私の正義のヒーローは 7
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また、本日(2/24(土))は6時、12時、18時の3回更新します。このページは12時更新分です。
お読みの際はご注意ください。
本編から37年前。誰も知らない過去の真実。
救いがありませんので、ご了承ください。
※このページには直接的な表現はありませんが、強姦を仄めかす記述、死亡シーン、残酷な拷問描写があります。
ご注意ください。
「しっかし、えらく羽振りがいいな? 村も昔より活気があったし、屋敷もここでいいのか、一瞬迷ったんだぜ?」
フラーテは応接室で一息入れながら、やたら豪奢になった応接室を見渡している。
「うん。男爵を継いで、領地改革が上手くいったんだ」
「だから、無駄なぶどう畑がだいぶ減ったのか」
「失敗していたワインの醸造なんて、ずっと続けていても仕方ないからね」
そう言って肩を竦める。その余波でトリスの実家の商会が潰れ、貧民街に追いやられた義両親がしょっちゅう集りにくるのをふと思い出し、次に来たら制裁を下すのも悪くないかなと頭の片隅に入れた。
フラーテには話さなければいけない事が山ほどあるのに、何から話せばいいか迷って、つい無関係な事ばかり考えてしまう。気を引き締めるように、首を横に振った。
口を開こうとしたが、フラーテがあの時のように冷たい目をしていた気がして、思わず凍り付く。が、瞬きのうちに昔の表情になっていたから、見間違いだろう。
「ね、ねぇ、フラー」
「そういや、親父達は?」
「あ、あぁ……亡くなったよ。その、二人で出かけている時に、馬車の事故で……」
思わず国に報告した通りの説明をしてしまったが、正直に話した方が色々好都合だった事に気付く。まあ、修正する機会はあるだろう。
「マジか」
「お墓参りしていく?」
「あ〜、いいわ。死んだって聞いてもあんま興味わかねー。そんな自分にビビってる」
心底どうでもいいとばかりに呑気にボリボリと後頭部を掻くフラーテに、それもそうだろうなと頷く。
フラーテはよく言えば自由、悪く言えば放任されて生きていた。だから両親と言えど、話す機会すらあまりなかったので、二人への情が薄いのだろう。
そうやって放任していたのに、学園には行くよう言い出したのも、学園に通わせられるような裕福なご令嬢に見初めてもらう為だったんだろうなと今ならわかる。実際アーヴがなければ、そうなっていた可能性が高い。
トリスとの婚約を渋々許したのも、あの時フラーテが暴れていたのを大人しくさせる為の方便で、上から圧力を掛けられれば、貧乏商家の娘との婚約なんて、最初からなかった事に出来ると踏んだからなのだろう。
つくづく反吐が出る。制裁を下したのは正解だった。
せっかく両親が話題にのぼったので、戸籍偽造の件を話しておこうと思った。急だが、こういう事は早い方がいい。
「フラー、あの」
「そういやそれ、何人目だ?」
「え? えっと、一人目だよ」
突然話題を変え、あごでトリスのお腹を指すので、正直に答える。何か意外だったのか、目を丸くしていた。
「だいぶ遅かったな? てっきりもう何人もいると思ってたのに」
「……三年じゃ、そんなに出来ないよ」
そもそも望んでいた訳ではないのだが。何故かトリスは隣で引っ付いて座っているので、仲のいい夫婦に見えているのだろうか?
トリスのいる手前どうかと思うが、先程と違って今のトリスは会話に参加出来るほどの正気はないみたいだし、何を話してもいつも通り耳に入っていないだろう。
だから卒業式の真相と、現在の関係を説明しておこうと思った。子供がいる理由を説明するのは憚られるが、仕方ない。
「あのね、トリ」
「ふ〜ん? そんなもんか。んじゃ、そろそろ帰るわ」
「えっ⁉︎」
突然立ち上がってそんな事を言い出すから、焦ってしまった。
先程から話が遮られて、まともに話せないままだ。しかも来たばかりなのに、もう帰るという。色々唐突過ぎて、意味がわからない。
「まっ、待ってよ! まだ来たばかりじゃないか!」
「悪ぃな。ツレ待たせてんだわ。仕事中に寄っただけだから、あんま時間もねーし」
「ツレっ⁉︎ えっ、フラーも結婚してたの? 仕事中に連れてきたって、同業者か何かの……?」
「おう、そんなとこ。んじゃな〜」
「あっ、ちょっ⁉︎」
まるでこの場から逃げ去るように、さっさと行ってしまった。そんな後ろ姿を、呆然と眺める。
はっとして、慌ててフラーテの後を追いかける為に、寄り掛かられていたトリスの身体を、そっと背凭れに預ける。
今どんな表情をしているのか見ないまま、フラーテの後を追った。
屋敷内を走って、玄関から出て行こうとする背中が見える。追いつきそうもないので、せめて一言だけ、その背中に言葉を投げかけた。
「また来てくれるっ⁉︎」
今回は仕事で忙しいなら、色々話す事は諦める。でも話さない訳にはいかないから、次の約束が欲しかった。
「おう。来てやるから、トリィの側に居てやんな」
「う、うん。フラーも奥さん、紹介してね?」
最後に振り返ったフラーテはそれには返事をしないで、ニッと笑みを浮かべていた。どこか影があった気がしたが、さっさと出て行ってしまったから、気のせいかもしれないが。
まるでフラーテが帰ってきた事実なんて、最初からなかったかのような静けさが戻ってきた。
突然帰ってきたからろくに心構えが出来ていなくて、重苦しい事実は何一つ話せなかったなと今更悔やみながら、応接室に置いてきたトリスの元へと向かう。
応接室にいたトリスは、静かに泣いていた。まるで卒業式のあの日のように、あの時と同じ表情をして、ポロポロと涙を流していた。
「トリィ?」
「よかった……フラーが幸せそうで。あたしの事、ちゃんと忘れてくれてっ……」
「……そうだね」
愛情より、嫁ぎ先の地位と稼ぎにこだわったトリスのせいで、たくさん傷付けたからね、と目で責めた。捨てた本人が不幸面するなと怒鳴りたい気持ちを抑えて、冷ややかに見下すに留める。
「……テル」
「何?」
まだラーテルの存在を認識出来たのかと驚く。フラーテと間違えているかのような振る舞いばかりされていたので、ラーテルの存在は、トリスの中から消えたと思っていたのに。
――たったそれだけで絆されそうになるのだから、つくづく成長しない。
「巻き込んでごめんね。今まで、ありがと、うっ……!」
必死に絞り出したような声で最後にそう言うと、ぐらっと身体が傾いていく。
「トリィ⁉︎」
その様子を見て慌てて駆け寄ると、抱き止めたトリスの額にはたくさんの汗が浮かび、苦しそうに息を荒げ、呻いていた。
まさか産気づいたのかと、冷や汗が流れる。
「だっ、誰かっ! 医者をっ! トリィが大変なんだっ‼︎」
ラーテルのその叫び声を聞きつけて、屋敷は騒然となった。
*
夜の村を見渡せる、小高い丘の上。
かつてラーテルが憩いの場として愛していたここは、場所が足りなくなったからと、墓地として使われるようになっていた。学園に行ってる間に、父がそう決めてしまったようだ。
その奥地に真新しい墓石が並べられ、その手前には、あとは埋めるのを待つばかりの棺が鎮座していた。
その中身に手を伸ばし、冷たくなってしまった頰を優しく撫でる。
「……全部知ったよ。馬鹿だなぁ、トリィは」
トリス・セイド。可愛くて大切で、なのに大切にしてやれなかった幼馴染兼妻が、棺の中に横たわっていた。妻と言ってもほとんど形だけだったけど。
――陣痛が始まってから出産を終えるまで、体力のなさのせいか、およそ一日半というとても長い時間を費やした。
体力もない中での長時間の陣痛は、当然のようにトリスの身体を蝕んだ。無事に産み落とした子供を腕に抱く事もなく、数時間後、そのまま息を引き取ってしまった。
あまりの事態に、呆然としたものだ。ラーテルの大切な人の中からトリスは既に除外していたが、それでも、かつて恋をしていた女の子で、小さな頃からずっと一緒にいた幼馴染だったのだから、それなりにショックだった。
屋敷内で小さな葬儀をして、男爵夫人という貴族籍を持っていたので王城に届出を出して、あとは土葬を済ますだけとなった頃、そういえばトリスを捨てた両親が居た事を思い出し、一応伝える事にした。実の娘だったのだから、最期の別れは必要だろう……興味もないかもしれないが。
――直接赴いた結果は、予想通りだった。
金、金、金。トリスの死を悼む言葉が口から出る事もなく、遺産や慰謝料がないのかという、身勝手な金の無心だけだった。
トリスを捨てるように置いていった日から期待するのはやめていたが、結局最後までこういう人達だったのかと失望する。昔はそれなりに優しかった気がするが、あれは男爵家嫡男だからと、媚を売っていたのだろう。
次の制裁先はここにしようかなと思っていた矢先、信じられない言葉を聞いて、ラーテルは思わずトリスの父の胸倉を掴んでいた。
「……今、なんて言いました?」
「っひっひっ⁉︎ せっかく学園に行かせて、やったのにっ! ろくに男を捕まえっ、かはっ、ない、どころかっ、妥協した、お前の弟、すらっ、捕まえておかないとは、なっ⁉︎」
前半は捨ておく事にして、たしかにフラーテが結婚する時は、トリスの家に婿入りする予定だったが、なぜこの男がそうも必死になるのか。
「……フラーテの婿入りを、望んでいたのですか?」
男爵家嫡男のラーテルに嫁ぎ、男爵夫人にさせるよりも? それはまた、金に取り憑かれたこの男の性格を考えれば、不自然な話だ。
「ひっ、ひひっ、言うかっ⁉︎ かはっ‼︎」
思わず腰に差した剣を抜き、この男の肩を、うっかり壁に縫い付けてしまった。剣を新調して二年、こんな形で切れ味を試す事になるとは。
「夫人、逃げないでくださいね? 追いかけて、同じ目にあいたくないでしょう?」
後ろで腰を抜かし、外に向かって這いずろうとしたトリスの母も、そう牽制しておく。ガタガタと震えて、コクコクと頷く姿が滑稽だなと思った。
ギャーギャーうるさくて、話も出来ないトリスの父への尋問は諦めて、代わりにトリスの母に尋ねる事にした。
「私より、フラーを望んでいたと?」
「しょっ、しょうがないじゃないっ! もう買い手は決まっていたんだものっ‼︎」
「……はぁ」
思わず肩から剣を引き抜いて、今度は右足を床に縫い付けてしまった。剣の切れ味がいいのもあるが、壁も床も、相当柔らかいなと場違いな事を思う。
より大きくなった悲鳴と、喉を引き攣らせて失神寸前のトリスの母を無視して、質問を続ける。
「……買い手とは?」
「だっ、だだ、男爵様の弟はっ、婿入りがかなえば、う、うう売り子を頼もうと思っていたのよっ⁉︎」
「売り子、ねぇ」
今度は左足を縫い付ける。
トリスの母の言うそれは、純粋な商会の店番という訳ではないのだろう。
なんとなく長年勘違いし続けてきた、卒業式の新たな真相が掴めてきた。どうやらラーテルは、とんでもない間違いを犯してしまっていたらしい。
「……で? その買い手は、フラーが居なくなって、納得したのですか?」
「すっ、すすする訳ないじゃないっ⁉︎ だ、からっ、仕方なくあの子をっ……⁉︎」
とうとう首を飛ばしてしまった。剣の切れ味の良さに惚れ惚れしたのと、どうせならもっと痛めつけてやればよかったという後悔。これなら、あの錆びた剣の方がよかったかもしれない。
夫の無惨な死に狂乱となった夫人の足を切り付けて、逃走手段を奪うと、適当に火をつけて、帰る事にした。家は木造だったので、よく燃えるだろう。
「……あっ、周りの家を巻き込むかも?」
それに思い至って、まあ別にいいかと気にしない事にした。生きのびたいなら、勝手に消火活動でもすればいい。
そうしてぼんやりしたまま屋敷へ向かい、自室に大切にしまっていた箱を手に取ると、屋敷裏の林道を登っていく。
――そして棺の中に語りかけているのが、今だった。
「一人で抱え込んでないで、相談してよ。それに、多分フラーだったら大丈夫だったよ? わざわざあんな事をしなくても、なんとでもしてやれたのに。ほんと、馬鹿だなぁ」
そう苦笑まじりの説教をしても、もう返事が返ってくる事は、一生ないけれど。
――ラーテルもフラーテも卒業式のあの日、トリスは周りに影響されて、結婚相手の地位と稼ぎに執着する女性に変わってしまったのだと思い、失望した。
だが、違ったらしい。トリスは実家がフラーテの見目の良さを利用して、婿に迎えて男娼をやらせようとしているのを知ったのだろう。
絶対連れ帰ってこいと言われたのかもしれないし、たまたま盗み聞きしてしまったのかもしれない。それはもうわからないけれど。
在学中に最後にセイドに帰ったのは、卒業からおよそ半年前。聞いたのは多分このあたり。フラーテがそのくらいからよそよそしくなったと言っていたので、時期が合う。
フラーテが出仕の話を断っていなければ、セイドに帰らず島都で暮らし、また、出仕の為の登城許可を得ると、情報漏洩防止の為に、それなりの身の安全が保証されるので、トリスの実家程度では手を出せなくなっていたはずだ。トリスはそうなる事を望んでいたのだろう。
だが、フラーテは断ってしまった。昔からラーテルの補佐をしてやると言っていたから、出仕すら断って、セイドに帰る事を選んだ。
このままではフラーテがトリスの家に婿入りし、男娼として利用されると危機感を抱いたトリスは、別れて、念の為セイドからも離れてもらう事にしたらしい。その為に思いついたのが、兄であるラーテルと浮気という、最低最悪の裏切りだった。
フラーテが浮気をされて最も傷付く相手で、セイドに帰りたくないと思わせられて、何よりラーテルは男爵家嫡男なので、トリスの実家の人間には手を出せない。まさにうってつけの相手だった。
そしてフラーテを逃した代償は、トリスが支払ったようだ。処女ではなかったのはフラーテが手を出したせいだと思ったが、そんな訳はない。フラーテは曲がった事を嫌ってトリスを何よりも大事にしていたので、婚前交渉なんてしないだろう。
そのせいで心を壊してしまい、売り物にならないと判断されたトリスは、ラーテルの所に捨てられた。
そのうえトリスは偶然、正しい戸籍を見つけてしまった。そもそもフラーテが嫡男だったら、フラーテと別れてセイドから追い出す必要も、ラーテルを利用する必要もなかったとわかって、今度こそ絶望したのだろう。
あとは自分を正当化する為に――もしくはトリス自身の身の安全を守る為に、男爵夫人という地位に執着するしかなくて、フラーテの死亡届なんて出した。
もしフラーテを嫡男に置いても、裏切ったトリスは絶対に選ばれない。ラーテルに離縁されるのも困るが、ラーテルの地位が平民になるのも困る。実家の魔の手が、今度はラーテルに向く可能性があるからだ。
トリスはラーテルが裏で何を考えているのか知らないので、ラーテルの事は優しいだけの人に見えていたのだろう。実家の圧力に屈するような、頼りない人に。
自分とラーテルの為にも、そうするしかなかった自分に嫌気がさして、ますます心を壊していった。
全て憶測だが、きっとこれこそが本当の真実だ。
だから最期、ラーテルに巻き込んでごめんなんて謝って、何も言わず傷付けたフラーテがラーテルを許し、幸せになった姿に、よかったと安堵したのだ。あの時悪人になったのは間違いではなかったと、トリスは一人、満足した。
――散々利用したラーテルの心は、最期まで置き去りにして。
「トリィはどこまでも最低だよ。これじゃ、トリィを恨む事も出来ないじゃいか」
ラーテルは心にフラーテとトリスしか置かなかったから、この二人にはとことん甘いのだ。たとえ理不尽な目に遭わされても、事情に納得すれば、簡単に絆されて許してしまう。
だからたった一人で幼馴染二人を護ろうとしたトリスの事を、恨めない。相談しろとか、不要な気遣いだとか、文句はいくらでも湧いてくるが、それだけだ。
「……でも、もっと最低なのは、間違いなく私だ」
そして、ラーテルは後悔をする。色々な事を見逃したまま、何も知らずにいた事を。知らないまま、心を壊してしまったトリスを表向きには優しくしながら、裏では見放して、口汚く罵って、制裁を下そうかとまで思っていた事実を。
――深く、後悔してしまうのだ。
ラーテルは箱の中身を崩れないように慎重に取り出し、トリスの顔の横に添える。
「せめてあの時の気持ちだけは、一緒に連れて行ってあげて。もうこの世界のどこにも、置いておけないから」
フラーテは嫌がるかもしれないが、捨てたのだから、拾ったものをどうするかは自由だろう。それくらいは、許してほしい。
フラーテが卒業式の日に渡そうとしていた十二本の赤い薔薇の花束と、色違いのお揃いのピアスを、トリスが持っていく事だけは。
最期にもう一度トリスの頬を撫でて別れの言葉をつぶやくと、棺に蓋をして、離れてもらっていた使用人に手伝いを頼みながら、土の中に埋めていく。
ただひたすらに、これからの事を考えながら。
――最後に正義の名のもとに、制裁が下されるべき相手が誰なのかを、心に定めながら。
この後のフラーテの行動は「喪失の未練1」と「それぞれの道8」に繋がります。過去編ではもう語られないので、念の為。
トリスの真の真相編。ややこしい。
何故ラーテルにもフラーテにも話さなかったのかと言うと、トリスにとってラーテルは少し頼りないけど優しいお兄さんでしかなく、フラーテはこれ以上実家に近付けさせない為です。婚約解消しても難癖つけるのが目に見えていたし、買い手というのが、とてもヤバい奴に見えたのかもしれません。
まあ、実は真っ黒なラーテルと、暴力ゴリ押し可能なフラーテに相談していれば、なんとか出来ただろうけどねという救いの無さ。
セイドは貴族なので、トリスのせいで醜聞が家名に傷がつくのを、嫌がったのかも?
あとトリスはセイドに帰って、ラーテルには全て話すつもりでした。
これ以上セイドに迷惑がかからないように、そのまま1人村を出て、行方不明になろうとしたが……。
トリスを許せるか許せないか、微妙なところを狙ったつもりです。2人には激甘ラーテルは許しちゃいましたが。




