黄金の水平線の彼方 1
翌朝。ソフィアリアは身支度を整えて食堂へと向かっていた。
昨日の今日で気まずいとかそういう気持ちは一切なく、好きなものは好きだし今後は開き直ろうと思う。元々気持ちの切り替えは早い方だ。
「でね、とっても風が気持ちよかったのよ。アミーは大鳥様に乗せてもらった事はあるかしら?」
「ございますよ。私は背中じゃなくて籠でしたが。――飛び立って三秒で安らかではない眠りにつきました」
そう言ってアミーは当時を思い出したのか、どこか遠い目をしていた。ソフィアリアは目を丸くして頬に手を当てる。
「まあ。アミーはダメだったのね」
「ええ。ですが、ソフィ様が王鳥様に騎乗してどこかへ移動する事も今後はあるかもしれませんので、同行する為に慣れておきます」
「無理はしなくてもいいのよ?」
「無理をさせてください。……ソフィ様も日々頑張っておられるのですから、私も頑張らせてください。私はソフィ様の侍女で……友人ですから」
少し照れたように頬を赤くするアミーがとても可愛い。気持ちが嬉しくて、つい頬が緩んでしまった。
と、話していたら向かいからオーリムが歩いてくる。オーリムが食堂に行く際はここを通らないらしいし、後ろでは少し困ったようにプロムスも従っていたが、何かあったのだろうか。
「おはようございます、リム様。どこかへ行かれるのですか?」
「フィアを迎えにきただけだが?」
ニッと勝ち気に笑ってそんな事を言う。彼らしくない表情に目をパチパチさせていると、さも当たり前のように膝裏を片手で抱え上げられて、ヒョイと子供のように抱っこをされてしまった。
突然の事で目を白黒させ、肩に触れながら彼をじっと見るが、前を向いて機嫌よさそうに笑い、ポケットに手を入れて堂々と歩いているだけでこちらを見向きもしない。
ふと、もしかしてと思う。
「……王鳥様ですか?」
「うむ、早かったな? さすが余の妃よ」
「わかりますわ。表情も雰囲気も、リム様とは全然違うではありませんか」
そう言ってふわりと笑った。初めて直接会話が出来て嬉しくなる。
そういえば、王鳥はオーリムの身体を一方的に乗っ取れると言っていた。これがそうなのだろう。
オーリムが王鳥を傲慢チキだと言っていたが、なるほど、彼はこんなに堂々とした性格の人だったらしい。とても王と呼ぶのに相応しい佇まいだ。オーリムはどちらかと言えば物静かな方なので、違いがわかりやすい。
「ふふっ。おはようございます、王鳥様。直接お話出来て嬉しいですわ」
「余もだ。しかし、その呼び名はいただけぬな? 許す。そなたも王と呼べ。ああ、敬語はそのままでよいぞ。余とこやつ、どちらに話しかけているのか、その方がわかりやすいからな」
「ええ、ええ王様。ではそのようにいたしますわ」
オーリムと同じ顔と声で尊大な態度だから、ついくすくすと笑ってしまう。ボソッと喋るオーリムに対して王鳥はハキハキと大きな声で話すし、本当に別人だ。
でも王鳥がこういう感じなのは、とてもしっくりくるなと思った。王鳥はこの国どころか世界で一番偉い人なのだから、堂々とした態度が様になっている。
「歩きにくくはございませんか? 申し訳ございません、わたくしの代わりに歩かせてしまいまして」
「気にするでない。余がこうしたいのだ。しかしこやつは全然背が足りぬなぁ? 抱え上げてこんなに見上げるようではまだまだよ。まったく、嘆かわしい」
「成長期だから大丈夫ですよ。小さかったわたくしの弟も、たった一季で並んで、追い越して、今ではリム様と同じくらいになりましたもの。わたくしはもうこれ以上伸びないようですし、こうして抱えて、少し見上げるくらいまでには差が縮まりますわ」
ふと、一昨日の初対面での彼の第一声が「高いな」だったのを思い出した。オーリムは小柄な子の方が好きなのだろうか? ……そう思うと上背のあるソフィアリアは落ち込む事しか出来ないので、考えない事にする。
「そうか。はよう伸びるよう言っておかねばな」
「ふふっ。言われても言い争いになるだけですわよ。ほどほどになさいませ」
「むぅ〜。余に説教をするとか、そなたはほんとに豪胆よのぅ」
膨れっ面で言われても可愛いだけだ。なんとなく小さな子を相手にしている気分になって、つい頭を撫でる。王鳥にもよく撫でるようになっていたし、このくらい許してくれるだろう。
王鳥は目を気持ちよさそうに細めて、更にギュッと強く抱きしめられた。お気に召してもらえたようだ。
やがて食堂に付き、王鳥はプロムスを見る。
「準備は出来ておるか?」
「え、えぇ。ご注文通りに全てテーブルに揃っております」
「ならばよい。ここからは余と妃の時間だからな。そなたらもここで睦み合っておれ。邪魔するでないぞ」
「睦っ⁉︎ あ、あの、王鳥様っ⁉︎」
そう叫んだアミーの言葉も手を振って払うだけで、王鳥は扉を開けて中に入ると、すぐに閉めてしまった。
本来婚約者同士であっても密室で二人きりというのは褒められた行いではないのだが、そもそも王鳥はさっさと結婚派であり、人の……それも貴族の常識に当て嵌めるのもどうかと思うので、まあ大丈夫だろう。
二人の時間とは、一体ソフィアリアは何をされてしまうのかと遠い目をしそうになったが、なんとか笑顔を保つ。それに、オーリムとはともかく、王鳥とはもう夫婦のようなものだ。その身体はオーリムのものだから判断が難しいが、いずれは結婚するのだし、好きな人なのだからソフィアリアだって別に嫌ではない。
王鳥はソフィアリアを抱えたまま椅子に座ると、そのまま膝に乗せて……少し見上げる形になるのが微妙だったのか、太腿の間に座らせ横抱きにした。
「あの、王鳥様? これだと食べにくくはありませんか?」
「全く問題ないな」
問題しかないという言葉はグッと飲み込んで、耐える。何をするのか、されるのか全くわからないが、好きにさせてあげようと思った。恥ずかしさなんて押し殺せばいいのだ。
王鳥は籠からパンを一つ取ると、一口千切ってソフィアリアの唇に押し付けた。
「ほれ、あ〜ん」
ピシリと固まる。さすがにだんだんと耳が赤くなってきた。
どうやらソフィアリアは王鳥から給餌をされるようだ。どうしてそんなところだけ本来の姿通り、鳥から倣ってしまったのかと問い質しても許されるだろうか。
「……王さもごっ⁉︎」
「妃よ、食べる前に喋り出すのは行儀が悪いぞ?」
ごもっともだがそれ以前の問題な気がする。とりあえずこくこく頷き、口に入れられたパンを咀嚼してから、問うのは諦めてヤケクソ気味にソフィアリアもパンを取り、一口分千切る。
「申し訳ございません。では、王様も。あ〜ん?」
さっさと気持ちを切り替える事にした。こうして食事をしたいのなら付き合おうではないか。
王鳥は躊躇わず口を開いたのでパンを投げ込もうと思ったら、パクりと指ごと食まれる。
「っ⁉︎ 王様っ⁉︎」
まさかの暴挙に目を見開いて、瞬間的に真っ赤になってしまった。王鳥はその表情を見て満足そうにニンマリと笑い、ペロリと指先を舐めてから指を離す。
舐められた指先が熱く、心臓が痛いくらい早鐘を打っている。唇と舌の柔らかな感触がまだ残っていて、ソフィアリアでも表情が上手く取り繕えなくなってきた。
「ようやっとそのように慌てた表情を見れたわ。まったく、妃は次代の王と同じような表情ばかりで、何かあっても妃が照れるより先にこやつが照れるからな。こやつには期待出来ぬから、余が存分にさせてやろうと思うたまでよ」
王鳥はどうやらだいぶ意地悪なようだ。ニヤリと笑って頭を撫でながらそんな事を言うものだから、ムッと膨れてみせる。表情を取り繕うのが上手いのは淑女教育の賜物なのだが、王鳥はそれが気に入らなかったようで、まんまと崩されてしまった。それが少し悔しい。
「〜っ! もうっ、王様ったら酷いですわっ!」
「酷くなかろ? 照れる姿も愛いのだから、今後も余が存分にさせてやろうぞ」
カッカと笑う王鳥には今後も振り回されてしまうらしい。なんとなく、オーリムとフィーギス殿下がよく王鳥と言い争いをしていた理由がわかったような気がした。




