恋愛小説のヒロイン 8
「なら、そういう方向で動こう。次は彼女をどこに逃すかだが」
「ラトゥス様、レリン領なんていかがでしょうか? 私の古くからの友人がいるのですが、きっと力になってくれますわ!」
メルローゼが希望に満ちた顔をしながら指定したレリン領とは、ビドゥア聖島西部の辺境にある男爵領だ。知識でしか知らないが、特産品もなく、観光出来る場所もないので、あまり外部と関わる事なく領地内でほぼ完結した暮らしをしているらしい。
そんな場所と繋がりを持っていたのかと、フィーギス殿下は目を瞬かせる。
「レリン嬢と知り合いだったのかい?」
「ええ、リース大好き仲間ですわっ! 彼女がいい物語を書いてくれたおかげで、リースに対する平民層の支持率は高いと言っても過言ではないのですっ!」
「あれはレリン嬢の仕業だったのか……」
「正しくは、私との共同作業ですわ!」
ふふんと勝ち誇った顔をするメルローゼを見て、フィーギス殿下とラトゥスが疲れた顔をしている。かつて必死になって探したのに、結局見つからなかった答えを思わぬ形で見つけてしまい、脱力しているのだろう。
「わたしは、いつかその方にお礼を言わなければなりませんね」
「あっ、内密にお願いね。あの子、作家やってる事は親にも内緒にしているから。でも会えたら絶対喜ぶわ!」
「ふふ、はい」
そう言って笑い合う美少女二人に空気が和らぎつつ、話を戻す為にフィーギス殿下が足を組み替える。
「じゃあ、行き先はレリン領で決まりだね。言葉の問題はあるが、我が国だと他国からの追っ手の心配はないし、レリン領には私すらあまり立ち寄る事はない。隠すならうってつけかな?」
「辺境なら、余所者に厳しいとかは、ないんです?」
「あと、コンバラリヤ語を話せる方はいらっしゃるのでしょうか?」
プロムスとアミーからの心配そうな発言に、メルローゼは安心させるようにニコリと笑った。
「大丈夫よ。のんびりした領地だし、むしろちょっと人手不足で困ってるって言っていたわ。それと、友人が平民の子にも外国語を教えているから、領地にはコンバラリヤ語がわかる人も多いし、友人がミウムにマクローラ語を教えてくれると思うわ」
「そう。なら、お任せしても安心ね」
そんな風に話がまとまりそうな時だった。
突然玄関の扉が開き、プロムスが全員の前に躍り出る。
「夜分遅くに失礼する。突然来てしまって、すまない」
全員からの注目を浴びてしまい、バツの悪そうな顔をしている訪問者は、先程会ったばかり――いや、ミウムの記憶よりかはいくらか大人っぽくなった、レイザール殿下だった。
「やあ、レイザール殿。突然どうしたんだい?」
「先ぶれを出したんだが、門前払いをされたので、直接訪ねる事にした。少し、急ぎだったからな」
よく見れば扉の前には多くの騎士がおり、騎士服から見ても、おそらく彼等は学園で雇われているような人達ではないのだろう。どうやら王城から連れてきたらしい。
それだけで、色々と察してしまう。
「ふむ? 彼女なら、少しこちらで身柄を預かりたいと伝えていたはずなのだけどね?」
「わかっている。だが、せめて今夜のうちに逃がそうと思ってな」
「逃がす?」
マヤリス王女が首を傾げたのと同時に、ソフィアリアも目を瞬かせる。てっきり刑を執行する為に、連れて行かれるのだとばかり思っていたのだが。
「ああ。彼女だが、国外追放となった」
「それはまた、微妙な判決を下したねぇ」
「……わかっている。やらかした事を考えれば、死刑が妥当だろうと直談判したのだが、陛下達が許してくれなくてな。幽閉だと逃がす可能性があったから、身一つでの国外追放を、なんとかもぎ取ってきたのだが」
その為に随分と根回しをしたのだろう。よく見ればレイザール殿下の顔は、疲労の色が濃い。
しかし、よりによってこのタイミングでなのかと、間の悪さを不憫に思う。
なんとも言えない表情をしているみんなの顔を見て、レイザール殿下はキョトンとした顔をしていた。
「……どうかしたのか?」
「レイザール殿には話すから、扉を閉めてくれたまえ。王は防音の魔法を頼むよ」
「仕方ないのぅ」
溜息を吐く王鳥を見て、レイザール殿下は不思議そうな顔をしつつも、言われた通りにしていた。
*
「我が国でそんな事が……」
全てを話し、ようやく理解したレイザール殿下は困惑していた。
無理もない。大鳥が世界を歪めたという事実だけでも驚くのに、その歪みがこの国で猛威を振るっていたのだ。色々と心が追いついてこないのだろう。
「そういう訳だから、彼女の身柄については、こちらに一任してくれないかな?」
「しかし」
「国外追放なら、我が国に来ても何も問題ないだろう?」
フィーギス殿下が笑顔で圧力をかければ、レイザール殿下は渋面を作り、渋々頷いた。
「……わかった。そちらに任せよう」
「ああ、任せてくれたまえ」
「その世界の歪みとやらは、学園で最近頻発している婚約破棄にも関与しているのか?」
「しておるものもあるかもしれぬが、今日の様子を見た限り、国柄である可能性の方が高いな」
「……そうか」
少し残念そうに、溜息混じりでそう溢す。頻発する婚約破棄による政治的な調整や後始末で、苦労しているのだろう。それが歪みによる異常ならよかったと、そう思ってしまうくらいに。
陛下達もあの調子であまり期待出来ないし、まともに王族としての仕事を熟せる人間は、レイザール殿下しかいないのかもしれない。彼も受動的でしかなさそうだし、予備でマヤリス王女を留めておきたくなる訳だ。
レイザール殿下は立ち上がり、皆を一瞥する。
「彼女を助けるなら、彼女に取り込まれた令息達にも、本人の意識次第で出来る限りの便宜を図ろう」
「お手数をおかけし申し訳ございません」
「構わない。まあヴィリックのように多少の減刑に留めおく可能性の方が高いと思うがな。……それでは、失礼する」
「ああ。私達も話し合いがあるから、ここで見送らせてもらうよ。また三日後、学園でね」
フィーギス殿下の言葉に頷くと、レイザール殿下は踵を返し、玄関の方に向かって歩き出す。
ソフィアリアは皆に一言断りを入れてから、その後を追った。隣で護るように、王鳥がついてきてくれる。
「レイザール殿下」
皆と少し離れた場所、扉付近でそう声を掛けると、レイザール殿下は静かに振り返って、ソフィアリアを見て軽く礼をする。王鳥妃なので、敬ってくれているのだろう。
「どうか楽になさってくださいませ。出来ればフィーギス殿下と同じような対応をしていただけると、嬉しく思いますわ」
「……わかった。俺に何か用か?」
「レイザール殿下は一年半ほど前、今とは様子が違うミウム様をお助けした事を、覚えていらっしゃいますか?」
王鳥にミウムの記憶を見せられた時、最後に印象に残っていたのはその光景だった。
王太子殿下が特待生でしかないミウムを自ら庇い、助けてくれた事が嬉しかったようだ。ミウムはその時の温情を胸に刻み、尊敬の気持ちを抱いていた。
レイザール殿下も何か覚えていないかと思って尋ねてみたが、困ったような表情をしている所を見ると、記憶にないらしい。
「……すまない。平民と貴族の仲裁に入るのは、そう珍しい事ではない」
「ふふ、いえ。レイザール殿下は、覚えていられないくらい多くの人達を救っていらっしゃる、お優しい方なのですね」
「そうでもない。目の前の小さな諍いを、この身分を使ってなあなあにする事しか出来ていないのだから。情けなく、不甲斐なさを感じるばかりだ」
俯いてそう溢すレイザール殿下は、キリッとした見た目に反してひどく内向的で、自分を卑下する人らしい。
なんだか少し、オーリムと似ている所がある。だから放っておけないと思ってしまい、首を横に振って、優しく微笑んでいた。
「それでも、レイザール殿下に助けられた人にとっては救いになったと、心から感謝の念を抱かれていますわ。ミウム様のように」
「彼女が?」
「ええ。もう少しでミウム様の中から消えてなくなってしまう気持ちですが、レイザール殿下がご即位し、ミゼーディア嬢と国を治める姿を見る日を、とても楽しみに――……」
そこで、思わず言葉を止めてしまった。レイザール殿下から、ごっそり表情が抜け落ちてしまったからだ。
その瞳はどこか仄暗く、思わず身を震わせる。
「……レイザール殿下?」
そう呼びかけるとハッとして、元の無表情に戻ってくれた。
「……そうか。希望に添える日が……来るといいな……」
「あの」
「すまない。やるべき事があるから、ここで失礼する」
「いいえ。お引き止めしてしまい、申し訳ございませんでした。道中お気をつけて」
レイザール殿下は頷き、玄関扉から出て行くのを、この場から見送る事しか出来なかった。
「……歪みの元凶は、彼奴ではないようだな」
隣を見上げた王鳥は、レイザール殿下が出て行った扉をじっと見つめて、溜息を吐いた。それを確かめたくて、こうしてついてきてくれたらしい。
「そうでしたか。ミウム様が最後に見たのが彼だったので、少し疑っていたのですが」
「妃もか。残念ながら何も感じぬよ。当てられてすらおらぬ」
なら、先程の仄暗さは彼の素の気持ちなのかと思った。
真面目そうなレイザール殿下ですら廃嫡の可能性が浮上している事も気になるし、まだまだ先が思いやられそうだ。
せめて、これ以上誰も辛い思いをしませんように――そんな甘い願いは、きっと叶わないのだろうけど。




