらくあの二人は楽譜や指運びなどは完璧だが、音の鳴らし方だけが極端に下手なのだろう。メロディは合っているのに音だけがおかしくて、それが奇妙な事になっているのだ。
そんな調子なので教室中からの注目を集め、一緒に弾いているレイザール殿下とマーニュが思いっきり引き攣っているのが、なんとも残念である。
「あちらは楽しそうにしているから、こちらも楽しみましょうか?」
「ふふっ、はい。よろしくお願いします」
そう言って弾いていただろう楽譜に音を合わせる。マヤリス王女のフルートの腕前は相当で、心が洗われた。褒めると可愛い顔で照れるのだから、一生見ていられそうだ。
そんな事をしている間に鐘が鳴り、休み時間になった。楽しい時間が過ぎるのはあっという間だなと実感する。
「なあ、フィア。何か一曲聴かせてほしい」
早々にオーリムがやって来て、目をキラキラさせながらそんな嬉しい事を言ってくれたので、ソフィアリアも笑みが浮かんだ。
「いいわよ。何がいいかしら?」
「一番得意なやつがいい」
「なら、チェンバロね。少しお借りしましょう」
見渡すとチェンバロが空いていたので、周りに断って一曲だけ弾かせてもらう事にした。少し人が集まってしまったが、隣をオーリムが陣取ってくれているので、気にしない事にする。
あまり長く占領する訳にもいかないので短めの曲で、なんだか元気がないオーリムを励ますような軽快で明るい音楽を。ついでに注目を浴びているので見栄を張って、高難易度の曲を、スラスラと弾いていく。
この場を支配出来たような高揚感がたまらず、一心不乱に指を動かし続けた。
やがて曲を終えると、拍手があがる。見るとフィーギス殿下達も遠くから聴いていたのか、笑みを浮かべて拍手をくれていた。
ソフィアリアは周りに愛想を振り撒きながら礼をし、オーリムの方に視線を向ける。
「ふふ、どうだった?」
「家に帰ったらいつでも聞けるように、この楽器を買おう」
「もう、飛躍し過ぎよ」
うっとりと幸せそうな表情をしているオーリムの言葉を笑って流そうとしたが、でも楽器は貴族の嗜みなので、いつか生まれるであろう子供の為にも悪くないなと頭に入れておく。非常に高価なので気が引けるが、これも必要経費だろう。
「ぷっ」
と、どこからか馬鹿にしたような笑い声が聞こえてくるが、気付かなかったフリをした。
その笑い声の方向を睨みつけるオーリムの手を引いて、みんなの所にさっさと戻る。
「なんだ、あいつら」
「気にしなくてもいいわ。わたくしはプロではないし、感想は人それぞれだもの。わざわざ相手にする必要はないの」
そう言うも納得いかないのか、渋い顔をしていた。本当に気にしなくていいのに。
戻った頃に四限目の鐘が鳴ったので、またグループごとに音合わせをし始めた。ソフィアリアはアミーと同じくピッコロを使う事にしたので、アミーのいる初心者グループに混ざる。
意外な事に、プロムスがなかなか筋がいい。指運びを覚えたのか、すっかり慣れた手つきで曲を奏でていた。
「プロムス、上手ねぇ」
「羨ましい」
「知っていた曲なので、見様見真似ですよ」
「あら、この曲を聴いた事があったの?」
「鳥騎族に楽器が得意な友人がいるので、何度か聴かされました」
そういえばそんな人が居たなと思い出す。ソフィアリアは話ししかした事がない人だったので彼の演奏を知らないが、プロムスは聞いた事があるらしい。
「聴いた事があるだけでそれだけ上手に吹けるなら、相当だわ。凄いわね」
「ありがとうございます」
「俺も上手くなる」
「リム様ってば、すぐ張り合うんだから」
三人でくすくす笑うと、オーリムはムッとしていた。すっかりいつも通りだ――と思いたい。
「そろそろ発表会でもしてみましょうか」
学園長の気の利いた……のか微妙な提案を聞いて、まだまだ不慣れなオーリムとアミーの表情が絶望感漂うものとなった。グループ演奏だから多少誤魔化しが利くだろうと、ぽんぽんと二人の肩を宥める。
「はは、すまないね、レイザール殿」
「多分に足を引っ張りますが、レイザール殿下とマーニュ卿は気にせず実力を出し切ってください」
「……あ、ああ……」
「……はい」
どちらかといえば、王太子とその側近チームであるあちらの方が、色々と危ういかもしれない。
という訳で、トップバッターはあちらの最高位チームだ。三人はバイオリンでマーニュはチェロらしく、全国的に有名な曲を合奏していた。
難易度だけでいうと難しい曲なのだが、うち二人の音だけが酷いせいで台無しである。なまじ他国の留学生……それも王族だけに、誰も何も言えないのだろう。
終わった後のレイザール殿下とマーニュの死んだ魚のような目に、心の中で平謝りする。二人の演奏は見事だっただけに、なんとももったいない結果となった。
「…………なかなか独特なセンスをお持ちですわね?」
「いいのだよ、学園長。我が国でも有名なバイオリニストを大激怒させた腕前だからね」
「あの時は、各方面に迷惑を掛けたな」
「あら、そうでしたか……」
学園長は反応に困っていたが、教室内の雰囲気は幻滅して引いている生徒が少数、むしろ完璧な王太子の隙を見つけて親しみを感じていそうな人が大多数で、悪くない反応だ。美形だと色々と得だなとしみじみ実感する。
フィーギス殿下達は自分の席に戻り、学園長は次にこちらに視線を向ける。先にマヤリス王女達を指名した方がいいのではないかと思ったが、学園長はソフィアリア達が正体を秘匿している事を、うっかり忘れていたようだ。
指名を受けたのなら仕方ないと立ち上がると。
「学園長」
「何でしょうか? ソノン様」
手を挙げたのは、先程ソフィアリアの演奏を笑った女性だった。隣のクラスになれるような地位の人間でソノンというと、侯爵令嬢だろうか。たしか高名な演奏家を多数輩出していた家のはず。
嫌な予感に、すっと身構えた。
「先程の休み時間、そちらの人……ソフィ様でしたっけ? 彼女の見事な演奏に感銘を受けましたの」
「あら、そうでしたの?」
学園長に視線を向けられたので、小さく頷く。
「ええ。ですからまた、ピアノをお聞かせくださる?」
ニンマリ笑みを浮かべて指名された楽器に、なんとも意地が悪いなと苦笑する。ピアノを弾いていたのは授業中で、休み時間の演奏は関係ない。
わざわざピアノを選ぶという事は、授業中の拙いピアノの音を聴いていたのだろう。不慣れなピアノを指名して、何がしたいのやら。
「ソノン嬢、あなたは」
「そうですわね。では、お言葉に甘えさせていただきますわ」
諌めてくれようとしたマヤリス王女に被せるよう同意してピアノの方に歩いていけば、全員に驚かれた。ソフィアリアは気にせず、ピアノの前に座る。
先程ピッコロを使ってアミー達と練習していた曲だが、単調な木管楽器パートとはうってかわり、鍵盤パートは複雑だ。だが複雑な分よく目立ち、木管楽器パートの拙さをカバー出来るし、楽器が増えた事で演奏が華やかになる。そう思うと悪くないと思った。
あからさまな嫌がらせに乗った事で教室内に緊張がはしるが、指名したのは彼女だ。その結果は受け止めてほしい。
戸惑いと心配の表情を向けてくるオーリム達に笑みを向けると、一緒に乗ってもらう事にする。
と、そこにプロディージが席を立ち、バイオリンを持ってこちらにやって来た。
「あら、ロディもこちらに来てくれるの?」
「まあね。あっちは二人っきりの方が良さそうだし、せっかくだし僕もこっちに便乗させてもらうよ」
そう言ってプロディージはソノンに蔑みの目を向けると、彼女は悔しそうな表情をしていた。
弦楽器パートは鍵盤パートよりももっと複雑だ。一番目立つので、ソフィアリアを庇ってくれる気らしい。
なんとも優しい自慢の弟だ。プロディージなら出来ると知っているので、遠慮なく任せる事にする。
――そうして五人で奏でた演奏は、思っていたよりもずっと素晴らしい成果を残した。やはりバイオリンの演奏が圧巻だったようで、他をうまくカバーしてくれて、非常に助かったのだ。
ノリに乗ったままやりきった事で五人は自然と笑みが浮かび、惜しみない拍手に礼をする。ソノンだけは、ソフィアリアに射殺さんばかりの表情を向けていたが。
「素晴らしい演奏でございました」
「ありがとうございます」
表向きは一番高位のプロディージが代表して学園長の労いの言葉に礼を言い、五人は自分の席に戻っていく。
席に戻るとフィーギス殿下達もいい笑顔だったから、これでよかったのだろう。挑発を問題なく押し除けられたのなら、それでいい。
その後に聞いたマヤリス王女とメルローゼのフルートでの息の合った二重奏は、ここまでの淀んだ空気を綺麗に浄化するような、心地のいい演奏だった。




