幸せの瞬間 4
思いがけずオーリムからプロポーズをされ、その甘い雰囲気のまま人生初の口付けを二人から受けたソフィアリアは、ふわふわした気持ちを胸に抱えたまま、今日も今日とて幸せな気持ちで、空を飛んでいた。
月のない新月の夜はいつもより暗いけれど、その分無数の星がキラキラと淡い光を放っているのがよく見えて、とても綺麗だ。今は真冬の澄んだ空なので、尚更である。
「うふふふふふふ、幸せねぇ〜」
真冬の寒さは魔法を使ってくれているおかげで感じないものの、心地よい風で熱を冷ましたソフィアリアは頰を両手で挟み、まだ余韻に浸っていた。
反対にオーリムは余韻に浸る間もなく王鳥に身体を奪われ、初心者にあるまじき口付けを強制的に交わされ、すっかり不貞腐れていた。王鳥が羨ましいのか妬ましいのか。甘い雰囲気なんて皆無である。
「まあ、そうだけどさ」
「もう一回、今度は王様みたいにする?」
「出来るかっ⁉︎」
出来ないらしい。色々としょんぼりである。
その気落ちを感じ取ってしまったのか、オーリムはうっと怯み、視線を彷徨わせながらポツリと言った。
「そのっ、嫌な訳じゃ絶対にない。でも、またもう少しだけ待ってほしい」
「いくらでも待つわよ?」
「……なんかフィアの方が先に慣れそうだな」
「う〜ん、慣れるかしら?」
残念ながらさっきだって王鳥に翻弄されていただけだ。今のところ全然慣れる気がしない。
「でも、ふふ、幸せね?」
「ま、まあ、うん」
「明日も楽しみね〜」
「これも毎日やる気なのかっ⁉︎」
「まあ! やらないの?」
顔を真っ赤にしながら驚愕の眼差しを向けてくるオーリムに、思わずソフィアリアはそう尋ねてしまう。
冷静に考えて相当はしたない事を言っているが、当たり前のように最近の定番だった唇に触れる事とキスの応酬のように、毎日するものだと思っていたソフィアリアこそ、目を丸くして見返してしまった。だってこれこそ今までの練習とは違い、本番のキスだ。
オーリムは真っ赤になって――心なしか唇に視線を感じる――、やがて決心がついたのかごくりと喉を鳴らし、静かに頷いてくれた。
「…………やる」
「ふふふ、そうよね? 結婚するまでに、もっと慣れませんと!」
「………………ああ、そう、だな」
すっかり緊張で身を固くしたオーリムをくすくす笑っていると、気が緩んだのか、ふあ〜と先程よりも大きな欠伸をしてしまった。
「もう寝るか?」
「ん〜、嫌だけど限界かしらねぇ〜。ラズくんも王様も温かいし、このまま眠ってしまいそう」
ふわふわしたソフィアリアの声音に和んだのか、目元を柔らかく細めたオーリムは、少し名残惜しそうに大屋敷の方向に視線を向け、離れ難いと言わんばかりに一度ギュッと抱き締めてくれる。
「部屋まで送る。王、帰るぞ」
「…………ピ!」
なにか不思議な間を感じたなと思っていると、先程よりも眠気が深くなった。流石にここまで酷くはなかったはずなのだが、急激に眠りの世界へと入っていくのを感じる。
「……ごめ、なさい……ラ、ズく…………」
迷惑掛けるわ、と謝ったつもりで、意識を手放した。
「王、何……をっ…………⁉︎」
手放す直前、オーリムの焦った声を聞いた気がした。
*
ストンと、静かにバルコニーに降り立った王鳥は、上機嫌で自身の巣へと戻ってきた。
自身の最も大切な代行人と妃をゆっくりと魔法で降ろし、まるで人間の寝るベッドのように設えた巣の中へと横たえる。
そう、眠そうだったソフィアリアとそうでもなかったオーリムを魔法で寝かしつけたのは、勿論王鳥の仕業だ。ようやくオーリムもプロポーズとキスを済ませたのだから、結婚したも同然だろう。なら、いい加減こうやって、夫婦三人で同衾してもいい頃合いではないか。
特に今日の王鳥は、ようやくキスが解禁された事ですこぶる機嫌が良くて、幸せな気分なのだ。プロポーズして三季、ソフィアリアと大屋敷で暮らし始めて半年、この日を迎えるのに随分と時間を掛けたのだから、このくらいは許されて然るべきである。
オーリムのジャケットとベストを脱がせ、ソフィアリアはどこまで脱がしていいのかわからなかったが、とりあえずコルセットは緩めておいた。
本当は重苦しいドレスも脱がせてあげたかったが、明日の大惨事を思うと面倒なので諦める。シワにならないよう魔法でガードしつつ、とりあえず取っても問題なさそうなチュールマントだけは取り外しておいた。ちょっと寝苦しいかもしれないが、これでいいだろう。
二人を抱き合わせて寝かしつけると満足げにニンマリ笑い、ひとっ飛びしてベンチに置いたままのバスケットを回収しに行く。ミクスの遺骨と宝物が詰まった二つのバスケットを優しく咥えてバルコニーに戻ってくると、とりあえず枕元に置いておく事にした。
残念ながら主寝室にはまだ何もないのだ。机もないので、地面に置くよりはマシだろう。遺骨もベールも、ぞんざいに扱う訳にはいかないのだから。
ソフィアリアの隣、オーリムの反対に王鳥もゴロリと寝転がると、起こさないようにそっとソフィアリアの肩口に額を擦り付ける。それだけでなんとも言えない多幸感が広がるのだから、伴侶とは本当に不思議なものだ。
『……もう側には置いてやれぬと思うておったはずなのだがな』
そうポツリと呟き、密着しながら目を瞑った。
人間であるソフィアリアに、大鳥の愛は負担になると思ったのだ。世界の歪みの修復の事もあるし、共に過ごした半年近くを温かな思い出として心に刻み、自立しかけているオーリムにソフィアリアを任せて、そろそろ離れる予定だった。
なのに、結局こうして共に過ごす未来を選んでしまった。ソフィアリアに厄災が降り掛かろうが、オーリムがこの先も苦労しようが、王鳥はもう愛しい二人から離れる事は出来なくなってしまったらしい。二人にそれを強く望まれ、なによりも王鳥が、それを切望しているのだから。
大鳥の愛は狭くて深い。伴侶以外は生みの親だろうが友人だろうが絆を深めず、何も側に置かない分、伴侶にはとことん執着する。
執着するだけならまだマシなのだが、力のある分王鳥は行動に移していた。半分無意識で、半分意図的だ。
ソフィアリアはなんでも受け入れてしまうので簡単に許してくれたが、向けられる感情を知らないうちに制御されていたなんて知れば、普通は困惑する。困惑だけならまだいいが、自分もその周りも、そのあり得ない状況を気味悪がって当然なのだ。
ソフィアリアに嫌われたくなかったので、知られないうちに離れるつもりが、知られたうえにあっさりと受け入れられてしまった。恋する王鳥のした事だからとはいえ、器の大きさは天井知らずだなと苦笑する。
それに、オーリムだって反抗的だが、なんだかんだ言って王鳥に甘く、当たり前のように側に置くのだ。自立しかけているからそろそろ過保護は煩わしく感じて、独り立ちしたがるだろうと思っていたのだが、手を引いてくれていた王鳥の隣に並んで、共闘する事を望むらしい。代行人だが一人の人間でもあるが、やはり代行人としての意識が王鳥の予想より強く根付いてしまっているようだ。
寂しがるのだから仕方ない。そう言い訳して、王鳥の方がそれを強く望んでいる事は、そっと気付かないふりをした。二人には気付かれている、なんて気のせいだろう。
そんな事は横に置きつつも結局思うのは、こんな幸福な結末を迎えるとは、王鳥だって想定外の一言だ。
『ほんに人間とは、斯も面白い』
もしくは、王鳥の愛しい二人が殊更気に入っているから、そう感じるのか。
現状が幸せで静かにくつくつ笑い、ソフィアリアの肩にすりすりと額を擦り付ける。さすがに少し身じろぎしたので、起こさないように程々にする事にして、二人の寝姿を堪能する事にした。その目元は優しさと愛おしさに満ち溢れていた事は、本人だって無意識だ。
人間の女の中では特上な見た目を持って生まれたソフィアリアを見ながら、その事がまったくの無駄に終わる人生をいっそ憐れに思う。どんな見た目をしていようが、どんな性格をしていようが、ソフィアリアに恋心を抱くのは、これからも王鳥とオーリムだけなのだから。
唯一それを単身突破しそうになっていたのはフィーギスだが、あれはもうマヤリス王女という運命と出会い、結ばれている。少々……いや多分にいけ好かないが、今更どうなりようもないので放置する事にした。それに、今後の為にもフィーギスをソフィアリアの前から排除すべきではなかったので、やむを得ずの判断だ。
おそらくフィーギスの中でソフィアリアという存在の違和感を感じているのだろうが、今後はそれなりの距離で友人となるのだから、警戒しなくても大丈夫だろう。ソフィアリア自身が芽生えそうになっていた気持ちを綺麗さっぱり摘み取ったのだから。
今後はその歪さを無視出来ない輩がソフィアリアに害意を抱く事もあるだろうが、王鳥の愛を受け止めると言ったのだから、耐えてもらうしかない。危険は王鳥とオーリムが排除し、決して危害を与えられないようにすると誓おう。
このまま大屋敷に囲うような真似はしない。人間らしく自由に、けれどこの重苦しい愛だけは全て受け止めて、同じくらい深い愛を返してほしい。王鳥も、見返りを求める恋を望み始めていた。
今日のキスのようにきっとソフィアリアを過剰に振り回してしまうだろうが、果敢に立ち向かって王鳥を受け入れる唯一の妃を、存分に愛でてやろう。成し遂げた際のご褒美も忘れずに。
『さすが余の妃だ』
この一言が、ソフィアリアは大層気に入っているようなのだから、甘く囁いて、キスの一つでも贈ろうではないか。




