歓迎パーティでの婚約破棄 6
まだ色々話し足りない事はあったが、そろそろいい時間だし長旅の疲れもあったので、早めにお開きとなった。どのみち話を聞くだけでは納得出来そうもないので、学園の状況を実際に見るべきだろう。
そして忘れてはならないのは、明日の事だ。
「じゃあもうひと頑張り、テスト勉強をしましょうか?」
みんなで勉強会なんて久々だと気持ちを弾ませていたら、プロムスが絶望感溢れる顔をしていた。何故だ。
「ソフィアリア様、それ思い出してはいけないやつですよっ!」
「あら、しないの? ふふ、プロムスは余裕ね〜」
「そんな訳ないでしょうっ⁉︎ リム〜、ちょっと手伝ってくれよ〜」
「無理。夜は代行人としての仕事を片付けなければならないって言っただろ」
「なら、私が教えようではないか。王太子が直々に教鞭を振るう姿を見る事なんて滅多にないのだから、喜びたまえ」
「フィーも仕事があるだろう。せっかく大鳥様に書類を運んできてもらったのだから、膝の上のマヤリス王女殿下はそこに置いて、さっさと部屋に戻る」
――色々阿鼻叫喚はあったが、楽しいテスト勉強会の開始だ。
参加者は教師役のソフィアリアとマヤリス王女。生徒役はメルローゼ、プロムス、アミーの三人である。勉強はしないが愛する人とくっ付きたい王鳥とキャルの事も、当然忘れずに。
他の人は仕事で、プロディージは同じサロン内に居つつ、勉強よりも貴族名鑑の暗記の方が大事らしい。貴族の数もビドゥア聖島の比ではないので、関わりそうなクラスメイトと同級生、あと高位貴族を覚えると言っていた。さっそく何か見つけたらしく、また眉間に皺を寄せているのが気になるが。
そんな訳で、特にこの国の歴史と文化の違いがある一般教養が危ういらしいので、それを重点的に勉強していく。教えるソフィアリア達も復習になって、なかなか楽しい時間だった。
――日付が変わる前にお開きとなった就寝前の時間。ソフィアリアはバルコニーにあるベンチソファで王鳥と引っ付きながら、夜デート代わりの時間を過ごし、今日知った出来事を脳内で整理していた。
色々な事を考えた結果、少しおセンチな気分だったので、背に引っ付いている王鳥に深くもたれ掛かって、他国だろうと何も変わらない夜空を眺める。
「フィア」
仕事が忙しそうだったので来ないと思っていた人物からそう声を掛けられ、思わず笑顔で振り返った。
「お仕事お疲れ様……かしら?」
「いや、まだ残ってる。少し休憩だ」
「あらあら」
くすくす笑うと端に避け、隣を空ける。当然のように引っ付きながら腰掛けてきたのは、もちろんオーリムだった。
「ねえ、ラズくん? 髪を触ってもいいかしら」
「髪? まあ、別にいいが」
「ありがとう! ずっとね、くるくるしてるのがふわふわしていそうで可愛いわって思っていたのよ?」
そう正直な気持ちを伝えると、頬を染めながら触りやすいように少し屈んでくれたので、気が変わらないうちに手を伸ばす。
いつものオーリムの髪質は絹のようにサラサラだが、今のオーリムは少し硬めなのが不思議だった。まっすぐに伸ばしてみても、反発するようにくるんと反り返ってしまう。ふわふわではなかったが、これはこれで可愛い。
王鳥もソフィアリアの反対側で遊んでいるし、可愛いが大渋滞した至福の時間に、頬がだらしなく緩むのは、仕方ないだろう。
「……も、もういいか?」
「あら、もう? じゃあ、続きは明日ね」
「明日もする気なのか……」
「ピ!」
当然である。王鳥と二人で真剣な表情で頷けば、困ったように笑っていた。ちょっと珍しい表情に鼓動が跳ね、目が離せなくなったではないか。
「まあいい。……そういえば傷の心配ばかりしていて、つい言いそびれたが、王城で怒ってくれてありがとう」
ちょっと今蒸し返してほしくなかった話題だと思ってしまった我儘な気持ちに蓋をして、薄く笑みを浮かべ、首を横に振る。
「……どういたしまして。でも、わざわざお礼を言われる事ではないわ。わたくしは王鳥妃として、当然の反応を返しただけだもの」
「でも、フィアの夫はロムじゃないからな?」
ムッとしながらあんな些細な事を拾ってきてわざわざ訂正するのだから、思わず吹き出してしまった
そんな話題なら、大歓迎だ。
くすくす笑いながら、オーリムの肩に身を委ねる。
こんな風にソフィアリアの両隣を王鳥と二人で占領する一途さに、ますます恋心が膨らむばかりだ。心の隙間を埋められて、幸せで満たされていくのがわかった。
「ええ、わたくしは王様とラズくんのお妃さまだわ。だから、はっきりとは言わなかったのよ? アミーとプロムスにも悪いし、嘘でも他の方を旦那様だなんて言いたくないもの」
「プーピ」
「ああ、当然だ。これからも言わせないし、俺だって言わない」
「そうしてくださいな」
顔を上げれば目が合って、自然と唇を重ねていた。今日も最後に柔らかく喰まれると、そっと離れていく。
「ピ」
そして王鳥が正面に回ってくると、その嘴が優しくソフィアリアの唇に触れた。
王鳥からのキスは、いつもオーリムの身体に乗り移ってからだったから、こうして王鳥の姿でのキスは珍しい。セイドでされたファーストキス以来ではないだろうか。
いつもみたいに力が抜けるような激しさはなく、その硬さに触れただけなのに、つい真っ赤になってしまった。
「……もしかして、王からの方が好きか?」
「ピ?」
「もう、違うわ。不意打ちでいつもよりドキドキしてしまって、どちらが上とかではないもの」
自分の頰をくるくる揉んで、赤みを和らげようとしながらそう言い訳をする。珍しい事をされてドキドキ感が増しただけなので、本当に優劣なんてないのだ。
「フィア」
「なあ――」
に、の言葉は、オーリムの唇の中に消えていってしまった。初めての一日二回目のキスに、思考が停止する。
今度はすぐに離れて、じっと顔を見つめられる。輝くようなオレンジ色の瞳に映るソフィアリアは、きっと先程よりも頰が真っ赤なのだろう。だってこんなにも身体が熱いのだから。
「ピピ」
そして当然のように、王鳥にもつんつんと唇を突かれたのだった。
珍しく真っ赤になったまま固まっているソフィアリアの姿に、二人は満足そうに笑う。でも耳まで真っ赤なのが、オーリムらしい。
「ははっ、不意打ち」
「ピーピピ」
「〜〜〜〜っ⁉︎ もうっ、もうっ!」
二人の頰を手のひらでぐりぐり揉むと、それでも幸せそうな顔をする。
なんてひどい未来の旦那様達だろう。こんなのますます好きになってしまうばかりではないか。きっと二人はソフィアリアをダメな人間に陥れる為に送られてきた使者なのかもしれない。だったら思惑通りだ。
ソフィアリアは二人の間に飛び込むと、ギュッと縋り付く。ほんの少しだけ、甘えたい気分になった。
「ねえ、王様、ラズくん」
「ピ?」
「どうした?」
「わたくしね、ルーデリア元王女殿下が捕えられた時、なんとも思わなかったし、今も後悔していないの」
思い出すのは、彼女が捕えられる直前。顔をガラスで切ったと泣き叫ぶ哀れな子供の姿だった。
あの少女を更に捕らえるよう仕向けたのは、他でもないソフィアリアだ。挑発して、許さないように脅して、蹴落とした。ただ、それが正しいと思ったからそうしただけ。何も間違えてないと、自分は判断した。
――でも……。
王鳥とオーリムは優しく微笑んで、それぞれ左右から髪を梳いてくれる。
「ガラスを浴びる姿を見た時はヒヤヒヤしたけど、それを抜きにして考えみたら、あの時のフィアはいつもと違って凛としてて、カッコいいって思ってた」
「ピ」
「人を貶める為の姿を、カッコいいなんて言わないでくださいな」
「聞いてやらない。だってあれは大鳥達やロムやアミーを護る為に立ち向かってくれた姿だったから、何を言われてもこう返す。あの時のフィアは、最高にカッコよかった」
「ピーピ」
ギュッと、縋り付く手に力がこもった。
「あの方はまだ十二歳よ? 育った環境が悪かったとわかっていたけれど、更生の余地も残してあげないまま、わたくしは切り捨てたの」
「許せないと思う心に、年齢なんか関係ないだろ。子供だからが通用するかどうかは、被害者の気持ち次第だ」
「そうよ。あの子、大鳥様を飼い慣らすって言ったのよ? 大鳥様にとって取るに足らないちっぽけな存在である人間を、大昔に約束したからと今でも護ってくれて、生涯を共に過ごすパートナーとして選んでくれて、自らの羽根で買ってくれたお花までくれる優しい神様なのに、その優しさにつけあがるなんて、あんまりだわ」
「ビービー」
「でもね、それはあの子が大鳥様をよく知らないせいだってわかっていたの。それでもわたくしは、許す気持ちは湧かなかったのよ」
――あの時、あの瞬間、ソフィアリアはどうしようもなく怒りを感じた。
理屈ではわかっていたのだ。そう言わせた環境と未熟な感情が運悪く混ざり合ってしまった、不幸が重なった結果なのだと。ルーデリア王女だけが悪いわけではなくて、そう育つような環境に置いた保護者の二人が悪いのだと。
それでもソフィアリアは、ルーデリア王女のみを切り捨てた。大鳥を侮辱したというその点だけを見て。保護者二人を断罪するのは、ソフィアリアがすべき事ではないと思ったから。
「わたくしはわたくしが護るべき大鳥様と大屋敷の皆様、それと近しい人の事はとびっきり大切にするけれど、それ以外の人には思っていたよりも関心を寄せないし、敵だと判断すれば、どこまでも冷酷になれるのね」
ソフィアリアは、曲がりなりにも帝王学を学んだのだから、そういう一面も必要だと学び、覚悟してきたつもりだった。
でも実際は王鳥が側妃を娶るかもしれないという話が出た時に酷く心を乱し、酷く感情的になって平常心を保てなかった事があった。
そんな調子だったので、ソフィアリアの覚悟なんて結局その程度。やはり上辺だけを取り繕っていたに過ぎないのだと、自分に酷く失望した。きっと自分は帝王学を活かす日は来ないだろう。そう諦めたつもりだった。
だが、今回こうして大切なものの選別をし、不要だと判断したものを冷酷に切り捨てる事が出来てしまった。案外何も感じずやれるものだなと思い、そんな自分に呆然としたのだ。
「俺も意外だった。俺の知るフィアはみんなに優しかったから、この国に来てから、人に冷たくする事も出来る人だったんだって、初めて知った」
「ピー」
「そんなわたくしは、お嫌い?」
そう言った声は、情けなくも少し震えていた。色々考えて、そんな事を一番気にしてしまうのだから、救いようがない。
オーリムはソフィアリアの肩をゆっくりと押すと、顔を覗き込んできた。その真剣な表情に、目が離せなくなる。
「フィアは言葉で相手を言い負かすけど、俺は敵だと判断した相手は物理的に切り捨てる。……そんな俺と王は嫌うか?」
「いいえ」
何の迷いもなく、きっぱりとそう言い切る。その力があってそういう権限を持っている二人を、嫌う理由なんかない。ただ、傷付かないように隣で寄り添うだけだ。
――つまり二人にとってソフィアリアも、そうだと言いたいのだろう。
ふっと困った顔で微笑んだ。二人に手を伸ばすと王鳥は手のひらに額を擦り付け、オーリムは指と指を絡めてギュッと握ってくれる。
「そうよね。疑う理由なんてなかったのに、つい弱気になってしまったわ」
「知らなかった自分の一面を知って、驚いたんだろ。そんな中でフィアはよくやってると俺は思う」
「プーピ」
「ふふ、ありがとう。……ねえ」
手を離して立ち上がると、二人に背を向けて、夜空を見上げる。ソフィアリアとオーリムををここに連れてきた王鳥と同じ、大好きなその色を。
「ん?」
「ピ?」
――ソフィアリアがここでこうしていられる、その特別な色を。
一度深呼吸をして、振り向いた。まっすぐ二人を見つめて、ふわりと柔らかく微笑む。
「ありがとうございます、王様。わたくしとラズくんを見初めてくださって。ありがとう、ラズくん。代行人になってくれて」
今更な事にお礼を言えば、真意を見抜いた王鳥は優しく目を細め、よくわからないらしいオーリムは不思議そうな顔をしながらも、そのまま受け取って笑みを返してくれる。
「ピ」
「ああ、フィアも俺達の所に来てくれてありがとう」
真意はわかっていないのに答えだけは大正解だったから、幸せでくすくすと笑ってしまうのだった。




