伴侶と婚約者 1
ビドゥア聖島――羽を広げた鳥を正面から見たような形をしたこの島国には、大鳥という神様達が住んでいる。
成体であれば全長二メートル以上もあり、長く立派な尾羽が特徴的な彼の御方々は、鳥の姿を模しているが鳥や動物という訳ではなく、『魔法』と呼ばれる不思議な力を操り、人間を凌駕する知能を持ち、人よりもずっと上位に君臨する存在――まさしく神様と呼ぶのに相応しい方達だ。
元々このビドゥア聖島はこの世に現界した大鳥達が羽を休める為の休息地だったらしい。だがそこに迫害され流れ着いた人間達が現れ、哀れに思った大鳥達は彼らと契約を交わして共存するようになった。それがこのビドゥア聖島の成り立ちである。
この島を内包するかのように結界が張られているらしいのだが外交が出来ない訳ではなく、だが大鳥やこの国に害意がある者は上陸はおろか近付く事すら不可能らしい。その判断基準は人間にはわからない為、船で入港する前の港町には大鳥達による検問所が設けられている。ここを通らず島に近付けば、問答無用で船ごと難破し海に沈められかねないのだとか。
それがあってこの国から出る事は比較的簡単だが入国するのは難しく、ビドゥア聖島が生まれ故郷であってもそれは変わらないので下手をすれば一生涯帰る事は叶わない、なんて事もままあるらしい。まあ害意のない、観光や貿易目的の一般人には関係のない話だ。
そうして数千年、このビドゥア聖島は不可侵であり続け、他国からは神様の住む神秘の島と崇められながら、平和は保たれてきた。内乱も起こる前に大鳥達が火種を潰してしまうので起こる事はあまりない。それでも潰すのは大鳥達への多干渉や戦争のような大きな戦の火種だけで、人間間の内政や改革のようなものには干渉しないのでそういった小競り合いは他国と同じ程度には起きてきたようだが。
ちなみに大鳥同士は仲がいいか、相性が悪くても一定の距離を保つので争うような事は一切しない。人よりもずっと上位にいる彼らが争うと無力な人間なんて今頃絶滅していた事だろう。
そんなビドゥア聖島は今、とんでもない大激震が走っていた。大鳥達の頂点である『王鳥』が今春、一人の男爵令嬢を一方的に『妃』に所望したのである。
衝撃的なその事由に、だが非力で彼の御方々の庇護下にある人間如きが逆らえる筈もなく、各々懸念は抱きつつも最低限の法の整備を図り終えるのに季節が一つ変わるだけの時間を有した。本当はもっと細部を詰めたかったのだが、待ちきれない王鳥の催促もあり、これ以上時間をかけるのは無駄に王鳥の神経を刺激するだけなのでとりあえず最低限、である。
馬車の窓を眺めながらぼんやりと自領で勉強してきた島と大鳥の歴史を脳内で復唱し、現状の事を考えていた王鳥に妃に所望されたという話題の男爵令嬢――ソフィアリア・セイドは故郷のセイド領から『島都マクローラ』へと馬車で二日かけて移動したがそのまま通過し、隣接している王鳥と大鳥達の住む『聖都マクローラ』の中心部にある、小高い丘の上に建つ大屋敷へ上がる道へと足を踏み入れたようだ。馬車は緩やかな坂道をゆっくり登っていく。
小高い丘をぐるぐる外周するかのように登っていくこの道は侵入者対策らしく、ここを通らなければ切り立った崖と木々に阻まれ大屋敷に到達出来ず、不審な人物がいても侵入する前に人間でも捕まえられるだけの距離があった。人間が捕まえ損ねてもゴールで待っているのは神様である大鳥達という徹底した防備体制である。
白煉瓦で美しく整備された道を馬車で登りながら、車窓から眺める『島都』と『聖都』の景観はまさしく圧巻の一言で、ソフィアリアは思わずほぅっと息を吐いた。
『島都』マクローラはこの国の――鳥の形をした島の胸部あたりに位置する、ビドゥア聖島の首都である。首都だけあって街は活気に溢れていて人通りが多く、とても広い範囲を白と青で統一された建物が立ち並び、隙間を埋めるように植えられた自然の緑が映える素晴らしい景観には、他国から来た観光客はこぞって感動するらしい。所詮辺境にある、山に囲まれた田舎の男爵領育ちでしかないソフィアリアもその気持ちには大いに共感した。
中でもやはり中心部にある立派で繊細な彫りが入れられた外壁が目を惹く王城『マクローラ城』は特に美しく、数百年かけて地道に作られ、完成してまだ百年程度しか経っていないというのだから驚きだ。経年劣化しないように大鳥が魔法をかけて保護しているという噂がある。
聖都マクローラはそんな島都マクローラに隣接する、王鳥や大鳥が住む大屋敷を中心地に発展した観光特化の商業区域だ。王鳥が住んでいるので聖都という名前だが、実状は区域の方が近い。
聖都に定住する事は認められていないので住宅はなく、遠目からでもいいから大鳥達を見たいという観光客用の宿や、観光客をターゲットにした商業施設が立ち並んでおり、こちらは島都とは色が少し違い、建物は白と紺で統一されていて、聖都も島都に負けず劣らずとても綺麗だ。
島都の方は春の始めにデビュタントで初めて足を踏み入れていたが、聖都に来たのは初めてだ。それも王鳥の住む大屋敷に足を踏み入れる事になるのだから、人生何があるかわからないものである。
景観を堪能しつつ、だいぶ高い所まで来たなと思っていたら坂道が終わり、馬車のスピードも落ちてきた。やがてキィィという何か動くような音が聞こえたかと思うと立派な門柱を通り過ぎたので、とうとう大屋敷に着いたらしい。
しばらく走行していたが、やがて馬車は停止し外から話し声が聞こえる。
そして扉が開いたかと思うと外から黒のハーフグローブを着けた手が差し出されたので、立ち上がってそっとその手に右手を添え、エスコートを受けながら馬車から降りた。
数時間振りの外は雲一つない快晴で、小高い丘の上にあるからかいつもより空が近いような気がした。その分夏の日差しが容赦なくソフィアリアを照らしたが、外で控えていた侍女からフリル付きの日傘を差し出され陽射しを遮ってくれる。ふわりと笑って目礼をすると、差し出された手の持ち主へと視線を向けた。
少し跳ねた紺混じりの黒髪は毛先は青いグラデーションになっていて、まるで夜空のようでとても美しい。キリッと凛々しい上がり眉は髪と同色で、ソフィアリアの目線とほぼ同じ位置にある瞳は変わった色彩の黄金色。くりっとしたツリ目は猫のようで少し可愛いと思ってしまった。
すらりと高い鼻に毛穴一つ見えないきめ細やかな肌、形のいい薄い唇となかなか端麗な容姿をしているが、青年というよりはまだ成長途中の少年のように見える。届けられた釣書だと一つ年上の十七歳だったと記憶しているのだが、ソフィアリアの一つ下の弟を彷彿とさせたと思うのは失礼だろうか。
腰から二股に分かれた、内側は紺色の長い黒コートを羽織り、黒のベストと群青色のシャツ、下は黒いズボンとブーツという服装は上質そうに見えるがシンプルで、これが彼の普段着なのだろう。とてもよく似合っていた。強いて言えばこの夏空の下では暑そうだ。
「……高いな」
ギュッと眉根を寄せボソリと言われた一言でハッとして慌てて笑みを浮かべて手を離し、まだ挨拶より練習でした回数の方が多いカーテシーをして見せた。不恰好ではない自信はある。
「はじめまして、代行人様。ソフィアリア・セイド、本日より参上しました。お会い出来て嬉しいです。今日からよろしくお願いいたします」
柔らかく笑みを浮かべたまま落ち着いて脳内で何度も練習した口上を述べると彼――代行人はむっつり引き結んだ無表情でこくりと頷いた。その直後、いつ来たかわからない静かさで彼の横に降り立ったのは――
「まあ! 王鳥様、お久しぶりです。ソフィアリア・セイド、本日参上しました。この度はわたくしのような若輩者の娘に栄誉ある立場を賜った事、とても光栄に存じます。精一杯務めさせていただきますので、不束者ではございますが今日からよろしくお願いしますね」
王鳥だった。およそ一季――日付換算だと九十日――振りに拝見した彼の御方は相変わらず美しく、今日は鋭い目つきが幾分か嬉しそうに見えるのはピィピィと機嫌良さそうに鳴いているからだろうか。
と、突然ふわりと何かに包まれたような不思議な感覚がして足が宙を掻き、気がつけば王鳥の腰辺りに隙間なくぴとりとくっついていた。突然の事で反応が送れ、きょとんとしてしまう。
「……あら?」
「っ! 王!」
だが、すぐに代行人によって引き剥がされる。その反応も意外で、代行人を見て片頬に手を添え目をパチパチさせていたが、彼はそんなソフィアリアの視線に気付く事はなく、キッと機嫌が悪そうに王鳥を睨みつけていた。
「ピ!」
王鳥も邪魔をした代行人が不満なのか、眼光を鋭くして睨み返している。
そんな二人の様子に、ソフィアリアはますます困惑が広がるのだった。