満月の初デート 4
島都をしばらく飛んで、やがて海に出たらしい。
空は満天の星空に明るい満月。満月が海水面に反射して、波がキラキラ輝きながら月が二つあるかのような幻想的な光景は、この世のものとは思えない程美しかった。
「綺麗……」
思わずほぅっと感嘆の溜息を吐く。
「フィアは空を飛ぶ事、怖いと感じていないか?」
「全然。むしろ楽しくて、風になった気分だわ! 乗せてくれて本当にありがとう、王鳥様、リム様」
目の前の光景から目が離せないままそう言うと、いつもより抑えの効かない声音に気付かれたのか、ふっと笑われた気がした。
「なら、これはどうだ? 俺は好きなんだが、怖かったらやめるから言ってくれ。――王、少し防壁を解いてくれ。いつもの十倍は薄くだぞ」
「ピピィ」
機嫌よさそうな、少し悪戯っぽい声音でそう言うオーリムと王鳥にきょとんとしていたら、フワリと微かに風と揺れを感じて驚いた。思わずギュッとオーリムの胸元にしがみつく。
「……ビックリした。本当は空を飛ぶってこんな感じなのね?」
けれどそういうものかと理解したら、この感覚にもすぐに慣れた。それどころか先程までよりもより楽しいと感じてしまい、頬が緩むのを抑えられない。
ふわりと優しく髪が舞い、ドレスの裾が翻る。そよ風に吹かれるような風圧で、海の上だからか風にほんのり潮気を感じる。揺れは人間の深呼吸くらいだろうか。十倍は優しくと言っていたので、実際はこんなものではないのだろう。
「怖くないか?」
「先程よりもずっと楽しくなったわ! むしろもっと強くても大丈夫よ?」
「……これは騎族でも嫌な奴は嫌なんだかな。でも、これ以上はダメだ。平気だと思っていても、陸に降りた途端腰が抜ける。だから……徐々に慣らしていこう」
その言葉にバッと勢いよくオーリムを見る。オーリムはソフィアリアを見ていたのか、急に視線が合って目を見張った。
「また乗せてくれるの?」
「あ、ああ……。王も喜ぶ」
「嬉しい! 次はもっと強くお願いね?」
いつもは落ち着いていて穏やかな微笑を浮かべるソフィアリアが子供のようにはしゃぎ、目をキラキラ輝かせて頬を上気させ、満面の笑みを浮かべている。本人も無意識らしいその表情に、オーリムも顔を赤くして、頬が緩むのを止められなかった。
「……もちろんだ」
その返事に満足してソフィアリアはにっこり笑って、前を向く。
素晴らしい景色に囲まれて、束の間のような幸せな気分に浸って、世界にはここにいる三人しか居ないような錯覚を覚える。
誰も居ないなら、聞きたい事と話しておきたい事があった。なんとなく今が、そのタイミングだと思った。
ソフィアリアは前を向いたまま、オーリムの方を見ないように口を開く。
「ねえリム様。フィーギス殿下……いえ、執務室に集まった皆様と、わたくしの事をお話したでしょう?」
そう尋ねると、オーリムがグッと息を詰まらせているような気配を感じる。隠し事が苦手なんだなとつい苦笑してしまった。
「いいの。疑われるような事をしたのも半分わざとだもの。どうせすぐにバレるのだから、早い方がいいと思って。……どういう結論が出たのか、聞いてもいいかしら?」
「それは――――いいのか? 王」
オーリムは躊躇ったようだが、王鳥が後押ししてくれたみたいだ。なら、オーリムが話した事を咎められる事はないだろう。
とりあえず先んじて、結果を予想し並べておく事にする。その方が言いやすい筈だ。
「大体は予想出来るもの。男爵令嬢のクセに高位貴族に取り入ろうとする守銭奴。人を籠絡する悪女。……王妃の座を狙う身の程知らず。さて、どれかしら?」
「そんな事は誰も言ってないし思ってないっ! ……わかった。話すから自分の事をそう悪し様に言うのはやめてくれ」
そんなところだろうと思ったが、全力で否定されてしまった。少し予想外で、でもちょっぴり嬉しい。少し泣きそうになる。
――それから、執務室で何を話したのかを教えてくれた。
王鳥がソフィアリアに対する見解を聞きたがった事。
人心掌握術に長け過ぎていて少し怖いけど、不快にならない距離感を見極められる凄い人だという事。
不自然なくらい聡明だけど、どこに嫁いでも困らないよう身を守る為だったのだろうと結論付けたという事。
覚えた知識は王妃教育レベルだろうと推測した事。
デビュタントで一番目立っていたという事。
あえて目立って自分を競売にかけたのだろうという事。
自分を切り売りしてろくでもない貴族に嫁ぐハメになってでも領を立て直したかったのだろうという事。
そして――王鳥妃なんて無茶苦茶な事を受け入れて色々考えてくれた、聡明で自分にはもったいないくらいよく出来た、穏やかで優しい、素敵な貴族のご令嬢だという事。
ここに連れてきてしまって申し訳なかったけれど、それで君を救えたならば、こんなに嬉しい事はないという事――
ソフィアリアが嫌な思いをしないように柔らかく言った部分も、ぼかして言っている部分も、好意的な言い回しで誤魔化した事もあるのだろう。そのくらい優しくて、美化し過ぎていると思った。
そんなものではないのだ。ソフィアリアは健気だと褒め称えられるような立派な人では、絶対にない。
胸が苦しくなる。こんな気持ちになるくらいなら、手酷く罵倒される方がまだマシだと思ってしまった。
でも……卑怯なソフィアリアの心は、その優しさに救いを感じてしまう。そう感じる自分が嫌だった。
「王も俺も、フィアに悪意なんて感じていない。むしろ……好意を感じているんだ。俺ももう何度、この少ない時間の中で君の言葉に救われたかわからない。だから二度と、俺達の大切な人を悪く言わないでくれ」
辛そうな声音に言葉が詰まる。お礼を言って、その言葉に甘えてしまいたくなる。
けれどそんな事、許せない。
甘えてしまわないように一度深呼吸して、己を律する。その息が名残惜しいとばかりに震えているのは、見なかった事にした。
「……少し辛いけれど、わたくしの昔話、聞いてくれる?」
「無理はしなくていい」
「いいえ、知っていてほしいの。……本当はここに居ていい人間ではない、我儘で愚かな、お姫さま気取りの女の子の昔話を――」




