愛の形 2
お風呂上がりに着替えたのは浴衣という簡易な着物だった。念の為中に夜着を着ているとはいえ、大きく動くと簡単に乱れそうなので所作に気遣いつつ、近所だったので滞在先の屋敷に徒歩で帰る。道すがら浴衣姿のオーリムにはしゃいだのは言うまでもない。
晩餐はリアポニア自治区のご馳走である懐石料理と、リアポニア酒を温めた熱燗というお酒をいただいた。
懐石料理の繊細な見た目と味が心に幸せをもたらす。リアポニア自治区の料理はあっさりしているのに、ギュッと旨みとコクが詰まっていて不思議だなと思う。
お寿司やお刺身という名の生魚を見て、苦手意識の強いオーリムとプロディージは絶望感漂う顔をしていたが、味は気に入ったようで、進んで食べていた。
こうして魚を生のまま食べる文化もなかなか珍しい。先生曰く、リアポニア自治区で捕れる魚は新鮮で海も湖も水が綺麗な為、食当たりを起こす可能性が低いのだとか。
他、食べ足りない場合に備え、大皿にはガッツリ食べられそうな揚げ物や煮物、舟盛りを各自で取れるよう用意してくれていた。
たしかに懐石料理は食べ盛りの人間には物足りないかもしれない。お酒のあてだと思えば最高なのだが。
そのお酒の方はアルコール度数が強く、プロディージを除いた男性陣とソフィアリアしか楽しめなかったようだ。特に男性陣はいたく気に入ったようで、お土産に持って帰れるよう手配していた。
山小屋には観光中に手配した大量のお米や製菓に使う粉類に加え、お酒も追加されそうだ。まあ内部は広々としているし、運ぶのは王鳥だから大丈夫だろうと楽観視する。
そのまま宴会の雰囲気となり、お酒で興が乗った男性陣――まあ一見酔っているとわかるのはフィーギス殿下と大人達くらいだが――が広々とした庭に出て、何故か腕試しをし始めた。
庭には王鳥とキャルの姿があったので、晩餐を終えた後は庭の一角にベンチとテーブルを用意してもらい、ソフィアリアとアミーは二羽と引っ付きながら、そちらでデザートと飲み物をつまみつつ、お喋りと腕試し鑑賞を楽しむ。オーリムとプロムスも時折腕試しに興じながら、こちらでお酒を楽しむ事にしたらしい。
アルコールの匂いにアミーが嫌そうな顔をしていたが、それに気付いたキャルがそのあたりも防いでいるようだ。
なんとも甲斐甲斐しいなとほっこりしながら、アミーはこんなに匂いに敏感だっただろうか?と少し気に掛かる。まだ身体が本調子ではないのかもしれない。
「痛っ」
「ははっ、去年より少しマシになったかな? 少し強くなったね、ロディ」
「お褒めいただきありがとうございます。ですが、まだまだですよ」
「本当にね」
「…………」
今の対戦者はプロディージとフウモ先生だ。何手か持ち堪えていたが、プロディージの剣は最後には弾き飛ばされていた。
先生に笑ってそう言われ、ムッとしている。多分悔しいのだろう。
「ロディ、受けきれそうもなかったら流せ。判断能力は悪くないんだから、上手く見極めろ」
「はいはい、師匠の言う通り気をつけますよっと」
「なんかムカつくな……」
乱れた浴衣を直しながら嫌味ったらしく笑うプロディージに、アドバイスをしたオーリムは渋面を作る。わかりにくいが、あれでも信頼出来る相手と認めて甘えているのだ。なんだかおかしくて、ソフィアリアと王鳥、アミーとプロムスの四人はくすくす笑う。
フウモ先生も剣を鞘に収めながら、そんなプロディージに優しい目を向けていた。
「ラス、ここらで決着をつけないかい?」
「悪くない」
「あの、ギース様、ラトゥス様。お酒を呑んで激しく動かれては、ひどく回ってしまいます。ですから、ほどほどに」
「なに。優しい我らが王鳥様が身体からアルコールを取り除いてくれるさ。ね、王?」
調子のいい事を言って王鳥に笑顔を向けたフィーギス殿下に、王鳥はニンマリ笑い返すと、一瞬二人の身体が光を帯びる。言われた通りアルコールを抜いたが、笑い方で察するにタダではないのだろう。何をしたのかと溜息を吐く。
「フィーく〜ん、ラスく〜ん、頑張って〜」
完全に出来上がってケラケラ笑っているマール先生に笑みを向け、二人は刃を潰した剣を構えて向かい合う。そういえば、この二人の剣術は初めて見るなと思った。
真剣な二人の表情を見て、見ているこちらにも緊張感が走る。
最初に打ち込んだのはフィーギス殿下だった。ラトゥスは目を細めて軽く受け流すと、その勢いのまま横に払う。フィーギス殿下はすっと飛び退いた。
そのまま打ち合う二人の力量は、ソフィアリアから見て拮抗しているように見える。
「今日はラスの方が調子いいじゃねーか」
「フィーは王女と先生達の視線を気にし過ぎだな」
ソフィアリアにはわからなかったが、プロムスとオーリムにはそう見えるらしい。それを聞いて、フィーギス殿下の方が勝ちたいという想いが強いのかもしれないなと思った。
まあ、好きな人と恩師にはいい所だけを見せたいのだろう。その想いが空回りしなければいいのだが。
しばらく打ち合いが続き、結局ラトゥスの剣をフィーギス殿下が打ち落とした事で決着がついた。
「……ラス」
「負けだ」
二人とも肩で息をしながら、不穏な雰囲気を漂わせる。ソフィアリア的には普通にフィーギス殿下が勝ったようにしか見えなかったが、違うのだろうか?
オーリムとプロムスを見れば、二人とも渋い顔をしていたから、なんとなく察した。
テストの時も不自然に下にいたが、ラトゥスはフィーギス殿下には絶対勝たないようにしているらしい。王太子として立てているのか、他に何か思惑があるのか。
真剣勝負をしようにもあんな事をされれば、フィーギス殿下だって面白くないだろうに。
案の定怒ったような表情を一瞬していたが、わざとらしくヘラリと笑って、ポンとラトゥスの肩を叩いていた。
「じゃあ、遠慮なくもらっておくよ」
「遠慮もなにも、実力だ」
「そうだね。……どうだい、マーヤ? 私の剣捌きも、悪くないだろう?」
腑に落ちなさと雰囲気を誤魔化すように笑みを浮かべ、フィーギス殿下はマヤリス王女の方へと足を向けていた。
「はっ、はいぃ……! とても、とてもカッコよかったのですがっ、あの……!」
「ちょっと、そんなはしたない格好で私のリースに近付かないでくださいませっ!」
メルローゼが視線を逸らしながら、隣に座るマヤリス王女を抱え込んでそう牽制する。そんな二人の顔は真っ赤だった。
よく見ると激しい打ち合いの末、きわどい程度にはだけている。ソフィアリアは特に何も思う所がないが、美形二人の艶っぽい姿は、なかなか目に毒だなと思った。
「おっと、すまないね」
フィーギス殿下達は自分で浴衣を直そうとして……とても不恰好な事になっていた。フウモ先生が溜息を吐きながら、二人の分を直してくれていたが。
浴衣を直し、座敷に上がる頃には二人してべたんと倒れ込むものだから、全員でギョッとする。
「落ち着け。王が酒を返しただけだ」
「抜いた訳ではありませんでしたのね……」
頰に手を当てて溜息を吐きながら、王鳥をジトリと睨む。王鳥は誤魔化すようにソフィアリアの肩口にじゃれていた。
アルコールが回って真っ赤になった二人にマヤリス王女とマール先生が水を飲ませ、マール先生はケタケタ笑いながらうちわというもので二人を煽いでいた。マール先生もだいぶ酔い過ぎだと思う。
と、突然オーリムが立ち上がると、肩越しに振り返り、プロムスを見て目を三日月型に細める。
「冷めた興を、余が再び温めてやろうぞ。ロム、稽古をつけてやる」
どうやらオーリムではなく、王鳥だったらしい。笑いながら放たれる独特の威圧感に、ソフィアリアすら肌がピリピリする。
「ピーピエ!」
そんな王鳥の威圧から護るように、アミーは怒り顔のキャルの羽の中に囲われていた。
真っ向から威圧を受けたプロムスは冷や汗をかきながら、ニッと好戦的に笑い返した。
「ええ、お願いしますよ」
「うむ」
そう言って二人は庭の中央で向かい合うと、プロムスは一番得意な大剣を魔法で出現させ、肩に担ぐ。その摩訶不思議な技に先生達や家主、たまたま皿を下げに来ていた使用人まで、息を呑んでいた。
「二人とも。お怪我はもちろんですが、周りの事も考えて打ち合ってくださいませね」
二人が本気でやり合えば、この綺麗な庭が台無しになりそうだったので、念の為釘を刺しておく。普通にやり合う分には申し分ない広さだが、派手に動き回る二人にとっては少々手狭だろう。
「うむ。防壁を張るから問題ない」
そう言って王鳥は勝気な笑みを浮かべたまま、手に大剣を出現させる。プロムスとまったく同じものを出し、同じポーズを決めたのは、一種の挑発なのだろうか。
オーリムが一番得意なのは槍だ。他には剣やナイフを使う所は見た事があるが、大剣を担ぐ姿は初めて見たなと思った。中身は王鳥なので、実力はまた違うのかもしれないけれど。
王鳥の挑発を受けて、プロムスはヒクリと頬を引き攣らせる。
「ははっ、頑張りたまえ〜」
「期待しているぞ、ロム」
「うるせーわ」
早々にフィーギス殿下とラトゥスは復活していたようだ。顔は赤いし目は蕩けているけれど、二人の試合に目を爛々と輝かせている。プロディージすらどこか楽しそうな表情を浮かべていた。
「手始めに十打ち込むから、頑張って耐えるがよい」
それだけ言って王鳥は余裕の笑みを浮かべながら、目では捉えきれないスピードでプロムスに接近する。気が付けば苦しそうな表情をしたプロムスと、大剣をせめぎ合わせていた。
「早い」
思わずといった様子でアミーが溢した言葉に頷きつつ、ソフィアリアは必死になって二人の姿を目で追う。
王鳥が戦う所は初めて見たが、オーリムすらここまでではない。まさに桁違いの実力を持っていたようだ。
そのままプロムスは防戦するばかりで、反撃する隙がないらしい。むしろ防ぎきれているだけすごいと思う。
人間離れした試合に、この場にいる全員の視線を集めていた。
「七。このままでは十に届かぬぞ?」
「くっ……!」
「八」
大きく横に払った力に耐えきれず、プロムスが庭の隅に吹き飛ばされる。が、茂みに当たる手前で壁にぶつかったように弾かれていた。
そのまま体制を立て直そうとするも――
「九」
その後を軽々追いかけた王鳥がプロムスの大剣を上に弾き、そのまま手に持つ大剣を喉元に突きつける。上に弾かれた大剣は王鳥が華麗にキャッチして、勝負ありだ。
膝をつき両手を上げたプロムスに、王鳥は溜息を吐く。
「修行が足らぬな」
「私ほど強い人間はいないでしょう?」
「だからどうした。そこで歩みを止めるのか?」
「……いいえ」
苦し紛れの反論も、蔑むような王鳥の目に完封される。圧倒的敗北の前に、プロムスにしては珍しく悔しそうな表情をした。
実力だけならプロムスはオーリムにすら勝るのだ。たまに二人で稽古をしているが、オーリムがプロムスに勝ったところなんて一度しか見た事がないし、もっと長時間かかり、ギリギリ勝てた感じだった。ここまで短時間、防戦のまま終わった事なんてなかったのだ。
王鳥は二振りの大剣を消し、やれやれと肩を竦める。
「まっ、リムすら五を超えた事はないからな。それを考えると、なかなか大義であったぞ」
「……ありがとうございます。よければもう少し、稽古をつけてくれませんか?」
「今日はここまで。次回は気が向いたらな」
それだけ言うと、残念そうなプロムスに背中を向けて戻ってくる。
よく見ると、浴衣の乱れすらないなと思った。動き回りつつ、所作まで気を使う余裕があったのだろう。
誰もが彼こそが王者だと呆気にとられるなか、ソフィアリアだけはふわりと微笑む。
「お疲れ様でした、王様。ふふ、王様は武器を持たせてもお強いのですね」
「当然であろう?」
そう言うとソフィアリアを抱え、膝の間に座らされる。ソフィアリアは顔をほんのり赤くしていたのだが、王鳥は余裕の表情で、テーブルに置いてあった徳利の中身をグイッと飲み干していた。
アミーはプロムスの側に寄り、浴衣を直して慰めてあげているらしい。当然キャルも一緒だ。
「ほれ、圧勝した余に褒美はないのか?」
「そうですねぇ。この中だと何がお好きですか?」
「妃だな」
テーブルに並べられたお菓子でも食べさせようと思ったのだが、甘味を宿した悪戯っぽい目でそんな事を言い出す。
ソフィアリアは苦笑し、王鳥の頰に手を添えるとゆっくり引き寄せて、チュっと頰にキスを贈った。
「皆様の目があるから、これでお許しくださいま」
せ、という最後の一文字は、王鳥の――オーリムの真っ赤になった顔を見て、飲み込んだ。せっかくの贈り物を、無断でオーリムに譲ってしまったらしい。その事にムッと頬を膨らませる。
「もうっ、王様?」
「プピー」
「プピーではありません。ちょっと屈んでくださいませ」
「ピ!」
嬉しそうに顔を寄せてくれたので、ソフィアリアは今度こそ王鳥にキスを贈った。嬉しそうに頬擦りしてくれたから、よしとしよう。
真っ赤になって固まってしまったオーリムと、周りからの呆れや生温かい目は、気にしない事にした。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
王代妃世界の飲酒可能年齢は成人後すぐなので16歳からですが、現代日本に生きる皆様は、お酒は20歳になってからお楽しみください。




