恋愛小説のヒロイン 1
少しだけ成長し、身綺麗な格好をするようになった男の子と女の子は、向かい合って勉強をしていた。
『ねえ、ここ、わかるかしら?』
答えに詰まってしょんぼりしてしまった女の子は、男の子に問題を指差して、教えを乞う。
頼られた男の子は嬉しくて、女の子の問題集を覗き込むと、計算式をサラサラと書いていった。
『こう計算していくと、簡単に解ける』
『本当だわ。ふふ、すごいのね』
好きな女の子からの尊敬の眼差しに、とても誇らしい気持ちになったのだ。
*
「――そういう訳だ。だからどうか、見守ってほしい」
「まったく、プロディージには隠し事は出来ないねぇ」
「お褒めいただき光栄です」
メルローゼとマヤリス王女の身支度の手伝いを、今朝は顔色がよかったアミーにお願いし、ソフィアリアは先にサロンに降りてくると、既に先客がいた。
何やら密談をしていた気がするので、そちらには触れないようにしつつ、ソフィアリアはニコリと微笑む。
「おはようございます、フィー殿下、ラス様、ロディ」
三人はソフィアリアの方を向いて、各々挨拶を返してくれた。
「やあ、おはよう。少し小腹が空いたから、つまみ食いとやらをしに来たよ。なかなかスリルがあって楽しいねぇ」
「不思議といつもより美味く感じるものだな」
「まあ! ふふ、これも経験ですわね?」
どこか楽しそうに話す二人は、ここでの比較的自由な生活を満喫出来ているらしい。その事を微笑ましげに見ていたら、プロディージにジトリと睨まれてしまった。
「ちょっと姉上。叱らない訳?」
「嫌だわ、ロディの事だって叱ったりしなかったじゃない」
セイドにいた時、甘い物のつまみ食い常習犯だったのはプロディージだ。さり気なくバレていた事を伝えると、ますますキツく睨まれてしまう。
「ははっ、仲が良くてなによりだ。では、私はもう少し仕事を片付けてくるとしよう」
「用意を任せきりですまないな」
「お二人にはお仕事もあるのですから、お気になさらないでくださいな」
フィーギス殿下とラトゥスはそれだけ言うと、部屋に戻って行く。
「僕もそろそろ戻るから」
プロディージもそう言って、刃の潰された剣を片手に外に行こうとしている。よく見たら髪が汗で濡れているし、稽古中だったらしい。
ふと、プロディージは足を止めると、肩越しに振り返る。
「姉上はフィーギス殿下が国王に相応しいと思う?」
朝からなかなか凄い事を聞いてくるなと目をパチパチさせ、ふわりと笑って大きく頷いた。
「もちろんよ。フィー殿下はいい次代の王になられて、リース様と二人で国をいい方向へと導いてくださるわ」
「ふーん」
「ロディはフィー殿下ではご不満なのかしら?」
「別に。思っていたより感情で動く方だったなって思っただけ」
それだけ言い捨てると、さっさと言ってしまった。
さて。プロディージがそんな事を思うだなんて、なにを密談していたのやら。
ソフィアリアは脳内でなんとなく仮説を立てながら、朝食の準備を始める事にした。
*
テストが終わったので、通常通りの授業が始まった。今日は昨日受けたテストと同じ四教科だ。
全員成績が良かったからか、ただのサービスなのか、先生達から答える事を求められる回数が心なしか多い。美貌の留学生が頭もいいと知り、ますます熱のこもった目で見られているのを、気付かないフリをした。
「なあ、どこかわからない所はなかったか?」
数学の授業が終わった瞬間、隣に座るオーリムが心なしが目を輝かせながらそんな事を聞いてきたので、意図がわからず首を傾げる。
「そんなに難しい問題はなかったから大丈夫よ。どうして?」
「そっ、か。いや、答えがわからないフィアに計算式を教える夢を見たから、予知夢かなにかなのかと思ってな」
「もう、夜はぐっすり寝てくださいなって言ったのに、また夢で浮気したのね?」
「浮気なんかしていない。相手はフィアだ」
「でも、わたくしには身に覚えがないもの。また知らないわたくしと思い出を作っているだなんて、悲しくて泣いてしまいそう」
よよよと涙を拭うフリをすれば、オーリムは本気にして、オロオロしていた。浮気者のオーリムが悪いのだ。
そんな冗談で遊んでいると、前に座るプロディージからはぁーっと深く溜息を吐かれる。
くるりとこちらを向いたプロディージは、いつも通りの呆れ顔だった。
『あのさ? 人の後ろで知性を感じられない会話をするのはやめてくれない? リムだから仕方ないのかもしれないけど、すっごい迷惑だから』
『勝手に聞き耳立てといて喧嘩を売っているのか?』
『聞こえるのはしょうがないじゃん。夢まで色ボケお花畑とか、救いようがないね』
『どんな夢でもいいだろっ⁉︎ ロディだって、ペクーニア嬢と都合のいい夢くらい見るクセに』
『ローゼが出てくる夢なんて、だいたい愛想つかされてフラれるばかりだけど?』
『それは……悪かったな……』
『同情されるのくっそムカつく』
『はあっ⁉︎』
二人は喧嘩したい時は内容を誤魔化すようにマクローラ語に戻すんだなと思いつつ、ソフィアリアと会話していたはずなのに、結局プロディージと楽しんでいるのだから、やはり浮気者だとシクシク胸を痛めた。
そうやって午前中を楽しみつつ、午後からは選択授業の為、授業のないソフィアリア達は情報収集を兼ねた生徒との交流に精を出す事にした。
一番の目的はマヤリス王女を連れ帰る事なので、最悪この国の問題は放置して帰ってもいいのだが、突然の婚約破棄に巻き込まれる等どこで思わぬ妨害に遭うかわからない。避けるにしろ防ぐにしろ、情報収集は必須だろう。
まずは、何故婚約破棄なんて学生の身分ではどうする事も出来ないはずの事態が学園内で頻発しているのか知る必要があると考えて、生徒の意識調査をする事になった。
もしかしたら『世界の歪み』がそこに関わっているかもしれない。そうなると大鳥の問題が国に多大な悪影響を及ぼしている事になるので、少し気が重いのだが。
なんにせよ、午後からの打ち合わせも兼ねて、今日も王族専用ルームで昼食を楽しんでいた。
「なるほど。マーヤ達は身分ごとに振り分けたのだね」
「はい。まとめてしまうと、きっと高位の方々としかお話出来ませんので」
真剣な表情で打ち合わせをしているフィーギス殿下とマヤリス王女の手には、横半分に切った丸パンにハンバーグとチーズ、レタスを挟んだ「ハンバーガー」というありそうでなかった食べ物を持ったままで、いまいち話に集中出来ない。とりあえず、この国では王侯貴族でもクズ肉の寄せ集めであるハンバーグを食べるんだなと思うばかりである。
これに「フリッツ」を合わせた食べ物がこの学食では定番らしい。やはり他国には目新しい食べ物が多いなとつくづく思う。
「という事ですので、女性の皆様はわたしと共にお茶会を三ヶ所参加していただきます」
「うふふ、紅茶でお夕飯か入らなくなりそうね?」
「タプタプになるわね」
「問題ありません。お供いたします」
「うぅ、そう言われてしまうと、本当に申し訳ないのですが……」
申し訳なさそうな顔をしているマヤリス王女をフィーギス殿下が上機嫌で頭を撫でて慰めているが、ソースが綺麗なプラチナの髪につきそうだと思ってしまうので、やめてあげてほしい。
ちなみに当然警護も必要なので、オーリムを壁際に控えさせる事になっている。
「ではそこで――」
「失礼しまーす」
突然ノックもなしに乱入して来た生徒がいて驚いた頃には、オーリムとプロムスは素早く動いていた。
プロムスはみんなを護るように立ちはだかり、オーリムは出入り口に駆け寄る。
「いたたたたたっ⁉︎ ちょ、またあんたなのっ⁉︎」
後ろ手に拘束し、優しめに床に引き倒されたその乱入者を見て、全員呆気に取られていた。
「……ここがどこだか知って入ってきたのか?」
「知ってるしっ! ちゃんとおじ様とおば様にも許可は取ってあるんだから、いいじゃないっ⁉︎」
「今日のか?」
「いつでも使っていいって言われたっ‼︎」
そう自分の正当性を主張するピンクブロンドの少女は、またミウムだった。常識どころか言葉すらなっていなくて頭痛がするなと、思わずこめかみを揉む。
「陛下と妃殿下からの許可は、この場では通用しないわ」
「はあっ? なんでさっ!」
「この方々をお招きしたのは、わたしだからよ。ここへの入室はわたしかレイザールに伺いを立ててもらわないといけないわ。この程度の事、いちいち説明させないでちょうだい」
いつも温厚でふわふわしているマヤリス王女が凛とする様はカッコいいな思考を飛ばしつつ、少し話を聞いてみてもいいだろうかとミウムの様子を窺っていたら、ぷっと馬鹿にしたように笑い出した。
「もうすぐ捨てられる王女ごっこ様に、なんの権限があんの?」
「リム」
フィーギス殿下の指示と共にカシャンと金属の擦れる音とガキンッと激しくぶつかる音がして、メルローゼとアミーが目の前の光景にビクリと肩を震わせ、青褪める。二人の肩を引き寄せてトントンと宥めつつ、おそらく今の自分は無表情で、冷たい目をしてこの光景を見下ろしているんだろうなと冷静に考えていた。
少し離れた所に振り払うように飛ばされた短剣の鞘が、カラカラと回る音だけが部屋に響く。
「はっ…………?」
オーリムはミウムの首の真横、ギリギリ肌が切れない程度の場所に抜き身の短剣を突き立てていた。その拍子に彼女の髪が幾筋かはらりと床に落ちる。
大口を叩いたわりに、たったそれだけの事で真っ青になるんだなと溜息を吐いた。
「さて、私の妃を侮辱したのだから、相応の報いは大前提として。君は一体何がしたいのかな?」
フィーギス殿下はゆったりとソファで足を組み、穏やかな顔と声音でそう言うも、本気で怒ってると察するには充分な威圧感に、部屋の空気が重くなる。
ミウムはカタカタ震えて勝手に肌に細かな傷をつけながらも、反論しようと顔を上げるのだから大したものだ。
「あっ、あたしはただっ、彼を探したかっただしっ⁉︎」
「彼? ああ、ヴィリックの事かい? 彼なら」
「あんなのどうでもいいからっ! なんか上のモブのせいで消されている、あたしの推しの事っ‼︎」
「推し?」
「え?」
聞き慣れない単語に思わず首を傾げたら、何故かマヤリス王女が顔を強張らせていた。ソフィアリアも知らないこの国独特の言葉なのだろうか?
ミウムはこの状況のなか、どこかうっとりとした表情で、その名を口にした。
「そう! あたしのラズ様だよ!」
「は?」
ピリッと、ますます部屋の空気が張り詰める。ソフィアリアも口元を押さえて、怒鳴りたくなる気持ちを飲み込んだ。
何故ミウムがその名前を知っているのだろうか? その名前は本当に限られた人しか知らなくて、この国でもマヤリス王女だけが知っているかもしれない程度でしかないのに……。
そしてその名で呼んでいいのは、世界でたった二人だけだ。湧き上がる怒りで、心がざわめく。
「……心当たりがない訳ではない」
「マジっ⁉︎」
「だが、何故君がその名を知っている?」
一番に持ち直したらしいラトゥスがそう聞いてくれるが、ミウムはどこかはしゃいだ気持ちのままなのか、意味のある言葉を発しない。
興奮したような妙な笑い声が返ってくるばかりだった。




