満月の初デート 3
しばらくお互い穏やかな夜風に吹かれながら見つめ合っていたが、突然ばさりと頭上で羽音が聞こえて、ストンと側に何かが着陸した。
「王」
「まあ! こんばんは、王鳥様」
パッと明るく王鳥の方を向き、笑いかけたソフィアリアの表情で先程の甘い雰囲気が霧散する。それを残念そうに溜め息を吐いて、ドカリとベンチに座り、水差しからカップに水を注ぐ代行人――オーリムの様子に、残念ながらソフィアリアは気付いていなかった。
「ピピィー」
「っ⁉︎ はあっ⁉︎」
突然大声を上げたオーリムをきょとんと見て、ソフィアリアは首を傾げる。オーリムの表情は酷く慌てていた。
「――――いやっ、そうだけど! しかし基本的に女性は高い所を怖がるだろっ‼︎ ︎――――そういう問題じゃない!」
何やら言い争いを始めたようだ。応接室の時もそうだが、契約をしている訳ではないので王鳥の言葉が聞けず、こうなると疎外感を感じるので少し寂しい。
「リム様、王鳥様はなんとおっしゃっているの?」
「あっ、悪い。……フィアを背に乗せて空を飛びたいそうだ」
「まあ!」
そんな体験をさせてもらえるとは思わなかった。鳥騎族が契約した大鳥の背に乗り、空を飛ぶ事が許されるのはもちろん知っていたが、ソフィアリアは王鳥妃だが騎族ではないので乗れる事はないと思っていたのだ。
「契約していないわたくしも乗せてもらえるの? 王鳥妃だからかしら?」
「王……いや、大鳥は騎族と契約すると、契約者とその伴侶を背に乗せるか、籠に入れて運ぶかして飛びたがる。フィアが王鳥妃だからというのもあるのかもしれないが、おそらく伴侶だからだ。けど、風も揺れも魔法で抑えるから感じないし、絶対落とさないとわかっていても、景色の移り変わりで女性は大体怖がる。だから無理はしなくていい」
そう言って苦笑するという事は、オーリムも今まで鳥騎族と共に飛んで、怖がる女性を見てきたのかもしれない。
ふと、大鳥に関する一説はこの為かと納得がいった。
「鳥騎族が結婚する際は、契約した大鳥様に認められる必要があるのはこの為なのね?」
「これだけじゃないが、まあ、そうだな。大鳥が嫌う人間が契約者の伴侶として侍る事は絶対に嫌がる。だから認められなかった時は騎族を取るか、結婚を取るか決めなければならない。結婚を取れば契約を切られ、二度とこの大屋敷には入れない。たとえその後離婚しても、な」
「選ばれずに捨てられてしまったら悲しいもの。仕方がないわ」
まるで恋の三角関係のようだと思った。どちらを選んでも、選ばれなかった方の事を考えると少し切ない。
「まあ貴族が関わらない恋愛結婚なら大体は大丈夫だ。大鳥と契約者の騎族は好みが同一化するからな」
「あら、そうなの?」
「ああ。騎族が好きなものは大鳥も好きになるし、大鳥が好きなものは騎族も好きになる。それに嫌いなものもな。だから騎族になったら味覚や好みがガラッと変わる奴も少なくない。たまにそれで揉め事が起こるみたいだな」
それはそうかもしれないと思った。今まで好きだったものが嫌いになってしまうのは、本人も周りも混乱するだろう。
――ふと、だったらオーリムがソフィアリアの事を最初からある程度大事に思ってくれたのは、王鳥がソフィアリアを妃に選ぶくらい好きになってくれたからなのだろうか?……そう思うと胸がひどく痛んだので首を振って、考えを奥底にしまい込む。
それが悲しいと思うのは、贅沢だ。
「リム様も王鳥様に乗る事があるのよね?」
「ああ。巡回とか散歩とか、何かにつけてほぼ毎日飛んでいる」
「なら、わたくしにも見せてほしいわ。王鳥様とリム様が毎日見ている景色を」
暗に飛んでみたいと言うと、そう言うとは思わなかったのか目を見開いて少し顔を赤くし、ソフィアリアを凝視した。
「む、無理しなくていいっ!」
「まあ! 無理なんてしていないわ。心から乗りたいと思ったんだもの」
胸の前で指を組み、視線だけで飛びたいと切々と訴える。オーリムはそんなソフィアリアの様子にたじろいでいたが、やがて根負けしたのか、ふぅーっとため息を吐いた。
「……怖くなったらすぐに言え」
「もちろんよ。空を飛ぶのなんて初めてだから、気絶しちゃったらごめんなさいね?」
「わかった。……そ、そのっ、王の背は狭いから前に抱えるか、横抱きの体勢になるんだが、本当にいいのか……? それか籠を持ってくるが、あれも狭くて密着する事になってな……」
明後日の方向を見て言った言葉に、なるほど妙に照れていた理由はそれかと理解した。ソフィアリアはふわりと笑って、抱っこをせがむ幼子のように両手を上げる。
「どうぞ横に抱えてくださいな。わたくし上背があって、肉付きがいいので重いかもしれないけれど」
「力はあるから問題ない。それに君のは……い、いやっ、なんでもないっ! じ、じゃあ失礼するっ!」
何か言いかけたが、誤魔化すように抱え上げる。所謂お姫様だっこだ。
そんなに身長差はないのに軽々と持ち上げる力強さとか筋肉質で硬い身体とか、やっぱり男の子だなぁと今更照れてしまう。ソフィアリアも誤魔化すように首の後ろに手を回して首筋に顔を寄せ、赤くなった頬を隠すようにすると、オーリムはビクリと大きく跳ねた。
密着して……いや、密着しなくてもわかっていたが、彼の心音がとても早い。それが少し面白くて、またふふっと笑ってしまった。
「フィア、くっ、擽ったい……」
「ふふっ、ごめんなさい。どうか心臓、壊さないでね?」
「……努力する」
否定も誤魔化しもしないのかとまた笑ってしまった。オーリムは少し拗ねたようにムッとしていたが、結局彼はソフィアリアの笑いを止めるのを諦めると、王鳥を仰いだ。
「いいぞ、王」
「ピ」
その言葉を合図にふわりと宙に浮き高き、王鳥の顔近くまで浮かび上がる。
目を丸くしているうちに、そのままストンと王鳥の首筋の少し上をオーリムが跨ぐように降ろされ、ソフィアリアはオーリムの膝の間に横向きで座るような体制になった。
ソフィアリアは労うように、王鳥の後頭部を優しく撫でる。
「重くないですか、王鳥様?」
「ピイ」
「重さは感じないから平気だとさ。……王は絶対落とさないから安全だけど、怖くなったらすぐに言え。――王!」
その言葉を合図に、先程よりも急激に視界が上昇する。初めての体験に思わずギュッとオーリムに縋り付いてしまったが、羽音はするものの風も揺れも一切感じない。ソファに座ったまま景色だけが変わるような不思議な感覚に、気持ちが高揚した。
上昇し、空が近くなる。そのまま大屋敷の上空をしばらく旋回すると、そのまま島都の方まで飛び出した。
猛スピードで移り変わる上空から見る街の景色を、ソフィアリアはキラキラと目を輝かせながら見入っていた。
王城の周りをぐるりと一周回ると少し高度を下げ、建物スレスレを飛ぶ。スリルがあってとても楽しい。
こんな近くで飛んでいるのに、誰もソフィアリア達を見ないのがとても不思議だ。
「まあっ……! すごい、すごいわ! お空のお散歩ってこんなに楽しいのねっ! ねえリム様。誰もわたくし達に気付かないけれど、見えていないのかしら?」
「……本当にフィアは肝が据わっているな。空に連れ回されてこんなに喜ぶ女性を初めて見た。――ああ、王は……大鳥達は空を飛ぶ間、姿を魔法で隠す。隠すだけで消える訳じゃないから物には当たるんだが、当たったら人から見れば急に倒れたように見えるんだ。まあわざとでもなければ当たらないけどな」
その言葉で悪戯心が沸いたらしい。王鳥は屋根瓦に羽を掠めるように飛ぶと一枚触れてしまったのか、ポロッと下に落下しパリンと割れる。下には誰も居なかったが、少し離れた所にいた人が驚いて声をあげた。
ソフィアリアは目を丸くして、口元に手を当てる。
「危ないですわ、王鳥様!」
「ピィ!」
「――――人が居ないのをきちんと確認したってさ。それにあれは元からヒビが入ってズレていた。強風が吹いたら落ちて、それこそ人に当たっていたかもしれない。だからこれは人助けだと」
「それならいいのですけれど」
急にそんな事をするから驚いてしまった。声を張り上げた事に罪悪感を感じてしまったので、ツルツルした後頭部の羽毛を優しく撫でて詫びておく。
また王城に戻ってきてぐるりと城の周りを飛ぶ。つい視線が王城内部に向いてしまい――
「……あっ、フィーギス殿下」
一瞬だけ通り過ぎたのは彼の執務室だったようだ。仕事をしているフィーギスとラトゥス、あと知らない人数人が真剣な表情で机に向かう姿が見えた。それを見て気持ちがしょんぼり萎んでしまう。
「こんな時間までお仕事をしていらっしゃるのね。やはり昼間、時間を取り過ぎてしまったのかしら?」
「終わってから俺の執務室でゴロゴロしてたんだから自業自得。気にしなくていい」
「それならいいのですが……」
困ったように笑い、前を向く。しばらく島都上空を飛び回っていたが、三人はやがて外へと飛び出した――




