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愛の形 1



 その後は全員でリアポニア観光を楽しんだ。


 武器屋を見つけてリアポニア自治区特有の武具に男性陣は目を輝かせ、切子や寄木細工と呼ばれる繊細な工芸品に女性陣はうっとりし、途中で見つけた書店ではそれぞれ好きなものを物色し始め、観光地を巡り、足を止めてお店を覗き、時には名産品に舌鼓をうちながら、リアポニア自治区を充分満喫出来たと思う。

 帰る頃には心に思い出が、バッグにはお土産がたくさん詰まっていた。


 陽が沈む頃、ソフィアリア達は先生達と待ち合わせていた、滞在先の近くにある一軒の建物の前にやって来る。


「ここ、わたくし達がずっと贔屓にしていた温泉なのだけどね? 今日は貸切にしちゃった」


 そう言って悪戯っぽくコロコロ笑う先生達にお礼を言う。位の高い人間が集まっているからというのもあるだろうが、突然やって来たソフィアリア達の事をそこまで歓迎してくれるのだから、頭が下がる思いだ。


 中に入るとタオルと着替えをもらい、男女別に別れた。


「ここが噂の温泉なのね。私、公衆浴場って初めてだわ」


 脱衣所で物珍しげにキョロキョロしているメルローゼに、そうだろうなと笑みを浮かべる。


 自宅に浴室があるのは貴族やお金持ちくらいなので、平民はだいたい村に一ヶ所はある公衆浴場内の温浴や蒸し風呂で入浴を済ますのだが、当然貴族は利用しない。体裁を気にする貴族が他人と湯を共有するなんてあり得ない事だし、無防備な状態で襲われでもしたら、本人も公衆浴場の経営者も大変な事になる。貧乏男爵家であったソフィアリアですら、そんな事は出来なかった。


 が、今は王鳥の護りもあるのだ。自然に湧く温泉だなんて、体験しない手はない。気心の知れた友人達とお風呂を楽しめるなんて、幸せしかないではないか。


 さっそく全員で助け合いながら慣れない袴を脱いで中に入ると、まずは温泉に浸かる前に洗い場で身体を洗うのがマナーらしい。

 慣れないメルローゼをアミーと二人で助けたり、全員で背中を洗い合いっこをしたり、使っている石鹸について語り合ったりすれば、いよいよ温泉だと心を弾ませた。


 扉を開け、思わずその場で固まる。


「……外?」


 扉を開けた先は、木造の屋根はあるもののほぼ屋外だった。周りに囲いはあるものの、真ん中にもくもくと湯けむりがたつ大きな温泉以外は、完全に外だ。


 こういうものだとはわかっているが、さすがにタオル一枚で野外に出るのは躊躇してしまう。

 それにと、チラリと囲いの向こうに視線を向けた。


「うふふ、照れない照れない。ここは防犯がしっかりしているから、覗きだって出来ないようになっているのよ? 過剰に疑うのはお店の人に失礼にもなるし、むしろお湯の中に入ってしまった方が、誰にも見られないわ」


 そう言って堂々と温泉に向かうマール先生に、勇気を振り絞ってついていく。みんなもソフィアリアのあとに続いた。


「さむ〜い!」


「絶好の露天風呂日和ですね〜」


 メルローゼは羞恥よりも寒さに耐えきれない様子で、マヤリス王女は特に躊躇いもなかったが。遠いとはいえ自国内だし、リアポニア自治区には思い入れが強いみたいなので、温泉だって既に経験済みなのかもしれない。

 アミーだけはおそるおそるといった感じでついてきて、頬も赤く染まっているので、ソフィアリアと同じ気持ちなのだろう。


 入る前にバスタオルを取ってから温泉に浸かると、白く濁ったお湯はほんのりとろみがあるようで目を丸くする。浮かんだ花びらのおかげか香りもよく、中に入るといつもの入浴時よりもぽかぽかして、湯あたりも柔らかかった。


 これが温泉かと、ほうっと溜息を吐く。


「気持ちいいわね〜」


「ええ……最高です」


 少し離れた所ではメルローゼとマヤリス王女が身を寄せ合っていたので、ソフィアリアも真似してアミーにもたれかかる。肌が触れたせいかピクリと肩を震わせたが、ダメではないらしい。チラリと覗き見たアミーの耳が赤いのは、お湯のせいか照れのせいか。

 なんだかオーリムを思い出し、くすくすと笑っていると。


「ピピ〜〜!」


 ……なんだか今、聞こえてはいけない鳴き声が聞こえた気がした。アミーを見ると、無表情になっている。


「……キャル?」


「ピ!」


「こっちに来たら……ううん、中を覗いたら一生口を聞かないから」


「ピエッ⁉︎」


「お風呂を覗こうだなんて最低」


 スパッと言い切ると、どこかでピーピー鳴いている。姿は見えないが、おそらく囲いの向こうにいるのだろう……魔法で姿を消していなければ、だが。


 メルローゼとマヤリス王女も固まっているし、マール先生も頰に手を当て目を丸くしているし、これ以上大鳥の無礼を黙って見ている訳にはいかないので、仕方ないからソフィアリアも予防線を張る事にした。

 キャルの声がした方とは反対側の、囲いの向こうに視線を向ける。


「そういう訳だから、王様にもキャル様を留め置くよう伝えてね? リム様」


 案の定、動揺したようなバシャリという水音が聞こえてきて、溜息を漏らす。


「はっ、はああぁぁ〜〜っ⁉︎」


「……居たのですか?」


 すぐ側に男性がいるという状況に赤くなったメルローゼとアミーが思わず肩まで温泉に浸かって、ジロリと音がした方を睨んでいた。


 囲いの向こうから、くつくつと笑い声が聞こえてくる。


「だから言ったではないか。あちらには察しのいいソフィやマール先生がいるから、黙っているだけではすぐにバレるだろうってね」


「ていうかさ、なんでコソコソしないといけない訳?」


「リム、盗み聞きも覗きもあまりよくはない」


「さり気なく全部俺のせいにしようとするなっ⁉︎」


 そう言って言い争う声とバシャバシャと水音が聞こえるから、あちらは賑やかだ。


 温泉の囲いの中の広さは建物の半分もなく、男性陣が向かった方向は囲いの向こうにあたるのでまさかとは思ったが、やはり男性風呂があったらしい。

 当たり前といえば当たり前なのだが、お互い全裸なのに、囲いのすぐ向こう側に異性がいるというこのシチュエーションは、さすがに羞恥心が勝る。まあ、囲いの高さは成人男性の身長の二倍以上あり、万が一でも倒れたりしないはずではあるが。それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。


 ソフィアリアはわざとらしく咳払いをする。


「とにかく。わたくしだけだったら王様とリム様だけはいくらでも覗いてくださいませと言うけれど、他の方がいる以上、自重してね? 王様とキャル様だって、絶対ダメですからね?」


「プピー」


 王鳥の声まで聞こえた。キャルとは違い、どうやら男性風呂の方にいるらしい。その反応はいいのか悪いのかとムッとしてしまう。


「フィアだけでも覗かないからなっ⁉︎ ……防音の魔法も使っておくから、気にせずゆっくりしてくればいい」


「すみません、ソフィアリア様。そっちにアミーがいる以上、覗きなんてやらないようリムは私が見張っておきますので」


「なんで俺だけっ⁉︎」


「囲いは高さがあるし、王鳥様の目を通してバレないよう覗きなんて出来るの、リムだけじゃねーか」


「絶対やらないからっ!」


 それだけ聞こえ、ぷつりと一切の音が途切れてしまった。オーリムが宣言通り、防音の魔法でも使ったのだろう。


「ビックリした〜。すぐそばにディー達がいるとは思わなかったわ」


「温泉ですからねぇ。代行人様があそこまで仰るなら、いいのではないでしょうか?」


「ふふ、マヤリス王女殿下は平気そうですわね。こんな時でも落ち着いていらっしゃって、さすがですわ」


「あっ、いえ。温泉とはそういうものだと、最初からわかっておりましたので……」


 そう言って明後日の方向を向くマヤリス王女に首を傾げつつ、緊張を解きほぐすようにう〜んと伸びをする。囲いの向こうの事は、全て忘れる事にした。


「そういえばマール先生、腰の方は大丈夫ですか?」


 一年ほど前、先生達がリアポニア自治区に来るきっかけになったのが、マール先生がクラーラを抱え上げた時に腰を痛めた事だった。手紙では完治したと聞いていたが、それでもなかなか戻ってくる気配がなかったので、心配していたのだ。


 眉を下げたソフィアリアを見て、マール先生はふわりと微笑む。


「もう全然よ。クーちゃんのお勉強も見てあげたいし、もっと早くに帰るつもりだったのだけれど、ソフィちゃんが王鳥様のお妃さまに選ばれたでしょう? 王家の人間も探りを入れるだろうなって思ってたから、少し様子を見る事にしたの」


「たとえ探られても、うちなら絶対隠し通せましたわ。だからいつでも帰ってきてくださいね」


「ふふ、さすがペクーニアね。頼りにしているわ」


 メルローゼに優しい目を向けた後、マール先生はソフィアリアに視線を戻し、笑みを深めた。あっ、怒られるなと本能的に悟って、誤魔化すように笑みを返す。


「ソフィちゃんってば、フィーくんとラスくんが見つける前に、答えを言っちゃったわね?」


「答えは言っていませんよ」


「もうっ! 近い事を言ってしまったら、同じじゃないの。あのね、ソフィちゃん? わたくし達は、いっそ知られないままでもよかったの。リアポニアを終の住処にする覚悟すらあったわ。マヤリス王女殿下とソフィちゃん、王鳥様達にもお世話になっているみたいね? みんなの支えがあるのだから、フィーくんにとっては過去の人間であるわたくし達なんて必要――」


「それを決めるのはフィー殿下ですよ、マール先生。人の要不要を周りが勝手に決めてしまうだなんて、甘やかしが過ぎますわ」


 聞きたくなくて被せ気味に反論すれば、肩を竦められる。きっと呆れられたのだろうが、謝るつもりはない。


 先生達と出会ってから、時折恋しそうに王都の方を見る横顔をずっと見てきた。一生会わなくていいなんて嘘だ。本当はずっと、誰よりも側に行きたかったくせに。


 フィーギス殿下だって、ソフィアリアに面影を見出して気持ちを勘違いしそうになる程、先生達を恋しがっていたのだ。


 両者の気持ちを知り、間に立つソフィアリアがこういう行動に出る事はわかりきっていただろうに、何故否定するのか。フィーギス殿下が周りに置く人間だって、本人が選ぶべきだ。王太子なのだから、尚更その判断を求められる。たとえ先生達でも、介入していい事ではない。


 険悪な雰囲気を放つ二人にオロオロしたマヤリス王女が、咄嗟に口を挟んでくれた。


「あの、マール夫人。ギース様はトゥーヒックご夫妻に再会出来て、甘えられる場所が増えてよかったと、わたしは思っています」


「わたくし達が居なくても、周りにたくさんいらっしゃいますわ。マヤリス王女殿下という最愛とソフィちゃんという理解者。王鳥様という導き手、気心の知れたお友達。幼少期に少しだけ親代わりをしたわたくし達は、本当に必要でしょうか?」


「絶対に必要です。子供の頃に甘えていた存在って、一生心に焼き付いてしまうんです。親がいなかったわたし達にとっては、尚更」


 真剣な表情で訴えるマヤリス王女の言葉でソフィアリアが思い浮かべたのは、セイドに災いをもたらし、ソフィアリアだけを可愛がってくれた祖父だった。最低最悪な人だと知った今ですら、ソフィアリアだけは嫌えないあの人。

 マヤリス王女の言葉を深く実感し、心に哀愁を漂わせている間も、マヤリス王女の説得は続く。


「わたしも、ずっと面倒を見てくれた乳母が一人居ました。ギース様に出会う少し前に亡くしてしまいましたが、彼女に会えるなら会いたいし、甘えたいです。まだご存命なのですから、ギース様からその権利を取り上げないでください」


「ですが」


「それに、お姉様はダメです。たしかにお姉様ほどギース様に理解を示せる人はいらっしゃらないかもしれませんが、お姉様は王鳥様と代行人様という、人の身に余る存在のお二人を支え、大鳥様という人間には太刀打ち出来ない御方を護らなくてはいけないのですから、次代の王となられるギース様をご夫妻のように甘やかすだなんて、負担が大き過ぎます」


 その心からソフィアリアを案じる言葉に、思わずグッと心を鷲掴みにされてしまった。ソフィアリアすら優しさで包み護ろうとするこの子には勝てないなと、白旗を上げる。

 綺麗で眩しくて……羨ましい。そう思って目を伏せた。


 そこまで言い切ったマヤリス王女は生意気だと自分で感じたのか、目を丸くしてオロオロしていた。その完璧過ぎない危うさになんだか気が抜けて、心にすとんと定着してしまうのだから、なんて恐ろしい子なのだろう。


「あっ、でも、たまに宿木にしようとしているわたしが言っても、あまり説得力がないかもしれませんね。たまにだからいいのであって、やっぱりずっとはダメです! そこは、ご夫妻に補ってほしいなと言いますか、ですねっ……!」


「もう、リースったら。どうして最後までカッコよく出来ないの? 私、ますます惚れちゃいそう」


「ううっ……頑張ります」


 俯いてしょんぼりしてしまったマヤリス王女を、メルローゼが腕を絡めてすりすりしている。二人の仲の良さは目に優しいなとほっこりしてしまうのは、仕方ない。ソフィアリアのお気に入りなのだから。


「あの、トゥーヒック夫人」


「うふふ。マールでいいわよ、アミーちゃん。なにかしら?」


「ではマール様。私の夫は恐れ多くもフィーギス殿下の兄を気取っておりまして、今は昔ほど素直に甘えてくれないと嘆いておりました。友達相手ですら、そうやって前に出て率いる事を自らに課してしまう御方です。素直に甘えられる存在との再会は、フィーギス殿下にとって、幸せだったのではないでしょうか?」


 差し出がましい発言をし申し訳ございません、と頭を下げるアミーは、ソフィアリアがプロムスの代わりにギュッとしておく。あとでこんな事を言っていたと教えてあげよう。プロムスもフィーギス殿下も嬉しいはずだ。


 先生達とフィーギス殿下達の再会を間違いだと否定するなという周りの説得に屈したのか、マール先生は溜息を吐き、困ったように笑った。


「もう。若者が寄ってたかって年寄りをいじめるなんて、酷いじゃない。悔しくて泣いてしまうわ」


「ふふ、嬉しくての間違いでしょう?」


「まあ! わたくし、そんな特殊な趣向は持ち合わせていなくてよ。失礼しちゃうわ」


 わざとらしくぷりぷり怒るマール先生に、くすくすと笑う。想いが通じた、そう思ったから。


 マール先生はもう一度溜息を吐き、優しい目で微笑む。


「仕方ないから帰ってあげるわ。クーちゃんも伯爵夫人にしなければいけないし、まだまだ終の住処は決められないわね?」


「ええ、そうですよ! うちの部屋もそのまま残ってますし、島都のタウンハウスにも部屋を作りますから!」


「あらあら、至れり尽くせりね〜。うふふ、なら、メルちゃんのお言葉に甘えようかしら?」


 そう言って幸せそうにコロコロ笑うマール先生の姿を見て、ソフィアリアはほっと肩の力を抜く。




 ――いつかソフィアリアの存在が先生達の足枷にならなくなればいいなと、そう願いながら。



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