無邪気なお姫さま 4
※この話には小さな子供が凄惨な目に遭い、暴言を吐かれる残酷な描写が書かれております。
読み飛ばしても大丈夫なように次話で今の状況を簡単に説明させていただきますが、今後細かな伏線等はわからなくなる可能性があります。
ご注意ください。
翌日。ソフィアリアは一人で屋敷から出ないように言われたにも関わらず、勝手に外に出ていった。
苦しかったのだ。ソフィアリアは自分をお姫さまだと信じていて、可愛くて綺麗なものも、美味しい物も大好きだったのに、それはここに住む人達から奪ったお金で得ていた物で、ソフィアリアはお姫さまではなく悪人だった。その事実が重過ぎた。
悪い国王様だった祖父は村の人にやっつけられた。でも、悪いお姫さまだったソフィアリアは、まだこうして生きている。
父はソフィアリアはおじいちゃんに騙されていたんだから悪くないと言っていたが、ソフィアリア自身はそうは思わなかった。物知りな弟も、ソフィアリアも悪いと言っていた。
ならソフィアリアもやっつけてもらうべきなのだ。石になってしまうのは辛いけど、ソフィアリアのせいで辛い思いをした人がこのセイド領にはたくさんいる。だったら石は嫌なんて我儘は言えないじゃないか。
けれどやっつけられる前に、どうしてもやりたい事があった。昨日泣かせてしまったお友達のラズに、悪人だと知らなくて、傷付けて、泣かせてごめんねと謝りたかった。だから探そうと思ったのだ。
――この行動がソフィアリアの罪の上塗りをするとは、この時はまだ知らずに。
ソフィアリアはスラムという所に行こうとしていた。でも場所は知らないので、誰でもいいから村の人に聞こうと思って、昨日行ったお店の通りを目指して走っていた。
だが途中の大通り。ソフィアリアは昨日出会った時と同じ赤い服を着た、栗色の髪の男の子の姿を見つける。
「っ! ラズくんっ‼︎」
息を切らして、でもこんなに早く見つけられるとは思わなかったソフィアリアは思わず笑顔になり、ラズの名前を大きな声で叫んで呼び止めた。――これが後悔の始まりになった。
ラズはソフィアリアの声に気が付いたのか走っていた足を止めて、声のした方を振り返ろうとした――大通りの、ちょうど真ん中で。
目を逸らす事もなくずっと見ていたソフィアリアは目を見開いて、今見た出来事が信じられず、何が起こったのか全く理解出来なかった――したく、なかった。
振り返ろうとこちらを見る寸前、けれど最後まで振り返りきる事は出来ずに、猛スピードで走っていた馬車がぶつかって、ラズの身体が宙を飛んだ。
放物線を描いて飛んだ身体はやがて離れた所に、顔から滑るように着地する。……鈍い、酷く嫌な音を立てながら。
「邪魔なんだよっ! ゴミめっ‼︎」
ラズを跳ねた馬車は、ぶつかったのがスラムの薄汚れた孤児だとわかるとそう怒鳴って、気にする事なく走り去って行ってしまった。
見ていた人間はそのへんに打ち捨てられたゴミの見るように顔を顰めただけで、誰も気にせずに立ち去る。スラムの子供の死体なんて日常茶飯事だったし、立ち止まる余裕のある人なんて居なかった。
擦ったような血の跡が伸びて、ラズの下の血溜まりがどんどん大きくなっていく。そんな衝撃的な光景を、ソフィアリアは硬直しながらずっと見ていた。
「…………ラズくん?」
よろよろとラズの方に近寄っていき、血で濡れるのも気にせず膝をつく。べチャリと粘着質な水音がした。
今見た怖い光景が目に焼きついていて、ガタガタと震える手でラズの肩を揺らしても、何の抵抗もなく細く骨張った身体が揺れるだけ。
「起き、て……」
ソフィアリアは亡くなる、というのが理解出来なかった。数日間、祖父が帰ってこないと思ったら父と母だと言う人に祖父のお墓のある場所に連れて行かれたので、亡くなるとは会えなくなって石になる。そういう認識だった。
だから人の姿のまま、動かなくなる今の状態が理解出来ないのだ。理解出来ないが、何かとても悪い事が起きたというのは理解出来た。動かないし、痛い時に出る血がたくさん出ている。
「お怪我した? ……お薬、塗るから、お城行こ?」
ゆさゆさと身体を揺らす。全然動かないし、起きない。これではまるで……
「お人形、じゃなくて、人間、なんでしょう? だから、お城に行こう?」
息がしにくくて呼吸が苦しい。一生懸命話した言葉も、ラズは聞いてくれない。
……目を見て話さないから聞こえないのかもしれない。血塗れでうつ伏せになっている顔に、ソフィアリアは何の躊躇いもなく手を伸ばした――
「やめてあげなさい。――お嬢ちゃんは綺麗だった頃の顔を、最期の記憶として覚えていてあげなさい」
けれど手首を掴まれて止められた。顔をゆっくり上げると、知らないおじいさんがソフィアリアの手首を掴み、首を横に振っている。その隣には、いつもの分厚い本を持った弟が心底軽蔑しているかのような目でソフィアリアを見ていた。
「馬っ鹿じゃないの? あれだけ言われたのに屋敷から逃げ出して何してるのかと思えばさ、普通あんな所で呼び止める? あーあ。姉上のせいでその子、亡くなっちゃったね」
「やめなさい、ロディ」
「亡くなる…………」
亡くなるとは?だってこの子は石になっていない。でも、石のように動かなくなってしまった。
亡くなると――もう、会えないのだ。
「っあ……」
会えない。つまりもう謝れないのだ。さっき弟はソフィアリアのせいで亡くなったと言った。亡くなるとは、祖父みたいになる事だ。ソフィアリアが……ラズをやっつけた?
身体が更に震えた。ラズはソフィアリアを悪人だと言った。何も悪い事をしていないラズをやっつけたソフィアリアは、本当に悪人だった。
ソフィアリアは綺麗な物や食べ物だけじゃなくて、命まで奪ってしまったのだ。呼吸が苦しい。息を取り込もうと、喉がヒクッヒクッと鳴る。
――そこからしばらくの記憶は途切れ途切れで曖昧だ。
「ごめんなさい」「ラズくん」「悪人」「やっつける」これらの単語を無茶苦茶に発しながら泣き叫んで、弟に言わせれば壊れていた、らしい。
ソフィアリアが覚えているのは、知らないおじいさんがラズの顔に白い布を巻き付けて見えなくしてしまった場面と、ラズを地面に埋めようとするおじいさんに嫌だと泣くソフィアリアを弟が必死に押さえつけていた事と、血塗れになって帰ってきた壊れた娘に阿鼻叫喚になる両親の顔だけだった。
泣いて、叫んで、暴れて――ソフィアリアがずっとそんな調子だったから、両親はソフィアリアの両手両足と口を縛って、こんな事をしてごめんねと泣いて謝りながら、定期的に口をこじ開けて水と食料を押し込む事しか出来なかったらしい。
そんな事をしても衰弱するのはどうしようもなくて、季節が変わって木の葉が赤く染まり落ち始める頃、ソフィアリアの部屋に初めて弟が訪ねてきた。
弟は両手両足と口を縛られながら汚れたベッドに転がされて、虚な目で涙を流している薄汚い姉を見て顔を顰め、また溜め息をついた。ベッドの傍によるとソフィアリアの髪を引っ張って、無理矢理顔を上げさせる。そんな扱いをされても、別に痛くなかった。
「ほんとに馬っ鹿じゃないの? あんたは男爵令嬢で大人になったら領地を立て直す為の資金源になってもらわなきゃいけないんだから、せめて見た目だけでもちゃんとしててよね」
そう言って乱雑に手を離すと、縛っていたロープを外していく。そんな様子を、ただ見ていた。
口のロープを外されると、ぼんやりしながらか細い声で、知らない単語を口にする。
「……だんしゃ、くれーじょ……? しき……げ?」
しばらく話していないから喉がカスカスで、けれど弟には聞こえたのかジトリと呆れたような目でソフィアリアを見た後、また溜め息を吐いた。
「あんたの身分だよ。あんたはお姫さまじゃなくてただの男爵令嬢なの。ほんといい加減そのくらい理解しなよね。こんな頭弱い奴、僕ならごめんだけど、まあ母上に似るなら見た目は悪くならなそうだし、若い女が好きな金持ちジジイ選んで高く売りつけてやるよ。そんで金引き出してこの領立て直さなきゃいけないんだからさ、勝手に死なないでよね。あんたが使った分、全部領民に返さなきゃいけないんだから」
だから見た目だけでも普通にしてよと言い捨てて、弟は部屋から出て行った。そんな後ろ姿をぼんやり見ていたけれど、やがてノロノロと起き上がる。
「…………返す……」
その言葉はソフィアリアにとって、希望の光のように思えた。
食べた物は返せないし、命みたいに返せない物もあるけど、ソフィアリアはどうにかすれば『領民に返す』事が出来るらしい。
それで許されるとも、悪人じゃなくなるとも思えないけど、返せるものは返したかった。返さなきゃいけないと思った。
でも方法がわからない。ソフィアリアは弟に言わせると、頭が弱くて理解していないらしい。よくわからないけれど、それではダメな気がした。
ベッドから降りると裸足のまま走り出した。しばらく歩いていないソフィアリアは足が思うように動かず、何度も転びながらもその方法を知る為に走っていた。
やがて目的の人物を、屋敷の門の前で見つけた。
「プーくんっ!」
そう呼ぶと彼はキッと眉を吊り上げ、ソフィアリアを睨みつける。
「その呼び方やめてって言ったよね? なんで姉上は理解してくれない訳?」
「ご、ごめ……でもソフィ、プーしか、知らない、から」
彼――弟は短い前髪をぐしゃりと握りしめると、いつものように溜め息を吐く。
「……せめてロディにして。で、何? 僕は姉上と違って勉強しなくちゃいけないから、忙しいんだけど?」
その言葉にキラリと目が輝く。弟の、本を持っていない方の手を両手でギュッと握りしめて、ソフィアリアはお願い事を口にした。
「勉、強! あの、ね、ソフィにも勉強、教えてっ! ソフィは奪ったか、ら、返さないとっ、ダメな、のっ!」
強い眼差しでそう言ったソフィアリアの予想外の言葉に、弟はポカンとしていた。




