エピローグ〜恋の結末〜 6
「久し振りに見たけど、やっぱりラズくんの槍捌きはとてもかっこいいわねぇ」
オーリムの夜の鍛錬をいつものベンチで見ていたソフィアリアは、頰を両手で挟んで恍惚とした表情でそう言った。あまりのかっこよさに、熱に浮かされたような声音になるのも仕方ない。
「そ、そうか……フィアにそう言ってもらえるなら、よかった」
槍を消したオーリムは照れてニヤけそうになるのを必死に抑えているらしく、ソフィアリアから受け取ったタオルで誤魔化すように、乱雑に汗を拭っていた。
そんな様子を見た王鳥は「プピー」と馬鹿にするように鳴く。このいつも定番の応酬が、今日は特に幸せだと感じる。
あれからオーリム達は今回の事件の後始末に追われていて、全て片付いたのは両親達が帰って数日後、オーリムの本当の誕生日である今日だった。今日から夜デートも再開である。
今日はオーリムの願い通り、朝食から晩餐、おやつはおろか休憩用の紅茶に至るまで、全てソフィアリアが気合いを入れて用意したものだ。オーリムが口に入れる物で、ソフィアリアの手が入っていない物はない……と思う。そのくらい気合いを入れていた。
まあ、ソフィアリアの料理の腕なんてこの大屋敷で毎日食べている料理長に敵う訳もなく、平民の一般家庭料理程度でしかないのだが、それでもオーリムも、オーリムの身体を借りた王鳥も、それはもう美味しそうに食べてくれたので、ソフィアリアの心も充分満たされた。
そして一日の締めになる夜食は当然――
「はい、セイドベリーのスティックパイよ。セイドからのお土産はもうなくなってしまったから、王様のセイドベリーを使ってみたの」
オーリムと王鳥の大好物である、思い出のスティックパイだった。バスケットから取り出すと、いつもの夜食以上に目を輝かせるのだから、可愛いものだ。
「ありがとう。楽しみだ」
「ふふっ王様がこれを使えって、わざわざ持ってきてくれたのよ? 王様もラズくんをお祝いしたいのねぇ」
「そうか。王も、ありがとな」
「ピーピ」
オーリムもベンチに座り、素直にお礼を言う。王鳥はオーリムの髪を嘴で梳いて――鬱陶しそうに押し返されていた。こんな時でも、それは許さないらしい。
二人がそうしている間に、ソフィアリアはスティックパイを二口分千切ると、いつものように王鳥と、今日はオーリムにも笑顔で差し出した。
「はい、王様と、今日はラズくんも。あ〜ん?」
そう言うと王鳥は躊躇いもなくパクリと食べて、オーリムは目を見開いて、真っ赤になりながら硬直していた。
「じ、自分で食べられるからっ⁉︎」
「まあ! 自分で食べられる事なんて知っているわ。今日はラズくんへのお祝いなのだから、こうしたかったの」
ダメ?と悲しそうな表情で首を傾げれば、ゴクリと喉を鳴らして、激しく逡巡しているようだ。ソフィアリアは諦める事なく、オーリムの決断を根気強く待っていた。
「…………も、貰う……」
「ふふ、嬉しい。召し上がれ?」
そう言って差し出すと、少し躊躇った後、意を決してパクリと食べてくれた。
「聖都でチョコレートを食べさせ合いっこして以来ね?」
「……そ、うだな……」
「美味しかった?」
「…………多分」
どうやらまだ味を楽しむ余裕はなく、緊張感の方が強く出てしまうらしい。残念である。
せっかくの誕生日、大好物なのに味がわからないのはもったいないので、次からは自分で食べてもらう事にした。ほっとした表情にムッとしたので、王鳥と二人っきりで楽しむのだ。
「プピー」
「ね? ラズくんったら失礼だわ。わたくしが食べさせると美味しくないだなんて」
「そんな事言ってないだろ⁉︎ ……いっ、いや、味はわからないが、こ、心は満たされる……うん」
言いながらどんどん渋面を作るので、無理しているのが丸わかりである。緊張でいっぱいいっぱいなのは、心が満たされるとはまた別だろうに。
まあ、そのうち緊張しなくなるだろうと期待する事にして、今はスティックパイを堪能してもらえばいいと、楽しく話しながら食べ終わるのを待っていた。実はもう一つ、今日はお楽しみがあるのだ。
「今日はラズくんの正式な成人祝いだから、お酒を持ってきたの。少し早いけれど、一緒に寝酒でも楽しみましょう?」
二人が食べ終えたのを見届けて、ニコニコしながらバスケットからボトルとグラスを取り出す。ソフィアリアの今日一番の楽しみはこれだったと言っても過言ではないだろう。
「ワインか?」
「ピ?」
「ええ、そうよ。セイドベリーで作ったワインなの。今日、セイドに送る書類と一緒に、ロディのお祝いのケーキとお手紙を届けてもらったでしょう? お返しにって持たせてくれたのよ」
セイドは今、鳥騎族の駐屯地として整備を整えながら、既に運営を開始している。大鳥達が運んだらしい空屋敷を仮の拠点として、サピエを館長に色々と活動しているようだ。
大鳥が関わり鳥騎族として活動するとなると、当然書類の作成や情報交換が必要となる。情報だけなら大鳥を介して簡単に出来るが、書類のやりとりは当然そうはいかない。だから毎日大鳥に頼んで、大屋敷とセイド間を運んでもらっているようだ。おそらくこれが、少し前に話していた大鳥便の先駆けとなると予想している。
その書類と一緒に、今日はプロディージのお祝いも運んでもらったのだ。私信にあたるのでどうかな?と思いつつ、王鳥とオーリムが許可を出してくれたので、お言葉に甘える事にした。
運んでくれた大鳥にお礼をすると言うと、たくさんの大鳥が立候補して大変な事になってしまったのは申し訳なかったが、王鳥妃としてこれだけの大鳥に慕われていると思えば、いい事だろう。ただでさえ忙しいのに、少々騒ぎを引き起こしてしまった事は反省している。
「セイドベリーのワインか! 美味そうだ」
「ピィ!」
「ええ、とっても美味しいのよ。あまり量産出来ていないからセイドでしか売ってなかったけれど、これからはこれも売りに出すつもりなのですって。一足先に楽しんでくださいな」
そう言って先にグラスを手渡すと、ボトルを開けグラスに注く。赤ワインより鮮やかな赤色で見た目も可愛く、セイドベリーの甘酸っぱい香りが漂い、期待が高まった。
「ほう? なかなか美味そうな気を纏うておるな? 余の為に、定期的に献上させようではないか」
「あら、王様? ラズくんの姿で召し上がるのですね」
「この身体の方が呑みやすいからな」
一応お皿も持ってきていたが、そう言うならその方がいいだろう。ソフィアリアの分は王鳥が注いでくれたので、チリンと軽快な音を立てて、グラスを打ち鳴らし合う。
「ラズ、誕生日おめでとう」
「おめでとう、ラズくん。ふふ、今は本人不在ですけれどね?」
「意識は残してある――――そう騒ぐな。こんなに美味そうなのだから、仕方ないであろう? 一杯楽しんだら返すから、少し指を咥えて待っているがよい」
それは誕生日に言う言葉じゃないなと苦笑しつつ、言って聞く王鳥ではないので、仕方がないから先にセイドベリーのワインを楽しむ事にする。
グラスを傾けて香るセイドベリーの甘い香りに誘われるように一口呑むと、ワインより甘く少々酸味もあって、渋味はやや控えめ。見た目は赤ワインだが、口当たりは白ワインの方が近いかもしれない。ソフィアリアはこのセイドベリーのワインが、とても好きだと改めて感じた。
お酒初心者にも呑みやすいので、今頃プロディージもメルローゼや両親と楽しんでいるかもしれないと思いつつ、多分思っていた味と違うと微妙な顔をしていそうだ。子供心だとワインとは濃厚なジュースを期待しがちだが、それを期待すると残念な思いをするのだ。セイドベリーのワインだって例外ではない。
メルローゼもアルコールは度数の低い果実酒を好んでいたので、なんとなくプロディージもそうなる予感がしていた。色々呑んでみて、ソフィアリアと同じくそこそこ強いが、そもそもお酒はあまり美味しくないという結論に至りそうだ。
「ふむ。悪くないが、もう少し度数が高く、辛口だと良かったな」
「わたくしは呑んだ事がありませんし、今日はこれだけですが、辛口もございますよ?」
「なら、それを余の元に届けるがよい。味を見てやろう。……いっそ余のセイドベリーで特別に作ってもらうか?」
「ふふ、ご随意に。わたくしも味見させてくださいませ」
ソフィアリアはそれほど辛党ではないが、こだわりがなかったので呑めると思う。それに、恋しい旦那様が特別に作らせたワインというのは、心惹かれるものがあった。
「フィア」
「は」
い?という言葉は、肩を抱き寄せ唇を重ねてきた王鳥によって飲み込まれた。目を見張っている間に軽く喰まれ、離されるとペロリと自分の唇を舐めている。まるで柔らかいソフィアリアの感触とワインの残り香を、最後まで楽しむように。
その色っぽい仕草に赤くなり、思わず硬直しながら、王鳥を見つめてしまう。その視線の先が唇なのは、どうしようもない。
「やはり妃を介して呑めば別格であるな?」
「〜〜〜〜っ⁉︎ もうっ、王様ってば急ですわ!」
「なんだ? し足りぬか?」
「ええ、少し!」
せっかくなので素直に白状するとくつくつと笑われ、「素直なのはよいな?」と頰を撫でられながら愛おしげな目で見つめられる。その優しい手つきや熱い視線にだって、ドキドキしっぱなしだ。
「残りはラズにしてもらうがよい。余は」
「王様は結局そうやって、最後はラズくんに譲ってしまいますのね。わたくしは王様にも恋をしていると何度も申しておりますし、ラズくんだって王様を押し退けて独占しようなんて思っておりませんのに、まだ勝手にそうやって線引きして、酷いですわ」
せっかくの機会なので頰を膨らませながらそう不満をぶつけてみると、ぐっと眉根を寄せ怯んでいたので、心当たりはあるのだろう。なければソフィアリアだって指摘しない。
王鳥はワインを先に楽しんだように、基本的に無遠慮に先行したがるが、色恋沙汰となるとオーリムに遠慮する姿勢を見せ、譲ってしまう事が多い。
ソフィアリアを先に見初めたのはオーリムだからなのか、大鳥の愛は重い云々というのをまだ気にしているのかは知らないが、その王鳥らしくない及び腰に気付いてしまってからは、気になって仕方ない。
「わたくしの秘めようとしていた恋心を無理矢理引き出したのですから、遠慮なく愛でてくださいなっ……⁉︎」
だから胸に手を当て、はしたなくも自分からおねだりをするしかないのだ。そう思っての発言だったのだが、何かいけない気持ちをうっかり暴いてしまったのか、肩を押され、優しくベンチに押し倒されてしまった。
さすがにここまでしてほしいとは言ってないと目を白黒させつつ、だが王鳥が望むなら応えるのもやぶさかではない。そう思ってしまうソフィアリアは、なんと手遅れな恋愛脳なのだろうか。
ギラギラした真剣な表情で見下ろされ、期待か不安か、もしくはどうしようもない恋心故かで鼓動が早鐘を打つ。ソフィアリアは、王鳥のする事ならなんでも受け入れようと、次の手を期待しながら待っていた。
が、王鳥はプッとふきだし、笑いながらソフィアリアの肩口に顔を埋める。
「何をそんな目で見つめ、期待しておる? 前から言うておるではないか。余は……大鳥は、イチャイチャはしても発情は出来ぬと」
「それは……わかっておりますが……」
「それだけはどうしようもないから、ラズにしてもらえ。その分、たくさんイチャつこうぞ」
そう言って顔中に優しくキスの嵐が降り注ぐのを、ソフィアリアは心臓をバクバクさせながら受け入れていた。その間ずっと、視線は絡ませ合ったままだ。
最後に唇を存分に喰まれ、全てが終わった頃にはすっかり身も心もふにゃふにゃにされていた。ソフィアリアが望んだ事とはいえ、ほぼ初心者になんて事をするのだ。
熱に浮かされぼんやりしていると、王鳥はふっと優しく笑って額にキスを一つ落とす。そしてコツリと、額が合わさった。
「なあ妃よ」
「……ふぁい」
「くはっ。すっかり腰が抜けてしもうたな? まあ、当然か。よい、そのまま答えてみせよ。……そういえば其方、いつから余の事まで好いていたのだ?」
勝気な表情をしつつ不思議そうにそう言われて、パチリと目を瞬かせた。まさか今更、そんな事を尋ねられるとは思わなかったのだ。
ソフィアリアは一度深呼吸して、気分を落ち着かせる。とはいえ吐息が絡む近い距離で話しているので、あまり落ち着かないのだが。
「……お気付きになりませんでしたか?」
「知らぬな。其方と同じ人間であるラズはともかく、余の本来の姿はあれだぞ? 其方、よく余にも恋愛感情なんぞ抱けたものだな」
その物言いは聞き捨てならなくて、ムッとしてしまう。だからきちんと、話しておくべきだろう。
「見た目なんて関係ありませんわ。大事なのはその人となりです」
「其方、余と初めて直接会話したあの頃には、もう好いておったであろう? その前夜に告白されたしな。人となりも何も、話すらしておらぬではないか」
「王様はわたくしがここに来た翌日、ドレスの袖を破いた事を覚えていらっしゃいますか?」
そういうと目を眇め、首肯したからほっとした気分だ。あの衝撃的だった当時を思い出し、思わず笑みが浮かぶのは仕方ない。
「その時ラズくんがすぐにやってきてくれて、王様とは喧嘩になりましたでしょう?」
「ああ、軽くいなしてやったな」
「その時の王様が、立ち向かってくるラズくんの攻撃を軽々と避けながら、慈愛のこもった本当に優しい目で見つめていたから、わたくしもその目でいつか見られたいと思ったのが、きっときっかけだったのですわ」
そう言って微笑み、王鳥の頬を包む。
「知っていましたか? 王様がラズくんを見る目は本当にいつも、お優しいのですよ? 王様はラズくんが本当にお好きなのですねぇ」
きっかけは多分、それだったのだろう。あの視線が向けられる事を羨み、切望し、共に過ごして優しくされるうちに、気がつけば恋をしていた。単純で、明快な答えだ。
王鳥は少し照れるのか、軽く視線を逸らしてしまう。
「まあ、余の代行人であるからな」
「好きになったから、代行人に選んだのでしょう? 逆ではありませんか」
「さてな」
今更照れて、はぐらかしても無駄なのだ。ソフィアリアは、もうそれをよく知ってしまっているのだから。
「その視線をわたくしにもわけてくださったのが、本当に幸せなのです。だから王様、ラズくんに遠慮するのはほどほどにして、わたくしに触れて、たくさん恋をしてくださいな」
チュッと、ソフィアリアからも軽いキスを贈ってみる。オーリムにもいつかと、そう思いながら。
王鳥は不意打ちのキスに一瞬ポカンとし、だが嬉しそうに目を細めたから、満足してくれたらしい。頑張った甲斐があるというものである。
「フィアには敵わぬなぁ。どこまで神である余を陥落させれば気がすむのだ?」
「どこまでも。こんな強欲なわたくしは、お嫌いですか?」
「いや。さすが余の妃だ」
その大好きな言葉に心が温まり、ふにゃりとだらしなく微笑んでしまう。
王鳥もその笑みにあの時オーリムを見ていた視線を返し、気がつけば自然と、顔を寄せ合っていた。
お互いがお互いの特別な好意を際限なく求め合い、与え合う。
ソフィアリアと王鳥は人と神の身でありながら、この先もずっと、そうやって恋をし続けるのだ。




