夜空の天人鳥の遊離 2
「う、嘘ですっ! だって王様は今まで」
「ああ。其方を伴侶かのように扱い、振る舞っておったよ。けれど、もうそれも終いだ。ようやっとラズが手を離れたからな」
ソフィアリアを傷付ける言葉ばかりを紡ぐ口を必死になって押さえようとしているオーリムは、悲痛な表情を浮かべていた。
けれどそれが叶う事はないらしく、その口から発せられる静かな声音は、変わらずソフィアリアの心を切り裂いていく。
「……嘘です」
「元々其方を迎えたのはラズの願いを汲んでの事。とはいえラズは半人前で立場が弱く、迎えたところで其方共々押し潰されるのが目に見えておったからな。だからせめて精神が成熟の兆しを見せるまでは、余も其方の伴侶となり、護っておったのだ」
「……違うわ」
「其方と両想いとなったラズは最近になってようやっと落ち着いて、少しは周りを見られるようになった。元々そういう役割は其方の方が向いておるが、以前のラズのままだと二人でやっていくにしても、ちと危なっかしかったからな。けれど、もう余が手を貸すのも終わりにしても良い頃合いだろう」
確かにオーリム一人がソフィアリアを迎えた所で強く反発されただろう。オーリムは代行人ではあるが、先代達とは違って自我があり、疑いと蔑みの目を向けられている。今回現妃と対峙した事で、今まで裏ではどんな扱いを受けていたのかよくわかった。
そんなオーリムが一人でソフィアリアを護るのは困難だったというのはわかるのだ。
それらの問題を解決する為に、誰も文句を言えないし言わせない王鳥も寄り添ったのだと言われれば理屈は通る。けれど――
「…………違う」
「其方だってプーとペクーニアの娘の事で実感したであろう? 第三者による過保護は二人の仲に悪影響を与え、自立を妨げるきっかけとなると。だから手を離せると判断したのならば、早急に行動に移す。それが今なのだ」
「………………いいえ」
「元々そう決めておったのだ。……すまぬな、今まで愛しておるなどと上手い事口車に乗せて、その気にさせてしもうて。けれど余は大鳥で、其方のようなたかが人間如きを真に伴侶とは見られぬよ。立場は伴侶のままにしておくが、これからはラズと其方の二人で、普通の人間の夫婦として」
「いいえっ!」
いつまでも戯言を囀り続ける王鳥の言葉を、そう叫んで強制的に遮る。
その行動が不愉快だったようで、オーリムの身体を再度完全に乗っ取ったらしい王鳥はすっと目を細め、蔑みを――ソフィアリアには今まであまり向けてこなかった表情を見せてきた。
けれどソフィアリアだって、こればかりは譲る気はない。涙を拭って眉尻を吊り上げ、まっすぐ王鳥と対峙してみせる。
「いいえ、王様。いくらそれらしい言葉を並べても、わたくしの心に響かない以上、無駄でしかありませんわ。だって王様は心からわたくしを愛して下さっておりますもの」
それだけは絶対、王鳥にも否定させないとばかりにきっぱりと言い切った。
その物言いがますます気に入らなかったのか、王鳥はソフィアリアに向かって威圧を込めながら強く睨みつける。今まで直接向けられなかった事のないそれを真正面から受け止めて、思わず身体が竦んで膝を突きそうになった。
「ほう? 大鳥の中でも頂点に立つ王である余が、矮小な人間如きを本気で伴侶として愛したと? はっ、随分と馬鹿にされたものだな」
冷笑を浮かべながらの威圧にも耐えてみせた。今だけはプロディージよりも負けず嫌いになるのだと気持ちを奮い立たせる。馬鹿な事を言い出す今の王鳥になんて、絶対屈してやらないと、負けじと睨み返してやった。
「っ! 確かにわたくしはちっぽけな人間の中でも、更に間違いを犯す取るに足らない小娘だとは自覚しております。けれど、それがなんだと言うのですか? たとえ神様と人間だとしても、愛してしまったのなら、どうしようもないではありませんか」
言い返すその態度がますます気に入らないとばかりに苛立たしげに目を細めても怖くはないのだ。ソフィアリアが怖いのはたった一つ。王鳥とオーリムという恋しい未来の旦那様二人が側から居なくなる事なのだから、言葉や態度だけ拒絶され傷付けられても痛いだけで、恐怖心はない。
「……余はいつまでも聞き分けのない者は疎むぞ」
「なら、王様はご自身の事もお嫌いなのですね。でも、わたくしはそんな王様の事だってずっと恋をし、愛を求めますわ」
「いらぬ。迷惑だ。其方が自分で言うたのだ。返してくれねば減ってなくなるのが恋なのだと。余はもう其方に愛など返さぬから、いずれその気持ちは枯渇するであろうな?」
「……本当に嘘ばっかり。わたくし達から離れても、遠くからずっと愛してくださる癖に」
くしゃりと忌々しげに表情を歪めたってソフィアリアの言う事は正しくて、王鳥はそうやって一人で離れてしまっても、その大き過ぎる愛情だけは、今までと変わらず注いでくれる。そういう優しい旦那様なのだと知っているのだから。
「自惚れるではないわ! 余はただの人間の事など、伴侶として愛する事などない! いつまで勘違いし続けるつもりなのだっ!」
「いいえ! ……いいえ、それはないですわ。わたくしはメルの恋心を見間違えたように、他人の気持ちを量り間違える事だってありますが、それだけは決してないと言い切ります。だって」
愛する事はないの言葉が痛くて、一瞬胸が詰まる。けれど深呼吸をして気分を落ち着けると、困ったように微笑んだ。
「……それでもわたくしは……誰よりも見つめている王様とラズくんから向けられるわたくしへの感情だけは、決して間違える事はありませんもの」
それだけは、確信を持って言えるのだから。
自分で言うのもなんだが、ソフィアリアは察しのいい方だと自覚している。たしかにメルローゼの事はラクトルとの関係を詳しくは知らなかったせいかソフィアリアのここ最近の動揺のせいかはわからないが、恋愛感情と崇拝を勘違いしたし、プロディージには理想を押し付け過ぎて、向けられていた好意を否定し続けていたが、ソフィアリアに問題さえなければ、人の気持ちはある程度察せるのだ。
だからフィーギス殿下がソフィアリアに対して恋ではなくても、何かしら特別視し始めていたのは気付けていた。特に最近は将来側妃希望だったとバレたせいで殊更意識するようになったのか、相当危うい感情が芽生え始めていたのだ。
だからわざと期待させるような事を言って希望を持たせた後、綺麗に摘み取った。そうする事で傷付けるのはわかっていたが、そのままでいるよりはずっとよかったと思っている。
フィーギス殿下はそれでも一番にマヤリス王女を愛しているし、ソフィアリアはどうあっても、フィーギス殿下の特別なんて地位は、昔から必要としていなかったのだから。今ならまだ傷は浅くて済み、今まで通り友人に戻れるだろう。
それにオーリムと両想いになる前だって、オーリムから特別に好かれている事くらいは気付いていたのだ。そこから先をどうする気なのか、何を悩んでいるのかわからなかったので両片想いに留めて、オーリムの決断をずっと待っていた。
だからソフィアリアは鈍くはない。王鳥が向けてくれた愛情はそう見せるように振る舞ったからだと言っていたが、絶対に違う。あれはまさしく愛で、恋だった。王鳥は愛しか向けないと言いつつ、ソフィアリアからの愛情をじっと待っていた。そのくらいわかるのだ。
「なら、その間違い第一号が余だ。残念だったな」
「ええ、とても残念です。わたくしは王様から向けられる愛情に心地よさだけを感じて、その裏で一人苦しむ王様の事を一切見抜けませんでした。それで愛情がなくなったのなら納得も出来ますが、王様から向けられる愛情だけは、未だ何一つ変わりませんもの。だからわたくしは、王様の主張に異を唱え続けます」
「其方が間違いを認めぬから、話にならぬな」
「王様だって、嘘だと認めないではありませんか」
「本気だからな」
お互い睨み合う。二人の主張はどこまでも平行線だ。




