大屋敷に来たるは 2
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「フィア」
耳にすっかり馴染んだ声で、特別な人にだけ呼ぶのを許した愛称で呼ばれ、思わず頬を緩ませながら振り返る。
そこにはソフィアリアの期待通り、王鳥と同じ夜空色のミディアムヘアが目立つ青年がいた。襟足から太腿あたりまで伸びる、細長く二股に分かれた髪が風に靡いて、それが王鳥の尾羽とお揃いに見えて、今日もキュンと胸をときめかせてしまう。
外向き用の無表情を保っているが、王鳥と同じ真ん中に明るいオレンジ色がはしる黄金色の瞳には、愛しさが隠しきれていない。
だからつい、ふわりと微笑み返していた。
「お仕事お疲れ様。リム様も休憩?」
「まあな。でも、夕方まで大丈夫だ」
「まあ! なら、少しデートが出来るわね?」
期待を込めた熱い眼差しで見つめると、デートという単語に頬を染め、視線を泳がせる。
この照れ屋で可愛い人は、オーリム・ラズ・アウィスレックス。ソフィアリアの一つ下の十六歳の男性で、王鳥の意思を人の身で代行する『代行人』という役割を与えられた、ソフィアリアのもう一人の未来の旦那様だ。
本来代行人とは意思を持たず王鳥の操り人形と化すのだが、今代の代行人は王鳥の計らいにより、きちんと自分の意思を保持している。
けれど、たとえそれぞれ別の意思を持っていても、心の奥底では結び付きが強く、無意識に同調してしまう為、二人は一心同体だという思いが強いらしい。
だから王鳥がソフィアリアを伴侶に望めば、オーリムもソフィアリアを伴侶として迎えるのは、当然の事なのである。
そんなオーリムが代行人になる前は、セイドに昔あったスラムに住んでいた孤児で、八年前、ソフィアリアと偶然出会い、「ラズ」と名付けた男の子だったというのは、限られた人しか知らない。
その時にラズは、お姫さまを自称していたソフィアリアに憧れを抱き、実はオーリムの願いを汲んだ王鳥が、ソフィアリアをここへ呼び寄せたという事も。
この大屋敷で再会し、現在は王鳥を含めた三人で結婚式を待ち望みながら、恋を楽しんでいる最中だった。
「ソフィアリア様。リムとデートをなさるご予定でしたら、妻は返していただけますか?」
オーリムの後ろに控えている、主に女性からの視線を集める高身長で端正な顔をしているこの男性は、プロムスという十九歳の青年だ。アミーの旦那様で、ここに連れてこられたオーリムの事を親のように面倒を見てきた兄貴分兼侍従であり、キャルが選んだ鳥騎族――大鳥と契約した人間をそう呼ぶ――でもある。
シャンパン色の髪を後ろに撫で付け、ピシッと糊のきいた燕尾服を身に纏い、銀縁メガネの奥からソフィアリアを見る切長の暗いオレンジ色の目は、笑みを浮かべた表情に反して、全く笑っていない――いや、少しからかい混じりにも見えるが。
プロムスは独占欲が大変強いので、アミーがソフィアリアと腕を絡ませて歩いているこの状況が、あまり面白くないようだ。
「あら? ふふ、ごめんなさいね。大切な奥様をお借りして、デートを楽しませてもらったわ」
「そうですか。いい買い物が出来たようで、ようございました」
デートという単語すら認めてくれないらしい。友人なのだからいいではないかとソフィアリアも譲らない為、お互いふふふと笑いながら牽制し合う。
すると今度はオーリムが腕を組み、面白くなさそうな顔をした。
「なんか最近、ロムはフィアに対して遠慮がなくなったよな?」
「んな事ねーよ」
「どうだか」
ツンとそっぽを向くオーリムは、ソフィアリアが絡む話だと、いつもの鈍さが嘘のように鋭くなるなと、思わず感心してしまう。
冬の初め頃に出席したペディ商会主催の夜会の後から、少しだけプロムスの線引きが薄くなったのを、ソフィアリアも感じていた。もちろんプロムスは、キャルに負けず劣らずアミーを溺愛しているので、間違ってもそういう目ではないが、実はちょっぴり残念に思っていたりする。
プロムスには今まで通り、ソフィアリアに不信感を抱いたまま厳しい目で監視をしていてほしかったのだが、もう叶わないだろう。まあ理由もわかるだけに、諦めるしかないのだが。
叶わなくなった気持ちを振り払うように、頰に手を当て、憂鬱そうな溜息を吐いた。
「リム様がプロムスを独占したいなら、仕方ないわね。アミー、このまま二人きりでデートを楽しみましょうか?」
「ええ、賛成です」
「なんでそうなるんだっ⁉︎」
「アミーも賛成すんなっ!」
*
日用品の買い出しが色々あるらしいアミーをプロムスに返し、当然のようにアミーについて行ったキャルを含めた三人とは、ここで別れる事になった。友達とのデートなんて滅多に出来ないので名残惜しいが、あの三人の夫婦円満さは微笑ましいので、温かい目で見送る。
それに、ソフィアリアだって自分達の恋の時間が大事なのだ。
今度はオーリムと幸せな気持ちで腕を絡め、見上げた顔は人目があるから必死に澄ましているが、耳は真っ赤だなと気付き、王鳥と目配せし合ってくすくす笑う。オーリムに睨まれたって、可愛いだけだ。
そのまま三人で屋台を回り、王鳥と同じようにソフィアリアに何か買いたいらしいオーリムの願いを叶えて温かい飲み物を奢ってもらったり、大屋敷では手に入らない珍しい食べ物や紅茶を買ってみたり、肌触りのいいタオルを買ったりと、買い物デートを堪能した。
タオルに関しては二人に首を傾げられたが、これに刺繍を入れて、またプレゼントしようと思っている。完成するまで、しばらく内緒にしておこう。
その後もソフィアリアの大好物になったチョコレートのお店を見つけて柄にもなくはしゃいでしまったり、セイドベリーのワインを扱っているお店を見つけて、買い占めようとするオーリムと王鳥を必死に説得する羽目になったりもした。わりと人気商品なようなので、王鳥権限だろうが、独占はいけない。とりあえず数本は確保して、帰る時に残っている分を全て買い取る事で納得させた。この調子だと完売するだろうが、諦めさせる為には仕方ない。
「この大屋敷でも作ってもらいましょうか?」
セイドベリー――ソフィアリアの故郷のセイド領でだけ採れる特別なラズベリーで、王鳥とオーリムの大好物――は大屋敷でも採れるようになったので、多分作れなくはないと思い、そう提案してみる事にした。といってもワインの醸造なんて大屋敷ではしていないので、一から揃えてもらう事になるが。
「……いっそそれもありか?」
「ピー」
真剣な表情で話し合う二人を、よほど気に入ったのだなと微笑ましく見守っていると。
「話は聞いたわ! そのお話、私に預けてちょうだい!」
よく知った可愛らしい声に割り込まれて、目を丸くする。
振り向くと、この国では珍しい黒髪をハーフアップにし、赤と琥珀色のリボンで結んだ女の子が、こちらに扇子をビシッと突きつけていた。
そのルビーのような瞳の奥は、ギラギラとお金色で輝いているような錯覚を覚える。さすが、儲け話に目がないなと微笑んだ。
「あら、メルも来ていたの?」
「今回の大屋敷行商計画の責任者なんだから、当然よ! ちょっと島都の商会でトラブルがあったから、遅くなったけどね」
ふふんと丸く大きな目を細める彼女はメルローゼ・ペクーニア。ソフィアリアの一つ年下で、オーリムとは同じ歳の十六歳の可憐な少女だった。その可憐な見た目に反して、実家が経営している『ペクーニア商会』の発展に全力で心血を注ぐ、根っからの商売人でもある。
彼女はセイドにいた頃からソフィアリアの友人兼、弟の婚約者だった。
――そう、最後に会った時は婚約者だったのだ。その事に思い至って、ソフィアリアはニコニコと微笑んだ。
「そう。ありがとう、セイド夫人。ふふ、ピアスはまだなのね?」
「色々とまだよっ⁉︎ というか、まだ本当に籍だけで、学園を卒業するまではペクーニア子爵令嬢って事にしておくみたい」
真っ赤になって頬を膨らませるメルローゼは、弟の誕生日があったここ数週間のうちに、書類上では入籍しているはずなのである。だから婚約者ではなく、既に既婚者で、正式にソフィアリアの義妹になっている。のわりに、そういう事にしているようだが。
メルローゼもあまり納得していないのか、いじいじと髪を指に絡ませて、面白くなさそうな表情をしていた。
「何故だ? セイドの家に入っていた方が、都合がいいだろ?」
「なんかよくわからないけど、もう人妻だからって無遠慮に襲ってくる輩を防ぐ為?みたいな事を言ってたわ。ペクーニアにもセイドと同じように王鳥様の加護はあるから、どっちの姓を名乗っていても、下手な手出しはされないだろうしって」
「ああ、そういう事ね」
そういう心配もあるのかと、つい納得してしまった。
本来あってはいけないのだが、メルローゼと弟が春から通う事になる学園では今、暴君と噂の第二王子殿下がやりたい放題しているらしいので、治安でも悪いのだろう。既婚者の下位貴族夫人なんて、たとえ大鳥の加護を得ていても、格好の餌食だと思われるかもしれない。
まあ既婚者でなければ安全かと言われれば、微妙なところではあるが。どちらかといえば、人妻という事で、邪な目で見られる事が、弟にとっては我慢ならないんだろうなと推察する。
オーリムは学園がそんな所だと初めて知ったらしく、顔を顰めていた。
「貴族の子弟の集まりなのにそんななのか? とんだ無法地帯だな」
「上がしっかりしてくれていればそんな事にはならないんだけど、その上が元凶じゃどうしようもないもの。だからディーは、さっさと第二王子殿下を蹴落としたいみたい」
無茶な事考えるわよね、と溜息を吐くメルローゼは心配なんだろうなと思った。ソフィアリアはどちらかと言えば、弟の無茶に巻き込まれかねないメルローゼの方が、心配なのだが。
残念ながらソフィアリアは学園に通っていないし、通う事もないので、ここで無事を祈る事しか出来ない。弟の事だから抜かりないとは思うが、お互い無事に、平和に過ごせますようにと願うばかりだ。
「まあ、まだ通ってもいない学園の話は、今はどうでもいいのよ! それより王鳥様とオーリムは、セイドベリーのワインが好きなの?」
とてもいい笑顔を振り撒きながら詰め寄られて、王鳥は鷹揚に構えているが、オーリムは嫌そうに眉根を寄せた。
「そうだが……いつ俺の名前呼びを許した?」
「え? お義兄様と呼んだ方がいい? ディーと誕生日が一緒なら私の方が早く生まれてるし、なんか嫌なんだけど」
「どういう意味だ」
「だってオーリム、ディーと同じくらい、変なとこでポンコツになるでしょ? 絶対お義姉様のお尻に敷かれてるタイプじゃない」
「それは否定はしないが、ポンコツという言葉だけは、あんたに言われたくない」
「なんですって⁉︎」
小さな事で言い争うオーリムとメルローゼの様子を、微笑ましい気持ち見守る。オーリムが弟と同じくらい、メルローゼとも仲良くなってくれて、幸せな気持ちを感じていた。
「ねえ、王様。リム様にお友達が出来て、嬉しいですね?」
「プーピ?」
「う〜ん、そうですねぇ。不思議とメルには、あまり嫉妬の気持ちは感じていないんです。もう人妻で、ロディがとっても好きだって、よく理解しているからでしょうか?」
「ピピー」
「ええ、ええ、わかっていますわ。リム様も王様と同じくらい、わたくしに一生懸命恋をしてくれていますものね! うふふ、嫌だわ、思い出すとニヤけて、締まりのない顔になってしまいます」
「ピ!」
言い争うオーリムとメルローゼを尻目に、一人で王鳥と難なく言葉を交わしながら、恋する乙女のふわふわ感に浸っているソフィアリアと、そんなソフィアリアを愛でながら頬擦りしている王鳥という意味のわからない状況に、周りを困惑させていると気付くまで、しばらく時間が掛かったのだった。
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