大海原の上、仮初の夫婦 3
「はあ、なるほど? 事情は理解しました。この忙しい時期に一週間以上も村を離れて、隣国とは縁もゆかりもない私達にそれを解決してほしいと、そういう事ですね?」
この上なく不本意そうに、渋い顔をしながら嫌味混じりでそう言ったプロディージは、あまり乗り気ではないらしい。
そんな態度だったから、反対にノリノリのメルローゼは、ムッとしていた。
「なによ? リースの危機なのに、嫌なの? 将来お仕えする事になる次期王妃殿下よ?」
「たかだか男爵家の人間でしかない僕にとって、王妃殿下が誰であろうとあまり関係がないからね。今の王妃殿下みたいな身分も素質も足りない人間を選ばなければ、隣国の王女殿下だろうが、この国の高位貴族のご令嬢だろうが、どっちでもいいし」
「おや? 私の側近を目指しておいて、その言い草はないのではないかね? 少しでも私の役に立って、覚えをよくしようなどとは考えつかなかったのかい?」
「覚えをよくする為の方法なら、他にいくらでもあるでしょう? それに、これはお忍びですので、どれだけ活躍しようと、表に功績が出る事はないではありませんか」
呆れたように言い切ったプロディージの言った通り、今回のコンバラリヤ王国への訪問は公式的なものではなく、突撃訪問――つまりお忍びだ。フィーギス殿下がコンバラリヤ王国に訪れる事を知っているのは、この国のフィーギス殿下周辺の上層部の人間と、コンバラリヤ王国でもマヤリス王女を含めた王族関係者、あと潜入先の少数しか知らない。同行者が誰なのかを知っているのは、更に少ないはずだ。
表向きは、ビドゥア聖島西部の視察と検問所の滞在という事になっているらしい。その為の根回しが大変だったのだろうなと、疲れた様子で察する。
だから、王家が所有する船ではなく、ペクーニアの貿易船で向かうのだ。メルローゼの前でコンバラリヤ王国に――マヤリス王女に会いに行くと言えば、絶対について行って協力すると言い出すのを、計算の上で。あのタイミングでフィーギス殿下がやって来たのは、それを狙ったからだろう。
案の定、メルローゼはフィーギス殿下の狙い通り協力を申し出て、ペクーニアに帰って貿易船に乗ってきた。もう一つの狙いであったプロディージを協力者として引き連れて。
「そんなに不服なら、来なければ良かったのではないかな?」
「ご冗談を。有無を言わさず、うちにフォルティス伯爵家の関係者を代官として派遣し、ローゼを使っておびき寄せて、私に行かないという選択肢が取れるとでも?」
「え、私、フィーギス殿下にディーを釣るエサにされていたのっ⁉︎」
「なんで気付いていない訳? あからさまに手のひらで転がされてるでしょ」
「ちょっと、本当なんですのっ⁉︎」
「対価としてマーヤに会えるのだから、安いものではないかな?」
「お買い得ですわねっ!」
マヤリス王女の名前を出せばあっさり懐柔されるメルローゼに、プロディージは目を手で覆って溜息を吐く。ソフィアリアすら苦笑するしかなかった。
「表に功績が出る事はないが、フィーの役には立つ。内々だろうが媚を売っておくのは、悪い話ではないと思うが」
「フィーギス殿下は媚びへつらうだけの側近なぞ、不要だと切り捨てるでしょう?」
「まあね。だからもっともな意見で反発してくれて、少し見直したのだよ。席は空けておいてあげるから、早く登ってきたまえ」
大変いい笑顔のフィーギス殿下を見て、プロディージも口角を上げる。あっと思っても、もう遅いだろう。
「でも、私の妃はマーヤ以外あり得ないから、そこは心に留めておきたまえ。あとプロディージは一つ、思い違いをしているよ」
油断したプロディージを突き放すように、フィーギス殿下はすっと凍えるような眼差しを向ける。
プロディージの言葉は正論ではあるが、マヤリス王女を溺愛しているフィーギス殿下に向かって、次期王妃は誰でもいいなんて言うのは悪手でしかないし、間違いを気付きもしない事で、失望感を抱かれたようだ。
プロディージはぐっと怯み、肩を震わせた。意地でも視線は逸さなかったが、その威圧を一身に受ける羽目になっている。
それを見ていたソフィアリアに視線を寄越したので、弟の間違いを正せという事なのだろう。わざわざオーリム達の悋気を刺激する必要もないだろうに、困った人だと笑う。
「ロディ、わたくし達は別に、解決を求められているのではないわ」
「……これだけのメンバーを集めたのに?」
「だって隣国の問題だもの。他国の人間であるわたくし達が、わざわざ解決まで手を貸す理由はないじゃない」
そもそもたった九日間で王位継承問題に関わる事件の解決なんて、無謀にもほどがあるだろう。王鳥もいるので不可能ではないかもしれないが、彼は人間同士の揉め事には、口出しなんかしない。
プロディージは納得出来ないのか、目を眇めていた。
「じゃあ、何の為に呼ばれた訳?」
「通達が届けられる前に、マヤリス王女殿下を確実に連れ帰ってくる為よ。滞在期間中に正式な移住の証明書を発行してもらって、その間はコンバラリヤの王太子殿下だけでも、廃嫡を阻止するの」
特に説明されていなかったが、フィーギス殿下がいい笑顔なので、それで正解なのだろう。てっきり解決させる為に呼ばれたと思っていたオーリムとメルローゼ、あとプロムスは驚いているが。
「それだけでいいのか?」
「それだけと言っても、何が起こってそうなっているか調べる必要はあるから、それなりに大変なのではないかしら?」
「それはリースに聞けばいいんじゃないの?」
「マヤリス王女殿下がわかっているなら、それでいいのだけれど。お手紙には書いていなかったから、怪しいところね」
ソフィアリアの憶測だが、マヤリス王女も事態は把握出来ず、振り回されて混乱しているのではないだろうか。だから肝心な経緯は飛ばされて、結果だけが書かれていた。
本当に、何が起こっているのやらと警戒心を強くのと同時に、一つだけ、原因に心当たりがある。
「ねえ、王様? もしかしてですが、この件は『世界の歪み』というものに、関係しているのではありませんか?」
王鳥のいる後ろを見上げてそう問えば、王鳥は返事の代わりに身を屈めて、すりっと頬擦りをしてくれた。やはり、正解のようだ。
思わぬ単語が出てきた事で、他のみんなは息を呑むが、この中で唯一、それに理解のないメルローゼだけは首を傾げている。
「なにそれ?」
「簡単に言うとね、二年前に侯爵位の大鳥様が亡くなったの。それだけ強い力を持った大鳥様が亡くなると、世界がその衝撃に耐えられなくて、どこかで悪影響を及ぼしてしまうのですって」
それについては悲しい事件があり、実はメルローゼも少し関わったのだが、国家最重要機密事項に関わる為、詳細は知らないままのはずだ。だから内容は伏せたまま、要点だけを伝える。
メルローゼはどこかで聞いていて、何か思い当たるところでもあったのか、グッと眉根を寄せて、扇子で口元を隠した。
「……つまり、私のリースが困った事になっているのは、そのせいだという事?」
「う〜ん、それはまだわからないわ。元凶なのかもしれないし、一因でしかないのかもしれない。でも、何かしら関わっているみたいね」
「だから王は、俺達が行く事を許したのか」
オーリムも聞かされていなかったのか、納得したとばかりに頷く。
王鳥はビドゥア聖島の護るという、はるか昔から受け継いでいる誓約があるので、他国からの侵略や、物理的に国を破壊するような大事件などからは護ってくれるが、基本的に人間同士の揉め事には、大鳥が関わっていない限り介入しない。
フィーギス殿下はソフィアリアの助けさえ得られれば、王鳥達もついてくるだろうと考えて甘えてきたようだが、常時であれば王鳥はそもそも許しはしなかっただろう。ソフィアリアだって、王鳥に逆らってまで手助けするつもりはない。
なのに、今回はこうしてソフィアリアがフィーギス殿下の協力要請を受ける事を許可し、代行人であるオーリムまで付けた。ソフィアリアが行くのだから当然と言えば当然なのだが、これだけ判断材料が揃えられていれば、世界の歪みが関係していると察するには充分だ。
「はぁ〜、ここにそれが関わってくるのかい? それはまた、予想外だったよ」
「……王鳥様は、コンバラリヤ王国にその歪みがあると知っていて、今まで放置されていたのですか?」
微妙な顔をしたラトゥスの発言に、言われてみればそうだなと不思議に思う。ここ最近、王鳥は大屋敷でいつも通り過ごしていた。何か問題があるのなら、忙しくしていてもおかしくはないのに。
それを尋ねようとすると、オーリムの方からぐいっと肩を引き寄せられて、思わずもたれかかってしまった。急な行動でも理由はわかるので、笑みを深めながら、顔を上げる。
「何か王様でも動けなかった理由がおありなのですか?」
見上げたオーリムはいつもの澄まし顔ではなく、ニッと不敵に笑っていた。片腕はソフィアリアを引き寄せながら、背凭れにも腕をかけて、偉そうにふんぞりかえっている。
彼はオーリムの身体を借りた王鳥だ。王鳥は代行人の身体をこうして乗っ取る事も出来る。今ではすっかり見慣れた光景だ。
「たしかにコンバラリヤには、二年近く前から歪みがあるな」
「そんなに放置されていたのですか? 職務怠慢では?」
ジトリと王鳥を睨めるプロディージは怖いもの知らずだなと思いつつ、ソフィアリアも王鳥の発言には目を丸くする。そんなに前からあるのを知っていて今まで動いていなかったとは、考えもしなかったからだ。
王鳥は溜息を吐いて、くるくるとソフィアリアの髪を弄ぶ。
「そう言われれば何も言い返せなんだが、ちと事情があってな」
「えっ、王鳥様でもそんな事あるのですかっ⁉︎」
「あってはならぬのだが、実際何も出来ぬのだから、仕方あるまい。実は余でも、あの国の何が歪みの原因になっておるのか、皆目検討がつかぬのだ」
さらりと言い放った言葉に、一同目を見開いて、硬直する。
「……王様でも、ですか?」
おそるおそる尋ねてみても、「うむ」と首肯が返ってくるだけだった。
神様の力をもってしてもわからない。この事態の深刻さに、冷や汗が流れるのは仕方ないだろう。
「それを私達にどうにかしろと、そう言っているのかい?」
ひくりと頰を引き攣らせたフィーギス殿下には、う〜んと困ったように唸り声を返すだけだった。とりあえず解決を求められてはいないようで、少しだけ肩の力が抜ける。
「どうにか出来るのなら解決するに越した事はないが、まあ無理にとは言わぬ。余でもわからぬからな」
「そんな危険な場所に、よく姉上を連れて行こうなどと思いきりましたね?」
「特に危険はないからな。だから今まで放置しておったのだ」
「危険ではないのですか?」
「物理的にはな」
それはどういう事なのか。精神的には危険なのかと色々思うところはあったが、王鳥がソフィアリアを信用して、送り出す事を決めてくれたのだ。ならいつものように、王鳥の期待に応えるだけだと気持ちを切り替える。
ソフィアリアは強い目で王鳥をまっすぐ見つめて、ふわりと微笑んだ。
「なら、ご期待ください、王様。解決はお約束出来ませんが、必ず何らかの糸口を見つけ、無事に帰ってきてみせますわ」
「うむ、さすが余の妃。理解が早くてよい」
肩に乗せていた腕を上げて、よしよしと頭を撫でてくれる。その言葉と行動が心地よくて、しばらくふわふわ感に浸っていたのだった。
「ちょっと、何勝手に決めてる訳? 僕達はあまり納得してないんだけど?」
残念ながら周りの賛同は、得られなかったみたいだけれど。




