幸せの瞬間 5
――幸せな夢を見ていた。もう叶う事がない、こんな現実だったらどれほど満ち足りた未来だっただろうかと想像して胸が切なく痛む、そんな夢を。
「まあ! ではもうすぐ、マヤリス王女殿下がお越しになられるのですね?」
いつもの執務室、いつもの定位置で、いつものように王鳥に背中を預けて座っていたソフィアリアはその言葉を聞き、パッと表情を輝かせて、対面に座るフィーギス殿下に話しかける。
フィーギス殿下は珍しく表情をだらしなく緩ませて、デレデレソワソワと落ち着きのない雰囲気のまま、それはもう嬉しそうに大きく首肯した。
「そうだとも! 真っ先にここに連れてくるから、よければ仲良くしてあげてほしいのだよ。マーヤはまだこの国で話し相手がいな……」
「私がおりますわっ!」
と、突然バンっと勢いよく扉が開き、フィーギス殿下並みに表情を緩ませて突撃してきたのは、勿論メルローゼだ。マヤリス王女の来る所にメルローゼ有り……とほんわかしつつ、でもどうやって知ったのかと首を傾げる。あと、何故ここに居るのか。
「あらあら、メルったら。いつの間に来ていたの?」
「だってリースがここに来るって聞いたんだもの! 公の場ではまだ近付けないけれど、ここなら合法的に会えるのでしょう?」
「……どうやって知った?」
「当然僕ですよ、フォルティス卿」
と、メルローゼの後ろからぬっと現れたのはプロディージだ。いつものように機密情報を探り当てたのだろうが、今頃はセイドにいるはずでは?と首を傾げるも、笑みを浮かべながら細かい事は気にしない事にする。
理由を知ったラトゥスは納得したのか、無表情のままコクリと頷いた。
「そうか。ロディなら納得だ」
「納得していいのか……?」
「ピィ……?」
隣と背にいる未来の旦那様二人が同時に首を傾げたのを可愛く思ってキュンと胸を高鳴らせつつ、仲良く並ぶ弟義妹にほっとする。どうやらあの夜に言った言葉通り、もう酷い喧嘩はしないようだ。
「私はペクーニア嬢ではなく、ソフィに仲良くしてほしいと頼んでいるのだけれどね?」
「お言葉ですが、フィーギス殿下。リースはお義姉様の事は私を通して知っておりますが、友人どころか初対面です。で・す・が! 私とは大親友、いえ、魂の伴侶として、既にフィーギス殿下を越える絆を育んでおりますのよ!」
「ははっ、王命で接触禁止令でも出してほしいのかい?」
「横暴ですわっ⁉︎」
マヤリス王女を巡って言い争いを繰り広げるフィーギス殿下とメルローゼの二人を尻目に、プロディージはソフィアリアの方に歩み寄ってくると、いつも通りの眠たげな伏せ目を心なしが輝かせて、おねだりをしてくる。
「せっかくここまで来たんだから、アイスクリームかタルトでも作ってよ」
「そんなにすぐ出来る訳ないだろ。無茶言うな」
「ビー」
「オーリムにも王鳥様にも言ってないんだけど? セイドベリーのパイじゃないからって、余計な妨害しないでもらえる?」
「負担をかけるなって言ってるんだ!」
「でもさ、想像してみてよ? あつあつ出来立てのセイドベリーパイに、熱でトロッと溶けたアイスクリームが添えてあって、一緒に食べるとなによりも至福だと思わない? オーリムだって食べたくなったでしょ?」
「…………たっ、食べたくないっ……!」
「ピィ……!」
「めちゃくちゃ揺さぶられてんじゃん」
好物をチラつかせて簡単に言い負けそうになっている二人に呆れたように溜息を吐くと、二人はそんなプロディージを睨む。こちらも賑やかだなとニコニコしてしまう。
そういえばとパチンと手を合わせれば、一触即発の三人はソフィアリアの方に視線を向けた。
「こんな事もあろうかと、タルトもパイも焼いてあったわ。アイスクリームは料理長が作っておいてくれたものが、まだ残ってあったと思うの」
「へえ? 姉上の癖によくわかってんじゃん」
ニッと口角を上げるプロディージに笑みを返す。
「用意周到過ぎないか?」
「ピィ?」
それはそうだが、本当に偶然用意していたのだから仕方ないではないか。
ガチャリとまた扉が開き、今日のお菓子が乗ったカートを押した三人が戻ってきた。なんていいタイミングだろう。
「あら、ありがとう。ふふっ、アミーのタルトも美味しそうね?」
カートの上にソフィアリアの見覚えのないものが一緒に乗ってあったのでそうだと思いアミーに視線を向けると、アミーはブワッと赤くなって照れていた。
「あ、りがとうございます」
「それはチーズタルトかしら?」
「ええ。ですが、ソフィアリア様のお口に入る事はないので、あしからず」
ニコニコ笑顔のまま、そうプロムスに牽制されて、ソフィアリアも笑みを深める。
「あらあら。そんな大きなタルトを独り占めする気なの?」
「独り占めはしませんよ」
バンっと勢いよく開いたのは、今度はバルコニーに続く方の扉だ。今日は来訪者が多いなと思いつつ、そこからやってきた二羽のうちの一羽は、アミーのタルトを嗅ぎつけてやってきたキャルだった。
「ピピー!」
「うるさい。キャルの分もあるから、いちいち騒がないで」
「ピ!」
その言葉を聞いてご満悦なキャルは、アミーに頬擦りしていた。アミーはすんっと無表情になっていたが、きちんとキャルの分も用意するあたり、愛情はお察しである。
そんな二人の様子を、プロムスも上機嫌で見つめていた。
ソフィアリアは優しく目を細め、賑やかな執務室を温かな眼差しで眺める。
「……平和ね、ドロール様?」
近くで控えていたもう一人と一羽――ドロールとヨーピにそう問い掛ければ、何故か二人の姿はぼんやりとしかわからない。ドロールは父に似た栗色の髪と優しげな目をしているようで、ヨーピは艶やかな黄色を纏っている。その色は最近、どこかで見たような気がした。
ドロールと、ドロールの側にいるヨーピはソフィアリアに優しい目を向ける。
「そうだね。平和で、幸せだ」
「ずっとこんな毎日が続けばいいのにって願ってしまうの」
「ぼくもだよ」
「ピー」
賛同しつつも、困ったように微笑んでいるように思う。なのに相変わらず、その姿はぼんやりしていて、はっきりと認識出来ない。
当然だ。だってソフィアリアは、二人の姿を知らない――二度と見る事は叶わないのだから。
「ドロール様主演の演目が素晴らしかったって、たくさん感想を伝えたかったわ」
「うん」
「ヨーピ様にわたくしも、寄り添ってあげたかった」
「ピ」
「……ここに居てくれたらって、ずっと考えてしまうと思うわ」
「ごめんね、優しい君に、ぼく達の存在を背負わせてしまって」
首を横に振る。それだけは絶対に、後悔していないのだから。
「ロー、茶ぁ淹れてくれー。オレとリムよりずっとマシだからな!」
「侍従なのにお茶もまともに淹れられない訳?」
「……まあ、俺とロムは雑だが」
オーリムとプロディージを揶揄っていたプロムスが朗らかな笑みを浮かべて、ドロールにそう頼んでいた。
「しょうがないなぁ」
と言いつつも、ドロールもどこか嬉しそうに、そんなみんなの輪の中に入っていく。ようやく認識出来たもう一つは、プロムスと同じ侍従の燕尾服だった。
――そんな理想的な、幸せの瞬間の『夢』だった。
*
腰あたりに触れる重みと、両サイドから感じるいつもよりポカポカと心地よい温もりを感じながら、いつも通りの時間にパチリと目を覚ます。いい夢を見ていたと思うのだが、幸せな気持ち以外、何も思い出せない。それが少し切ないと今日は思った。
けれどそう思ったのも束の間だけで、何時に寝ても同じ時間に目が覚め、目が覚めた途端頭も冴えるソフィアリアは規則正しく、寝覚めがいいのだ。だから寝ぼけ眼でそう思った事は、すぐに忘れてしまった。
……寝覚めがいいはずなのだが、この状況が理解出来ず、はてと首を傾げるしかない。昨夜は何かあっただろうかと思いを馳せても、空を飛んですぐあたりからの記憶がなかった。
とりあえず左側でソフィアリアをガン見しながら硬直してしまっているオーリムは、声を掛けた途端パニックになりそうなので置いておくとして、右隣にいる王鳥に微笑み、挨拶をする。
「おはようございます、王様」
「ピ!」
「ふふっ、朝起きた瞬間から王様の姿を拝見出来て、一緒に過ごせるなんて、夢のようですわ。昨日の事は覚えていないのですけれど、あのまま眠ってしまいましたか?」
「ビー」
「あら? 違いましたか? う〜ん、なんでこうなってしまったんでしょうね? せっかく初の夜の共寝でしたのに、覚えていなくて残念ですわ」
そうガッカリしながら溜息を吐くと、ツンと嘴の先で唇に優しく触れる。ふわっと頰が染まって、朝から幸せな気分で心が満たされた。ソフィアリアはなんて幸せ者なのだろう。
顔をだらしなく緩ませたまま、今度はオーリムの方へと向き直る。
「おはようございます、ラズく――」
「うわああああっ⁉︎」
声を掛けた途端、案の定真っ赤になって飛び起きてベッド――というか王鳥の巣から転げ落ちる。予想通りではあるが、いくらなんでも酷いのではないだろうか?
頰に手を当て溜息を吐くと、のそりと半身を起こす。王鳥も起きてピッタリとソフィアリアに寄り添ってくれた。昨日別れ話をしていたのが嘘のようなベッタリ感である。
「わたくしのすっぴんってそんなに酷いかしら?」
「ビーピ」
肌に触れた時に思ったが、お化粧が落ちている。昨日の夜はお風呂に入っていないのにベタベタ感もないし、髪もさらさらだ。王鳥の魔法か何かだろうか?
「いっ、いやっ、いつもより幼くて可愛……違うっ! 王っ‼︎ これはどういう事だっ⁉︎」
どうやら可愛いとは思ってくれたようでにっこりした。そしてオーリムもこうなった理由は知らないようだ。
「――――はあっ⁉︎ 違うっ! 俺はプロポーズしただけでまだ結婚した訳じゃないからっ⁉︎ ――――王の我慢なんて知るかよっ! 何やってくれたんだ、今はフィアの家族だって居るんだぞっ‼︎」
「ビー」
どうやら昨日プロポーズを済ませた事で、結婚したと同義だと看做されたらしい。ソフィアリアが眠くなった事をこれ幸いと魔法でオーリムと二人寝かされて、王鳥が半年前から希望していた三人で共寝の夢を叶えたという事なのだろうなと会話から推察した。
結婚前に共寝なんて世間体が悪く、今はこの大屋敷にソフィアリアの家族も居るのだが、これはこれでなかなか幸せである。春に結婚したらこれが毎日だなんて、頰がだらしなく緩むのも仕方ないではないか。
そんな思いでふわふわしていたら、コンコンコンと室内からノックの音が聞こえた。
「リムー? 昨日の礼言いてぇんだけど、今日はそっちかー?」
この声はプロムスである。数日休みでいいと休暇を出したのに、わざわざお礼を言いに来たらしい。ついでに同じくオーリムが落ち込んでいないか気がかりで、お互い気晴らしの為に、共通の思い出話に花を咲かせたかったというところか。
王鳥とオーリムは激しい口論中でそんなプロムスに気付いていないようなので――王鳥は気付いても無視しているのかもしれないが――代わりにソフィアリアが出る事にした。
バルコニーから室内に入り、ノックの音が響くオーリムの私室の方の扉を開ける。
「おはよう、プロムス。ごめんなさいね? 今王様とリム様が口論してて――」
「……ソフィアリア様?」
目を見開いて驚愕の表情を浮かべるプロムスを見て、そういえば今ソフィアリアがここに居るなんて、誰かに知られるのは少しまずいんだったなと思った。どうもふわふわ思考のせいで、そんな事すらうっかり抜け落ちてしまったようだ。
王鳥が、ソフィアリアの欠点が恋愛脳なのだと言っていた。なるほど、王鳥が側妃なんて言い出したあたりからこうやって判断を誤る事が多いのだ。それを深く実感した瞬間だった。
――その後、起こしに来た侍女が寝室に居なかったソフィアリアに困惑した事を含めて、なかなか阿鼻叫喚な事態に陥ったのは、勿論言うまでもない。




