エピローグ〜恋の結末〜 7
空を飛ぶ王鳥はいつにも増して上機嫌だなと、背中に乗せてもらいながら思う。
オーリムの腕の中、ソフィアリアも先程の甘い甘い時間の余韻に浸り、ふわふわと締まりのない表情を晒しながら、それをひしひしと感じていた。
「ふふふふふ、ねえラズくん? 久々のお空のお散歩、とっても楽しいわねぇ。ふわふわ舞う雪の中を飛ぶのって、とってもロマンチックだわ。ねえ、王様?」
「ピ!」
王鳥と二人、幸せいっぱいという感情を隠しもしないのに反して、振り向いて声をかけたオーリムはギュッと眉間に皺を寄せ、不機嫌そのものだった。誕生日にそんな顔をしているのがもったいないと思ったので、そっと腕を伸ばして皺を伸ばそうとする。突然の接触により少し赤くなったものの、残念ながら機嫌は治らないようだ。
「こんな特別な日に、そんなお顔をしないでくださいな。ラズくんもお好きにどうぞって言ったじゃない。わたくしは、いつでも受け入れるわ」
「そっ、そういう事は軽々しく言うなっ! ででで、出来るかっ⁉︎」
出来ないらしい。色々としょんぼりである――こういうやりとりも何度目だろうか。
オーリムが照れ屋なのは前からだし、今は機嫌が悪くて当然だと思う。
セイドベリーのワインを楽しみにしていたのに、呑む直前で王鳥に身体を奪われて先に呑まれ、あろう事かそのままソフィアリアと甘い時間を過ごしはじめ、意識はあったものの……いや、意識はあったからこそ、オーリムの身体で好き勝手していた王鳥に、怒り心頭なようだ。特にああいうイチャイチャは、オーリムからはまだ出来そうもないから、羨ましくて妬ましいのだろう。
ワインは身体を返された時に呑めたものの、その直前までソフィアリアとあんな事をしていた記憶があるせいで、照れ屋なオーリムが冷静にワインを楽しめるはずもなく、動揺を抑えきれなかったので、楽しみだったワインも一杯だけ呑んで、明日以降に持ち越しとなった。
イチャイチャの方はソフィアリアから何度も誘っているが、冷静ではない今は安易には触れられないらしい。そんなオーリムをあの手この手で慰めようとしているのだが、効き目なし。おかげでソフィアリアは初心な男の子を翻弄する、経験豊富なお姉さんにでもなった気分だ。
無駄に頭と口が回るし、恋する二人には何をされてもいいと思うのは本心だが、その実態は案外普通の感性を持っている、十七歳の小娘である。ソフィアリアもまだまだ恋人らしい触れ合いには慣れず、心臓が壊れそうなくらいドキドキしっぱなしなのに、何故翻弄する側に立たされているのか。
年頃の娘として、恋愛脳が欠点だと言い切られた女として、好きな人に迫られてドキドキというのを味わいたいのに、なかなかうまくいかないものだ――いや、王鳥のおかげで味わえているが、オーリムからもと思うのは贅沢だろうか。
「……で?」
「なあに?」
「王を好きになった理由は聞いた。だったら、その、俺の方はどうなんだ?」
口をへの字に曲げて不機嫌そうに、でも目だけは期待を込めてそんな事を尋ねてくるものだから、つい可愛いと思ってしまう。自然と笑顔になるのは仕方がないではないか。
イチャイチャもそうだが、好きになった理由を王鳥に告白した事も羨ましかったようだ。オーリムも当然知りたいらしい。
だから、正直に白状してしまう――ますます不機嫌になりそうな、その理由を。
「だってラズくんってば、ずっと素直で可愛いんですもの」
「可愛いっ⁉︎」
「ええ、そう。可愛いの。だからラズくんは、みんなから可愛がられているでしょう?」
首を傾げてそう問えば心当たりはあるようで、少し嫌そうな複雑な表情をしていた。
その様子にくすくすと笑いながら、言葉を続ける。
「ラズくんって物言いはぶっきらぼうで少し素っ気なくて、他人を寄せつけたがらないけれど、接してみるとまっすぐで素直だわ。特にわたくし達のような貴族は、腹の探り合いと足を引っ張って相手を出し抜く方法ばかり学ぶから、裏表のない素直な子に好感を抱きやすいのよね」
ここに来たばかりの頃、無表情で冷たい印象を受け、更に第一声が「高いな」と身長を揶揄するような物言いだったので――誤解だと後に弁明されたが――、オーリムに対して、少々取っ付きにくそうな印象を受けた。
前を歩く後ろ姿を見ながら、神秘的な雰囲気を纏うこの人も、王鳥と同じく将来の旦那様だと意識して胸を高鳴らせたりもしたが、仲を深められるかは未知数だと思っていたのだ。
けれど、そんなの最初だけだった。話してみるとわかりやすく素直で、少し照れ屋な純粋な少年でしかなかったのだ――貴族どころか王族より上の地位に居ながらその性質を持ち合わせているのが、不思議なくらいに。
「俺が好感を持たれやすいなんて、初めて言われた」
「ラズくんの周りでいうと、プロムスだけは手のかかる息子のような純粋な庇護欲を感じているように見えるけれど、王様やフィー殿下やラス様は、ラズくんが可愛くって仕方ないんじゃないかしら?」
「やめてくれ、気持ち悪い。……王以外はみんな友人だと思っているが、俺は助けられてばかりだ。面倒ばかりかけているのに、好感を抱くのか?」
「ふふ、残念。逆よ? 好感を抱いているから、面倒事だって許してしまうの」
そう言ってもよくわからないのか、不思議そうな顔をしているだけだから、つい口が軽くなってしまう。ソフィアリアも人から変に崇拝されやすいが、オーリムだって負けないくらい人たらしだなと、そう思いながら。
「貴族としての教育を受けていると、どうしても捻くれた物の見方をしてしまうのよね。爵位と領地という大きなものを預かり、そこで暮らす人々の安寧を守るという重責を背負うならば、それは仕方のない事だわ」
貴族とは、他国では領地を持たない名誉職の場合もあるが、このビドゥア聖島では爵位と領地はワンセットだ。たとえ男爵位の末席だろうが、領地を与えられ、統治を義務付けられる。
まあ、下位貴族だとセイドのように、辺境の小さな村という狭い範囲のみの場合が多いが、狭くても領地で、住んでいる領民が一人でもいる限り、人の安寧を守る事にはかわりない。領地の広さや人口の数は関係ないのだ。
「まあ、領民の代表だしな」
「ええ、そうね。そうやって人の上に立っているのだから、領民の為にも侮られる訳にはいかないの。まあ何か勘違いして、自分は偉いのだってふんぞり返って、貴族以外は人間扱いしない、守るべき領民を駒扱いして蔑むようになる人もいるのだけど」
それは残念に思うが、むしろソフィアリアは、常々逆ではないかと思っている。貴族こそ、人間扱いされないのだ。
貴族とは、領地の安寧を守る為の駒だ。生まれながらに生活は保証されるものの、意思や行動は制限される。領地や領民を守る為なら、たとえ自分の意に反する事だろうが、行動しなければならない。そのわかりやすい例が、結婚だろう。貴族の結婚は、大なり小なり政略が伴うのだから。
税で暮らす事を許される代わりに、自分の意思を押し殺してでも領地や領民の為に尽くす駒。それが貴族だ。ソフィアリアから見れば、暮らしの為に働く必要はあれど、自由意思を許される平民の方がずっと人間らしく見える。まあこのあたりの考え方は、人それぞれかもしれないが。
「そういう教育を受けてきた人間は特にね、ラズくんみたいに素直でまっすぐな性質の人間に対して、教育がなっていないと蔑むか、眩しく思って羨むか、両極端の印象を抱くわ。わたくし含め、ラズくんの周りにいる人達は後者なの」
「たしかに人の上に立つ事は全く向いてないし、平民じみていると思うが」
「ええ、そうね。正直者で素直に感じたままを発言し、心のままに振る舞うし、少し口下手だから、言葉を飾ったり、お世辞を言う事も苦手。無理をしてもすぐにわかるわ。だから騙されやすく、言い含めるのが簡単なの。貴族には向かないわね」
「……否定はしない。でも欠点ばかりで、好かれる理由になるか?」
「今羅列した欠点は、貴族であれば、という条件がつくわ。ラズくんは貴族ではなく、代行人様だもの。王族より位は上だけれど、守るのは人々の安寧ではなく、物理的な安全だから、平民のような性質でも許される。だから欠点にはならないの」
反面、利点にもならないし、王族の上に立ちながら敬われる事もなくなるが、オーリムはそんな事気にしないので問題ないと思う。地位は高いが、周りからは弄られてばかりだ。
「そういう教育を受けてきたからこそ、飾れないラズくんの傍はどこか居心地がいいのよ。王族より上に立っていて、どうやっても地位では勝てないから、相手より自分の方が上だと無理をして自分を飾る必要もないし、素直でわかりやすいから、思惑を探る必要も、頭を働かせる必要もない。ありのままの姿で傍にいていいと許される、そんな存在なの」
「みんなにそんな風に思われていたのか?」
「ええ、きっとね。だからみんな、傍にいる事を許されたくてラズくんに構いたがるし、その場所を守る為に、庇護欲が湧く。そういう気分にさせてくれる、不思議な人よ」
素直でまっすぐな人間が代行人として立っているというのは、そういった意味では奇跡だった。一番その影響を受けたのは、フィーギス殿下ではないだろうか。
冷遇された王族という悪環境で生まれ育っていながら、多少卑屈なくらいで人間性に全く問題なく育っているなんて、それこそ奇跡だ。
幼少期に親代わりのような存在であり、教育を施していた先生ですら、捻くれた暴君にならないかと心配していたのに、次代の王として立派な思考や振る舞いを身に付けながら、この上なく善良で立派な次代の王として成長していた。それこそ、もしもの時は矯正用として派遣しようとしていたソフィアリアを不要だと判断するくらいに。
フィーギス殿下にとって大屋敷という絶対安寧の場所とオーリム達という友を得た事は、何よりの行幸だっただろう。そのうえ、最愛のマヤリス王女殿下という伴侶まで得られたのだから、隙がない。現妃さえどうにか排除出来れば、何の憂いもなく幸せになれると確信していた。
それは、王族では――未来の国王としては、非常に珍しい事だ。歴代の王族でも、あまり居なかったのではないだろうか。
「あまりピンとくるものがないが、みんなの助けになっていたならそれでいい。で? フィアもそうだったから、俺の事を、その、好きになってくれたのか?」
好かれる理由を聞かされて少し照れたオーリムは、本題を聞きたいとばかりに目を輝かせる。少し話が逸れてしまったが、オーリムが本当に知りたいのはそれなのだ。
ソフィアリアはニコリと笑って、言った。
「違うわよ?」
「違うのか……?」
「ええ」
熱弁した事を無関係と言った事で困惑させてしまったが、ソフィアリアは別にオーリムに安らぎを求めて好きになった訳ではないのだ。
「だってわたくしは、今まで貴族らしい生活をしていた訳じゃないもの。セイドに尽くしてきたけれど、どちらかといえば生活は平民寄りだったわ」
セイドにいた頃、ソフィアリアが一因で荒廃したセイドを立て直すのに奮闘したが、社交を一切していなかったので、貴族らしく振る舞う環境にいなかった。
いずれ資金を得る為の政略結婚をするつもりだったが、セイドにいた頃はのびのびと自由意思で動けていたのだ。だから貴族としての振る舞いに疲れ、オーリムに安寧を求める理由はない。
「では何故だ?」
「ふふ、ラズくんが言ったのよ? わたくしは周りに合わせてばかりで、自分というものがあまりないって」
ソフィアリアは愛おしげに目を細めて、オーリムをまっすぐ見つめた。
オーリムだって照れつつもまっすぐ見返して、それを受け止めてくれる。そういうところが大好きだなと、ますます好きになっていくのだ。
「そう言われてから気付いたのだけれど、わたくしがラズくんを好きになったのは、優しく受け入れてくれたからってだけじゃなかったみたい」
「そう思ってくれていたのか?」
「ええ、初めて告白した、あの満月の夜はそう思っていたわ」
半年程前、初めて王鳥に乗って三人で空を飛んだあの日。
ソフィアリアは自分の過去と罪を二人に告白し、安寧や羨望からは程遠い二人の隣で幸せになる事が罰だと、そう言って全てを受け入れてくれたオーリムに恋をした……つもりだった。
それも決して間違いではないのだ。きっかけはたしかにそれだったのだが、半年間一緒に過ごすうちに、別の理由も出来てしまった。
ソフィアリアはふわふわした気持ちを抱えながら微笑み、改めて告白をする。この表情に、オーリムが見惚れてくれたのを感じて、嬉しく思いながら。
「ラズくんは、わたくしをまっすぐ見つめて、本当のわたくしを探してくれたわ」
「……俺はフィアの事を知りたかっただけだ」
「そんなの、わたくしだってあまり理解していなかったのに。なのにラズくんは、わたくしよりも懸命に探してくれた。探して、見つけ出して、わたくしを形作ってくれたのよ」
どうやらソフィアリアは自分を押し殺して誰かの代わりだとか、周りの望むままに振る舞ううちに、自分というものをすっかり見失ってしまっていたらしい。ソフィアリアだって気が付かないくらい、無意識の事だった。それこそ、好きな食べ物すらわからなくなるくらいには。
それに気付いてくれたのがオーリムだ。ソフィアリアすら取りこぼした自分というものを、オーリムは懸命に拾い集め、ソフィアリアに返してくれようとしている。
オーリムはまっすぐで、ソフィアリアが好きだ。セイドで出会った頃の無邪気なソフィアリアを長年追い求めていたせいか、誰かの代わりや、意に反して周りの思惑通りに動くソフィアリアを、非常に嫌がる。ソフィアリアがソフィアリアでいられない環境を、許してくれない。
「わたくしよりわたくしという人間を求め、欲してくれるラズくんの事を、好きにならないのは難しいわ」
――そう言って浮かべた満面の笑みは……ふわふわ舞い散る雪と冬の澄み切った空気と相まってとても綺麗だった事は、オーリムとオーリムの目を通して見ていた王鳥だけが知っている。
オーリムは思わず手を伸ばし、ソフィアリアの頬を大事な宝物に触れるかのように、優しく包み込む。
「俺も、スラムの孤児でしかなかった俺を『ラズ』という人間にしてくれたのは、フィアだ」
その大きく筋張った硬い手に、ソフィアリアは柔らかく滑らかな手を重ねて、うっとりとしながら言葉を返した。
「見失っていた『ソフィアリア』という人間を、もう一度形作ってくれたのはラズくんよ。……ふふっ、わたくし達、お互いがお互いを補い合っていたのね?」
「夫婦ってそういうもんだろ? ……あっ、いや、俺はまだだけど、そう言ってくれて嬉しい」
「そう。ねえ、ラズくん」
「ん?」
見上げたソフィアリアの本質を暴こうとするオーリムの不思議な虹彩は穏やかで、つい甘えたくなってしまう。ソフィアリアがソフィアリアである限りなんでも受け入れてくれるオーリムの前だと、ソフィアリアはいつもこうだなと思った。
そんな自分は、嫌いじゃない。
「好きよ。わたくしはこれからももっと、ラズくんにも恋をするわ。王様とラズくん、二人の旦那様を求めるふしだらなわたくしを、ラズくんは許してくれる?」
周りから認められて当たり前のように二人に寄り添っているが、冷静に考えて、周りから見ればそう思われるのは少し気にしていた。
まあ咎められようが、悪人改め悪女と呼ばれようが、王鳥もオーリムも、離す気にはならないが。
オーリムはふっと笑って、珍しくこつりと額を合わせてくれた。
「俺はふしだらなんて思ってないが、王と二人だったら許す。むしろフィアが受け入れてくれて、感謝してる」
「ピ!」
「ふふっ、ありがとう。大好きよ、二人とも!」
そう言って幸せそうに微笑むと、オーリムと視線が熱く絡む。まるで惹かれるように、そのまま優しく唇を重ねた。
――ソフィアリアは、王鳥とオーリムの二人に生涯恋をする。
たとえその道が、苦難と波乱に満ち溢れていようとも、手放す事はもう出来ないのだから。
第二部〜夜空の天人鳥の遊離〜 完
第二部〜夜空の天人鳥の遊離〜これにて完結です。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
詳しいあとがきは溜まりに溜まった活動報告にてさせていただきますが、第二部の目標は第一部では掘り下げをあまりせず、少々何を思っているのかわかりにくい、ミステリアスな主人公ソフィアリアの掘り下げと、第一部ではオーリムとの恋物語中心だったので、今度は王鳥との恋物語を展開してみました。
ソフィアリアの秘密というよりセイドの秘密が多く、予想以上に可愛くない弟くんとメルローゼの恋を丁寧にしましたが、無事目標達成出来たかなと思います。
第三部ですが、第一部の時とは違ってまだ構想段階です。つまり白紙です。
これは第二部が予想外に長くなった事と(本来第二部と第三部に分けてやる事を合わせて練り直した為、大長編となりました)、リアルの想定外の多忙のせいです。申し訳ない。
第三部は半番外編となる予定です。
というのも第三部でやる予定だった事を第二部でやってしまい、また第二部が重くなってしまったので、心機一転明るい話にしたいなと。まあ、そう明るいばかりの幸せなお話にならないとは思いますが。
第三部ではずっと名前だけ頻出していたあの人がいよいよ登場します!
また全て書き終えてから投稿したいと思いますので、その間番外編をお楽しみください。第一部の頃と同じく週2投稿予定です。
ブックマーク等大変励みになりました。感謝感激雨あられです♪ありがたや〜でございます。
人生初の誤字脱字報告をいただきまして、大変テンション上がりました。何で上げとんねんって話ですが、とっても嬉しかったです。
最後によろしければ評価等していただけますと、膝から崩れ落ちて咽び泣きます(小声)
では、また番外編や第三部でお会い出来る事を祈りつつ。ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




