大海原の上、仮初の夫婦 1
冬の七週目のはじまりという、一年の終わりを感じるようになった日。
ソフィアリアは大屋敷からも聖都からも、そして島都からも飛び出して、このビドゥア聖島の西端に位置する、他国へ向かう為に通らなければならない検問所のある港町へとやってきた。
ここはビドゥア聖島の玄関口だから、やはり活気があるなとキョロキョロと見渡してしまうのは、初めて来たのだから仕方がない。
「とてもにぎやかねぇ」
「元々にぎやかだったけど、ここ半年くらいで来る人が更に増えたんだ」
「ふふ、王様とリム様がわたくしを選んでくれたおかげね?」
「まあな。……王が見てるけど、治安が悪いから、絶対に俺から離れるな」
「ええ、もちろんよ。そういう事だから、アミーも気をつけてね?」
オーリムと腕を絡ませつつ、くるりと後ろを振り返り、同じようにプロムスと腕を絡ませて……というか、しがみついているアミーに目を丸くする。
その顔色は、いつの間にか真っ青になっていた。プロムスも心配そうに見下ろして、強めに腰を引き寄せて、立てるよう支えているような状態だ。
それに気付かず、ついはしゃいでいたソフィアリアは主人失格だなと、猛反省する。
理由はわかるのだ。本来、大屋敷からこの港町までは馬車で二日ほど掛かるのだが、そんなに時間を掛けていられないので、それぞれ王鳥とキャルの背中に乗って空を飛び、三時間程でやってきた。
大屋敷に来てから半年以上、毎日のようにお空のお散歩と称して三人で空を飛んでいるソフィアリアとは違い、アミーはまだ空を飛ぶ事には慣れていないので、途中で休憩を挟みつつ、ゆっくりしてきたつもりだったのだが、無理をさせてしまったらしい。
アミーは強がる子なので、ソフィアリアが注意深く見ていてあげなければならなかったのに、完全に判断ミスだ。色々と申し訳なくなって、しょんぼりしてしまう。
「ごめんなさいね、アミー。もう少しゆっくりと来ればよかったわ」
「……いえ、空を飛ぶ練習だからと言って、眠らなかった私が悪いのです。申し訳ございません、足を引っ張ってしまいました」
「練習の成果を見られる、いい機会だったもんな。長い間飛んでも意識飛ばさなくなったと知れて、よかったじゃねーか」
「本当に、頑張ってくれたわね。あとはもう船に乗るだけだから、プロムスに甘えて、抱えてもらいなさいな」
「……ごめん」
「よし、ちゃんとつかまってろよ」
そう言って素直にお姫さま抱っこされてくれたので、少しほっとした。
これから一日かけて船で海を渡り、隣国コンバラリヤ王国に向かうのだ。今日はもう乗船するだけで何もする事がないので、ゆっくり休んでくれればいいと思う。
「――――キャルがうるさいから、早く来いってさ」
「ええ、もちろんよ。行きましょうか」
今は姿を消してもらっているが、アミー大好きなキャルが黙っている訳なかったなと空を見上げる。姿は見えないが、きっとそこに居るのだろう。
キャルの為にも、ソフィアリア達は乗船手続きをしに、検問所へと向かう事にした。
*
検問所は大鳥と鳥騎族が入出国を監視しているので、大鳥関係者であるソフィアリア達は並ぶ事なく通過する事が出来る。
従業員通路から検問所を通過し、本日当番だった大鳥や鳥騎族を労う。みんながここでどんなふうに仕事をしているのか、その一端を垣間見られてよかったと思った。
彼らに笑顔で見送られながら、船着場へと向かい、停泊している見知った船のハッチを登っていくと。
「まさかこんなに早く、姉上達にまた会う事になるとは思わなかったんだけど?」
乗船早々、恨みがましい声と、ジトリと呆れるような琥珀色の瞳に出迎えられた。
ソフィアリアは相変わらずのツンケンした彼の態度に、ふふっと笑いかける。
「出迎えをしたくなるくらい、待ち遠しかったの?」
「まあね。はやく文句を言いたくて、たまらなかったよ。あとフィーギス殿下達がもう来てるから、はやくして」
「あら、予定よりだいぶ早く来たつもりだったのだけれど、お待たせしてしまったわね」
「急かしても、出航時間は変えられないからな」
「なんだ、残念。まあいいや、早く来てよね」
そう言って潮風に乱されたのか、ソフィアリアと同じミルクティー色の髪を軽く整えながら、さっさと行ってしまった。整えるといっても眉上の前髪以外、いつもぴょんぴょん跳ねさせているので、違いはわからないけれど。本人なりのこだわりがあるのだろう。
彼はプロディージ・セイド。ソフィアリアの一つ下の弟だ。顔はソフィアリアと似て綺麗なのだが、プロディージはいつも不機嫌そうな表情をして、目も伏せ目がちなので、あまり似てると言われる事はない。それでも、美男子である事は隠しようがないのだが。
その見た目とはうって変わり、口から飛び出すのは皮肉や嫌味ばかりの毒舌家。特にソフィアリアに対してはあたりが強いが、昔からだし、そうやって甘えているのだと知っているから、可愛いと思っている。
まあそれも、ソフィアリアは、の話だが。
「……またロディと一緒になるのか」
そう言って渋面を作るオーリムは、プロディージと些細な事で口喧嘩ばかりしている。ソフィアリアには過保護なので、ネチネチ言われているのを、黙って見ていられないようだ。
そうやって喧嘩ばかりの二人だが、同じセイドで同年同日同時刻に生まれた『セイドの双生』という、大鳥から見れば同じ気を纏うそっくりさんに見えるらしい。もちろん二人は双子ではないが、ソフィアリアから見てもなんだか気が合いそうな二人だなと思ってしまう。実際には、水と油だったのだが。
「ふふ、よかったわね、リム様。この旅が楽しくなりそうで」
「あいつと一緒は楽しくない」
「あらあら」
むすっとした顔でそう言うが、二人が仲良しなのは間違いないだろう。
オーリムがプロディージと同じくらいムキになってまで反撃するのは、誰よりも気を使わない王鳥だけ。
プロディージが戯れるような口撃を仕掛けるのも、姉のソフィアリアと妻になったメルローゼくらいだ。
そんな二人が会えば口喧嘩ばかりしているのだから、お互い気を許し合っている証拠である。
そんな事を言うと二人から猛反発されそうだが、この意見は譲ってあげないとくすくす笑った。
*
案内されたのは船内ではなく、甲板にドドンと張られた大型のテントだった。あれは、異国の移動式住居である『ゲル』というものとよく似ている。
出航すると潮風で飛ばされそうだなと思ったが、入り口にソワソワした様子のキャルと、そんなキャルを呆れたように見ている王鳥が居たので、二人が魔法で風を防ぐのだろう。
まさか船に乗ってゲル体験が出来るとは思わなかった。大鳥と関わると、なんでもありな不思議体験が出来て、とても楽しい。
「ピピー⁉︎」
「わーったわーった。寝かせてやりてーから、キャルも入れ」
「ピピ〜!」
アミーを抱えたプロムスとキャルが一足早くテントに入っていったのを見届けて、ソフィアリア達も中に入ってみる。
「まあ!」
内部はゲルの中とは思えない、居心地のよさそうなリビングルームのようになっていた。
床には毛足の長いふわふわの絨毯が敷かれ、座り心地よさそうなふかふかな四人掛けソファが四つ、質の良いテーブルを囲むように置かれている。
他にも飲み物や保存のきく軽食が並べられた棚に、隅にはごろ寝用だったのか、カウチソファやクッションまで用意されていた。
照明や暖炉の類はないが、王鳥が既に魔法を使っているのか、春のように明るく暖かい。今着ている冬服だと、少し暑いくらいである。
「すごいな」
「ね? メルに感謝しなくっちゃ」
「呼んだ?」
と、いつの間にかメルローゼが背後に立っていた。心なしか上機嫌に見えるのは、気のせいではあるまい。
だからソフィアリアも、笑みを深める。
「お邪魔しているわ、メル。素敵な船とゲルね」
「ふふん、でしょ? 急拵えだったけど、なかなかだと思わない?」
そう、この船を用意したのは、メルローゼだ。いつもペクーニア港で見かけていたこの大型の貿易船で、今回は海を渡るのだ。
これほどの船を個人で有しているのだから、ペクーニアの財力は圧巻だなとしみじみ思う。急拵えのゲルですらこうなのだから、船内はどれほどのものなのか。
ちなみゲルを用意してくれたのは、大鳥は船内に入れないからである。わざわざ申し訳ない。
「やり過ぎなくらいにね。はい、プロムス。アミーに使って」
「おっ、気がきくじゃん。サンキューな、坊ちゃん」
「まだ言ってるし」
ハッチを登った先で会ったきり姿を消していたプロディージも、毛布を抱えて戻っていた。
どうやらぐったりしていたアミーを見て、客室から持ってきてくれたらしい。口は悪いが、行動だけはいつも優しく誠実な子だ。特に庇護下にいると認定した人には、こうして優しさを見せる。
まあ、プロムスとは性格が合わないのか、オーリムと同じくらい言い争っているが。
あれはオーリムと似た気を感じて兄貴面したいプロムスと、平民だから貴族として護らねばと庇護下に置こうとするプロディージの、どちらが上に立つのかというせめぎ合いの結果なのだろう。
「あれ? アミーってば、もう船酔いしちゃった?」
メルローゼはようやくカウチに寝転んでいるアミーの存在に気が付いたのか、心配そうにする。まだ停船しているだけなのにもう?と首を傾げていた。
「わたくし達はここまで王様とキャル様に乗ってきたのだけれど、アミーはまだ空を飛ぶのに慣れていないから、無理をさせてしまったみたいなの。メル、ペパーミントティーはある?」
「棚に入ってるわよ。好きに飲んで」
「ふふ、ありがとう。遠慮なくもらうわね」
そう言って棚から探し出して、オーリムがさり気なくお湯をくれたのでお礼を言って受け取り、作ったものをアミーのところに持っていく。
「アミー、これを飲めば、少しはスッキリするかもしれないわ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。飲んで、少し寝ておいてね。起きたら美味しいお夕飯を、みんなでいただきましょう?」
「……はい」
申し訳なさそうに目を潤ませるアミーの前髪を優しく梳いて、オーリムの隣に座った。背中には当然のように、王鳥が引っ付いてくる。いつものようにベンチソファではないので、背凭れを邪魔そうに見ているが。
「やあ、随分と早かったね? まだ少し時間に余裕があるから、もう少しゆっくりしていられると思ったのに」
少し話していたら、フィーギス殿下とラトゥスがやってきた。プロディージが言っていた通り、先に来ていたらしい。心なしかフィーギス殿下とラトゥスまで顔色が悪いのを、目敏く見つけてしまう。船内で寝ていたのだろうか?
「こんにちは、フィー殿下、ラス様。ご公務お疲れ様でした。もしかして、よほどお忙しかったのでしょうか?」
「まあね。こんな時期に長く国を開ける事になったのだから、頑張ったのさ。褒めてくれるかい?」
「うふふ、頭でも撫でましょうか?」
「受け入れたら、撫でられた髪をなくしてやるからな」
「ビー」
「このタイミングで物騒な事を言わないでくれたまえ、リム。悪かった、ほんの冗談だから」
髪を抑えて青くなるフィーギス殿下に、くすくす笑う。
オーリムには腰を引き寄せられて、珍しく自分から引っ付いてきたし、王鳥は無表情でフィーギス殿下を見ながらマーキングでもするように頬擦りしてくるし、二人はまだフィーギス殿下に警戒しているらしい。
ついでにプロディージからも、ものすごく物言いたげな目で睨まれていた。何フィーギス殿下と前より仲良くなってんと?とでも言いたいのだろう。そこは話すと長くなるので、気付かないフリをする。
ゲルの入口を律儀に閉めていたラトゥスがフィーギス殿下の隣に着席したのを見て、まずプロディージが口を開いた。
「で? わざわざ僕まで呼び寄せて、このメンバーでコンバラリヤ王国に行く事になった経緯は何なのです?」




