黄金の水平線の彼方 2
「まあせっかくだし、このパン一つ分くらいは付き合うがよい」
今日の朝食はこのまま王鳥と二人きりだと思ったのだが、パン一つで開放されるらしい。恥ずかしいのでホッとしたような寂しいような微妙な気分だ。
「あら、そうでしたの。寂しいですわ。リム様を介さなくても直接お話出来ればよかったのですが」
「うむぅ。妃とは契約出来ぬし、やはり人間相手ではなかなか気が馴染まんのだ。何か手はないかと思うておるのだがなぁ」
パンを食べさせて貰いながらうんうん唸る王鳥を見上げると、眉根を寄せ途方に暮れていた。やはり難しい事をしているらしい。ソフィアリアではもちろんどうする事も出来ない。
「寂しいだけで急かしている訳ではないのです。申し訳ございません。……でも、今日初めて直接お話させていただきましたが、王様はとてもお偉いお方ですのに、友好的でお話ししやすいですね」
パンをお返しする。普通に食べてくれたのでもう指を食まれる事はないようだ。
思った事を口にすると、だが王鳥はニッと片頬だけをあげ、表情にどこか影を含ませながらニヒルに笑った。
「そうか? こやつも次代の王も、虚勢を張って対等に話そうとするが、内心余を怖がっておるようだぞ?」
「王様を、ですか?」
首を傾げる。いつもソフィアリアを置いてけぼりに楽しく言い争っているので、二人が王鳥を怖がっていると言われてもピンと来なかった。
「余は気分一つで人も、物も、国も消し去ってしまえるからな。こうして普通に対話しておるが、余は結局は神だ。気に入らぬものは排除するし、圧倒的な力を前に畏怖するのは仕方あるまい? それに、最近では余達をすっかり軽視して驕る人間も目立つからな。次代の王は特に国を背負っておるし、こやつは代行人として、余や大鳥と人間の間に立っておる。扱いを慎重に思うのは当然の事よ」
パンを次々食べさせて貰いながら聞き、そう言われると少し納得出来る気がした。けれど――
「王様はこんなにもお二人の事がお好きなのですから、怖がる必要なんてありませんのに。そう思われてしまうのは寂しいですわねぇ」
頬に手を当て、溜め息を吐く。それぞれの立場があるから仕方ないとはいえ、どことなく王鳥が不憫に思えてしまった。
「……ほう? 何を根拠にそう思う? 言っておくが、余は妃であっても適当な事を言う人間は厭うぞ」
王鳥はソフィアリアの言葉が気に障ったのか、目を細めて威圧感を出す。部屋の空気が冷えたが、特に恐怖を感じないので気にせずに、ソフィアリアは人差し指を立てて宙を見上げた。
「内心はともかく、よくリム様やフィーギス殿下と戯れのような言い争いをするくらい、仲がよろしいではありませんか。そうなってしまうと王様の声を聞けないわたくしは、少し寂しいんですのよ? 虚勢だとしてもあんなに近い距離でお話するには、王様がお二人に対等を望み、よほどの信頼関係がなければ出来ませんもの。根拠なんてそれで充分です」
目下の者が目上の者に信者のように侍る事は誰でも簡単に出来る。けれど友達のように接するというのは、目上の者から積極的に目下の者と友好関係を築き、対等を望まなければとても難しい。
王鳥はオーリムやフィーギス殿下に対して、それほど心を配ってきたのだろう。仲が良くて羨ましいかぎりだ。
そんなにオーリムやフィーギス殿下が大好きな王鳥なんて怖くもなんともない、とても友好的で優しい神様だ。そしていつの日かソフィアリアもその並びに入れてほしいと、そう願っていた。
王鳥はしばらくジトリとソフィアリアを睨んでいたが、笑って口にパンを持っていくとパクりと食べ、息を吐いてソフィアリアの肩口に顔を埋めた。そしてギュッと抱きしめられる。
「そなたはほんに愛いのぅ」
「ありがとうございます、王様。わたくしはあなた様の妃ですもの。いつでも可愛いと思ってもらえるよう努めておりますわ。……大丈夫ですよ。確かに怖いと思う気持ちもあるかもしれませんが、リム様もフィーギス殿下もそれ以上に王様の事を大好きでいらっしゃいますから。だから何があってもお二人のお友達はやめないでくださいませ」
背中に腕を回してポンポンと宥める。そうするとぐりぐり頭を肩に擦ってきて、甘えられているようで少し可愛い。
王鳥も結局のところ寂しいのだろう。好いた人間にも畏怖を向けられてしまう、世界で一番強くて偉い、並ぶ者がいない孤独な神様だ。
だから代行人だけではなくてお妃さまも欲したのだろうか。そういう事ならソフィアリアは全力で王鳥に寄り添う所存だが、その前に知りたい事があった。もしかしたら今なら聞けるかもしれない。
「ねぇ、王様。一つお聞かせくださいますか?」
「んー? なんだ?」
「昨日のわたくしのお話はお聞きしていたでしょう? リム様は優しく否定してくださいましたが、やっぱりわたくしは本来王様にも大鳥様にも会える人間ではないと思うのです。どうしてわたくしを王鳥妃に選んでくださったのですか?」
それがずっとわからないのだ。ソフィアリアがここに来る前に王鳥に会ったのは王命が下る一週間前、屋敷裏の林道での事が最初で最後だった筈だ。
もしかしたら、その時に一目で見初めてくれたのかもしれないが、王鳥も大鳥も罪を犯した者は何等親先かまでは具体的にはわからないが、嫌う。貴族なら尚更だ。
ソフィアリアは昨日話した通り祖父が大罪を犯しているし、未だにそんな祖父を嫌いになれないと思っているうえに、不注意でラズが死んでしまう原因を作っている。祖父の大罪だってソフィアリアも片棒を担いでいると言っても過言ではないだろう。
それには目を瞑って妃になんて、いくら特例だと言っても限度があると思うのだ。どれだけ考えてもソフィアリアが選ばれた理由だけが腑に落ちない。
王鳥は顔を上げると、コツンとそのまま額を合わせる。正直好きな人の顔が近くにあるというのは心臓に悪いのだが、今はときめいている場合ではないので必死に耐えた。
見つめた王鳥はソフィアリアを見て、ニンマリと目を三日月のように細めて笑っていた。オーリムがやらないその笑いはどこか余裕があるが故の色気を孕んでいて、やっぱりドキッとしてしまう。
「そなたは余が見初めたから選んだ。それは間違いないから疑うでないぞ? ……けれど、あるぞ。そなたを選び、絶対そなたでなければならなかった明確な理由が」
「まあ! 本当ですの?」
「ああ。――ヒントをやろう。それを頼りに自分で見つけるがよい」
そう言って顔を離してソフィアリアの頬を産毛を撫でるかのような優しい手付きで撫で、甘い熱を浮かべた瞳で見つめる。そんな触れ方をされたソフィアリアは熱に浮かされたかのようにドキドキして、ほうっと震えるような息を吐いた。
「……ええ、必ず見つけてご覧にいれますわ」
「うむ、期待しておるぞ。――『黄金の水平線の彼方に、その答えがある』」
パチリと瞬いた。詩的で、なかなか難解だ。それに水平線の彼方なんて随分遠いではないか。それも黄金の、とは何だろう。
「黄金の水平線の彼方、ですか?」
「うむ。聡いそなたなら、これだけである程度仮説を建てられるのではないか? 或いは既に半分くらい答えがわかっているかもしれぬな」
そう言ってくつくつ笑う王鳥に困ったような表情を向け、首を傾げた。
――確かに一つ、心当たりがある。それも目の前に。けれどそれと『彼方』の組み合わせが何を指すの全くかわからない。だから困ってしまうのだ。
「……難しいですわ」
「なに。まだまだ人生先は長い。急かさぬからいくらでも時間をかけるがよい。……さて、そろそろ戻るか。ではまたあとでな、愛しの余の妃よ」
そう言ってソフィアリアの顎を掴むと顔を近付け、左の頬に当然のようにキスをくれる。……触れる寸前、一瞬抵抗があったのは気のせいだろうか。
あまりに突然だったので驚く暇もなく、ソフィアリアはキョトンとしたまま動けなかった。事態を把握した後も、顔を赤くして別の意味で動けなくなった。
そのまま時が過ぎる。随分長いキスだ。照れていたが、こうも長いと冷静になってきた。
「……王様?」
なので声を掛ける。王鳥は――彼はビクリと肩を震わせ
「っ‼︎ うわああああっ⁉︎」
そう叫びながらガバリとソフィアリアの肩を掴み、引き剥がした。さすがにその反応は少し失礼では?とつい苦笑しながら、眉尻を下げて足の間から抜け出して立ち上がり、朝の挨拶をする。
「おはようございます、リム様」
「ぅえっ⁈ 今っ、柔らっ⁉︎ お、王っ‼︎」
真っ赤になって狼狽え、離れていても対話が出来るのか、ここに居ない王鳥と言い争いを始めた彼――オーリムは、顔と声は一緒でも、常に余裕綽々としていた王鳥とは似ても似つかないなと思った。




