空っぽの部屋
「聖都?島都?デート!5」〜「出来損ないの双子1」の間あたり。プロディージ視点。
『拝見プロディージ・セイド様。この手紙が届く頃には、冬の季節なのでしょう。何かと慌ただしい時期ですが、セイド家四人の皆様は、健やかにお過ごしでしょうか?』
『――――もうすぐ島都学園の入学試験ですね。メルローゼと三人で会えたらいいなと思っておりますので、一度大屋敷にお顔を見せに来てください。検問所で弾かれてしまった場合は、わたくしの方から検問所の方に赴きますので、担当の者に事付けてくださいね。試験当日は連絡を受け取り次第、直ちに下に降りられるよう、待機をしておきます。事前に時間を決められればよかったのですが……』
『――――こちらは王鳥様と代行人様に愛していただけて、毎日幸せに暮らしておりますのでご安心ください。セイド家四名の安寧を、この大屋敷から心よりお祈り申し上げております。また会える日を楽しみに願って。ソフィアリア』
色々とツッコミどころ満載の手紙を読み終えてくしゃりと握りつぶした後、プロディージは腰掛けていた木組みだけのベッドに疲れたように倒れ込む。
背中に感じる固い感触に、ベッドは残しておけばよかったのにと心の中で姉に悪態をついて、イライラとした気分を紛らわせるように、貴族として見れば短めの髪をガシガシと掻きむしった。
プロディージが今居る部屋は、何もなくなった姉の部屋だ。残しておけばいいと再三言ったのにもかかわらず、姉はプロディージの言葉をまるっと無視して、売れるものは売り払い、処分するものはきっちり処分してから、大屋敷へと旅立っていった。
こちらの内々の計画は一切察していないだろうに、随分とご丁寧な事だ。或いは無意識のうちに、何かを感じ取ったのか……もしくは神様に捧げられる生贄気分でいるのか。
この国の王太子殿下が隣国の王女殿下と運命の出会いを果たし、姉の側妃の道が潰えてほっとしていたら、もっと格上の王鳥に召し上げられるのだから、本当に姉は意味がわからない。たかが男爵令嬢の癖に、一体どこまで特異な存在へと成り上がるのだ。プロディージの手の届く範囲で姉をしていれば、それでいいものを。
そんなままならない現状を憂いていたら、つい手に握ったままの手紙がぐしゃりと悲鳴を上げる。その音で手紙の内容を思い出し、深く溜息を吐いた。
姉から送られてくる手紙で内容がまともだったのは、最初だけだった。二回目以降からは違和感を感じるようになって首を傾げ、最近ではどこから突っ込めばいいのかわからないくらい、悪化している。
どうやら姉は先生に言われた通り、フィーギス殿下に会い、不審な行動をとって気を引いているらしい。
ただでさえ姉が王鳥妃なんて選ばれたせいで、セイドには多くの密偵が潜り込むようになったのに、最近ではその質が、格段に上がっている。別に見られて困るものはこの屋敷にはないが、王家からだろうが、無断で内部に侵入されるのは、不愉快極まりない。
密偵を放つくらいなのだから、当然手紙だって検められているのだろう。しかも見るだけではなく抜かれているようで、内容が噛み合わない。
今回の手紙でいうと、試験が終わればメルローゼと共に大屋敷に訪問する事は再三伝えてあったにもかかわらず、プロディージが無視をしているような言い草をされた。なんて理不尽だ。
まあ試験の日にメルローゼと二人で訪問する予定は、大幅に変更になったのだが。その理由を何度も問いただしているのに、返事が返ってきた事は一度もないどころか、触れる事すらない。色々大丈夫なのかと問いたい。
大体、王鳥と代行人に愛されているとはなんだ。いつからこの国は二夫一妻なんて認められた。代行人の意思はないはずだから、どちらも王鳥ではないのか。
大事にされ幸せにやっていると見ても安心するどころか、よりイライラが募るだけだった。
それに、セイド男爵家四人という言い方は正しくない。まだ婚約中だから、ソフィアリアだってセイドの人間だろう。婚約中なのに大屋敷に来るよう命令してきた王鳥のせいで、もう嫁いだ気でいるというのか。
「お兄しゃま〜? こちらでしゅの〜?」
と、考え込んでいる最中に気の抜ける舌足らずな声音と共にひょっこり現れたのは、最近の唯一の癒しである妹だった。姉とそっくりなのは気に食わないが、やましい事も憎たらしい所もなく、無邪気でありながらそこそこ賢い歳の離れた妹は、素直に可愛がる事の出来る貴重な存在だ――それをメルローゼに向けられない現状は、本当にどうにか改善しなければならないのだが。
プロディージは寝転んだまま、クラーラに目線だけ向ける。
「……どうかした?」
「あっ! お兄しゃまはっけん!」
クラーラはプロディージを見つけ、ぱっと表情を明るくすると、とてとてと近寄ってくる。その手には、何やら小さなバスケットが握られていた。
よいしょと言ってベッドに登ってくると、プロディージを覗き込んできた。
「あのねあのね、あさに見かけたお兄しゃまのここがしわしわ〜ってなってたからね、しわしわを伸ばしたくて、今日のおやつはクーがつくったの! 焼きたてのクッキーでしゅのよ?」
そう言ってトントンとプロディージの眉間を指で突き、手に握っていた小さなバスケットの中身を見せてくれる。
小さなバスケットの中身はクラーラの言った通り、クッキーだったようだ。最近お気に入りの鳥の型を使ったらしく、バスケットの中にはたくさんの鳥型クッキーが羽ばたいていた。大粒の砂糖やドライフルーツが散りばめられたもの、白っぽいものはミルクで、茶色がかったものは紅茶だろうか。
朝といえば、手紙を受け取った頃だ。姉から送られてくる手紙がどこか憂鬱で、イライラしていた記憶がある。
それをクラーラは見ていて、機嫌を直してもらおうとクッキーを焼いてくれたようだ。プロディージは甘いものが好きなので、クッキーをプレゼントすれば笑顔になって喜んでくれる。そう願いを込めて、一生懸命作ってくれたのだろう。
今見たくもない鳥型なのは少々気に入らないが、それを理由に幼い妹の優しさを無碍にするような真似はしない。姉かメルローゼならやりかねないが、クラーラは二人とは違い、プロディージが庇護すべき存在なのだから。
だから口角を上げて、クラーラを抱き寄せる。胸の上できゃっきゃと楽しそうに笑うクラーラもだいぶ重たくなってきたなと、そう思いながら。
「ちゃんと母上と作った?」
「うん! 火は一人ではつかわないお約束、ちゃんとまもったわ。えらい?」
「えらいえらい。美味しそうなクッキーをありがとう」
「しわしわは、ポイってできた?」
「クーのおかげでね」
「よかった〜!」
そう言って笑顔でゴロゴロと戯れてくる妹は可愛いものだ。髪に手を伸ばして、さらさらとした髪を手慰みに梳いてあげた。
しばらくそうして癒しのひとときを過ごし、じっとそうしているのにも飽きたのか、クラーラはむくりと半身を起こし、キョロキョロと部屋を見渡す。
「お姉しゃまのおへや、すっきりさんになったね〜」
しみじみとそう言うクラーラの言葉に、つい眉間に皺を寄せてしまう。それを見たクラーラは「あー!」と叫ぶと、せっせと皺を伸ばそうとしていた。
ほんのちょっと誰かに愚痴りたい気分だったプロディージは、目の前の幼子に、心情を託す事にした――そう判断してしまうくらい、当時のプロディージは参っていた。
「これじゃ帰ってきたら、また一から揃え直しだよね。まったく、無駄金使わせて」
「ん? お姉しゃま、おとまりにくるの?」
「……王鳥様が人間の結婚ごっこに飽きたら、姉上はここに帰ってくるしかなくなるからね」
きっと、そうなのだ。神様である王鳥の伴侶なんて何かの気まぐれで、今はまだその真新しい関係を楽しんでいるようだが、どうせすぐ飽きて、姉は解放される。
解放されたら、それはもう出戻りと同じ扱いになるだろう。神様の元妻という嫌な付加価値が付くが、神様の次の伴侶なんて畏れ多いだろうという言い訳を使えば、次が慎重でも許されるはずだ。
あとは予定通り、セイドで囲ってしまえばいい。姉が王鳥妃なんてものに選ばれたせいで、セイドは名が広まっていて、良くも悪くも多忙だ。手伝って欲しい事は山のようにあるのだから、次の結婚なんて考える暇はない。
そうやって、プロディージとメルローゼの補佐をしていればいいのだ。その未来の為に部屋は残しておいてほしかったのに、この有様。
買い直しなんて余計な手間を掛けさせてと憤慨したが、まあ姉のおかげでセイドは潤うのだから、仕方ないから許してやろう。前より質のいい家具でも揃えればいい。
そう自分に言い聞かせてうんうん頷いていたのだが、クラーラは理解出来ないのか、こてんと可愛く首をななめにしていた。
「お姉しゃまはかえってこないわ。だっておーとりたまとだいこーにんしゃまと、ラブラブなんでしゅもの」
「そんなの今だけだよ。神様は気まぐれだから、飽きてポイってされるに決まってる」
「でもでも、おふたりは神さまだから、ずっと一緒のおやくそくは、守ってくだしゃるわ」
「クーは姉上と、もう一緒に居たくない? 嫌いになった訳?」
「まさか! と〜っても大好きよ! でもお姉しゃまはおーとりたま達と一緒がしあわせなら、クーはさみしいの、がまんできるもん」
えらい?と得意げな顔をするクラーラの頭を撫でて、曖昧に笑う。どうやらメルローゼとは違い、クラーラは姉が帰ってくる事を望んでいないらしい……帰ってこないなんて未来、プロディージは認めないが。
「でももうちょっとでお姉しゃまに会えるの、楽しみね〜。いっぱいばしゃでパカパカするの、ワクワクしゅるわ!」
「じっとしてるの、苦手なくせに。……姉上からの手紙に、その話は書いてあった?」
「ううん。お父しゃまもお母しゃまも、首をこてんってしていたよ。お姉しゃま、うっかりしゃんね〜」
まるで子を案ずる母のような顔をするから苦笑しつつ、やっぱりクラーラ達もかと溜息を吐いた。
実は少し前に王命で、セイド男爵家全員はプロディージの試験に合わせ、聖都の大屋敷に来るようにとの通達を受けたのだ。セイドから離れた事がない父と、結婚後は同じくセイドから出た事がない母は動揺して、クラーラだけははしゃいでいたのだが、プロディージはとうとうかと渋面を作るしかなかった。十中八九姉のせいだろう。
その事をネチネチ怒ったのに、姉は一切触れてこなかった。これはもう、手紙を抜き取ったのは王家だと言っているようなものだ。しかも、姉達にも内密に、呼ばれているのではないだろうか。
冬は忙しいのに、本当に何をしてくれるのだと言いたい。セイドに人がいなくなるので入れ替わりで代官を派遣してくれるらしいが、どうせ密偵だろう。コソコソと忍び込んできた奴らは見つけて追い出したので、堂々とやってくる事にしたらしい。正直いくら王家が動き、やましい事はあまりないのだとしても、コソコソ探りを入れられるのはイラッとする。
「そっか」
「うん。……あっ! お兄しゃま、もうすぐメル義姉しゃまが来るおじかんだわ」
パチンと手を合わせて笑顔で言った言葉に、つい表情を強張らせる――まあ、一瞬で取り繕ったが。
「……そう、だね。クーも一緒に居る?」
「ううん! ごあいさつはしゅるけど、クーはおじゃまだもの。おふたりで、イチャイチャしてね?」
そう言ってニコニコ笑顔になったクラーラはプロディージの上から飛び起きて、パタパタと駆けて行ってしまった。ああやって走り回るのは令嬢らしくはないが、元気がよくて何よりだ。
プロディージも半身を起こし、憂鬱そうな溜息を吐きながら、短い前髪を掻き上げる。
姉が行ってしまってから、メルローゼと二人きりになるとどう接すればいいのかわからず、喧嘩ばかりしている。
ここ最近は特に酷いもので、そのうち愛想を尽かされそうだとわかっているのに、長年のクセを直す事が出来ず、会えば焦燥感に苛まれるばかりだ。
顔を見たくて仕方ないのに、嫌われるから会いたくない。そんな矛盾した感情を抱え、余計イライラする。
――こんな時、姉が居てくれたらいいのに。
そんな甘えた気持ちを振り切って、立ち上がる。
部屋から出る直前、扉に手を掛けながら振り返って、姉がよく座って勉強をしていた机があった場所に、目を向ける。
『あらあら、どうしたの、ロディ? またメルと喧嘩しちゃったのかしら? もう、いけない子ねぇ』
そう言って困ったように笑う姉の幻影が、一瞬見えた気がした――現実は、もうその机すらなくなり、姉の気配が消えた、空っぽの部屋しかないのだけど。
意思疎通の困難な手紙とセイドに押し寄せる密偵、理由不明な召集に空っぽの部屋――そして帰ってくる気のなさそうな姉の様子にイライラしていたプロディージはこの日、メルローゼに対して決定的な間違いを犯す。
やがてそれは婚約解消騒ぎに発展するのだが、この時のプロディージはまだ、知らない事であった。
反抗期のボーイである可愛くない弟くんの、ソフィアリアへの甘えと悪態で複雑な胸の内でした。嫌いなのに手放せず、居なくなった後も面影を探して何もなくなった部屋に入り浸り、早く帰ってこいと願う。反抗期とは複雑なものです。
エピローグでチラッと出てましたが、ソフィアリアとは別ベクトルで、クラーラに対してもシスコンです。
ソフィアリアには甘えと執着を、クラーラには優しく溺愛しています。
そうやって庇護者には素直に溺愛するから、メルローゼとはますます拗れるというどうしようもない子です。




