幸せの瞬間 1
「たったあれだけの事で、俺達をこんなに振り回したのか?」
三人でいつものようにぴったりと寄り添いながらベーグルサンドを頬張るオーリムは、不機嫌そのものだ。
王鳥に身体を乗っ取られている間も意識はずっとあったようで、話は全て聞いていたらしい。その反応がこれである。
ソフィアリアもクリームチーズと焼きりんごのベーグルサンドを堪能していた手を止めて、ふーっと溜息を吐いた。
「ね? 王様はわたくし達が王様へ向けている恋心を軽く見過ぎですわ。わたくしもラズくんも、こんなに王様の事が大好きですのに」
「俺が王を好きかはともかく、同じ考えを持っていた俺の事は散々責めた癖に、王が同じ事をしようとするな。あと、手を離してもいいと思っているくらい認めてくれているのなら、今後は情報はきちんと共有しろ。いつまで俺を半人前扱いして、全部一人で抱え込むつもりなんだ」
「勿論、伴侶であるわたくしにもですよ? それと、わたくしの心を根こそぎ奪ったまま持ち逃げしようとしていたなんて、そんなのあんまりですわ。ラズくんの分もちゃんと残しておく為に、二度と離れようなんて考えないでくださいませ」
「ピィ……」
二人がかりで王鳥に捲し立てるようにお説教をすると、王鳥はすっかり反省したのか切なげに鳴いて、ぐりぐりと二人の後頭部に額を擦り付ける。オーリムは鬱陶しそうに押し返そうとしているようだが、ソフィアリアは凭れかかって素直に身を任せていた。
それでも、ほんの四日前まではこんな夜デートが日常だったので、その日常をまたこうして三人で過ごせる事が出来て嬉しかった。本当に、この四日間は色々と波乱の連続で、心も身体も随分と疲弊しているようだ。
「ねえ、ラズくん」
「ん?」
「ドロール様の事、平気?」
そう尋ねるとグッと眉根を寄せるから、オーリムの方にも身を寄り掛からせる。
尋ねたが、平気な訳がないのだ。話を聞く限りオーリムはドロールと仲が良さそうで、なのにその手をかけただけでなく、二度も亡くしている。今日だって最期の謝罪は受け取ったものの、オーリムからは何も返事が出来ていないまま、永遠の別れとなってしまった。
「……わたくしがお話出来たのは、ほんの少しだけだったけれど、勇敢で優しい御方だったわ。雰囲気がお父様に似ていたような感じがしたの」
「見た目も義父さんに似ていた。ローはセイドの人間だって言われれば、確かになと思うくらいには。……ロムもローがセイドの人間だと言われてから、義父さんにローの面影を感じているみたいだった」
そうだったのかと、ドロールの見た目に関する情報を更新しておく事にする。今度からドロールを思い出す時は、赤の他人の子供だったミクスではなく、父を若くした姿を想像出来るようにしたい。残念ながら本人を見た事がないので想像でしかないが、本来の姿に近い方がずっといいだろう。
その事を脳内に刻んでから見上げたオーリムは寂しそうな目で、プロムスが居るであろう別館の方向に目を向けていた。プロムスを心配しているのと、もしかしたらそこに、ドロールと三人で過ごした思い出の場所でもあるのかもしれないなと予想する。
「……俺さ、当時はぼけっとしてて、ローに対してあんまり感じはよくなかったと思う。でもそんな俺の事も、ちゃんと友達扱いしてくれた、本当にいい奴だったんだ」
「そう。本当に優しい人だったのね」
「みんなと違って、俺を年下扱いして弄るような事も言わなかったしな。どちらかと言えば庇ってくれて、でも二人してロムに揶揄われてた」
そう語るオーリムの目はとても優しかったから、年下扱いも弄られるのも、案外嫌ではなかったのだろう。きちんとそこに愛情を見出していた。きっと、ドロールもそうだった。
「今まであまり勉強していなかったって言っていたのに、俺とロムの為に、覚える事が多い侍従になるって頑張ってくれたんだ。今思えばセイドの血を引いているから、知識の吸収スピードが尋常ではなかったな。ロムはそれに焦って、でもいい刺激になったみたいで、ローの居た頃のロムが一番勉強をしていたように思う」
「いい親友であり、ライバルにもなったのね」
「まあ、二人より俺の方が優秀だったけど」
突然張り合うようにそう言い切るオーリムにくすくすと笑ってしまう。
王鳥から教えを乞うていたオーリムはとても優秀らしいというのは聞いていた。残念ながら一緒に勉強した事がないので、未だそれを実感する機会はないが。
ぼんやりしつつも優秀なオーリムと、猛スピードで追い上げてくるドロール。オーリムの兄貴分として、そして侍従を先に目指していた友人として、負ける訳にはいかないと張り切るプロムス。そんな三人の光景が目に浮かぶようだ。
「……ローが鳥騎族になった事にも驚いたけど、突然人が変わって、俺達を裏切るように飛び出した事は困惑したし、ショックだった。でも俺は代行人だから、足踏みしている訳にもいかなくて、追いかけて捕まえるしかなかった。……元凶は契約した大鳥だって言っていたから、ローの事は捕まえるだけにするつもりだったんだけどな」
声音に悲しみが混じり始めたから、腕を絡ませてより一層引っ付く。オーリムも今は慰めがほしいようで、ソフィアリアの横腹に手を添えて、ギュッと強く身を引き寄せられた。王鳥もより一層、気持ちオーリム寄りに、身を引っ付けている。
「ローと対峙したあの日、大鳥は厄介だったけど戦い慣れていなかったみたいで、討伐しようと思えば簡単だったんだ。でも俺は討つのではなく捕まえるつもりだったから、苦戦した」
そこからの話はソフィアリアこそ辛くて、オーリムにギュッと縋り付く。でも聞きたくないなんて言っていられない。ソフィアリアは知りたいのだ。
オーリムもソフィアリアの気持ちを察してくれたのか、もっと強く身を寄せて、きちんと話してくれた。
「契約したキャルが侯爵位で、唯一俺以外では勝算が見込める鳥騎族だったからロムも同行していたけど、契約したばかりで勝手がわからなくて、友人と戦う事にも抵抗があったんだと思う。俺より強かったけど、戦い慣れている訳じゃなかったし。躊躇いのないキャルとの連携も取れてなくて、だからロムは結局、ローとまともに対峙出来ていなかった」
「ラズくんと王様だけで、ドロール様に立ち向かったのね」
「俺は戦うとなると遠慮しないから。非情だけど、そう王に叩き込まれたんだ。それに俺は代行人だから、暴走した大鳥と鳥騎族は見過ごせない……どんな相手でもな」
そんな自分の在り方をソフィアリアに言い聞かせるように、別館から目を離し、ソフィアリアの瞳を覗き込む。その目はどこまでもまっすぐ澄んでいて、迷いは見えなかった。戦いにおいて、覚悟は決めているのだろう。
だからそういうオーリムを支えるように、ソフィアリアも強く真剣な表情で見つめ返し、頷いた。この人の妃に――王鳥妃になるのだから、ソフィアリアだって同等程度の覚悟を決めなければならないだろう。
ふっとオーリムの気持ちが解れた気配を感じたから、これで正解なようだ。少しでも支えになれたら嬉しいと、柔らかく微笑む。
「ラズくんも、今までたくさん頑張ってきたのね」
「まあ、うん……。でも結局俺はローを捕まえられなくて、とうとう無差別に町を破壊しようとしたから、止める為に討たなければならなかった……自分の意思だったけど、そう判断すれば、身体が勝手に動いてた」
そう言い切ったオーリムに腕を絡めるのはやめて、正面から抱き付いた。ぽんぽんと背を慰めれば、大きく息を吐いて、ギュッと縋って甘えてくれる。
王鳥もそんなオーリムの頭頂部に額を寄せ、気持ちを共有して、慰め合っているようだった。
「人の命を奪う事は初めてじゃないのに、初めての時と同じくらい、ショックだった。ローを貫いた手の感覚も、その後討たれた大鳥の嘆きも、絶望したロムの表情も、今でもこびり付いて、頭から離れないんだ。たまに夢を見て、魘される」
「次にまた辛い夢を見たら、遠慮なく甘えてね? こうやってギュッと抱き締めるし、求められればなんだってするわ」
「…………そ、そういう事、言わないでほしい。なんだってだなんて……」
「あらあら、何を求められるのかしら? でも撤回してあげないわよ」
「うっ、そ、そうか……。いい、俺が自重する」
少し赤くなってそっぽを向いたオーリムに、王鳥と二人でくすくすと笑う。
まだ顔が赤いままのオーリムが咳払いをしたので、気を取り直して続きを聞く事にした。
「そんな別れ方だったから、ずっと引き摺っていたんだ。結局ローの気持ちもわからないままだったから、今日、フィアに教えてもらってよかった。……俺の為でもあったってのは辛かったけど、ローの願いは汲んでやりたい。ヨーピの事も覚えておくし、フィアを護って王と三人で幸せになる。勿論、ローはこれからも友人だ。手にかけた俺が図々しいかもしれないが」
「ドロール様は優しい人だったから、そんな事欠片も思っていないわよ。ありがとうラズくん、わたくしもドロール様の事もヨーピ様の事も、ずっと忘れない……忘れられないわ。三人で背負って、幸せになりましょうね」
「ああ」
「ピ」
と、王鳥がどこから出したのか、羽の下から抱えられるくらい大きな布を取り出す。何かを包んでいるらしいそれを嘴で掴み、オーリムに手渡していた。
受け取ったオーリムは首を傾げつつゆっくり広げ――ようとして、中身を隠すように慌てて元のように包み直す。
「っ! 王っ! 急に何渡すんだっ⁉︎」
「プピ」
「ラズくん?」
目尻を吊り上げて怒るオーリムを不思議に思いつつ、ふとピンとくるものがあって、ソフィアリアも目を瞬かせた。
「もしかして、ミクスくん?」
「うっ、あ、ああ……。すまない、急に」
気まずげに視線を逸らす様子を見ると、どうやら当たりだったようだ。ソフィアリアが受け取ろうと思って手を伸ばすと、オーリムは少し躊躇って、けれど渡してくれた。
ソフィアリアは受け取ると、そっと膝の上に乗せる。骨壺か何かに入っているようで直接触れる事は叶わなかったが、慈愛の表情を向けて、優しく撫でた。
「おかえりなさい、ミクスくん。セイドのみんな、ミクスくんが帰ってくるのを、ずっと待っていたのよ? 明日ロディと一緒に先に帰っていてね。落ち着いたら、お墓に眠ったあなたに会いに行くわ。……わたくしの事情に巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「……平気か?」
「ピィ……」
「ふふっ、わたくしは大丈夫よ。たしかに居なくなってビックリしたけど、今日ミクスくんのお顔は見れても、ミクスくんには会えなかったから。だからこの子とのお別れは、二年前に済ませているの。……これでやっと、ミクスくんのお墓に眠らせてあげられるわね」
セイドの墓地には無人のミクスのお墓がある。ソフィアリアとメルローゼ、孤児院の子達は毎年命日になると、欠かさずお参りをしていて、ミクスの死を偲んでいた。
思わぬ形でミクスの姿と再会して動揺したが、こうして戻ってきたのだから、ようやくゆっくり眠らせてあげられるだろう。それはいい事だから、ソフィアリアが泣く理由はないのだ。
明日プロディージに渡してセイドに帰してもらおうと、ベーグルサンドの入っていたバスケットの中身を避け、中に入れる。朝になったらお花や、好きだったお菓子でも添えてあげればいい。




