初恋をやり直す為に
「過去の『せいさん』2」「終わりの夜会3」「エピローグ〜恋の結末〜4」の前後。メルローゼ視点。
「あなた、試験の途中で居眠りしてたでしょ? 先生がすごい目で睨んでたわよ?」
学園の入学試験を受けた帰りの馬車の中、メルローゼは斜め前に座るプロディージをジトリと睨みつけた。
メルローゼもテストに集中していた為、ずっと見ていた訳ではないが、おそらく試験時間が半分過ぎた頃あたりから、机に伏せて眠っていたように思う。そんな事をしている……いや、出来る余裕があった人間は彼一人だったので、とても目立っていたのだ。
けれどプロディージはメルローゼの言葉を聞いても皮肉げに口角を上げ、ふっと鼻で笑うだけだった。
「落第確定とでも思われたかな?」
「入試に対する姿勢も採点されるなら、落ちていたでしょうね」
「でも、テストは満点だよ。その場合どう判断するか見ものだね」
「なんで満点だってわかるのよ?」
「あの程度、満点以外ありえる訳?」
当然のように言い切るプロディージに、眉根を寄せる。
通学年数が最低ラインとなる十六歳からの入学試験は、かなりの難問だ。それは既に学園に通う同級生達と肩を並べられるか計る為であり、また学園での積み重ねがない分、より実力を試されるのだ。入学する為の最低正解数が二十パーセントなあたり、問題の難易度は卒業試験とそう変わらないのではないかと思う。
それをあの程度と判断し、満点以外ありえないと言い切った。優秀なのは知っていたが、なんて奴だ。
「……ありえたら、いけないの?」
「しょうがないなぁ。九十五パーセントくらいまでは見逃すよ」
「たいして変わらないじゃない」
ジリジリと睨みつつ、内心冷や汗を流す。メルローゼが正解か自信がない問題が、ちょうど片手の数ほどあった。それを落としてしまえば、プロディージの最低基準ギリギリである。単純なミスがあるかもしれない事を考えれば、正直危うい。
少しだけでもテスト勉強をしていればよかったと後悔するが、もう遅い。せめてプロディージの基準以上でありますようにと願うばかりである。
そんなメルローゼを察したのか、ジトリと睨まれ、呆れたように溜息を吐かれてしまった。とても悔しい。
「……まっ、周りはなんでもいいよ。僕が取るのは満点以外ありえないけどね。君だって入学試験はダメでも、クラス分けテストくらいなら余裕でしょ?」
「上位には喰らいつくわ」
「ん、それならいいよ」
そう言って細めた目が嬉しそうだったから、頰を赤くして、それがバレないようにさっと視線を逸らした。
何故、そんなに嬉しそうなのか。たとえ同じクラスになったとしても、元婚約者となんて気まずいだけだろうに。
その意味を探ろうとしたが、メルローゼの都合のいい考えしか思い浮かばなかったから、考えるのをやめた。
――だってそれは、絶対にありえない話だ。酷い言葉をぶつけてこなくなった、プロディージでは。
「んじゃ、もうひと眠りしておきたいから、また膝貸して」
「うっ、し、仕方ないわねっ!」
「そうそう、仕方ない訳」
くつくつと笑いながら隣に移動してくると、行きと同じようにメルローゼの膝を枕に、ゴロリと横になる。触れる体温を意識しないように視線を窓の外に投げかけていれば、やがて眠ったようで、寝息が規則正しくなった。
メルローゼはそちらを見ないようにしながら、彼の貴族としては短めの髪を、手慰みに梳いていた。それでも起きる気配は全くないのだから、よほど眠り足りないらしい。だから遠慮なく、そうやって秘めた触れ合いを楽しむ事にした。
そうしながら思うのは、先程までいた学園の事だ。
島都にはペクーニアのタウンハウスや商店があるので、年に何度も来ていた。
学園は王城の次に大きく広いので当然見た事があるし、近くを通った事も、制服を着た学生を見た事もあった。
メルローゼは婚約期間中、プロディージと共にあの学園に通う二年間を、とても楽しみにしていたのだ。
一緒に授業を受けて、社交の合間に週に何度かお昼休みを過ごしたりして、たまに放課後は制服を着たままデートなんて出来るだろうかと、そんな甘い学園生活を夢見ていた。
冷静に考えてソフィアリアのいないプロディージとなんて、そう楽しく過ごせる気はしないが。それでも、婚約者の義務として共に過ごし、仲は良好であるように振舞ってくれるだろうと思っていた。きっと外面はいいはずだから。
そこで少しでもお互いに歩み寄れたら……なんて考えていたら、このザマである。結局夢は夢として、儚く散って終わってしまった。
それでも――
「ねえ、モード」
「はい、なんでしょうか? メル様」
「私ね、やっぱりもう一度だけ、頑張ろうと思うの。……それでいいと思う?」
不安げに反対方向にいるモードに視線を投げ掛ければ、モードは優しく笑って、やんわりと首を横に振った。
「いいか悪いかは、メル様がご自分で、お決めにならなければならない事ですわ」
「そっか……そうよね」
「私は、メル様が幸せになる未来を、なによりも願っております。あなた様の道に、幸多からん事を」
「ふふ、ありがとう。じゃあ私、頑張ってみるわ」
決心を固めた目は力強く輝き、不敵な笑みを浮かべれば、モードはそんなメルローゼを眩しそうに目を細め、頷いてくれた。
*
ソフィアリアは言っていた。初恋をやり直せばいいと。
ソフィアリアはメルローゼがラクトルに懸想していると思っているようだが、それは違う。メルローゼにとってラクトルは――ラクトルとデイビーの二人の関係性が理想で、はじめて抱いた憧れだった。
将来継ぐペディ商会をより成長させる為の努力を惜しまないラクトルの姿勢と、そんな彼を支えて時には並び立つデイビーの関係性は、幼心に強烈な輝きを残し、惹かれた。自分も将来結婚する相手とは、あんな風になりたいと、そう思ったのだ。
今もその考えは変わっていない。そしてその夢を叶える場所はセイド領が――プロディージの傍がいい。
必死にセイド領を建て直し、大きく発展させようと努力しているプロディージの傍らで、メルローゼが支えながら、その方法を一緒に考えていきたいという夢は、そう簡単に諦められやしないのだ。
「完成です。お綺麗ですわ、メル様」
心の問いかけを終えたメルローゼは、モードの弾んだ声に、ゆっくりと目を開ける。
鏡には、朝から大屋敷の侍女達に丁寧に磨かれたメルローゼの姿が写っていた。いつも通りの夜会仕様……いや、身に纏うモノトーンのドレスだけが、唯一見慣れないものだ。
プロディージが髪に刺してくれた赤を身に付けていないその姿に、ギュッと心が締め付けられる。
「ふふ、どこを直しましょうか?」
それが不満と捉えられたのか、モードに優しく気を使われ、他の侍女達は何か間違えたのかと表情を曇らせていた。
侍女としての仕事に慣れていない彼女達の前で考え事はするべきではなかったと瞬時に反省して、慌てて首を横に振る。
「ううん、これがいいわ。ありがとう、みんな。ここの侍女の腕は最高ね!」
そう言ってニコッと笑みを浮かべると、ほっとしたように表情が和らぐ。その事に、メルローゼも安堵した。
立ち上がってもう一度軽く身なりを整えた後、そろそろソフィアリア達は待っているだろうと思い、玄関に向かう事にする。
夜会への参加は初めてではないが、プロディージがエスコートを申し込むと予告していた為、いつも以上にドキドキしていた。
だって初めて共に参加する夜会なのだ。それがこんな事になるとは思わなかったが、それでも、心はどうしようもなく騒いでしまう。プロディージへの想いを隠せない素直な自分の心は、嫌いじゃない。
プロディージがエスコートを申し込むと言ったのは甘い理由からではなく、未練を断ち切ってメルローゼとの関係を全て清算する為だと思うとズキリと胸が痛むが、だったらメルローゼも、ここで今までの関係を終わらせようと決意していた。
全てを終わらせて、また最初からはじめる為に。
学園でその顔の良さと注目のセイド家嫡男という地位でモテるだろうプロディージを狙うその他大勢の女と肩を並べる事になるのは癪だが、絶対に選ばれてみせる。その為の努力は惜しまず全力でぶつかると、自分に誓ったのだ。
学園での二年間がメルローゼの今後の幸せを左右する、そんな予感がしていた。
やがて辿り着いた玄関で言い争うプロディージと代行人に割って入れば、正装姿でいつもより煌びやかなプロディージは、こちらへ駆け寄ってくる。
「ペクーニア嬢。今宵のエスコートは私に委ねていただけますか?」
そう言って柔らかく微笑む顔に、自分は特別なのではないかと錯覚してしまうのだから、罪作りな男だ。
手を重ねれば指先に口付けられ、いよいよ鼓動が不規則に跳ねる。なんとか表情は保てたが、胸は高鳴りっぱなしだ。
元婚約者という不利な状況だから、先んじる事くらいは許してほしいと、心の中でまだ見ぬ恋敵達に詫びた。
*
大屋敷から島都のタウンハウスに戻る馬車の中、メルローゼは薔薇の花束を抱えながら、悶え苦しんでいた。
誰もいない馬車の中の座席で仰向けに寝転び、パタパタと落ち着きのない様子は、淑女とは程遠い。けれど、今この時ばかりは許してほしい。幸せで、どうにかなりそうなのだ。
色々あり過ぎてついていけない夜会もとりあえず終わりを迎え、大屋敷の中庭でプロディージに宣戦布告まがいの告白をすれば抱擁と共に了承され、しかも婚約解消はフィーギス殿下の尽力で免れており、継続という形に落ち着いたのだという。
実はプロディージに昔から愛されていたというのは青天の霹靂だったが、そう思うと今までの言動の意味も覆されて、どれだけ愛されていたのかと、考えを改めるばかりだ。
それだけでも多幸感でどうにかなりそうだったのに、なんと先程、プロポーズをされた。ちょっと色々追いつけなくて、頭が真っ白とはこの事かと思考を明後日の方に飛ばしていたのは内緒である。
今日うちの両親に許可をもらいにくるらしいが、まあ決まったもの同然だろう。メルローゼは、家族に愛されているのだから、メルローゼの望みを叶えない訳がない。
とりあえずまだ籍だけだが、あと数日、プロディージの誕生日に入籍する。もうすぐ初恋の男の子と結婚し、人妻になるなんて、落ち着いていられないのだ。
「あっ、そうだわ! ディーの誕生日に、セイドのお屋敷に泊まる許可も取らないとね! 結婚した最初の夜は『初夜』だもの。ふふっ、ディーと添い寝なんて、心臓は持つかしら?」
楽しみで、幸せいっぱいだ。ふわふわな気持ちが一向におさまらなくて、はぁーと熱い息を漏らした。
――初夜がどんなものか知らず、のこのこやって来たメルローゼに結婚初日から忍耐を試される事態に陥る事を、プロディージはまだ知らない。
「ディーのお嫁さん……。という事は私はもうすぐメルローゼ・セイド? ――〜〜っ‼︎」
顔を手で覆って、バタバタと足をバタつかせる。しばらくそうやって、幸せな余韻に浸っていたのだった。
それからだいぶ経って、もうすぐペクーニアのタウンハウスに着くという頃。座って窓の外を眺めていたメルローゼの目に、大きな学園の建物が見えてきた。
その建物を見ながら、ふっと不敵に微笑む。
「悪いわね、ディー狙いのみんな。彼はもう私だけの旦那様だから、誰にも譲ってあげないわ」
そんな人、まだ空想上にしかいないけれど。でも必ず恋敵は現れると思うので、先に勝利宣言をする事にした。
「一緒に授業を受けて、社交の合間に週に何度かはお昼休みを過ごして、週に一度はデートをする相手は、私で決まったの。だからディーに振り向いてもらう努力は、時間の無駄よ」
その宣言には、もちろん答えなんて返ってくる事はないけれど。
きっとメルローゼの学園生活は、楽しく素晴らしい思い出で彩られるのだろう。
そんな未来が本当に楽しみで、思わずギュッと、薔薇の花束を抱き締めた。
プロディージは失恋ざまあされるというミスリードを狙った為、わかりにくかったメルローゼのお話でした。
「想いの告白7」で突然意見を翻したなと思われたかもしれませんが、最初から言われた通り、全部やり直そうとしています。
全部清算してまっさらな気持ちでやり直すという信条を掲げたせいで、誤解したプロディージとソフィアリアには諦めたのかと思われてましたが。二人にはいい薬だったのではないでしょうか。
初夜云々というのを知らないのは、家族に溺愛された箱入り娘なせいです。結婚するのだから母親は教えないのかと思われるかもしれませんが、現在は籍だけなので、まだ黙ってます。プロディージへの小さな嫌がらせなのかもしれませんね。




