私の正義のヒーローは 2
今週は毎日更新を行なっております。お読みの際はご注意ください。
本編から40年以上前。誰も知らない過去の真実。
救いがありませんので、ご了承ください。
「だあああっ! 腹立つっ‼︎」
学園裏手の木をゴンっと殴りつけるのは、憤怒の表情を浮かべたフラーテだった。
「フラー、落ち着いて。そんな事をしても手が痛むだけだ。それに、誰かに見られたら、また馬鹿にされるよ?」
「ちっ」
とうとう舌打ちまで隠さなくなったなと、ラーテルは苦笑する。ぶすっと不貞腐れたフラーテの隣に座り、困ったように微笑んだ。
――学園に入学して一季。セイドを離れて島都にやってきたラーテル達は、所謂貴族の洗礼というものを、これでもかと受けていた。
きっかけは下位貴族クラス――学園では下位貴族と高位貴族と商家でクラスが別れている――に在籍しながら、テストで学年一位と二位を双子で独占した事だった。
その時に目をつけられたらしく、事あるごとに揚げ足を取られ、田舎貴族風情がと遠回しに馬鹿にされるのだ。
幸い二人とも弁は立つ方なので、その場ではやんわりと受け流せるのだが、こうやって二人きりになると、割り切れないフラーテは苛立ちをあらわにする。それもどんどん酷くなる一方だから、ラーテルも途方に暮れていた。
セイドにいた頃は貴族の社交なんてしてこなかったので知らなかったが、彼らは異常に気位が高い。
その両肩に家名という重圧がのしかかっていて、領地や領民の代表として、他家の人間なんかに舐められるわけにはいかないからだろうと察するが、それにしたって、見栄の張り合いと相手の揚げ足取りに必死な様は、ウンザリする。これが貴族かと、失望するには充分だった。
ラーテル達と同じように地方からこの学園にやってきた下位貴族の一部も困惑している様子で、そんな彼らを、面倒見がよく成績優秀なフラーテは見過ごせない。仲裁に入ってはますます悪目立ちして、上に目をつけられて出る杭を打たれる。堂々巡りだ。
おかげで一部の下位貴族からフラーテは正義のヒーローのように扱われていたが、正直気が気でない。セイドは男爵家でしかないので、高位貴族に目をつけられたら、領地ごと潰されかねない危険性だってある。
貴族社会は爵位が絶対だ。どんなに上が悪かろうと、適当な理由をでっちあげて下を切り捨てる。それが罷り通るのだから。
それに――
「ねぇ、フラー」
「あ?」
「トリィは、その、元気?」
途端、空気がピリついて、思わず肩を震わせる。それが答えのようなものだったが、今更引くのも不自然なので、まっすぐフラーテを見つめ続けた。
フラーテは眉根を寄せ、唇をへの字に曲げている。幸せそうだった一季前とは大違いだ。
「……知らね。こっちから連絡入れても、全然会いに来ねーし」
「そっか……相変わらず、なんだね」
「お貴族さまの秩序だかなんだか知らねーけどさ、継ぐ爵位のないおれとトリィには関係ねーじゃん?」
「そうだけど、仕方ないよ。女の子には女の子の付き合いがあるんだから。周りから孤立したくないっていうなら、私たちにはどうもしてやれない」
そう言うと面白くなさそうにふんっと鼻を鳴らして、腕を組んだ。馬鹿らしい、意見を汲んでやりたい。相反する気持ちに、フラーテも複雑なようだ。
――学園に入ったばかりの頃は、トリスは当たり前のように在籍している商家クラスから、ラーテル達のいる下位貴族クラスにやってきて、相変わらず三人で過ごしていた。
その光景に目を付けられたようで、曰く、商家クラスでしかない人間が、下位だろうが貴族クラスに近付いて、しかも婚約者でもない、それも二人の男子生徒と無闇に接近し、共に時間を過ごすとはなんてはしたない、風紀を乱すなと、学園の方からキツくお叱りを受けたのだ。
勿論ラーテル達は反論した。フラーテは継ぐ爵位がないのでトリスと同等であり、二人は正式に婚約を結んでいないだけで、実質婚約者のようなものだと。男二人と過ごす事がはしたない事だと知らなかったと謝罪しながら、だったら無関係でいずれ爵位を継ぐ事になるラーテルは遠慮すると。
学園側はそれで引き下がったが、どうやらトリスは生徒から直接圧をかけられたようで、学園で接触してくる事はなくなった。フラーテが会いに行っても、やんわり拒絶されるらしい。
たしかに一人の女子生徒が複数人の男子生徒と話している姿はあまり見ないが、なにもこの学園内で男女で交流が全くない訳ではない。
女子生徒がほぼ高位貴族なので、だいたい婚約者と過ごしているらしいが、なかには結婚相手を見つける為に積極的に交流しようとする女子生徒も、いない訳ではない。
だからトリスも大手を振ってフラーテと過ごせばいいのに、正式な婚約者ではないのがいけないのか、高位貴族を差し置いて学年一位を取ったフラーテが相手だから妬みを受けてしまったのか、拒絶されるらしい。ここにくる前に婚約くらいはしておけばと後悔しても、後の祭りだ。
それと、人の機微に疎いフラーテはまだ気付いてないようだが、気になる事がある。
「……ねえ、フラー。トリィを連れて、セイドに帰る気はない?」
「はあっ⁉︎」
ラーテルの提案に、フラーテはそう声を荒げた。何馬鹿な事言ってんだと、キッと睨まれる。
けれどラーテルは本気だ。引くつもりなんてないから、真剣な表情で、フラーテの目を見つめ返す。
「フラーもトリィも、この学園の空気は性に合っていないってわかっただろう? フラー達は、もう帰った方がいい」
「何言ってんだ、ふざけんなっ‼︎」
「ふざけてないよ。フラーはいいのかもしれないけど、多分トリィは孤立している。下位貴族クラスの女子生徒と一緒にいるけど、たった一人の商家クラスの女子生徒で、裕福な訳ではないから、そこで馬鹿にされてるんだと思う」
「なっ⁉︎」
「あと、学年一位のフラーと実質婚約者で、二位の私とも仲がいいって知れ渡ってしまって、商家クラスの紅一点でモテるから、妬みもあるんじゃないかな? トリィの環境は、言ってしまえば最悪だ」
そう言うと本当に気付いていなかったのか、グッと喉を詰まらせている。酷い顔をしているから、ふっと笑みを浮かべて、宥めるようにポンポンと肩を叩いた。
ラーテルもフラーテも悪目立ちしているが、次男だが高位貴族を凌ぐ学力を持ち、見た目も面倒見もいいフラーテも、男爵家で見た目もパッとしないが嫡男で、同じく成績優秀で穏やかなラーテルも、それなりにモテているようだ。
トリスはただでさえ社会的地位も低いのに、そんな二人と仲がいいからか、露骨に蔑まれている。女子生徒と共にいるが、トリスの表情はいつも暗い。セイドにいた頃とは比べ物にならないくらいに。
だから、トリスはこれ以上ここにいるべきではないのだ。フラーテも肌に合っていないようだし、ラーテルと違って学園に通う必要もないから、出来れば帰してやりたかった。
学園での事は悪い夢だったと早く忘れて、長閑なセイドでお互いに傷を癒やし、幸せに暮らしてほしい。本心からそう願えるくらい、二人の事が大切なのだ。
「……テルは?」
「私は、なんとかやっていけると思う。適当にやり過ごすのは、そこまで苦じゃないよ」
だから大丈夫だと柔らかく微笑めば、腕を組んで、難しい表情をしていた。トリスの現状を知った憂いと、こんな魔境にラーテルを一人で置いていくのは嫌だという気持ちがあって、どちらも捨て切れないのだろう。
本当に、面倒見のいい弟だ。
「……わかった。トリィに相談してみる」
「うん、そうして。なるべく早めにね」
「なんか、テルの方がトリィをよく見てね?」
「私はフラーとは違って、手の届く範囲にしか、手を伸ばさないからね」
フラーテは世話焼きで、困っている人は誰であろうと積極的に助けようとするが、ラーテルはそうでもない。極端な話、フラーテとトリスだけ護れるなら、それでいいと思っている。
見た目は穏やかで優しいが、懐に入れた相手以外には案外薄情になれる。ここに来たラーテルは、自分がそういう性質なのだと、はじめて知った。
*
だがここで、思わぬ問題に直面した。他ならぬトリスが、学園をやめてセイドに帰る事を拒絶したのだ。
「っ! なんでなんだ、トリィ⁉︎」
「わかって、フラー。学園でそれなりの結果を出さなきゃ、入学金と今までの学費を返す為に身売りをしなきゃいけないのよ? そんなの絶対嫌っ!」
「そんな……」
あまりの事に愕然とした。いや、違和感は最初からあったのだ。学費はどうするのか疑問を持っていたのに、三人で過ごす学園生活を夢見るばかりで、その事をすっかり忘れ去っていた。
あまり現実的ではないが、学費をうちから出すと言ったり、駆け落ちを提案してみたが、いい返事は貰えないまま、結局三人とも学園に留まる道を選んだ……選ぶしかなかった。
とりあえず夏の長期休暇の際にセイドに帰り、二人の婚約だけは結べたので、これで二人は学園で一緒にいても問題ないだろう――実家に帰ったトリスが、よりいっそう浮かない顔をしていたが、ラーテルはセイドにいる間は後継者となるべく父の仕事を手伝っていたので、尋ねる暇はなかった。
きっとフラーテなら、今度こそ気付いてくれる。あの日ラーテルに先を越された事に嫉妬して、張り合うようにトリスを見つめるようになっていたのだから。
休暇も終わり、学園に帰る前日、三人は人目を忍ぶように、ラーテルお気に入りの小高い丘の上に集まっていた。
「てな訳で、おれは学園を変えようと思う!」
ドドンと胸を張って言い放ったフラーテの言葉を理解しようとしたが、結局わからず、ラーテルは首を傾げる。
「……えっと、急に何?」
「トリィと考えたんだ。おれ達がこれからも学園に通うという事は変えられない。でも、あんな陰険ネチネチした場所に居続けるなんて嫌だ!」
「だからね、もっとみんなが楽しく学園生活を送れる場所にしようって思ったんだ。学園側だって、その方がいいと思うの」
名案だとばかりにキラキラと目を輝かせた二人の言葉をうまく飲み込もうとして、失敗した。思わず嘘くさい愛想笑いを浮かべていたと思う。
「……それで?」
「だからおれ達は、正義のヒーローになるんだよ! 嫌味ばっかの悪人を追い払ってやるんだ!」
今度こそ反応に困り、笑みを浮かべたまま固まる事しか出来なかった。どうやら夢見がちな所を父から譲り受けてしまっていたらしい。
フラーテは面倒見がいい。領地で困った人がいれば積極的に知恵を絞って手を貸し、盗賊が現れたら、自慢の腕っぷしの強さでアジトに乗り込み、自ら退治してくる。見つけた犯罪者は当然のように捕まえる。喧嘩を仲裁し、いじめは止めに入って、仲直りさせた数は数知れず。
セイドではそうやって過ごしていたからこそ、ラーテルより慕われていたのだ。それが正義のヒーローの所業だというなら、そうなのだろう。
だが、それが通用したのはセイドだからだ。フラーテは次男だが間違いなく領主の息子で、領内では権力を持っていた。知恵と腕力と権力があったからこそ、出来た所業だったのだ。
学園ではそうはいかない。セイドも貴族ではあるが田舎の男爵家でしかなく、知恵と腕力なんて、権力の前には何の役にも立たないのが貴族というものだ。いくら気に入らなくても、理不尽でも、上に反発なんて論外で、物理的に切り捨てられようが見向きもされない。
だが、希望に目を輝かせている二人に水を差すような勇気は、ラーテルにはなかった。
どうしようかと頭を悩ませながら、ふと、意外と名案なのでは?と閃いてしまった。
ラーテルはフラーテ達の言う学園の改革なんてどうでもいいし、学園関係者も、国から指示された子供の学力向上と集金以外には興味がないのだろう。現に、下位貴族以下の人間が不当な扱いを受けていようが、知らんぷりをしているのだから。
なら、多少羽目を外しても、関わるのが面倒だと思われれば、見逃してもらえるはずだ。『正義のヒーロー』という看板は、その最たるものとして、目くらましに使える。
フラーテ達の純粋な正義の心を利用するのは少し良心が痛むが、全ては二人に楽しい学園生活を送ってもらう為。その為ならば、ラーテルは何だってやってみせようではないか。
ラーテルはニッコリと、心からの笑みを浮かべた。
「名案だね。だったら後ろは私に任せて? いい作戦があるんだ」
そうして語ったラーテルの案に賛同して、二人は学園に行く前に見せた笑顔を取り戻していた。
――二人の幸せだけが、ラーテルの望みだった。
おや、ラーテルの様子が……?
現在の学園は成績順でクラス分けがされていますが(だからプロディージは高位クラスに行くと言っている)、ラーテルの時代は身分で振り分けられていました。
あと、当時は商家の人間も通えましたが、現在は爵位を継ぐ際の卒業義務化で人数が増えたので、貴族の子供しかいません。




