エピローグ〜恋の結末〜 4
「じゃあ、私は先に帰るわね。まだお父様達も島都にいるだろうし、今のうちに行商の事を話し合って、計画を詰めてくるわ。明日明後日には資料を送るから、よろしく!」
「メル、ありがとう。突発的だったけれど、メルにこうして会えて嬉しかったわ」
ツヤツヤした笑顔で馬車に乗り込もうとするメルローゼを姉は名残惜しく思っているらしく、そう声を掛けているのを遠目で見ていた。
メルローゼは振り返ると姉のもとに近寄り、ギュッと抱き締めている……気軽にそうしてもらえる姉が少し妬ましい。
「私もよ。まあ、王鳥様の側妃なんてごめんだけどね」
「ビ」
突然ストンと、姉の側に王鳥が現れる。王鳥は当然のように姉の背にぴったりと引っ付いて、メルローゼをジトリと睨みつけていた。あの視線の意味は多分「こっちの台詞だ」とか、そんな感じだろうか。
メルローゼもなんとなくそう感じたのか、笑顔を引き攣らせて口角をピクピクしている。
けれどふーっと息を吐いて気分を落ち着かせるように首を振ると、気を取り直して姉にふわりと微笑み掛けていた。
「今までどれだけお義姉様に甘えきっていたか、この半年間で充分実感したわ。……今までありがとうね。でもこれからは、ちゃんと独り立ち出来るように頑張るから」
「まあ! メルったら何言っているのかしら? ロディと二人で、でしょう?」
「ディーは独り立ちも出来ない、甘えたな女なんて嫌いじゃない」
「僕が嫌いなのは他人に寄りかかる事しか能のない馬鹿であって、多少の甘えも許さないほど鬼畜じゃないと思ってるんだけど? 昨日の楽しみにしてるって言葉を、もう忘れた訳?」
何やら聞き捨てならない事を言い出したメルローゼの言葉を訂正しながら、セイドの馬車で何かを探していた風を装っていたプロディージは、意を決して二人に――メルローゼに近付く事にする。今朝、父とこの大屋敷の庭師と一緒に用意した贈り物を、手に持ちながら。
「過剰に甘えられたり、不必要に足を引っ張られるとイラッとするけどさ。原因に納得のいく間違いは許すし、支え合う事くらいは出来るから」
というか、メルローゼの気質は貴族というより商人だ。家の庇護下に入る事しか出来ない大多数の貴族女性と違って自立しているし、貴族女性として社交も家政を取り仕切る事も出来る。
その二つを両立出来るのだから、甘えたな女なんて思った事もない――そう罵倒した事はあった気がするが、それを覚えているのだろうか。
それに、別にプロディージは結婚相手に自立なんか求めていないのだ。常識的な貴族女性が出来る事と、まともな思考さえ持ち合わせていてくれれば、文句は言わないつもりである。
まあメルローゼや姉のように、領地経営する際に一緒に考えてくれるような賢さがあれば、プロディージ自身も楽しく幸せになれるとは思うが、ないからといって嫌うほど、器は小さくない。惚れた相手なら尚更だ。
「だから、はい、これ」
手に持っていたものをメルローゼにポンっと手渡す。この場にいるほぼ全員が、その事に呆気に取られており、特にメルローゼは半分パニックになっているのか、手渡されたものとプロディージを交互に見て、目を白黒させていた。
「ディ、ディー! こここ、これっ⁉︎」
赤くなってオロオロしているその反応に満足して、ニッと口角を上げてみせる。プロディージも緊張して心臓をバクバクさせている事なんて、微塵も感じさせないように。
「とりあえず今はこれだけ。百八本の方は学園を卒業してから渡すから、もう二年待って」
目を見開いて固まっているメルローゼを見つめながら、一度深呼吸する。その息が震えてしまったから、目の前にいるメルローゼには、プロディージも緊張している事はバレてしまっただろう。
その事を情けなく思いながら、意を決して言った。
「……もう邪魔が入るのは嫌だから、僕の誕生日が来たら、先に籍だけ入れておこうか?」
強がって更にニッと片頬の口角を上げるプロディージは、だが結局手だって震えていた。こんな大事な時なのに表情しか上手く取り繕えず、カッコつけたかったのにうまくいかないものだと、自分にガッカリする。でも、引き下がったりはしない。
その言葉と共にプロディージが手渡したのは、婚約したあの日に記念として渡し、婚約解消を言い渡された際に返されたリボンで纏められた、十二本の赤い薔薇の花束だった。
十二本の赤い薔薇の花束――『ダーズンローズ』。
私の妻になってくださいという、プロポーズを意味する花束だ。昔メルローゼに乞われた百八本の薔薇の花束も、永遠を誓うプロポーズの花束になるが、十二本でもそれは成立する。
十二本にはそれぞれ感謝・誠実・幸福・信頼・希望・愛情・情熱・真実・尊敬・栄光・努力・永遠という意味が込められており、その全てをあなたに捧げるという意味の、プロポーズの言葉代わりになるのだ。勿論プロディージは、メルローゼにそれら全てを捧げるつもりでこれを手渡している。
昨日復縁した際に、真っ先にこうしたいと思った。春に学園に入ると、第二王子殿下を押し退けて主席で卒業する予定なのだ。絶対絡まれるし、またこうやって婚約にケチをつけられる可能性も無きにしも非ずだと考え付いたから――と言い訳して、個人的な願望が大多数だが。
だから、いっそ学園に入る前に早めに結婚してしまえばいいと思った。今回のように婚約を取り消すのは容易でも、貴族同士の離婚となると、そう簡単には認められない。国が精査したうえで、国王陛下の承認が必須となるのだから、婚姻関係は現妃ですら簡単に手出し出来なくなるのだ。
まあ国王陛下は現妃を溺愛しているという懸念はあるが、今のところ愛情だけで無茶を通した事例は、資格がない現妃を王妃の座に据え置いた事くらいしか確認されていないから、大丈夫だと信じたい。
この国では身分を問わず、お互い十六歳で成人を迎えていれば、どんな人でも結婚する事は可能だ。貴族はそこに、国から婚約を認められていればという条件が追加されるが、プロディージとメルローゼは既に婚約しているから、何も問題ない。半年前の春の後半にメルローゼは一足先に成人を迎えているのだから、あとは数日後のプロディージの誕生日を待ち、書類に名前を書いて提出さえすれば、それだけで正式に結婚したと見做される。
とりあえずそうやって先に書類を提出して入籍だけ済ませ、結婚式を含め本当の意味での結婚は、学園卒業後まで待てばいい。別に提出後すぐ本当の意味で夫婦になってもいいのだが、式を挙げないなんてするはずもなく、メルローゼの学園生活に障るので我慢する――子供が出来れば学園生活なんて不可能だろうし、学生の間くらい、まるで恋人同士のような関係を楽しみたい。
まだ入籍だけだとしても、これはれっきとした結婚だ。お互いの家同士で取り決めだけではなく、プロポーズの言葉や、贈り物だって用意してあげたかった。口と態度は悪いのだから、そういう求愛行動だけはマメにする事にしている――まあ、行動だけなんてあまり伝わったためしがなく、更にやれば満足するプロディージは説明をしてこなかったので、少々鈍い所があるメルローゼには気持ちが伝わっておらず、ここまで拗らせた訳だが。
そんなとりとめのない事を言い訳のように考えて、緊張しながら返事を待っていると、メルローゼは堪えきれなかったのか、ポロポロと泣き出してしまった。
そんな様子にプロディージは困ったように笑い、少し長めの袖でゴシゴシと雑に涙を拭う。残念ながら今まで星の数ほど泣かせた癖に、涙を拭った事がないので、そんな方法しか取れなかった。
「泣かないでよ。言っておくけど、本当に藉だけだから。まだ書類上の話だよ?」
「そっ、それでも入籍したら、もう簡単には離れられなくなるじゃないっ!」
「何? また婚約解消する気だった訳?」
「嫌よっ! 絶対絶対、ぜーったい嫌っ‼︎」
そうはっきりと言いきって、その花束から薔薇を一本抜き取り、プロディージの胸ポケットに刺してくれる。
わかりやすく根元に印をつけていたのだが、十二本の中から選んで返されたのは『栄光』だった。ペクーニアと――メルローゼと結婚する事で、セイドとプロディージに大きな名誉を齎す事を約束してくれるという意味だろうか。なんとも商売好きのメルローゼらしい選択だと、笑みが浮かぶ。
メルローゼと二人して照れ臭そうに、でも幸せそうに微笑みあう。周りに誰もいなければ色々したかったが、さすがに常に引っ付き合っている姉と王鳥のように、公衆の面前ではしたない真似をする程、開けっぴろげにはしていない。メルローゼの女の顔は、プロディージだけ知っていれば、それでいいのだ。
「ありがとう、ディー。よろしくね、旦那様!」
愛しさが多分に含まれた嬉しそうな笑顔と呼称にうっかり赤面して思わず手を伸ばしそうになったが、耐えてぐしゃぐしゃと前髪を乱してやる。こんな人目を集めている所で表情を崩された罰だ。
「やめてよ。まだ誕生日も来てないし、気が早いから」
「もう数日じゃない。ふふっ、嬉しい! ……でもこのリボンを使う事ないんじゃない? 私、また使いたかったんだけど……」
そう言ってイジイジとリボンを指に絡め、拗ねた表情でジトリと睨まれてしまった。その言葉自体は嬉しいが、残念ながら実現はさせてやれない。
「それは学園じゃ使えないでしょ。入学前にもっと質のいいものを贈るから、そっちを使ってよ」
「そ、そう……ありがとう」
「さっきペクーニアのタウンハウスには一報送ったけど、昼にはローゼの家族に挨拶……殴られに行くから」
「殴らないわよっ⁉︎」
「殴られるでしょ。少なくとも義兄上達からは」
それは確信を持って言える事だった。
メルローゼには、メルローゼを愛してやまない兄が二人いる。昨日は見かけなかったが、メルローゼが王鳥に攫われたときいて、おとなしく領地で留守番出来る人達ではないと、よく知っているのだ。
そして婚約者でありながらメルローゼを泣かせてばかりだったプロディージは、当然嫌われている――と思う。わりと構われるが、少なくとも心証はよくないだろう。
今まで散々泣かせて婚約解消まで追い込んで、復縁した途端、今度は逃げられないように結婚だなんて、絶対に殴られるだろう。自業自得だし、それでメルローゼと結婚出来るのなら、やすいものだと思っているが。
義兄の話を持ち出すと、つーっと気まずげに視線を逸らすメルローゼの行動からも、お察しである。
「わ、わかった。待ってるわ」
「ん、よろしく」
お互い穏やかに笑い合っていたら、パチパチと拍手が辺りに鳴り響き、二人してビクリと肩を震わせる。家族や王鳥達、使用人達がいる事は勿論意識していたが、空気に徹して見ないふりをしてくれるだろうと思っていたのに、見せ物になってしまったようだ。
まあ、こんなところでプロポーズなんてしていたら、当然だと思うが。
その中から姉が歩み寄ってきて――その姉について王鳥とオーリムまでやってきた――、バタバタとクラーラと双子の大鳥達も駆け寄ってくる。
「ご結婚おめでとう、ロディ、メル! ふふっ、先を越されてしまったわね?」
姉はそう言って目尻に浮かんだ涙を指で拭っていた。覗きは許していないが、プロディージとメルローゼの間に立ち、ずっとやきもきさせていたので、無事結婚するという事実に感極まっているのだろう。
今までずっと気に掛けてくれて、二人の仲が決定的に壊れてしまわないように助けてくれていたので、お礼を言うべき所なのに、照れてふいっとそっぽを向いてしまうプロディージは、自分でも不義理で可愛くないと思う。姉に今まで通りを望まれたものの、さすがにこれはよくない――と思いつつ、なかなかきっかけでもなければ、行動には移せないのだが。
「貴族の結婚は嫡男が最優先なんて、普通でしょ。それに、こっちは姉上達とは違って、まだ入籍だけだし」
「メル義姉たま、もうすぐけっこんするのっ? クーたちといっしょに、くらせるのっ⁉︎ あのねあのね、クーたちのおうち、ピーたんとヨーたんがふえたから、おおきくなるんでしゅって! メル義姉たまのおへやも、もうよういできるよ!」
「ピー!」
「ピヨー!」
「まだよ⁉︎ ……よっ、よね……?」
上目遣いでそう尋ねられ、一瞬うっと怯む。すぐに表情を取り繕ったが、内心動揺していた。
「今来ても建ててる最中で騒がしいから、移り住むのは卒業まで待ってよ。……僕の為にも」
「ん? なんでディーの為?」
何故そこでクラーラや双子と一緒に首を傾げるのか。多分何も知らないのだろうメルローゼを、思わずジトリと睨んでしまうのだった。
補足:文中では漢数字を使用しているのでわかりにくいですが、108本…10(と)8(は(わ))で永遠となります。




