私の正義のヒーローは 1
本編から40年以上前。誰も知らない過去の真実。
全6、7話予定です。
救いがありませんので、ご了承ください。
「ひっくっ……ぐすっ…………」
小さい頃はこの景色を見ながら、よく泣いていた。
いずれここを護れと言われても、護らなければならない程の価値を見出せなかった。どうでもいい。それが率直な感想だ。
そんなどうでもいい事の為に、弟のように自由に遊び回る事も、あの子のように気持ちのままにはしゃぐ事も禁止されるなんて、とても理不尽だ。そうやって、ますますそれに価値を感じなくなっていく。
「あー! またないてんのか?」
そうやって泣いていると、何かを察知するらしい弟は、こうやって駆け付けてくれた。綺麗な顔でニカッとわらって、ゴシゴシと乱暴に涙を拭ってくれる。
「べんきょーがいやだったか?」
「そ……なことっ、ない……でも、ぼ……わ、わたしは……まもれっていわれても……わかん、ないっ……」
「そっか」
ポンポンと頭を撫でられる。弟だが、これではどちらが兄かわからないなと苦く思った。兄である自分より弟の方がしっかりしていて、あの景色の価値をよくわかっているのだから。
だから譲ってしまいたいのに、それは許されないのだ。それに、元気な弟の自由を奪いたくない。
その分別くらいは出来るから、ここで静かに泣く事しか出来なかった。
グイッと手を引かれる。きょとんと見上げた弟は、悪戯っ子のようにニカッと笑っていた。
「しらねーから、わからねーんだ。じっさいにいってみるとたのしくて、まもってやりたくなるぜ」
「でもっ、いっちゃダメって」
「まじめだな〜。いいじゃん、ちょっとくらい、あくにんになってやろう? おれは、あくにんをたすける、せいぎのヒーローな!」
無茶苦茶な事を言い出す弟に、ぷっと吹き出す。悪人を助ける正義のヒーローなんて、聞いた事がない。
でも弟らしいなと思った。悪人だろうがみんなを助ける正義のヒーローという肩書きは、この弟によく似合ってる。
弟はいずれ、本当に正義のヒーローになるのだろう。そんな予感がしていた。
*
屋敷の裏手にある自然豊かな林道を登った先の、小高い丘の上。
そこから見渡せる長閑な村をいずれ統治しなければならない重責に溜息を吐き、ベンチに腰掛ける。
この場所で経営学の教本に目を通す時間が、最近では唯一の癒しになっていた。
ついこの間までは、三人で村を駆け回る時間こそがそうだったが、もう二度とそう思える日は来ないかもしれない。
それが悲しくて、でも開放されてホッとしたのも事実だった。いつか来るはずの未来が、ようやく訪れただけ。最初から、こうなる運命だったのだから。
感傷を振り払い、黙々と目で文字をなぞる。まるで現実を忘れるように……離れた二人が、今頃何をしているのか、考えないように。
けれど、二人のいない一人きりの時間は心穏やかだけど、とても寂しくて、物足りない。
「テルー!」
「もうっ、またこんな所にいるんだからっ!」
――どうやら本日の穏やかな時間は、これまでのようだ。
思わず苦笑してパタンと本を閉じ、気持ちを切り替えると、声がした方に向かって笑みを浮かべる。なんだかんだ言っても二人から呼ばれるのが嬉しいんだなと、そう自覚しながら。
*
ビドゥア聖島の東端に近い辺境に、セイド男爵が治める狭い領地がある。
セイドは長閑で、大きく発展こそしていないが、村人誰もがそこそこいい生活を送れる程度には栄えている、そんな領地だった。
今の男爵は向上心旺盛で、領地をより発展させたかったらしく、特産品だったセイドベリーというラズベリーの生産よりも、近年流行りのワインの醸造に心血を注いでいた。おかげで今ではラズベリー畑は片隅に追いやられ、ぶどう畑の方が多くなってしまっている。
そこまでしたのに結果は思わしくなく、赤字続きで緩やかに衰退の一途を辿っているのだから、笑えない話だ。
先人をなぞるような統治は難なく熟せるのに、夢見がちで金儲けは不得手なクセに安易に手を出して、プライドが高く失敗を認められない。それが今のセイド男爵だった。
そんなセイド男爵には、双子の息子がいる。
兄はラーテル。この国ではありがちな栗色の髪と目を持つパッとしない見た目ながらも、どこか優しげな顔をしており、見た目通り穏やかで優しく、勉強熱心で聡明な嫡男だった。その優しさ故に優柔不断なのが、玉に瑕ではあるが。
弟のフラーテは兄と同色だが幾分整った容姿を持ち、体格に恵まれている。が、少々周りへの配慮に欠け、短慮なのが難点だった。
それでも面倒見が良く、多くの人に慕われており、意外とフラーテよりも頭が良かった。
次男なので領地は継がないが、多くの領民に領主として望まれているのはフラーテの方だと、ラーテルは知っている。
だが、兄であるラーテルは自分より優秀な弟に嫉妬する事なく大切にしていたし、フラーテは兄であるラーテルを時期領主と立てて、誰よりも面倒を見ていた。
見た目も中身も似ていないが、とても仲のいい双子の兄弟だったのだ。
「そういえばフラーは、結局学園に行くの?」
やってきた二人と昼食を摂りながら、ラーテルはふと、弟に視線を向ける。
フラーテは木を背もたれにして、行儀悪く地面に直接座り、りんごを齧っていた。
彼はニッと勝気に笑うと、元気よく親指を立てた。そうだ、という事だろうか。色々と領民に染まり過ぎである。
――島都に大きな学園が出来たらしく、ラーテルとフラーテ宛てに学園への招待状が届いたのは、一年程前の事だ。
海を隔てた隣国コンバラリヤ王国を模倣した学園の設立によって、商家や貴族の子息の学力を一定以上に向上させ、このビドゥア聖島をより豊かな国に発展させたいらしく、十二歳から十六歳までの子息宛てに、こうして招待状が配られていた。
招待状といっても学費はかかるし、入学は任意だ。
ラーテルはいずれ男爵位を継ぐので絶対入学するように親から言われていて、フラーテも行けと言われたらしいが、ずっと迷っているようだった。それでも、行く事にしたらしい。
「おうよ! だってテル一人で島都なんて、寂しーじゃん?」
「学園なんか行かず、そのままトリィのうちで婿入り修行すればいいのに」
「いや、はえーって!」
真っ赤になってそう言うが、そんな事ないだろうと苦笑する。
フラーテが入学を迷っていたのは、彼女と離れるのが嫌だったせいだと知っていた。最近になって両想いになれたから、いない間に誰かに盗られる心配がなくなったとでも思っているのだろうか。
物理的な距離が開けてしまえば心の距離まで開く可能性だってあるのだから、いつまでも頼りない兄を心配していないで、自分の幸せだけを考えて、婿入りの準備でもしていればいいのに。
それでも、フラーテと共に学園に通えるのは嬉しいと思ってしまうのだから、ラーテルの心も難儀なものだ。
「フラーが行くなら、あたしも行く!」
と、ここで手を挙げたのは、フラーテの隣で引っ付くように座っていた、ここに来たもう一人の女の子のトリスだった。
ミルクティー色の髪と琥珀色の優しげな垂れ目をしているが、見た目に反してとても気が強く、ハキハキしている。そして、なんと言っても、セイドで一番の美少女だ。
彼女はラーテル達から見てはとこにあたり、主にワインを扱っている小さな商会の一人娘だった。
そういった縁もあり、商会もセイドにあるので、小さな頃からずっと三人で過ごしていた。いわば幼馴染というやつである。
ラーテルも一つ年上のトリスの事が好きだったが、トリスは昔から弟のフラーテが好きなようで、フラーテもトリスが好きだった。
それをラーテルは知っていたから、想いを抱えながらも、ずっと内に秘めていたのだ。
長年そんな状態で過ごしてきたのに、二人が両想いになったのはほんの数日前だというのだから、随分と振り回されたなと思う。二人が両想いにならないと失恋を受け入れなかったラーテルにも、問題はあるのだけれど。
学園へ入学して二人から離れれば気持ちの整理が出来ると思ったのに、どうやらまだ、二人から離れる事は出来ないらしい。
それすらも嬉しいと感じるのだから、本当にどうしようもないなと苦笑する。
たとえ失恋しても、頼り甲斐のある双子の弟のフラーテと離れるのも、可愛くて恋をしていたトリスと離れるのも、やはり嫌なのだ。物心ついた頃からずっと三人一緒で、ラーテルは二人の事がとても好きなのだから。
最近はようやく恋を成就させた二人に遠慮したのと、自分の傷を癒す為に二人から距離をとっていたが、結局こうして三人を望んでしまう。
なら、もういいではないか。痛む胸を抱えながら、二人の側に居ても。それでも、いずれ傷は塞がるはずだからと、決意を新たにした。
けれど、浮かれてばかりもいられない。ラーテルは手を挙げたトリスを見て、首を傾げる。
「女の子って、学園にはあまりいないらしいよ? それに、トリィは貴族じゃないし」
学園は去年から運営を開始していて、招待状と一緒に、学園の現状がどうなのかという案内状も同封されていた。それによると、学園に通っているのはほぼ貴族で、商家の人間は稀。それも女子生徒は、一部の高位貴族の令嬢や裕福な人間くらいしかいないようだ。
トリスのような裕福でもない商家の女子生徒はいないらしい。入学しても、浮いてしまうのではと危惧していた。
だが、トリスはキッと眉を吊り上げる。
「全然いない訳じゃないなら、いいじゃない!」
「金は? 学園って、かなり金が掛かるぞ。親父さんは許してくれたのか?」
「なんか知らないけど、大丈夫なんだって! むしろ行けって言ってくれたわ!」
えへんと胸を張っているが、「ふ〜ん」と納得するフラーテに反して、ラーテルはますます首を深く傾げていた。
トリスの実家の商会が扱うワインの半数以上が、このセイドで作られたものだ。
そしてセイドのワイン事業は、残念ながらうまくいっていない。ではトリスの学園に通う為の資金は、一体どこから――?
それを尋ねる前に、フラーテはパチンと両手を叩いて空気を入れ替えてしまったから、深く尋ねる機会を逃してしまった。
「なら、学園でもまた三人一緒だな!」
「えへへ、楽しみだなぁ〜。島都での学園生活って、どんななんだろうね!」
学園生活に期待で胸を膨らませながら笑い合う二人の様子を、ラーテルは胸の痛みを隠して、微笑ましく見守っていた。
それに、セイドを離れて三人で過ごす学園生活というのが楽しみなのは、ラーテルだって同じだ。
長閑な辺境で生まれ育った三人は知らなかったのだ。身分というものがどれほど強く厄介なのかを――世界はそんなに優しくないという事実を。
本編で登場人物からの評価がボロカスだったソフィアリアの祖父の真相編です。全6、7話で終わるといいねな大長編となりました。誰も得しないのに何故……?
第二部(というか第一部でもある程度)をお読みいただければわかる通り、最終的にバッドエンドに突入します。ごめんね。
ここで出てくるセイド男爵はソフィアリアの父ではなく、祖父の父、曽祖父にあたります。
あれ?セイドの人間、ろくでなしばかりの家系では……?
本編でも名前だけたまに出てくる学園ですが、この当時は設立したばかりで、今とは色々と違います。
ここで判明したのは入学は任意である、という点でしょうか。当時は嫡男の卒業義務はありませんでした。このあたりは、第一部の「それぞれから見た王鳥妃は3」でもチラッと語られています。




