鈴蘭のお姫さま 3
このページには流血描写があります。
お読みの際はご注意ください。
コンバラリヤ王国の王都は、白亜の都だった。
国花である鈴蘭を連想させる真っ白で統一された建物と植えられた緑の景観が美しく、多くの人で賑わっている。
ビドゥア聖島の十倍以上はある広大なこの国は、強大な軍事力と資源に富んだ安定した国――なのだが、それを動かす為の人材は、うまく育成出来なかったらしい。
それをソフィアリア達は、よりによって王城で、身をもって知る事になる。
「――では、マヤリス王女殿下の我が国への移住は、学園の修了パーティをもって認めていただけると、そういう事ですね?」
にこやかにそう語るフィーギス殿下の目は、相変わらず全く笑っていない。むしろ、相手に対して刺々しさすら感じる。
フィーギス殿下の対面で話す人物は、そんなフィーギス殿下に気圧されながら、なんとか自分の言い分を通そうと必死になっているようだ。残念ながらフィーギス殿下の方が上手で、全く相手になっていないけれど。
――そう、まだ王太子であるフィーギス殿下の方が上手なのだ。この大国を統べているはずの国王陛下よりも。
話を聞く限り、フィーギス殿下が優秀というよりも、国王陛下が情けなさ過ぎる。これは、他国の事ながら頭が痛い話だなと、後ろで聞いているソフィアリア達は呆れて物も言えない。交渉が思っていたより簡単に終わりそうなのは、いい事だけど。
「そっ、そんなに我が国の王女が欲しいのならば、下にそなたを気に入っておる第二王女が今――」
「元第二王女殿下は半年前、王籍から抜けたとマヤリス王女殿下からお聞きしましたが?」
ピリッとした威圧感が、後方にいるソフィアリア達の方にも伝わってくる。
ソフィアリアは平気だが、隣に座るアミーに目線だけ向けると、青褪めていた。誰からも見えないようにそっと手を握ると、縋り付いてくるようにギュッと握られたので、宥めるように親指で撫でる。そうするとようやく、肩の力を抜けたようだ。
メルローゼの方もアミーと似たような表情をしているが、あちらはプロディージが同じ事をしているので大丈夫だろう。
それを確認して、ソフィアリアはフィーギス殿下達の方へと視線を戻した。
「それに、勘違いされては困ります。私はコンバラリヤ王国の王女を所望しているのではなく、第一王女であるマヤリスただ一人を望んでいるのです。王鳥様に次代の王妃だと認められた彼女でなければ意味はないと、三年前にも再三お伝えしたはずですが?」
王鳥の名前を出すとビクリと肩を震わせるのだから、少しだけ気になってしまった。後で何をしたのか聞けば教えてくれるだろうか?
そうやって思考を明後日に飛ばすくらい、退屈な時間だった。挨拶早々交渉が始まってしまい、退席すら出来なかったが、いっそ別室で待機させてくれればよかったのにと思わずにはいられない。その方がまだ、国王陛下の威厳は保てたのではないだろうか。
国交とも言えない稚拙な会話に、プロディージなんて不機嫌を隠しもしていないのだから。
交渉の末、マヤリス王女の移住の為の書類は、今週末にある学園の修了パーティ後に渡される事が確定する。約束を違えないようお互い署名をして、この無為に近かった時間はようやく終わりを迎えた。
ちなみに何故学園の修了パーティ後なのかというと、マヤリス王女が島都学園に編入する為の書類も必要だからである。
どうやら成績はともかく出席日数がギリギリだったようで、最終日まで出席しなければ、留年になってしまうらしい。
マヤリス王女には次代の王妃として最低限島都学園を卒業してもらわねばならず、また島都学園には留年という制度がないので、留年によって新学年から編入出来なくなるのは、非常に困るのだ。
そのあたりに関してはマヤリス王女は申し訳なさそうな顔をしていたけれど、第一王女としての公務が忙しいのだから仕方ないと思う。
「では、私達はこれで――」
ガチャリと、挨拶もなしに扉が開けられ、フィーギス殿下の後ろで護衛役として立っているオーリムとプロムスが、警戒心を強くする。
あまりの無礼さにソフィアリアも眉根を寄せ、扉の方を見ると、非常識に見えるほど豪奢なドレスを身に纏った派手な女性と、その女性に似たソフィアリア達よりも年下の少女が堂々と立っていた。扉を開けたのは、彼女達の侍女だったらしい。
「っ! 無礼者っ! ここがどのような場であるか知っての狼藉ですかっ!」
「お黙りなさい、もうすぐ追放される小娘が」
マヤリス王女が彼女達に毅然と立ち向かうも、女性は馬鹿にしたように笑い、つかつかと中に入ってくる。
なんとなく正体は察したが、彼女達がここに来た理由が全くわからない。一番に動くべきはずの国王陛下が彼女達を止めず、むしろ少し嬉しそうな表情をしている理由も、わかりたくもない。
他国の事なので静観していたが、少女の方がうっとりとプロムスを見て頬を染めたから、嫌な予感がした。
「おまえ、わたくしの夫になりなさい」
だよね、と溜息を吐く。なるほど、フィーギス殿下がこの部屋に全員留め置く訳だ。王城ではこんな風に突撃してくる人間を、野放しにしているのだから。
「ルーデリア、控えなさい。その御方は、あなたが嫁げる身分ではないわ」
マヤリス王女が注意するも聞く耳持たず。マヤリス王女は自身の騎士を振り返って強制退室させようとしたが、彼らは動かなかった。その様子に、きゅっと悔しそうに唇を噛んでいる。
それらをまるっと無視をして、彼女達はプロムスだけを見つめて、勝手に話が進んでいく。
「協力してくれる伯爵籍を用意してあるわ。ルーデリアの輿入れが済めば公爵になるし、家格は充分でしょう?」
「おまえも、小国の護衛騎士なんかで燻るよりも、美しいわたくしとこの国で暮らす方が、ずっと幸せよね?」
さもそれが正解だと言わんばかりの弾んだ態度にうんざりする。けれど、相手が相手だけに口出しする訳にはいかない。
彼女達はこの国の王妃殿下と、マヤリス王女とは異母妹の王女殿下なのだから。ルーデリアという名は、先程国王陛下が匂わせていた元第二王女の名前だったはず。
それだけの身分でありながら、マヤリス王女の言った身分違いがどういう意味か正しく汲み取れていない二人は、色々と大丈夫なのだろうか。
――一つ、もっともな理由に心当たりがない訳ではないが、だからこそ人一倍の努力が必要だろうにと、思わずにはいられない。
「……彼は私の護衛騎士だよ。勝手をされては困る」
そう言ったフィーギス殿下はいつもの笑みすら浮かべるのをやめ、冷めた表情で二人を……それを止めない国王陛下を含めた三人を、あからさまに蔑んだ目で見ていた。
「なら、フィーギス殿下がわたくしを娶ってくださいませ!」
「何故? 私は一国の王太子なのだから、平民の娘なんて娶る事は出来ないし、君にその価値はないよ」
「はあ⁉︎ 誰が平民ですのっ⁉︎」
「君は半年前、王籍から抜けているそうだね? にもかかわらず誰かに嫁ぐ事なく、まだここでウロウロしているのだから、言い訳は出来ないのではないかな? あと、彼は準男爵位だ。それも王太子付きの近衛騎士なのだから、理由もなく平民を嫁がせる訳にはいかない。国家機密を握っているのだからね」
そう言うとルーデリアは心底意味不明と言わんばかりの顔をしているのだから、呆れてしまう。
そう、何故そうなったのか理由は不明だが、誰かに嫁ぐ事なく王籍を抜けているのだから、彼女の身分は平民だ。
準男爵位だが背後に王太子という有権者がいるプロムスとも、ましてや王太子であるフィーギス殿下と結婚なんて許されない。
だから、身分違いなのだ。夫の身分ではなく、妻となるルーデリアの身分が低いが故の。
「何を訳の分からない事を言っているのかしら? とにかく、あなたにはルーデリアと結婚してもらいますからね」
「お断りします」
ピシャリと、プロムスは真剣な表情で言い切った。それも当然だろう――二人には、全く届いていないようだが。
目の前でまっすぐ断られた事でプライドでも傷付けられたと感じたのか、ルーデリアは今度は怒りで顔を真っ赤にしていた。
「なっ! お、おまえが断れる身分だと思っているのっ⁉︎」
「ええ、私の身は王太子であらせられるフィーギス殿下が保証してくださっておりますので。それに私は鳥騎族です。パートナーである大鳥様の許可なく婚姻は結べません」
「……あなた、ピアスをしているのね。もしかして、既婚者なのかしら?」
王妃殿下が小国と蔑むビドゥア聖島のその風習を知っていた事に内心驚きながら、嫌な流れになりそうな予感をひしひしと感じる。
「オレンジのピアスという事は、そこにいるどちらかかしらね? 小さい方?」
王妃殿下とルーデリアに睨まれたアミーは、まっすぐ前を向いて、無表情を貫いていた。手は震えているものの、いい判断だと微笑む。
「だったらさっさと離縁なさいっ! 鳥の神様だって、わたくしの方が上手く飼い慣らしてあげてよっ!」
あっ、ダメだなと思った。王鳥妃であるソフィアリアが、これ以上は黙ってはいられないと訴えている。
ソフィアリアは持っていた扇子をバサッと音がなるほど乱暴に開いて二人の注目を集めると、口元を隠して、目元には笑みを浮かべた。
「あらあら、神様を飼い慣らすだなんで、随分と罰当たりな事を仰いますのね? あまりに過ぎた大口を叩きますと、この国の品位が問われましてよ」
口を開いたソフィアリアに助け船を出そうとしたフィーギス殿下とマヤリス王女には目で待ったをかけ、ソフィアリアは立ち上がるとアミー達から少し距離を取るよう窓際に寄り、たった一人で二人と対峙する。
「無礼な子だこと。あなた、誰かしら?」
「お初にお目にかかります。わたくしはソフィ・アレックス。夫はそう――大鳥様と共に、国を護ってくださっておりますの」
礼をする価値はないと判断したので、直立の姿勢で二人にそう言った。ついでにアミーにごめんなさいと内心謝りつつ、プロムスの妻はソフィアリアかもしれないと匂わせておく。琥珀色の瞳もこうして陽の光に晒されれば、オレンジ色に見えなくもないだろう。
鳥騎族だと言わなかったのは、オーリムはそうではないからだ。たとえ嘘でも、夫の身分を偽る気はない。
案の定二人は釣られて、怒りの形相をソフィアリアに向けていた。的外れなのにと冷笑してしまうのは、仕方ない。彼女達はソフィアリアにとって敵側だと部類したのだから。
「あなたねっ⁉︎ さっさとプロムスと別れなさいよ‼︎」
「わたくしが、何故?」
プロムスと結婚していないのにと内心呟き、ふっと笑って首を傾げる。
「たかが護衛騎士の妻の分際で、王族に歯向かうなんてどういう了見かしら? 不敬罪で投獄されても、文句は言えなくてよ?」
「不敬罪に問われるのなら、そちらの元第二王女殿下の方がよっぽど罰する必要があるのではありませんこと? 一体誰に喧嘩を売ったのか、理解していらっしゃらないのかしら?」
「あなたに喧嘩を売ったのが、なんだっていうのよ⁉︎」
笑みを引っ込めて、冷ややかな目で吠え続けるルーデリアを見つめる。
「本当にわかっていらっしゃらないのですね。わたくしにではなく、我らが神であらせられる大鳥様にですわ」
「神ねぇ。それの何が問題なのかしら?」
「殿方を得たいが為に神様相手に飼い慣らすだなんて不敬な物言いをし、プロムスの結婚相手だと認めた大鳥様の判断にケチをつけるだなんて……この国を滅ぼされても、文句は言えませんわね?」
あえて似たような言葉を返しながらすっと目を細めると、ソフィアリアの背後にあった全面ガラスの窓が、ガシャーンとけたたましい音を鳴らしながら一瞬で吹き飛び、室内にガラス片を撒き散らす。
一瞬驚いたものの、王鳥が護っているソフィアリア達が怪我をする訳はないので、その場で威厳を保っておく。思った通り、ガラスの破片はソフィアリアに触れる事なく、弾かれていた。
オーリムは歯痒そうな表情をしながらも意を汲んでフィーギス殿下とマヤリス王女の側に留まってくれて、プロムスはアミーとラトゥスの側に寄り、プロディージはメルローゼをガラスから護ろうと抱え込んで全員無事の中、護られなかったコンバラリヤ王国側の王族三人とその騎士や侍女達は、瞬く間に恐慌状態へと陥っていた。
「うわああああっ⁉︎」
「いやああああ、血がっ、わたくしの顔に傷がっ⁉︎」
「きゃあああああっ⁉︎」
突然の出来事に叫び、泣き、護るべき主君を置いて我先に逃げていく。大鳥に喧嘩を売ってその程度なのかと、溜息を吐いた。
「……国王陛下」
「なっ、ななななんだっ⁉︎」
「無礼を働いた者には相応の罰を与える事をオススメいたします。この国を陛下の名で潰し、世界に悪行を広めたくないのならば、大鳥様への礼節はきちんとわきまえてくださいませね?」
プロムスに無礼を働いただけで済んだ王妃殿下はともかく、大鳥を直接侮辱した第二王女は決して許すなと、威圧を込めて微笑んだ。




