フォルティス伯爵邸への訪問 前編
「エピローグ〜恋の結末〜5」の後。プロディージ視点。
全3話です。
「いい? フォルティス伯爵のお屋敷では、ちゃんと淑女らしく振る舞うんだよ? 大屋敷に居た時みたいに大きな声も、パタパタ走るのも、キョロキョロするのもダメ。出来る?」
「うん! クー、しゅくじょする!」
「ピ!」
「ピヨ!」
移動中の馬車の中。プロディージは、父の膝に座っているクラーラ――何故かピーとヨーにも――に、厳しく言い聞かせていた。
向かう場所は島都にあるラトゥスの実家、フォルティス伯爵家のタウンハウスだ。クラーラがラトゥスと婚約する事になったので、セイド領に帰る前に会いに来いと、ラトゥスの父であるフォルティス伯爵に招かれたのである。当然、行かないという選択はない。
「あと表情も、いつもみたいにくるくる変えない事。姉上……いや、母上みたいに淡く微笑んで、上品にするんだ」
「あら? ソフィの方がお上手よ?」
「セイドにいた頃はそうだったけど、大屋敷で色ボケたせいか、だいぶ顔が緩んでたからね。あれだったら、母上の方がずっといい」
「そっか。でも、ソフィは幸せなんだから、いい事だよ、うん」
父は、セイドに居た時の姉よりも、のびのびやっている今の方がいいようで、その変化に満足げだが、常に動じない姿勢こそが尊ばれる貴族社会では、あまり褒められた事ではない。
位は高くとも、社交界から遠ざかる姉はもうあれでいいが、将来は伯爵夫人となるクラーラは、そうはいかないだろう。とはいえ、天真爛漫の権化のようなクラーラが淑女然となった姿を、あまり想像出来ないのだが。
「うん、クーはちゃんと、おしゃましゃんになるわ」
「あと、自分の事をクーって呼ぶのも直して。出来たら、滑舌も気を付ける事」
「むずかしい! でも、がんばる!」
「ピィ!」
「ピョ!」
ムンっと握り拳を作って気合いを入れる三人を見て、頑張ってと頭を順番に撫でてあげた。
本来ならば両親もクラーラも伯爵家に訪問し、伯爵家当主にお目通りが叶うほどのマナーを身に付けていない。だからこうして、馬車の中でうわべだけでも取り繕うのに必死なのである。
まあ、ラトゥスに気楽にしていいと言われたので、最悪それに甘えさせてもらおうと、諦めの気持ちもあるけれど。
それよりプロディージはフォルティス伯爵相手に渡り合い、対等は無理でも、有用と認められるくらいの実力を示しておきたかった。
この婚約はほぼフィーギス殿下による王命なので、セイドはフォルティスに保護されていればそれでいいのだが、それに甘えるような事はしない。プロディージの矜持でもあるが、貴族らしく結婚に利益を見出され、この婚約は僥倖だったと思ってもらいたい。
全てはクラーラが将来、フォルティス伯爵家に温かく迎え入れてもらう為に。伯爵や夫人に認められる為のカードを、脳内で思いつく限り並べておいた。
*
たどり着いたタウンハウスはセイドの面々を萎縮させるのには充分なほど、広大で豪奢だった。
フォルティス領は島都と隣接している為、特にタウンハウスを必要としていないにもかかわらず、この規模を体裁だけで有しているのだから、遠い目をしてしまう。お金はある所にはあるんだなと、当たり前の事を思った。
ずらりと並ぶ教育の行き届いた使用人に出迎えられ、執事に案内されてやってきたのは、豪華絢爛な貴賓室。今は幼子でも次期伯爵夫人となるクラーラを迎えるのだから当然の事かとプロディージは納得したが、両親は見事に慄いていた。クラーラはふんわり笑って、静かに前を向いているので、言いつけは守れているようだ。
入室を許可されて、流れるような所作で敬礼し首を垂れると、両親とクラーラと双子もそれに倣う。双子は置いてくるつもりだったが、クラーラを護る為か離れたがらなかったので、許可をとって連れてくるしかなかった。
プロディージのする事を、大鳥の存在を匂わせた脅しだと受け取られなければいいのだが。
「顔を上げ、座るが良い。発言を許す。卿の言葉を聞こう」
「ありがとうございます。嫡男の身ではございますが、セイドの代表として、私がお相手する栄誉を賜らせていただきます」
男爵ではなく卿のと促されたあたり、どうやらラトゥスは伯爵に、我が家の事情を説明しておいてくれたようだ。プロディージが男爵である父を差し置いて発言する為に、どう言い分を通そうかと策を練っておいたが、無駄に終わって一安心した。
顔を上げ、言われた通りソファに座る。ギクシャクしている父達が隣に座るのを見届けて、まっすぐ伯爵と向かい合った。
「はじめまして、お会い出来て光栄です。私はセイド男爵家嫡男プロディージと申します。どうぞよろしくお願いします」
「っ、セイド男爵ティミドゥスと、申しますっ」
「妻のレクームです」
「ラトゥス様とこんやくさせていただく事になりました、セイド家じじょのクラーラです。この子たちは、あたくしとけいやくした、ピーとヨーです。おせわになります」
「ピ」
「ピヨ」
自己紹介を済ますと、伯爵は鋭い眼光で一人一人を見つめ、鷹揚に頷く。
「うむ。フォルティス伯爵家当主ドゥラレだ。まさかこうも間近で、大鳥様の幼子を拝見する日がくるとは思わなんだ」
そう言ってクラーラの腕に抱えられた双子を見ながら顎髭を撫でるこの方が、ラトゥスの父親だ。厳格そうな佇まいで隙がなく、ラトゥスが遅くに出来た子供だったので、だいたい祖父くらいの年齢だ。歳を重ねて積み上げられた大人の渋みは、正直憧れる。
位は下位伯爵家当主だが、筆頭貴族のホノル・フォルティス公爵家の傍系にあたり、公爵家の評議会に参加権のあるお方だ。傍系は子爵位に多いが、フォルティスの名を冠する伯爵位なのだから、その発言力の強さも窺える。ひしひしと肌に感じる威厳に、臆さないようにするだけで必死だ。
そんなフォルティス伯爵に、暗に大鳥を連れてきた事を咎められたと思ったプロディージは、サッと青褪めた。
「……申し訳ございません」
「なに、責めてはおらぬ。こちらこそが大鳥様への粗相がないよう気を付けねばならぬ立場だ。そしてこれが妻の――」
「あらあらあらあら! まあっ! なんて愛らしいの〜っ!」
と突然、この場に似つかわしくない言葉が飛び出てきて、思わずビクリと肩を揺らした。
何事かと声がした方に視線を向ければ、フォルティス伯爵の隣――夫人が、目をキラキラさせて優雅に立ち上がり、そそそと母とクラーラの背に回ると、二人の肩をギュッと抱き寄せ、蕩けた笑顔を浮かべている。
突然の奇行に、困惑するしかない。
「ねえ、あなた、見てこの子たち! わたくし達の娘になる子達が、こんなに美しく可愛いだなんてっ!」
「……おい」
「存在を今まで知らなかったのが、とっても悔しいわ。ああ、いえ、社交界に出てきていれば、それこそ大変な事になっていたのでしょうね。きっと大きな旋風を巻き起こしてしまっていたわ」
「…………聞け」
「こんな美貌ですもの、身を守る為なら納得だわ。だって男爵家ですものね、ええ、ええ!」
母とクラーラをギューギュー抱き寄せて、幸せそうな満面の笑みを浮かべているこの状況は、どうした事か。
夫人の腕の中でぼんやり微笑んでされるがままの母も、言い返したそうにソワソワしているクラーラと双子も、オロオロしている父も、相手が相手だけに何もする事が出来ない。
助けを求めるように伯爵を見れば、遠い目をして現実逃避を図っていた。その表情がラトゥスそっくりだなと親子らしさを感じるが、逃げていないで助けるか、説明してほしい。
「失礼します。ただいま帰りました…………母上?」
とここで、この状況から救ってくれそうなラトゥスが来てくれた。仕事で少し遅れると言っていたが、いいタイミングで帰ってきてくれて一安心だ。
そしてもう一人。
「はは、相変わらずだね、ベルス夫人? クラーラ嬢達を気に入りそうだと思っていたけど、予想通りで安心したよ」
ラトゥスの後ろからフィーギス殿下が顔を出したので、反射的に最敬礼を取る。父達も追従しようとしたのだが。
「ああ、礼は不用だよ。ここには私の親しい人しかいないからね。顔を上げて、楽にしたまえ」
「ありがとうございます」
「あら、フィーくん。うふふ、相変わらず眩しいくらいカッコいいわね? レギィもきっと喜ぶわ」
「この顔が母上のお眼鏡に適うなら、なによりだよ」
ほわほわと笑って奇行に走る夫人の発言を聞き、そういえば彼女はフィーギス殿下の実母である前妃を可愛がっていて、伯爵夫人でありながら、フィーギス殿下の乳母を務めていた事を思い出す。
変わった経歴も夫人がこの性格なら、納得するというものである。失礼だからおくびにも出さないけれど。
「ルス、いい加減座れ。まだ挨拶も済ませておらぬのだぞ」
「あら嫌だわ、わたくしったら。ごめんなさいね? 妻のベルスですわ。う〜ん、でもラスくんとフィーくんまで同席するのは、少し狭いわね?」
そう笑顔を浮かべたままパンパンとご機嫌に手を叩いて、使用人にてきぱきと指示を出す。
「あなた達、テーブルセットをもう一つ運んできてくださる? 可愛い娘達とセイド男爵は、わたくしと美味しいお菓子でも楽しみましょうねぇ〜」
そう言って母とクラーラ、ついでに父も、即座に用意されたテーブルに連れて行った夫人は、この国では珍しい水色の髪と、暗い青の瞳をしている。
元は隣国コンバラリヤ王国の侯爵令嬢だったが、どういう訳かこちらに渡り、伯爵と婚姻を結んで、遅れて一子を授かった。それと同時に、伯爵夫人であるのに前妃に頼み込んで、フィーギス殿下の乳母を務めたと聞く。
経歴もさる事ながら、人柄も大変破天荒な御方だったようだ。それでいて、瞬時に状況を判断し、場を整えてくれる貴族夫人らしさも兼ね備えている。難しい話をするだろうこちらから、さらりと会話について行けなさそうな父を連れて行ってくれたのだから。
もしかしたらこの突飛な行動も、セイド家の緊張をほぐす為にしてくれた事なのかもしれない……と、良いように解釈する事にする。半分は、元来の性格なのかもしれないが。
「ベルス夫人? クラーラ嬢はともかく、セイド男爵夫人は、君の娘にはならないよ?」
「まあ! なんていけずな事を言うのかしらね? ラスのお嫁さんのお母様なら、わたくしの家族じゃない。でも年齢的に娘って感じだから、娘でいいの」
コロコロ笑って母の取り皿にマドレーヌを置く夫人の発言に、それでいいのだろうか?と思ったが、そもそも母に同じ母として、夫人と対等なお付き合いなど不可能だろうと判断して、その方がいいかと考えを改める。
……ふと、それを見抜いたのでは?と脳裏をよぎった。そう考えている間にも、夫人の機嫌の良さは止まらない。
「うふふ、こんな綺麗な子達が娘だなんて、嬉しい限りだわ。ラスくんもフィーくんも男の子だったから、娘がほしかったのよ。これからいっぱい仲良くしましょうね?」
「ありがとうございます、フォルティス伯爵夫人。光栄にございますわ」
「ありがとうございます、きょーえつしごくですわ」
「んもう、固いわね! レッちゃんとクーちゃんって呼んでもいいかしら? わたくしの事は、ベルママって呼んでね」
「はい、ベルママ様」
「わかりましたわ、ベルママさま」
「ピピ」
「ピヨ」
「母上? クー?」
一応制止しておくが、ふわふわした夫人の雰囲気に飲まれた母達は聞いてくれないだろうなと思った。無礼ではあるが、夫人が望んだ事だから仕方ないかと諦めて、溜息を吐くに留める。
とりあえず、目の前で微妙な顔をしている伯爵に、座ったまま深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。母達にかわり、私が無作法をお詫びいたします」
「いや、むしろこちらが詫びねばなるまい。……ルスは娘が出来ると聞いて、年甲斐もなくはしゃいでしまってな。あれは可愛く美しいものを、こよなく愛しておるのだ。だから、酷かもしれぬが、付き合ってやってくれ」
「いえ、滅相もございません。お気に召していただけて、大変光栄でございます」
「……すまないな、母上が。だが、ずっとあの調子だから、諦めてほしい。その方が楽だ」
そう言って遠い目をしているラトゥスも、マイペースな母に振り回されてきたらしい。ラトゥスがどんな状況でも動じず、受け入れる姿勢なのは、夫人に鍛えられたからかもしれない。
伯爵と夫人に気に入られようと色々考えていたのに、予想外の方向で、夫人の攻略が完了してしまった。予定は大幅に狂ったが、まあ、結果的によかったかと気持ちを切り替える事にした。
全3話を今週中に終わらせる為に、次回は1/31(水)の6時に更新します。
ラトゥスの家へのお宅訪問にかこつけて、ソフィアリアの両親と、ほんの少しプロディージとクラーラの紹介話になります。
また破天荒は夫人が増えたなぁ〜(遠い目)




