伴侶と婚約者 2
挨拶もそこそこに、ソフィアリアは代行人である彼に案内され大屋敷内に足を踏み入れていた。
代行人の彼の後ろを歩いて気付いた事だが、彼の襟足から太腿あたりまで細長く二股に分かれた髪が伸ばされていた。それが王鳥の長く立派な尾羽とお揃いのようでどこか微笑ましい気持ちになる。
『代行人』とは、王鳥の着任と同時期に人間の中から選ばれる、人の身でありながら王鳥の行動や言葉を代理で遂行する役割を与えられた者の事である。
王鳥が没した後、次代を引き継いだ新たな王鳥が初めてする役目がその代行人を選出する事らしい。
選出と言っても立候補者から選ぶのではなく、ビドゥア聖島内を飛び回り王鳥が自分で見て選んでくる。波長であったり何かしらの条件があるようだが、詳しくは伝えられていないらしい。大体が身寄りのなく物心もついていない、幼い孤児から選ばれる事が多いようだ。
王鳥は選んだ代行人と自分の魔法を行使する能力や代々受け継いできた知識を共有――王鳥は記憶や知識を自動的に次代に引き継ぐらしい――し、代行人は王鳥の覚えた知識や能力を人の身でありながら自在に使う事が出来るようになる。
それだけ聞けば素晴らしく名誉ある事のように思えるのだが、残念ながらそういい話だけでは済まない。
そうして人智を超えた力を身につけられる反面、人であった頃の意思がなくなり、謂わば王鳥の傀儡と化すのだそうだ。身寄りのない孤児から選ばれるのもそれがあるからだと言われている。
そして王鳥も、代々の記憶や能力の引き継ぎや人間と能力を共有する反動か、人である代行人と寿命を共にする事になる。大鳥は本来数百年は生存するらしいが、王鳥は数十年なのだからその差は歴然だろう。
そうして神様である大鳥も人間も等しく犠牲を払い、共存している。絶対的な守護を与えられたこの国の成り立ちの裏側といった所だろうか。
なので王鳥と代行人は二人で一人の筈なのだ。……そう習ったのだが、先程のやりとりを見ているとそうは思えないのは、何か事情があるのか教本が間違っているのか。もう少し打ち解けたら教えてくれるだろうかと、のほほんと思い浮かべるソフィアリアであった。
先は長く、まだ出会ったばかりなのだ。これからいくらでも仲良くなる時間はあるだろう。
そして王鳥と代行人は二人で一人なのだから、王鳥に妃にと望まれたソフィアリアは、必然的に目の前を歩く代行人の妃という事にもなる。いくら二人で一人と言っても、他に類を見ない夫が二人という状況はのんびり屋のソフィアリアでも少しソワソワしてしまうのは仕方のない事だろう。ある程度覚悟を持ってこの大屋敷にやってきたのだが、目の前に現れると動揺してしまうあたり、覚悟が足りていなかったらしい。無意識に手を何度も組み直してしまっているのがその証拠だ。
目の前の代行人と、周りを歩く代行人の侍従一人と本日からソフィアリアに付く侍女の一人との計四人で、無言のまま歩いていた。
一度階段を登り、少し歩いた先にあった一つの扉の前で代行人は足を止める。
「――セイド嬢。ここがしばらく君が使用する部屋だ」
そう言って扉を開け、中に入るよう促されたのでにこりと笑って
「ありがとうございます、代行人様」
とお礼を言い、中に入ってみる。そして目に飛び込んできた光景に目を見開いて手を口元に当てた。
「――まあ!」
中はブラウンとクリームイエローがベースとなった、温かみがありながら女性らしい華やかさも感じるリビングルームで、天井が高くとても広々としている。
奥にも二つ扉があり、おそらくどちらかは寝室なのだろう。もう一室は田舎貴族でしかないソフィアリアにはあまり馴染みがないが、クローゼットルームだったりするのだろうか。
そしてこのリビングルーム以上に大きなバルコニーでは王鳥が室内を覗き見ていた。中に入るのかはわからないが、なんとなく扉を開けて王鳥を出迎える。王鳥は当たり前のように中に入ってきたので正解だったようだ。
広々としているわりには空きスペースが多く、飾り棚や花瓶なども少ないのは王鳥が出入りするのを想定してのものだったらしい。なるほど、理にかなっている。
「……王」
片や代行人はまだ部屋の前で立っているだけで室内には入ってこないつもりらしい。まだ結婚した訳ではないので貴族男性としては当たり前の行動とも言えるのだが、やはり二人の行動の違いには首を傾げてしまう。そして代行人は扉の前でギロリと据わった目で王鳥を睨みつけていた。肝心の王鳥はどこ吹く風のようだが。
「王鳥様、代行人様。素敵なお部屋をありがとうございます。とても居心地の良さそうなお部屋で気に入りましたわ」
「……その、他に必要なものがあれば遠慮せず言ってほしい。今まで女性貴族がこの大屋敷に居た事がないから至らぬ事があっても気付けない、から」
所在なさげに腕を組み明後日の方向を向きながらソワソワしている代行人は、だがギュッと一度目を閉じると大きく息を吸い、意を決したように目を開けソフィアリアを見て、言った。
「す、好きに改装してくれてもいいが、来春にはまた部屋を移る事になるからっ! そちらはまだ一切手付かずだから好きにしてほしい! では、その……今日はゆっくり部屋で休んでくれ。私は仕事に戻るっ!」
捲し立てるようにそう言い捨てると代行人は踵を返し、早足で去って行ってしまった。一瞬見えた耳が真っ赤だったのは気のせいであるまい。
彼の侍従がその後ろ姿を見て一度ため息を吐き、ソフィアリアに一礼して追いかける。
部屋にはきょとんとしたソフィアリアと無表情に呆れを浮かべたソフィアリア付きの侍女、「プピィ」と馬鹿にしたような声を出す王鳥だけが残された。
「……照れ屋さんなのねぇ」
頬に手を当てしみじみそう言えば、斜め後ろに控えている侍女が目を瞑ってコクリと頷く。
「女性はおろか、人間と普通に接する事すらあまり慣れておられないのです。そんざいな態度で申し訳ございません」
「照れていらっしゃるだけで大事にされているのはわかるから大丈夫よ。充分だわ」
代行人の言葉を反復していたら、そういえば結婚は来春なんだなと今更思った。セイド領を出た頃はまだ具体的には決まっていなかったと思うのだが、いつの間にか決定したようだ。
まあそもそも結婚前にこの大屋敷に移り住むよう招集命令を受けた時から既に嫁入り気分でここに来て、そのつもりで家族や友人、領民にも挨拶をしてきたのだ。異論なんてありはしない。
王鳥の妃の存在は今まで秘匿していたのか田舎貴族でしかないソフィアリアの限界か、王鳥の妃の痕跡が一切見つからなかったので具体的に何をすればいいのかまだ何もわからないのだが、王鳥に宣言した通り精一杯頑張る所存だ。
ソフィアリアはクルッと振り向き、無表情な侍女に笑みを浮かべながらそっと手を差し出す。
「今更だけどわたくしはソフィアリア・セイド。貴族だったけど田舎男爵領の娘だからあまり令嬢らしくないかもしれないわ。主人というより、出来れば友人として仲良くなってくれたら嬉しい。よろしくね」
本当は侍女と距離が近過ぎるのはよくないとわかっているが、ソフィアリアは侍女に馴染みがない。家に居たのもメイドや侍女というよりも通いのお手伝いさんという感じで、身の回りの事は自分でしてきたのだ。
もちろん彼女達の仕事を奪う訳にはいかないのでここでは令嬢らしく振る舞う事もやぶさかではないのだが、知り合いが一人も居らずどこか心細いので、長く時間を共にする側付きの侍女である彼女には友人にもなってほしかった。出来ればこの大屋敷に居る人達とは遠慮なく話せるくらい気軽な存在であれれば嬉しいのだが、それは今後の努力次第だろう。立場的に難しいかもしれないが、出来る限り頑張るつもりだった。
「立ち振る舞いや物腰など高貴なご令嬢にしか見えませんでしたが。……アミーです。家名はありません。……平民なので。よろしくお願いします、お嬢様」
「うーん。出来ればソフィと呼んでくれないかしら?」
「旦那様を差し置いてニックネームは……。……いえ、お呼びさせていただきます、ソフィ様」
目の奥で一瞬悪戯な光が光った気がしたが、そう言ってアミーはソフィアリアの手を握り返してくれた。嬉しくなってはしたなくもぶんぶん上下に振ってしまう。
事の次第をじっと見ていた王鳥は「プピッ」と吹き出したように少し鳴いた。